「ねぇ比企谷君、お昼のアレなんだったの?」
放課後俺が部室に着くや否や、海老名は昼休みの放送について興味津々に聞いて来た。
「なんでもねぇよ。別に大した事じゃない」
「えー、何々?」
「いや、聞いて面白い話でもねぇってば」
「もー、そんな事言わずにさぁ」
そう言って海老名は口を尖らせる。そこまで気にする事でもないと思っていたのだが、海老名にしては珍しく食い下がってくる。すると、隣に座っていた川崎も気になっていたのか話に入ってくる。
「けどさ、部室に呼ばれたって事は部活に関係ある事じゃないの?」
「確かに。個人的な事で呼び出すなら普通職員室だよね」
二人揃ってこちらをじっと見てくる。これは変な誤魔化しじゃ納得してくれそうもない。
「…平塚先生の元教え子が来てたんだよ。さすがに部外者を職員室に入れるのはマズかったんだろ」
「それで何で比企谷君が呼ばれるの?」
「あー…大学の勧誘?みたいな?」
まぁ、嘘は言ってないわな。
「へぇ、あんたを勧誘するなんて変わった大学もあるもんだね」
川崎は感心したように言う。
「その言い方ちょっとヒドくない?俺だって文系に限って言えば成績優秀者なんだよ」
少しばかりムッとする俺を見て、海老名はクスリと笑う。
「それで成績優秀者の比企谷君はどこの大学に誘われたの?」
「……国立の理工系大学…」
「有名大学じゃんっ!凄いね比企谷君。…でも何で理工系?」
「そりゃ…俺の将来性を見越して…みたいな?」
「いやいや、比企谷君理系の成績ちょー悪いでじゃん。全然将来見越せてないよそれ」
海老名は信じられないとでも言う様に首を大きく振る。酷い言われ様だが、否定できないのが辛い。
「ていうか超難関大学でしょ?あんたどうすんのよ?」
「まだ行くとも何とも言ってないしなぁ」
適当に受け答えしていると、海老名が口元に手を当てながらぽつりと聞いて来る。
「…ちなみに、先生の元教え子って女の人?」
「えっ?そうだけど…それがどうかしたか?」
「ううん、何にもー」
海老名は何かを納得した様に手をヒラヒラさせる。そしてその横では、何故か川崎が刺す様な視線をこちらに向けていた。
「何で睨んでくんだよ?超怖いんですけど…」
「別に睨んでないし」
「いや、無茶苦茶睨んでんだろ。現在進行形で」
そう言うと川崎はぷいとそっぽを向いてしまう。何やら怒っているみたいだが理由がさっぱり分からない。
一体なんだっていうんだろうか。そんな事を考えていると部室の扉がコンコンとノックされ、一呼吸置いてからゆっくりと開く。
「失礼しまーす…比企谷君ー?」
控えめな声とともに、恐る恐る顔を覗かせたのは由比ヶ浜だった。俺の姿を確認すると安心した様に顔をほころばせ、それから遠慮しがちに入って来る。その様子を見て、俺は今朝由比ヶ浜を部室に呼び出していた事を思い出した。昼休み雪ノ下さんに振り回されたせいですっかり忘れていた。結局どうするか何も考えていなかった事に焦りを感じ、どう誤魔化すか必死で頭をぐるぐる回転させる。
「結衣?どうしたの急に?」
「あれ?姫菜?何で?」
入ってきた由比ヶ浜を見て海老名が尋ねると、由比ヶ浜は驚いたように聞き返す。どうやら海老名や川崎の姿が目に入っていなかったようだ。
「何でって…そりゃここ私たちの部室だし…結衣は何か用だった?」
「あ、そっか。そうだよね……あのね、今朝比企谷君に放課後部室に来てって言われたんだけど…」
なんとなく複雑そうな表情を浮かべた由比ヶ浜は、誤魔化す様にあははと笑って答えた。
「へぇ、比企谷君に…」
海老名は何か言いたげにこっちを見つめる。
「……」
俺は逃げる様に無言で視線を逸らすが、今度はその先にいた川崎の視線に捕まる。
「比企谷…ひょっとして昨日の事まだ気にしてるの?」
また睨まれるかと思ったが、川崎は少し心配そうに聞いてくる。恐らく昨日の出来事を思い出したんだろう。
そんな川崎の不安げな目を見て、俺は昨日の放課後について思い返していた。
----------------------------------------------
川崎と海老名に連れられ2年I組から部室に戻った俺は、先程飛び出す前まで座っていた席に促され力なく腰を下ろした。ギィという椅子のきしむ音が、押し殺した悲鳴の様に小さく聞こえてきた。側に居た川崎も海老名も何と声をかけていいか分からない様子で、ただじっと心配そうに見つめていた。
「少し…聞いてもいいか」
しばらくの沈黙の後、最初の口を開いたのは俺だった。まだ疲れや困惑は残っているが、先程まであった焦燥感は薄れていて幾分か落ち着きを取り戻していた。取り戻す、と言うと聞こえはいいかもしれないが、実際はただ焦り過ぎて疲れ果てただけだが…。
しかし、そのお陰で僅かながら冷静になれた俺は自分に言い聞かせる。焦りは失敗の種であり、冷静な思考こそ常に必要なもの。心を鎮め、視野を広く。考えに囚われることなく、頭を回転させるべきだ…と。
それから川崎と海老名に幾つか質問をして、自分の置かれている状況について整理してみる。
まず最初に考えるのはここが何処かという事だ。黒板に記された日付が本当であるならば、今俺がいるここは昨日から一ヶ月程時間を遡った所という事になる。しかも単純に過去に戻ったという訳ではなく人間関係も変化しているようで、海老名の話では奉仕部の部長は俺で、部員は川崎と海老名の計三名という事らしい。そして雪ノ下も由比ヶ浜も奉仕部ではなくなっていて、さらに雪ノ下に至っては存在すら消えていた。
これは単純に過去にタイムリープしたというより、別の世界に飛ばされた…もしくは世界が改変されたと考える方がいいかもしれない。他にも幾つか考えられる事はあるが、何が正しいのか判別するには分からない事が多過ぎる。
何故こんな事になったのか今の所不明だが、雪ノ下の存在が消えているというのが気にかかる。いや、雪ノ下に限らず二年J組が存在しないという事は、ひとクラス分の人間がまるまる消えたという事だ。この大きな違いが何かのヒントになるかもしれない。それに、もし俺の他にも前の世界の記憶を持っている人間がいるならそいつらを捜す事で現状を把握する糸口が掴めるかもしれない。
とにかく今は情報を集める事が優先されるだろう。しかし、下手に騒いで頭のおかしい奴扱いされるのはまずい。マイノリティが淘汰される学校というコミュニティにおいて悪目立ちするのは避けたい。最も俺はもとからぼっちなのでその辺の配慮には事欠かないが、事態が事態なだけに慎重にならないといけない……
「…いや、昨日のは寝ぼけてたって言ったろ」
寝ぼけていた、そういう事にした。二人とも何か言いた気だったが、とりあえず昨日はそれで納得してもらった。
「じゃあ何で由比ヶ浜なんか呼んでるのよ」
「……」
確かに気にならない訳じゃない。由比ヶ浜を呼んだのだって、ひょっとしたら俺と同じように前の世界の記憶が残っているかもしれないと思ったからだ。まぁ、今朝の反応からその可能性はなさそうだったが…。
しかしあの時の由比ヶ浜も俺と近い状況だった事を考えれば、ひょっとしたらそのうち何か思い出すかもしれない。
問題は現在俺が置かれている不自然極まりないこの状況を、どうやって自然に伝えるかだ…。
「昨日の事ってなぁに?」
俺が沈黙している隣で、由比ヶ浜は海老名に尋ねる。
「実は昨日比企谷君ね、結衣の事ずっと待ってたんだよ」
「えっ!?」
海老名の発言に由比ヶ浜は声をあげて驚く。ひょっとしたら引いてるかもしれない。
「ちょっと、そうやって話をおかしな方向に持ってこうとすんの止めてくれない」
確かに間違ってはいないけど説明が不十分過ぎる。事実ではあるが真実ではない。見ろ由比ヶ浜の困惑した表情を。
俺が不満のため息をつくと海老名はごめんごめんと謝って来る。重くなりかけた空気を良くしようと思っての事だろうが、それにしても別の方法はなかったのか。
それから俺は由比ヶ浜に向き直り、昨日の放課後の事を説明した。その際にはなるべく空気が重くならない様に配慮して、夢だったという事を強調して話した。
それと、俺が見ていた“夢”について……俺の元の世界での高校生活を搔い摘んで話した。ただし、雪ノ下については単純に“女子生徒”とだけ伝える事にした。夢に出てきた女子の名前をいつまでも覚えているのは気持ち悪い気もしたし、この世界に居るはずのない人間の話を言って回るのは何だか良くない気がしたからだ。幸い川崎も海老名も雪ノ下の名前を覚えていなかったので俺もそれに乗っかり忘れた事にした。
「へぇ、そんな事があったんだ」
話を聞き終えると由比ヶ浜顔はしみじみと声を上げた。夢の話は川崎にも海老名にもしていなかったので、同じ様な反応を見せる。
「ねえ比企谷君、夢の中の私ってどんなだった?」
「いや、別に普段と変わらねぇよ」
由比ヶ浜に興味ありげに聞かれ、俺は記憶の中の彼女を思い浮かべる。
「そうだな…明るくて無駄に元気で、他人に優しくて、割と誰とでもすぐ仲良くなれて犬好きで、若干頭が残念で料理が下手で…それでいつもそこに座って雪の……もう一人の女子と話してたな」
そう言いながら、俺はいつも由比ヶ浜が座っていた席に目をやる。今は海老名がその席に座っていて、俺が見ている事に気付き視線を返して来るが、俺の脳裏には楽しそうに会話する雪ノ下と由比ヶ浜の姿が浮かんでいた。
「比企谷君、結衣のことよく見てるんだね」
海老名にそう言われハッとなる。幾ら夢の話とはいえ、今日初めて話したクラスメイトに自分について事細かに語られるのは気持ち悪いだろう。現に川崎と海老名からは若干引いてる感が伝わって来る。
「いや、夢の話な?」
「えっ!?あ、うんっ!そだねっ」
慌てて誤魔化したが、当の由比ヶ浜はよく聞いていなかったのか、急に話しかけられて驚いたように返事をする。
「大丈夫、結衣?」
「大丈夫大丈夫ー。それで、比企谷君はどうしたいの?」
「どうって何が?」
「その夢、気になるんだよね?私を呼んだのって何か聞きたいことがあったからじゃないの?」
どうしたいのか……そう由比ヶ浜に聞かれ、俺は机に視線を落とした。とりあえず情報を集めようとは思っていたが、その先どうするかは考えていなかった。
俺はどうしたいんだろうか。仮に元の世界に戻る方法が分かったとして、果たして俺は戻るべきなのだろうか…。
雪ノ下に拒絶された世界に。
由比ヶ浜の手を取れなかった世界に。
奉仕部がバラバラに崩壊しかけたあの世界に戻ったとして、今の俺に一体何ができるのだろう…。
「………」
「だったら調べようよっ!私も手伝うからさ!」
沈黙する俺を目の前に由比ヶ浜は身を乗り出し、勢いよく言う。
「手伝うって…どうやって?」
「うーん…分かんないけど、夢に私が出てきたなら、一緒にいたら何か思い出すんじゃないかな?」
「それは、どうだろな…」
「大丈夫だって!きっと何か分かるよっ」
「いや、けどな…」
「………」
言葉を濁す俺に呆れたのか、由比ヶ浜は寂しそうに唇を曲げる。だがすぐにキッと唇を結び直し海老名の方を向く。
「ねぇ姫菜、私もたまにここに来ていい?」
「えっ?私は全然いいけど…」
そう言って海老名は川崎を見る。
「私も別に構わないけど…。て言っても、決めるのは部長だけどね」
それから三人の視線が俺に集まる。俺は由比ヶ浜から向けられる真っすぐで真剣な眼差しを見返す。
冷静に考えてみよう…。とりあえずどうしたいかは置いておいても、選択肢は多い方がいい。ていうか、そもそも俺にどうにかできる問題かどうかも分からないのにどうしたいか考えるなんて早計もいいとこである。だったら今は情報集めに集中するべきじゃないだろうか。
であれば、由比ヶ浜がここに来たいと言うのは願ってもない事だ。事実由比ヶ浜にも色々と聞きたい事がある訳だし、それなら側にいた方が確実にメリットが大きい。
フッと息を吐く俺。
「…まぁ、どっちでもいいんじゃね、好きにすれば」
「やったぁ、ありがと」
なんとなくツンデレみたいな反応になってしまったが、その答えを聞いて由比ヶ浜は嬉しそうに微笑んだ。
「それじゃ姫菜、これからよろしく。川崎さんもよろしくね」
由比ヶ浜の笑顔に、同じく笑顔を返す海老名と照れ笑いを返す川崎。それから由比ヶ浜はこちらにも笑顔を振りまいてくる。
「ヒッキーもよろしくね」
「お、おう」
「ちょっと待って由比ヶ浜。何そのヒッキーっての」
川崎は驚いた様に尋ねる。
「え?あだ名だけど…変かな?」
「あだ名?何で今つけたの?」
「え?何かおかしい?」
「いや、おかしいって言うか…色々おかしいでしょ」
「さすがの比企谷君もそんなひきこもりみたいなあだ名じゃ可哀想じゃないかな?」
「ていうか、比企谷も何普通に返事してんのよ」
「うーん…いいと思うんだけどな。ねぇヒッキーはどう思う?」
由比ヶ浜の突然の命名に騒ぎだす川崎と冷静に感想を述べる海老名。そんな三人のやり取りにかつての奉仕部の面影をちらりと感じ思わず顔がほころぶ。
「うわ、比企谷君笑ってるよ。ちょっとキモい」
海老名が俺の顔を見て引き気味に言う。
「いやすまん、ちょっと夢の事思い出してな」
「何か思い出したの?」
由比ヶ浜も川崎もこっちに視線を向ける。
「夢の中の由比ヶ浜はネーミングセンスが壊滅的になかった」
それを聞いて川崎も海老名も、さもありなんとでも言う様にうんうんと頷く。
「ちょっとそれヒドくない!?ヒッキーまじサイテー!」
由比ヶ浜は頬を膨らますが直ぐに吹き出して笑い、部室には久しぶりに和やかな空気が流れ出した。
こうして由比ヶ浜は奉仕部に顔を出す様になり、そして俺の非日常を探索する日々が始まった。