雪ノ下雪乃の消失   作:発光ダイオード

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6-c

翌日の放課後。

一日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、教室には独特な緊張感から解放されたクラスメイトたちの弛緩したどよめきが溢れかえる。部活がどうだ駅前に遊びに行こうだの言う声が飛び交う中、俺は手早くカバンに荷物を詰め込んだ。今日はクリスマスイベントの会議があるのでこれからコミュニティセンターに向かわなけれはいけないのだ。

そっと椅子を引いて立ち上がり、ちらりと周りを見回してから俺は教室を後にした。

 

廊下を曲がってすぐの所で俺は壁にもたれ掛った。角には出っ張りがあり曲がってきた生徒からは丁度死角になって見えない、いわゆる視覚のデッドスポットだ。

今日は特に冷えるな…。ひんやりとした壁の冷たさを感じながら、俺はしばらく上履きが何足か過ぎ去っていくのを見送った。

16、17、18…そろそろ20足目に差し掛かろうかというところで、教室の方からパタパタという足音が聞こえてくる。足音は俺の目の前を勢いよく通り過ぎると、

 

「あっ!」

 

という声を上げてピタリと止る。

 

「なんで先行くしっ」

 

顔を上げると、由比ヶ浜が踵を返してこっちに詰め寄ってくるところだった。

 

「昨日一緒に行くって約束した」

 

「だから待ってただろ、ここで」

 

「……じゃなくてっ、教室出てったら先行ったと思うじゃん」

 

大きな目を見開いて思考停止したかと思うと、次の瞬間には不満げに唇を尖らせる。

一見するといつも通りの由比ヶ浜に見える。しかし今日一日由比ヶ浜を見ていたが、授業中や三浦たちと話している時にも気がつけば中空に視線を彷徨わせていた。今も、いつも通りに見えるだけでどこか悄然としているように感じる。

 

「なぁに?」

 

由比ヶ浜は、今度は怪訝そうにこちらを見る。

 

「何でもねぇよ。さっさと行こうぜ」

 

「あっ、待ってってば」

 

壁から背中を剥がして歩きだすと、由比ヶ浜も慌てて後を着いて来た。

 

 

 

 

学校を出た俺たちはコミュニティセンターへ向かい住宅街を歩いていた。道沿いの銀杏並木も冬の風に葉を散らして、すっかり寂しくなってしまった。時折吹く強い風に俯くと、自転車を押す俺と隣を歩く由比ヶ浜の影が夕暮れに長く伸びる。

先程から会話はない。歩き始めに少しだけ話したが、後はなんの会話もなくここまで来てしまった。何度か気まずさに耐え切れなくなり話す事はないかと考えたが、結局思い付かずただ車輪の音だけがカラカラと俺をからかうように騒ぎ続けた。

ちらりと由比ヶ浜を見る。顔にグルグルと巻きつけられたマフラーは、まるで会話を拒むかのように口許まですっぽり覆っていた。寒さのせいもあるだろう。けれど昨日の事を考えれば、表情には出さなくてもやはり気にしているんだとがわかる。あんな常識はずれな事が起こったんだから、まだ頭の中の整理ができていなくて当然だろう。

話す事を諦めた俺は、再び視線を地面に戻し昨日の出来事を思い返していた。

 

 

 

 

 

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扉の隙間からひやりとした風が吹き込んでくる。ドアノブに体温を奪われながら渡り廊下の屋上へ出ると、オレンジ色に染められた廊下の中程、手すりの丁度影になった辺りに座り込んでいる人影を見つけた。由比ヶ浜だ。隠れるように膝を抱え小さく踞っている。

俺は静かに扉を閉めてから深く息を吸う。冷たい空気が鼻を通って肺へ溜まり、胸の辺りがぴりぴりと痛む。

ゆっくりと息を履き、覚悟を決めて歩き出す。

 

「由比ヶ浜…」

 

そっと声を掛けると、由比ヶ浜は小さく身体を揺らしてゆっくりと頭を上げる。涙でくしゃくしゃになった顔がこっちを向く。

 

「ヒッキー…」

 

擦れるような声で俺の名前を呼ぶと、朧げだった瞳に再び涙が溜まりぽろぽろと零れ出した。思わず由比ヶ浜を支えようと膝をつく。けれどその肩に触れようと手を差し伸ばした時、心の中に一瞬の躊躇いが生まれる。多分一秒もなかっただろう。それを知ってか知らずか、ほぼ同時に由比ヶ浜は俺の袖を掴みそのまま顔を埋めていた。

 

俺は由比ヶ浜の肩に触れる。

 

「……」

 

すすり泣く由比ヶ浜の声が夕闇に溶けていく。掛ける言葉の見つからない俺は、そのまま夕陽が沈んでいくのをじっと眺めていた。

 

 

 

空は次第に茜色から紺色へと移り変わり、頭上には星々が明滅しはじめる。

視線を下ろすと、今も由比ヶ浜が俺の袖を掴んで胸元に顔を埋めている。いくらか気持ちも落ち着いてきたようで、さっきまで聞こえていたすすり泣く声もいつの間にか治まっていた。

俺は頃合いを見て、由比ヶ浜の手を取りその身体を引き起こす。寒さで冷えきった小さな手をギュッと握りしめてそのまま屋内に戻ると、既に他の生徒の気配は無く残っているのは俺たちだけになっていた。

 

学校を出てどこか落ち着いて話せる場所を探して、俺たちは近くのコーヒーチェーン店に行くことにした。平日の夕方ということもあり店内にはちらほら客が居るくらいで、騒がし過ぎず静か過ぎず話をするのには丁度いい混み具合だった。暇そうに立っている店員を横目に通り過ぎ、俺は先に由比ヶ浜を席に向かわせてからカウンターへ行く。

 

「こんばんわ。ご注文を承ります」

 

店員の女性は笑顔でそう言った。バイトだろうか年は俺と同じか少し上くらい。たぶん高校生か大学生だろう。若干表情がぎこちなく見えるのは……まぁ、見るからに冴えない男子高生が意気消沈した女子高生の手を引いて入って来たのだから、そりゃ戒心のひとつも持つだろう。

 

「あー、カフェラテと…」

 

メニューを見ると、何やら洒落た呪文の様な商品名が書き連ねられている。普段こういう所に来ない俺にとっては聞き馴染みの薄いものばかりだ。これはなかなかハードルが高い。

 

「…コレを」

 

季節限定というマークの付いた商品を指差す。普通の男子でも頼むのに抵抗があるだろう。ましてやぼっちの俺がこんなオシャレワードを口にするのも恥ずかしいし、言ったところで鼻で笑われること請け合いだ。

 

「カフェラテとストロベリーケーキミルクですね。あちらのカウンターにずれて少々お待ち下さい」

 

店員は最初と変わらない笑顔でそう言った。

しばらく待っていると注文していた商品が運ばれてくる。ストロベリーの甘い香りが鼻先をくすぐる。トレイを受け取って飲食スペースを見回すと、窓際に置かれたソファに腰掛けている由比ヶ浜を見つけた。

俺は飲み物が溢れないようにゆっくりと運んで、テーブルの上にそっとトレイを乗せる。

 

「…少しは落ち着いたか?」

 

向かい合う様に腰掛けながら、俺は由比ヶ浜に飲み物を渡す。

 

「うん、ありがと」

 

そう言うと由比ヶ浜は両手を暖める様にカップを持って、息を吹きかけながらカップの縁に唇をつける。髪に隠れているが目許はさっきまで泣いていたせいで赤く腫れて跡になっていた。

 

「ヒッキー…あんまこっち見ないで」

 

俺の視線に気づいたのか、由比ヶ浜はさっと顔を逸らす。

 

「今ほとんどスッピンだから…そんな見られると恥ずい」

 

「あ…、わりぃ…」

 

慌てて視線を逸らし、誤魔化す様にコーヒーを飲む。冷えていた身体がじわじわと暖かくなる。

屋上で思い切り泣いていたせいで、学校を出る頃には由比ヶ浜の化粧は涙で崩れていた。ハンカチで拭い取ってはいたが、どうやら俺が注文をしている間に化粧を落としていたようだ。

とはいえ、由比ヶ浜は普段から化粧が濃い訳じゃないしどちらかと言えばナチュラルメイクなので、元々整っている顔立ちも相まってそれ程いつもと変わらないように見える。強いて言うなら目が若干小さくなったくらいだろうか。

 

「まぁ、そんなに変わんないだろ」

 

「……」

 

俺的には褒めたつもりで言ったのだが由比ヶ浜はそう思はなかったらしく、何だかあからさまに嫌そうな顔をした。

絶妙に重たい空気が立ち込めしばらく会話が途切れる。俺は黙ってカップに口を付けた。

 

 

 

「由比ヶ浜、聞いて欲しい話があるんだが…」

 

「なあに?」

 

沈黙を破るように口を開くと、由比ヶ浜は少し身構えるように身体を強張らせて訊き返してくる。

 

俺は由比ヶ浜をじっと見つめる。

今目の前にいる由比ヶ浜は昨日まで一緒にいた由比ヶ浜じゃなく、俺と同じように雪ノ下を見つけられなかった未来からやってきた由比ヶ浜だ。

たぶん由比ヶ浜は雪ノ下の事に責任を感じているだろう。それなのにこのタイミングでもっと厄介な問題を打ち明けるのはさすがにちょっとアレかもしれない。

しかし、だからと言ってこのまま様子を伺っていては閉店まで待っても言い出せないだろう。

事態は急を要するのだ。今言わなければ。

そう自分に言い聞かせる。

 

「聞いて欲しい話がある。すぐには理解できないだろうがとりあえず聞いてくれ」

 

 

 

 

俺は由比ヶ浜に、俺がこっちの世界に来てから今日までに起こったことを順を追って話した。時間が巻き戻っているという事、俺たちの関係性が微妙に違っている事、雪ノ下が別の高校に通っている事…。他にも今俺たちが置かれている現状についても、できる限り詳しく説明した。

当然由比ヶ浜は俺がふざけているのだと思って「こんな時に何言ってるのっ!?」と馬鹿だの阿呆だの罵った挙げ句、終いには再び眼に涙を浮かべ始めた。

そりゃいきなりこんな話をされてもにわかには信じられないだろう。俺だってそうだ。思わず言葉がつまりそうになるが、それでもグッと堪えて話を続けていると少しずつだが耳を傾け始める。

 

そしてスマホを見るように言ったところ、なんどか画面をスワイプして訝しそうに首を傾けた。日付や写真、メールの履歴など確認して、やっとそのおかしさに気付いた様だった。

 

「ヒッキー…これどういう事?」

 

混乱する由比ヶ浜の質問に、俺はひとつずつゆっくりと答えていった。

 

 

 

 

「でもまだちょっと信じられないかも」

 

一頻り話を訊き終えると、由比ヶ浜はソファに身体を預けて深いため息をついた。

いきなり信じろだなんて無理な話だ。だが、明日三浦たちと話してみれば嫌でも分かるだろう。

 

「わたしのスマホなのにメールとか写真とか全然違うんだもん」

 

「まぁ、そうだろうな…」

 

「わたし今日ゆきのんと買い物に行ったんだよね?全然覚えてないんだけど…」

 

「雪ノ下といえば……お前何で学校に戻って来たんだ?」

 

「戻って来たも何も、わたしずっと学校に居たんだけど」

 

話の食い違いに一瞬混乱するが、すぐに自分の質問が的外れな事を理解する。

雪ノ下と駅前まで買い物に行ったのはこっちの世界の由比ヶ浜で、今目の前にいる由比ヶ浜はずっと学校に居たのだ。だから由比ヶ浜が学校に戻って来た理由を、目の前の由比ヶ浜が知らないのは当然だ。

何があったか分らないが、どういう訳か雪ノ下と別れて学校まで戻ってきた…。その様子は川崎が被服室から見ていたので確かだ。

 

「どのタイミングでこっち来たかわかるか?」

 

そう訊くと、由比ヶ浜は迷いなくかぶりを振る。

 

「ううん。ゆきのん追いかけて学校中探して、見つからなかったからヒッキーに電話したんだけど、今話し聞くまで全然気づかなかったもん」

 

雪ノ下が部室に居たのだからその時点では由比ヶ浜はまだ元の世界に居る。しかし雪ノ下が見つからなかった時に掛けた電話は俺に繋がった。つまり部室を出てから俺に電話を掛けるまでの…雪ノ下を探している間にこっちの世界に移動してきたという事になる。

 

 

「…なんでわたし達だけなんだろう」

 

俺が思案を巡らせていると、由比ヶ浜はぽつりと呟いた。

 

「そうだな…けどもしかすると、他にもまた別の奴が同じ様にこっちに現れる可能性もある」

 

「他にも?」

 

「例えば三浦とか川崎とか…もしくは全然関係ない奴かもしれない」

 

「……ゆきのんは何で別の高校になっちゃったんだろう?」

 

由比ヶ浜はカップの縁を指で撫でながら呟く。

 

「いや、J組そのものがなくなってるし、ひょっとしたらJ組の人間全員…もしくは何人かが海浜高校に移ったのかもしれない」

 

「………ゆきのんには話した?」

 

「いや、雪ノ下の記憶はこっちの世界のままだから、下手な事言ってややこしくなったらまずいからな…」

 

「そっか…」

 

由比ヶ浜はそのまま黙ってそれ以上口を開かなかった。何か言いたそうな雰囲気はあったが、俺はそれを訊くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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