「あれ?いろはちゃんだ」
コミュニティセンターの近くまで来た所で、道路の向かい側を眺めながら由比ヶ浜はぽつりと言った。視線の先にはコンビニがあり、じっと目を凝らすと店の中に一色が居るのが見える。おそらく今日の会議の買い出しでもしているんだろう。ここからだと首から上しか見えないのによくもまあ気づいたもんだ。
心の中で感心しつつ、俺の歩先は自然と道路側へ逸れていく。
「ちょっと先行っててくれ」
そう言うと、由比ヶ浜は一瞬不思議そうな顔をするがすぐに気づき、
「わたしも行こっか?」
と訊いてくるので、俺は小さくかぶりを振った。
「いや、大丈夫だ」
「……わかった。先行ってるね」
他にも何か言いたそうだったが、一言だけそう告げると由比ヶ浜はそのまま手を振ってコミュニティセンターの方へ歩いて行った。
由比ヶ浜の背中を見送って振り返ると信号が点滅し始める。俺は小走りに横断歩道を駆け足で渡った。
コンビニへ入ると、すぐに一色の姿を見つけた。スイーツコーナーの前で買い物かご片手になにやら仁王立ちをしている。ゆっくり近づいて覗いてみると、かごの中にはペットボトルのお茶やジュース、チョコレートやクッキーなど会議の肴がいくつも入っていた。反対の手にはちょっと高そうなプリンが握りしめられていて、一色はそれを真剣な表情で矯めつ眇めつ睨んでいた。
「さすがにそれは経費じゃ無理だろ」
「わっ!」
後ろから声をかけると一色は驚いて振り返った。
「いきなり止めて下さいよ、ビックリするじゃないですかっ!」
塞がっている両手のかわりに肘をばたつかせて抗議してくる。
「いや、気付かないとかどんだけそれ食べたいんだよ」
「別に。ちょっとおいしそうだなーって思ってただけです」
一色は呼吸を整える様なため息を漏らすとプリンをショーケースに戻した。
「なんだ買わないのか?」
「えぇ、今月厳しいんですよね。さ、そろそろ行きましょ」
そう言って肩をすくめる姿が何となく名残惜しそうに見えたので、俺はポケットに突っ込んでいた手を出して一色の戻したプリンを手に取った。
「…まぁこれくらいなら俺が買ってやるよ」
なんだかんだこいつも最近は頑張ってるし、プリンひとつで一色のやる気が出るというならこのくらいの出費を厭うことはない。
一色は鳩が豆鉄砲を食らったように目をパチパチさせて、それからはっと我に帰る…ハトだけに。
「なんですか口説いてるんですか?甘いものだけに甘い言葉を囁けばいけるんじゃないかとかちょっと考えが甘いのでもう少しよく考えて出直して来てくださいごめんなさい」
捲し上げるように言ってからペコリと頭を下げる。どうやらまた振られたらしい。そういやこれを聴くのも久しぶりだ。そう思うとなんだか少し懐かしい気持ちが込み上げてきた。
「何微笑ってるんですか?キモいですよ」
顔に出ていたらしい。
「…いらないなら戻すぞ」
「冗談に決まってるじゃないですかぁ。わーセンパイヤサシイデスネー」
「………」
抑揚のないセリフに呆れつつ、俺たちは買い物を続けた。
コンビニを出て時計を見ると、会議の時間までに丁度いい頃合いになっていた。
俺の手には一色が買った飲み物やお菓子の入った袋が提げられ、かわりに一色は俺の買ったプリンの入った袋を持っている。
「そうだ先輩。後でひとくちあげましょうか?」
「いや、俺が買ったんだけどな」
「あれっ、でもわたしのために買ってくれたんですよね?」
「……」
悪戯っぽく口許を歪めて一色はにやりと笑った。
「そう言えばイベント手伝ってくれる人もう集まりました?」
「あー、とりあえず川崎と海老名と三浦には頼んでおいた。残りはどうするかな」
「それっていつもと変わりなくないですか?ほんと先輩って友達いないですよね」
一色はやれやれとでも言う様に肩を落としてみせる。
「お前の方こそどうなんだよ」
「わたしですか?」
「頼める奴いんのかよ?」
こいつもこんな性格だからあまり同性には好かれないだろう。俺程じゃないにしても友達は多くないはずだ。
「一応頼めそうな子は何人かいるんですけど…正直あんまり頼みたくないんですよね」
「なんで?」
「借りとか作りたくないっていうか何というか…」
「…それって友達なの?」
「そうですよ?」
一色はけろりとした表情で言った。
俺はぼっちなので友達というのがどのようなカテゴリーを指すのかよく分ってない所もあるが、こいつはこいつで相当特殊な友達観を持っている気がする。ていうかそんな借りとか気にして付き合わないといけないなら友達なんていらない。俺は一生ぼっちでいい。
「んじゃ男子でいいだろ。お前なら言う事聞いてくれる野郎の一人や二人普通にいるだろ」
「先輩わたしの事なんだと思ってるんですか」
不服を訴える様に睨んでくる。一色のことだから当然そうだと思っていたのだが、ひょっとしたらこっちでは違ったのかもしれない。
「まぁ、そりゃいますけど」
いるのかよ。
「でも、手伝ってもらったらお礼に一緒に遊びに行ったりしないといけないじゃないですか」
いや、それは知らないけども。
「デートくらいしてやりゃいいじゃねぇか」
「嫌ですよ。わたし好きな人以外とはデートしないって決めてるんですから」
「…お前ってそんなキャラだっけ?」
「先輩って、ほんとわたしの事なんだと思ってるんですか」
元の世界では男子をブランド品の様にとっかえひっかえしていた奴とは思えないセリフに思わず虚を衝かれた気分になる。
一色は更に深く眉間にシワを寄せていたが、不意に何か思い付いたらしく表情をくるりと一変させて嬉々とした声をあげる。
「そうだっ。先輩がわたしと一緒に買い物すればいいんですよっ」
なに言ってんのこの子?わかんない。
「いや、超絶意味不明なんですけど?」
「ほら、わたしと先輩が買い物してるとこ見れば他の男の子たちも諦めるじゃないですか。それにわたしも男の子の買い物に付き合うってお礼も済ませられますし。みんなウィンウィンじゃないですか?」
得意気に説明されるが全く理解できない。とりあえず休日に出かけないといけない時点で俺にとってウィンじゃないし、それを目撃させられる男子たちにとっても恐らくウィンじゃないだろう。要するに一色の一人勝ちだ。
「荷物持ちさせられるだけで全然ウィンじゃなさそうなんだけど…」
「何言ってるんですか。こんなかわいい後輩とデートできるんですよ?」
一色は俺の顔を覗き込みながらにこりと笑った。なんだか胸の奥がこそばゆくなる。向けられたその屈託のない笑顔に絶えきれなくなり、やむを得ず視線を逸らすと視界の隅で信号がチカチカと点滅しているのに気づいた。俺たちは急いで横断歩道を渡った。
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時間帯のせいかコミュニティセンターの館内にまだ電気は灯ておらず、外光だけで照らされるロビーはその静けさも相まってどことなく物悲しさを漂わせていた。それでも光の届かない奥の方はさすがに電気が灯ていて、そこにはエレベーターの近くでスポットライトに照らされるように立つ雪ノ下と由比ヶ浜の姿があった。
入り口に背中を向けて立っている由比ヶ浜に対し、雪ノ下はこちらを向いていたので直ぐに入ってきた俺と一色に気づいた。由比ヶ浜も遅れて振り返り胸許で小さく手を振ってくる。隣にいた一色はそれに呼応するようにパタパタとふたりの元へ駆けて行った。
「結衣先輩、雪ノ下先輩。お疲れさまですー」
「やっはろー。いろはちゃんもお疲れー」
などと言う会話が聞こえてくる。静かなロビーに由比ヶ浜と一色の声はよく響き、それだけでこの場の空気が賑やかになった。それから三人でいくらか雑談する様子を見せるが、不意に雪ノ下は階段を登って二階に去っていった。
入れ替わる様に俺も由比ヶ浜たちの所に着く。
「雪ノ下の奴どうかしたのか?」
「会議の準備あるから先に行くって」
「先輩、また雪ノ下先輩の気に障る様なことしたんじゃないですか?」
「いや何もしてねぇよ…多分。てかまたってなんだよ」
一色はからかう様な笑みを見せてから思い出したように、
「そうだ、わたしも荷物持っていかなきゃでした」
と言って俺からコンビニの袋を取り上げる。
「それじゃ、おふたりも遅れない様に来てくださいね」
ぺこりと頭を下げ、雪ノ下を追うように一色も二階へ上がって行った。
ふたりだけになったロビーに再び静けさが舞い戻る。
「雪ノ下と話してたのか?」
「うん」
「何か言ってたか?」
「えっとね…やっぱりわたし昨日ゆきのんと会ってたみたい。でもわたしって学校にいたわけじゃん?だからとりあえずゴメンねって謝ったんだけど、そしたらゆきのん「いいえ、もういいの」だって」
「それだけか?」
「んー、後は昨日食べたケーキ美味しかったねとか、今度は違うお店に行こうとか…かな」
由比ヶ浜は口許に手を当てながら答える。
雪ノ下がそう言うんだから、昨日二人が会ってたのは事実だろう。そして経緯は分らないが、雪ノ下と別れた由比ヶ浜は学校に戻って来た。その様子は川崎が被服室から見ていたので間違いないはずだ。
とりあえず昨日の事で変に話が拗れた様子はなさそうだ。
「ヒッキー、わたし達も行こ」
由比ヶ浜に言われて時計を見ると会議の始まる五分前になっていた。
俺たちは足早に階段を上って行った。
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「では、今日はここまでにしよう。来週は当日の動きや役割についてのアジャストメントをしていこうと思う。手伝いに参加してくれる人たちにもしっかりレクチャーしたいから、両校とも参加者を全員連れて来て欲しい。それじゃみんなお疲れ様」
会議が終わって、俺は机に広げた書類を纏めながらふうと一息ついた。周りを見回せばみんな作業をやめて片付けを始めていた。長い会議で疲れているはずだが、全員どこか活力に溢れているように見える。
一色も玉縄もだいぶ会長業が板に付き、スケジュールのチェックや細かな指示も割とできる様になっていた。ふたりとも調子のいい性格なので、成果が見えれば見えるほど意欲的になり作業の効率も上がっていった。そのおかげか、当初のいざこざが嘘の様にクリスマスイベントの準備は着々と進み、今日までに作業は八割方完了していた。
まぁ、それも一重に雪ノ下が裏で糸を引い…しっかりとフォローしていたお陰だろう。
「比企谷君、ちょっといいかしら」
背もたれに背中を預け軽く伸びをしていると背後から名前を呼ばれる。振り返って顔を上げるとそこに立っていたのは雪ノ下だった。既に帰り支度を整え、青いマフラーを首に巻き手にはカバンを提げている。
「どうかしたか」
「さっき玉縄君も言っていたけれど…当日参加してくれる人達、そっちはもう揃ったかしら?」
「いや…とりあえず今三人には声を掛けてある。確か最低五人だったよな」
俺がそう言うと雪ノ下は意外そうな…というか、あからさまに驚いた表情を浮かべる。
「何だよ?」
「ごめんなさい。友達のいない比企谷君の事だからまだ誰も集められてないのかと思ったわ」
「お前、俺の事何だと思ってるの?」
「死んだ魚の目をした捻くれ者のド朴念仁…かしら?」
ドボクネンジン…どぼくにんじん…土木人参っ。
なんだか大地の香り漂うフレーズだが、決して褒めてるわけではないだろう。
「……」
「冗談よ」
口許に手を当ててくすりと笑った。
「でも、それなら別に五人以上集めてくれてもいいのよ。人数は多い方がいいもの」
「それは無理だな。てか、実際これ以上は無理かも…」
「どうして?」
「俺にはもう声を掛ける知り合いがいない」
雪ノ下は感心を返せと言わんばかりの深いため息をついた。
「一色さんだけじゃ不安だったから比企谷君に声をかけたんだけれど、冷静に考えればあなたに人集めを頼むのも無茶な話よね」
ホント俺に人を集めさせようとかどうかしてる。そんなの無理だって事は火を見るより明らかなのに…。その辺をちゃんとわかった上で頼んで欲しい。
しかし自分でもそう思ってはいるものの、他人に言われると無性に言い返したくなるのは何故だろうか。
「雪ノ下こそどうなんだよ」
「こっちはもう揃ってるわ」
雪ノ下は当然とでも言うように鼻を鳴らした。
「意外だな。お前だって友達いなそうなのに」
さっきの仕返しに同じ言葉を返してやると、その瞬間雪ノ下の目がキッと細くなり俺を睨む。
「あなた工夫の無い人ね。友達なんていなくても集める方法はいくらでもあるのよ」
そう言って雪ノ下は友達不要論を唱えた後、なぜか俺に友達がいないのは目つきや性格が腐っているからという持論を語り、いつの間にか煌びやかな罵倒のエレクトリカルパレードが始まっていた。あまりにも見事な言葉選びと昂然たる口ぶりに思わず感心してしまう。むしろ感心し過ぎて泣きそうになる。
ていうか友達がいない事は否定しないらしい。
「ちゃんと人数集めてきてちょうだいね」
ひとしきり喋った後、雪ノ下は満足そうな笑顔でそう言った。
「ゆきのんちょっといい?」
俺が雪ノ下の口撃に打ちひしがれているとその様子をどこからか伺っていたのか、話の丁度切れ間に由比ヶ浜が雪ノ下に話しかけてきた。
「何かしら由比ヶ浜さん」
「今からちょっと話せない?ヒッキーも…」
由比ヶ浜と目が合って胸の中がざわりとする。
話というのは、恐らく昨日の事だろう。確かに雪ノ下なら話せば協力してくれそうな気もする。しかしそれも絶対と言いきれるわけじゃないし、まして由比ヶ浜はこっちに着たばかりでちゃんと説明できるかも甚だ怪しい。下手なことを言って話をややこしくする前に止めるべきだろうか…。
俺はちらりと雪ノ下を見る。一瞬だけ目が合うが直ぐに雪ノ下は由比ヶ浜に視線を戻して、
「ごめんなさい。これからちょっと用事があって…下で車を待たせているの」
と申し訳なさそうに頭を下げた。
「あっ…そうなんだ」
「話はまた今度でもいいかしら?」
「……うん、全然大丈夫。ごめんね急に」
「いいえ。それじゃもう行くわね。比企谷くんもさようなら」
「あぁ…」
雪ノ下は足早に帰っていった。
去り際に残した寂しそうな笑顔が、しばらく俺の頭の中に居座り続けた。