部室を出てしばらく、自販機の前までやって来た俺は一人ぽつねんと立ち尽くしたいた。放課後独特の虚無感と首元をひやりと撫でる冷たい風、遠くから聞こえる野球部のかけ声やキーンと甲高い音を鳴らすバットの打球音が、一層孤独感を引き立たせる。
「はぁ…」
思わず口からため息が溢れる。脳裏には先程部室で見た三浦の睨む様な泣き顔が、悲しいメロディの様に繰り返され今も頭から離れない。
俺は何か三浦の気に障るような事を言ったのだろうか。全くと言って心当たりがない。三浦は何に怒り、何を思って涙するのか…それを知るには俺は三浦の事を知らな過ぎる。
「……つか、あいつ何飲むんだ?」
俺は浮かんでは消えてゆく考えを一旦さておいて、自販機に並ぶ幾つもの飲み物を前に首をひねる。三浦の趣味思考なんてもちろん知らないし、かと言って下手な飲み物を買って帰って罵倒されるのも遠慮したい。特に今の三浦の精神状態を考えるなら、なるべくあいつの意に沿った飲み物を買って行ったほうが賢明だ。
こんな事なら事前に由比ヶ浜から三浦の好みを聞いておけば良かった…。
そんなどうしようもない事を思いながら漠然と自販機を睨んでいると、背後から人の近づいてくる気配を感じる。
「ヒッキーっ」
その声から、近づいてきたのは由比ヶ浜だと察する。俺は振り返らないまま返事をする。
「…いいのか、こっちに来て」
「うん大丈夫。優美子少し落ち着いたみたいだし、姫菜とさきさきが付いててくれてるから」
「そうか…」
由比ヶ浜の言葉を聞いて俺はそっと胸をなでおろす。
「で、何しにきた?」
「ヒッキーの様子を見にね……それと、さっきはありがとね」
俺が振り返り尋ねると、由比ヶ浜は悲しい様な照れくさそうな…なんとも困った表情をする。
「いや…悪かったな。キツい事言って」
「ううん、ヒッキーの言った事間違ってないし、私がちゃんと優美子に気持ち伝えられたのもヒッキーのおかげだもん。だからありがと」
「別に…。ただ自分の誤解を解きたかっただけだ」
「…うん、そだね」
由比ヶ浜は優しく微笑む。
「それより三浦の事なんだが…」
「あー…うん。まぁ、ヒッキーならああなっちゃってもしょうがないよね…」
「………」
それはぼっちには他人の気持ちをおもんぱかるなんて土台無理な話とかそう言う事ですか?
俺が卑屈な雰囲気を醸し出していると、由比ヶ浜はそれに気付きハッとなる。
「いやっ、そう言うのと違くて。ヒッキーっていっつも昼休み教室いないじゃん?だから知らなくても仕方ないっていうか…」
「……何の話だ?」
話の筋が見えず尋ねると由比ヶ浜は考える様な仕草をして、それから少し言いにくそうに口を開く。
「あのね、ちょっと前なんだけど優美子………隼人くんに振られちゃったの」
-----------------------------------------
それは少し前の昼休み、由比ヶ浜が教室で昼飯を食べていた時の事だった。いつもの様に三浦や海老名、それに葉山とその仲間(戸部ほか二名)たちと机を合わせ雑談しながら食事をしていると、三浦が会話の端々で文句やわがままを言いはじめた。こと三浦に関してはその性格から思っている事をすぐに口に出してしまうところがあったのだが、それをよく知るグループのメンバーはいつもの事と大抵は聞き流していた。そんな三浦のわがままをなだめ、たしなめるのは決まって葉山の役目で、三浦本人も葉山の言う事なら…と聞き入れるのが一連の流れだった。
いつもと同じだと思っていた。しかし、普段ならそこで終わるはずの葉山の言葉に対しどういう訳か三浦は言い返したのだった。それから言葉のやり取りを交わすうちに三浦の声は次第に大きくなり、会話はちょっとした言い合いになり、激しさを増し、最終的にはクラス中の注目が集まる程の口論となっていた。
いや、口論と言うにはあまりにも一方的で、三浦が感情的に騒いでいるのを葉山が終始聞いているという状況だった。
そんな葉山の落ち着いた態度が逆に三浦の感情を逆撫で、更に声を荒げさせる。
一緒にいた由比ヶ浜はなぜこんな事になっているのか分からなかった。ただ普通に会話していただけだったはずなのに、気付いたらこんな騒ぎになっている。葉山の言い方に少しばかり辛辣な所があった様にも感じたが、普段の三浦なら聞き入れていてもおかしくない。それに葉山にしても、言い過ぎたと分かればフォローの言葉を言うはずだ。だが状況は悪くなるばかり…由比ヶ浜も海老名も戸部たちも、この状況に割って入る事ができなかった。
それから三浦が口撃する事に疲れ、周りが静まり返った所で葉山はゆっくりと口を開く。
なぜ自分に対してそんなに感情的になるのか…。
そう聞かれた三浦は昂った気持ちを抑えられず、ずっと言うまいとしていた言葉を、葉山に好きだと言う自分の気持ちを伝え、そして振られた。
「優美子も今告ってもダメだろうって分かってたんだけど、それでも気持ち押さえられなくってさ…。それからみんな気まずくなっちゃって、休み時間になると隼人君どっか行っちゃうの。たまにいても戸部っちとかと話すだけで私たちとはほとんど喋らないし…」
由比ヶ浜は寂しそうに俯く。
そういえば最近葉山グループの中に葉山の姿が見当たらない事が多かったが、なるほどそんな事があったのか。
「けど無視してるとかじゃなくて、自分がいると逆に優美子が一人になっちゃうからって…私や戸部っちにも優美子の事お願いって言ってたし」
「そんなに気を使うんなら葉山のヤツ、いっそ付き合っちまえばよかったんじゃねぇの」
「…隼人くん、今付き合ってる人がいるんだって」
「まじかよ」
「うん、私も全然知らなかったんだけど、なんか別の学校の人だって」
「…まぁ、それじゃ振って当然ちゃ当然か…」
葉山に恋人がいるとは衝撃の事実だ。さすが生けるエクスカリバー。まぁ、あんなイケメンだったら彼女の一人や二人いてもなんら不思議じゃない。むしろ彼女のいなかった元の世界の方がおかしいまである。何れにしてもこれは大きな違いだ。葉山は昔雪ノ下と何かあったみたいだし、これも雪ノ下がいなくなった事と関係しているんだろうか…。
「ヒッキーどう思う?」
俺が黙っていると由比ヶ浜が顔を覗き込んでくる。
「え?あぁ、葉山のグループに葉山がいないなんてなかなかシャレが効いてるな」
「…ヒッキーサイテー」
由比ヶ浜はじっとりとした目つきで俺を見つめる。
「あー、俺は葉山の事を良く知らんのだが、あいつはみんな仲良くっつうか周囲の人間関係を無闇に壊そうとするヤツじゃないと思ってたんだが違うのか?」
「ううん、違わないよ。隼人君みんなに優しいし」
「なら何でわざわざクラスの連中の前で三浦を振ったんだ?どこか人目につかない所で話をつける方がよっぽど葉山らしくないか?」
みんなに優しい葉山。
相手のアフターフォローまでする様なヤツが理由もなしにそんな事するとは思えない。
「うーん…そうかもしれない、けど…」
「けど、なんだ?」
「…隼人君ちょっと変だった。なんかわざと優美子の事怒らせようとして……」
「……」
「…て何言ってんだろね私っ。ほらあれじゃん?その場の勢いとか、引くに引けない事とかあるんじゃないかな」
由比ヶ浜は誤魔化す様に言うが、先程の俯きながら言った台詞が俺の心をゾワリと撫でる。
確かにそういう事は往々にしてあるのかもしてない。だが感情的になってたのは三浦で葉山は落ち着いていたはずだ。
となれば葉山がそんな行動をとるのはやはりおかしい。あの葉山が自分の考えを曲げてまでそんな事をするとは考え辛い。
由比ヶ浜の言う様にわざと…?実は葉山は人間関係に疲れて一人になりたがっていたのか?
……いや、そもそも俺はその場にいなかったし、実際その場にいたらもっと別の事を感じたかもしれない。いずれにしても由比ヶ浜の話だけで判断するのは早計すぎる。
「……そろそろ戻るか」
「…そだね」
とりあえず、こんな所で話してどうなる問題でもない…そう思い話を切り上げると由比ヶ浜もコクリと頷く。
「ところで由比ヶ浜、三浦っていつも何飲んでんだ?」
「優美子?あまい系なら何でもいいと思うけど」
「そっか」
それを聞いて俺はサイフから小銭を取り出し自販機に入れ、緑色に光ったボタンの中からひとつを選んでピッと押す。ゴトリという音が取り出し口に響き、俺はカバーを上げて出てきた管を取り上げる。
「何買ったの?」
「あぁ、これか」
俺は由比ヶ浜にラベルを見せる。買った飲み物は、もちろんマッカン。
「ちょっ!何でヒッキーそんなの買ってんの!?」
「そんなのとは何だ。甘いのっつったらコレだろ」
「いやいや、普通あまいのっていったらイチゴとかフルーツ系のでしょっ!?」
「いや、そんなの知らねぇし」
そんなローカルルール持ち出されても困る。
「どうすんの?優美子あますぎるの嫌いだよ?」
「マジかよ。どんだけわがままなんだよ」
俺は由比ヶ浜の言葉に悪態をつき、仕方なくもう一度自販機に小銭を入れようとサイフを開く。しかし中にあったのは一円玉3枚と五円玉1枚…8円しか入っていなかった。
俺はそっとサイフをポケットにしまう。
「まぁ、とりあえず誠意は伝わるはずだ」
そう、大事なのは気持ちだ。買って行く事に意義があるし、マッカンをもらって喜ばない人間はいない……はずだっ。
「……」
「さ、戻ろうぜ」
「あっ、ちょっと待ってよヒッキー」
由比ヶ浜の無言の圧力から逃げる様に踵を返すと、俺はそそくさと自販機を後にした。
----------------------------
マッカンを片手に部室の前まで戻った俺と由比ヶ浜は、そろりそろりと音を立てない様に扉に顔を寄せる。中の様子をうかがう様に聞き耳を立てるが特に音はなく、それを確認した由比ヶ浜は気を使いながらゆっくりと扉を開けた。
「…ただいまー」
「あ、おかえり」
そう言って俺たちを出迎えたのは海老名だった。教室をぐるりと見回すが川崎と三浦の姿はどこにもない。
「あれ?姫菜だけ?優美子とさきさきは?」
「さっき帰ったよ。さきさきが優美子の事家まで送って行ってくれるって。私は結衣たちが戻って来るの待ってたの」
由比ヶ浜が不思議そうに尋ねると、海老名はちらりと俺を見た後に答えた。
三浦は帰った…それを聞いて少しほっとしている自分が、たまらなく嫌になる。
「川崎で大丈夫なのか?お前が一緒に帰った方が良かったんじゃないの?」
「いやいや、ああ見えてあの二人意外と気が合うと思うんだよ。ほら、雨降って地固まるって言うじゃない?殴り合いの喧嘩の後には厚い友情が生まれるものなんだよ。普通は男の子同士なんだけど、まぁ女の子同士もいいよねっ」
海老名は俺の言葉を強く否定すると、メガネを光らせ拳をグッと握る。どこから得た知識なのか何となく分かってしまう自分が哀しいが、コイツは本の読み過ぎである……特に薄いヤツを…。
「あれはどっちかと言えば同族嫌悪だろ。雨降って地固まるどころかぬかるみになる恐れもある」
まぁ憎まれ口を叩きつつも川崎は手を差しのべちゃってる訳だから海老名の言う事も真っ向から否定はできない。
ていうかあの二人が仲良くなる事に一抹の不安を覚えるのは俺だけだろうか…。
「あはは、そうかもね。まぁ冗談はさておいて、結衣から話聞いた?」
「…あぁ」
「そっか…。なら私たちも帰ろっか。もう遅いし」
「…そだな」
「わっ、もうこんな時間なんだっ」
気付けば最終下校時刻間近である。
「ところで比企谷君、飲み物何買ってきたの?」
「は?これだけど?」
「うわぁ…」
俺が手に持ったマッカンを見せると、海老名はあからさまに顔を歪めた。
----------------------------------------
「結衣今日は優美子のお見舞い行くから部室来ないって」
次の日、三浦は学校を休んだ。放課後部室へ向かう途中、川崎と並んで俺の少し前を歩く海老名が振り返りながらそう言う。涙で赤くなった目の腫れが引かなかったのか、それともあのまま体調を崩してしまったのか…何れにしても俺が原因である事に代わりはなかった。
「お前たちは行かなくていいのか?」
「何で私があいつのお見舞いに行かなきゃいけないのよ」
川崎はそっけない表情でぴしゃりと言う。しかし昨日三浦を送って行った事も聞いているので、そんな冷たい台詞吐かれてもツンデレの様にしか聞こえない。
「まぁ大勢で行っても迷惑だしね。私もメールしたけど、結衣も比企谷君に悪気はなかったってちゃんと説明してくれるから大丈夫だよ」
海老名は俺を元気づけようとしているのか明るい声で言う。
「……」
何?俺そんなに落ち込んでる様に見えた?別に気にしてないんだけどね。いや、全く気にしてないと言えば嘘になるかもしれないけど、俺にも情状酌量の余地はあるというか仕方がなかったというか…三浦の為を思って言っただけで、むしろ事実を知っていたら俺だってあんな事言わなかった訳で……むしろ俺も被害者?的な?
心の中で不毛な言い訳を繰り返していると、背後から弾ける様な声が飛び込んでくる。
「センパイっ!」
振り返るとそこには、よく見知った後輩且つ生徒会長且つあざとさマスターの少女の姿があった。
「げっ、一色」
反射的に身体が拒否反応を起こし身を強張らせる。
「むっ、何ですかその反応。せっかく可愛い後輩が話しかけてるんだからもっと嬉しそうにしたらどうなんです?」
そう言うと一色はほっぺをぷくぅっと膨らませて怒っているアピールをしてくる。なにそれ可愛い。
とりあえず俺を先輩と呼ぶあたり、それに海老名の話では生徒会選挙の時に依頼を受けているという事から、恐らく元の世界と関係性は近いと思われる。
「だっでお前に関わるとロクな事ないんだもん」
そう言うと一色は口を尖らせ、じっとりとした目でこちらを見てくる。
「いろはちゃん、やっほー」
「あっ、海老名先輩こんにちわ。川崎先輩もどうもです」
海老名が一色に気付き手を振ると、一色はころりと表情を変え二人に向かいペコリとお辞儀をする。
誰からも好かれる様な笑顔といいこの表情の切り替えといい、もはや職人レベルである…なんとも末恐ろしい。
「私らに何か用?」
「いえ、先輩の姿が見えたので」
川崎に尋ねられると、一色は俺を見てにこりと笑う。そこで俺は、一色が両手にプリントの束を抱えていることに気付く。
「…それよりお前、それ何持ってんの?」
「あっ、そうそう、そうなんですよ!先輩ちょっとこれ持ってみてくれます?」
「おっ、おう…」
思い出した様にはっとした一色に促され、俺は言われるがままプリントを受け取る。取り立てて重い訳ではないがクリップなどで留めてないのでそこそこ持ち辛く、男子に比べて身体や手の小さな一色からしたら持ち運ぶのもなかなか大変なのかもしれない。
プリントを抱える俺の姿を見て一色は満足そうに頷く。
「うんうん、それじゃあ行きましょうか」
「は?行くってどこに?」
「どこって、司書室に決まってるじゃないですか」
「いや、決まってねぇよ。全然意味分かんないんだけど?」
「このプリントそこまで持ってかなくちゃいけないんですよ。しかも書類ごとに分けてファイリングしないといけないらしくて…」
ため息をつく一色に、海老名が尋ねる。。
「他の生徒会の人はどうしたの?」
「みんなもう帰っちゃったんですよ。私も帰るとこだったのに無理矢理平塚先生に押し付けられて…もぅサイアクです」
「けどあんた、私らに用はないって言ってなかった?」
「はい、用があるのは先輩だけですし」
川崎の質問に一色が笑顔で返すと、何か二人の間でピシリと空気の凍る様な音がした。笑顔の一色と無表情で見返す川崎……昨日の三浦の時とはまた違った冷気が吹きすさんでいる。
「でも、私たちも手伝った方が早く終わるんじゃない?」
すかさず海老名が間に割って入る。
「いえ、あそこ結構狭いですし、みんなで行くと逆に時間掛るっていうか……。それに先輩なら力仕事も任せられますしねっ」
「俺に肉体の酷使を求められても困る。…てか、その前に司書室ってどこにあんの?」
「ふふっ、先輩二年にもなってまだそんなこと言ってるんですか?」
「その人を小馬鹿にした様な笑い止めてくれない?」
一色は優越感を含んだ笑みを浮かべている。
だが自分に関係ない教室なんて知らなくて当然な気もする。
「司書室は図書室の中だよ」
「ですです」
海老名が教えてくれると一色もそれに合わせて頷く。
言われてみればその通りである。図書室には割と出入りしていたつもりだったが知らない事もあるものだ……ていうか
「…つか、一色もソレ頼まれるまで絶対知らなかったろ」
「えっ、何言ってるんですか先輩。ソンナワケナイジャナイデスカー」
あ、コイツ絶対知らなかったわ。
片言で話す一色に対し、俺は肩を落とす仕草をする。
「悪いな一色、どうやら俺には手伝えなさそうな案件だ」
「えっ、なんでですか?」
予想外だったのか、一色は驚きの声をあげる。
「…図書室はこっから真逆の校舎だ。行くだけで超疲れる」
俺がそう言うと、一色は笑顔をこっちに向けたまま数秒固まる。それからサッと俺の後ろに回り込んでグッと背中を押してくる。
「ほら、さっさと行きますよ!」
「わっ!ちょっ…待てって!」
一色に押されプリントを落としそうになり、俺は体勢を立て直そうと咄嗟に右足を前に出す。すると更に一色が後を押して来るので今度は左足を出し、また右足、左足……と気付けば廊下を進み始めていた。
川崎も海老名も一色の手腕に唖然としていたが、俺たちが離れて行ってる事に気付き海老名は川崎に尋ねる。
「どうするさきさき。私たちも図書室で待ってる?」
「……いや、私はいい。部室行ってる」
川崎は呆れた様にため息をつくと、どうでもいいとでも言う様に踵を返し部室へと向かう。
「あっ、ちょっとさきさきー!じゃあ比企谷君、いろはちゃんまたねー」
海老名はそう言って俺と一色に手を振った後、慌てて川崎を追って部室へと向かって行った。