昼休み、眠気にたゆたいながら大きなあくびをする俺は昼飯を買う為に購買へ向かっていた。
昨日は一色の仕事を手伝って家に帰るのが遅くなったので若干寝不足である。何故かって?そりゃ録画した深夜アニメを観てたからに決まってる。最近は放送されるアニメの本数も増えてきて録画を消化するのも大変なのだ。家に帰るのが遅くなれば、当然寝る時間だって遅くなる。特にシーズンのはじめとなれば面白いか面白くないかの判断の為に、どの作品もとりあえず三話までは観る事になるので、鬼の様に時間がない。きちんとタスク管理しなければ録画の消化もままならず、結果睡眠時間が削られていく。そして深夜二時を過ぎる頃“あぁ、やってやったぜ”という謎の達成感を得る事になるのだ。
もはや義務感と言うか責任感と言うか使命感すら感じる今日この頃であるが、それでも自分の好きな作品やものすごい作品にガツンとやられたときの昂りは凄く、やはりアニメは素晴らしい、毎回そう思うのだった。
まぁぶっちゃけ今の俺にとっては再放送みたいなもんだから、寝ても良かったんだけどついつい癖で見ちゃうよね。
なのでシーズン事の本数を減らして、一本一本の質を上げる方針に変えるのはどうでしょうか?アニメ業界の皆様。
くだらない事を考えながら、購買と自販機でパンとマッカンを買った俺はいつも通りベストプレイスへとやって来る。
人の滅多に通らないここは学校における数少ない安寧の地で、俺は階段部分に腰を下ろすとほっと一息ついた。時折吹く秋風が頬を撫で、あと一ヶ月もすればここで昼飯を食べるのも困難になることを肌で感じさせる。俺は今を噛み締める様にしみじみとパンを口の中へ運んだ。
今日も三浦は学校へ来なかった。由比ヶ浜や海老名は多分来るだろうと言っていたので安心していたが、やはり三浦にとって葉山の事はそう簡単に立ち直れる問題じゃなかったのだ…。女子高生のセンチメンタルを舐めていた様だ。
俺は自分の考えの甘さに呆れ、ほうっと空を眺める。
すると、突然背後から北風の様な声が吹いてくる。
「うわっマジでいるし」
ぞわりとして振り返ると、目の前にはほっそりと引き締まった白い足があった。スカートは短く括り上げられて太もも辺りまで見えるが、残念ながらその先は見えない。そのまま視線を上げていくと華奢な身体の割に程よく競り上がった双丘、そして蔑む様な目が俺を見下している。
「三浦っ!?何でここに…」
まるで仁王像の様にいかめしく立つ三浦の姿に、俺の心臓はドキリと跳ね上がる。決して疾しい気持ちなんてありませんでしたよ?
「…お前今日休みじゃなかったのかよ」
「はぁ?さっき来たに決まってるっしょ」
三浦は何言ってんのこいつ、みたいな表情をする。
「…いや知らねぇよ」
「結衣に聞いて来たけど、あんたマジで一人でお昼食べてんのね」
「ぼっちは昼飯のグループ作れないからな。教室に居場所がないんだよ」
「ふっ!何それウケる」
「いや、ウケないから…」
別に面白い事を言ったつもりもないのに、三浦はクスリと笑った。
「ちょっと…もうちょいそっち行ってくんない?」
そう言うと三浦は一歩二歩と階段を下りて来る。俺は言われるまま左に避けると、三浦はそのまま俺の隣に腰を下ろした。
なんでこいついきなり隣に座ってんの?友達か?いや、美人局か!?
困惑する俺を他所に、三浦は前を向いたまま何も喋らなかった。それから何と反応していいか分からず、暫しの沈黙が俺たちの間に流れた。
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「あの、三浦………
「この間さぁ」
沈黙に堪え兼ねて口を開くと、遮る様に三浦が言葉を被せてくる。
三浦は地面を見つめたままこちらに顔を向ける様子もなく、俺もそれに習い視線を交す事なく三浦の話を聞いた。
「結衣たちから聞いた。ヒキオ、あの時教室にいなかったんだってね」
「あ…いや、なんだ…知らなかったとは言え、余計な事言って悪かった」
「マジでそれよ。大体あんた存在感ないんだから教室にいるのかいないのか分かんないのよ」
人の謝意に託つけて、なかなかに手厳しい事を言ってくる三浦。
「いや、俺だって事情を知ってたらあんな事言わねぇよ」
「どーだか。あーし知ってっからね。文化祭の時あんたが相模さんにエグいこと言ったの」
文化祭の話…それを今引き合いに出されては返す言葉もない。相模の件で、俺があいつに酷いことを言ったのは確かだし、学校一の嫌われ者と噂されていた事も知っている。ただ俺は別にそれを後悔していなかったし、誰かに分かってほしいとは思っていなかった。自分の中に確かな信念があったからだ。しかしクリスマスイベントの件や、雪ノ下がいなくなった事、誰も自分の事を知らない世界に来て初めて、理解されない事への不安や恐さを感じた。
もちろん三浦がそんな事知る分けないのでこいつの反応はある意味正しいのだが、こうして目の前で改めて言われるのは些か辛いものがある。
「……」
気づくと三浦は鋭い目つきでこっちを見ていた。俺は何も言い返せず、ただ見つめ返す事しかできなかった。
すると、険しかった三浦の表情がふっと緩む。
「…冗談よ、じょーだん。正直あーしも相模さんのやり方ってあんま好きじゃなかったから、むしろ清々したけどね」
そう言うと三浦はにやりと笑う。
「まぁ要するに、一昨日はマジで最低最悪なこと言ったヒキオが全面的に悪い訳だけど……あーしもちょっと勘違いしてたとこあったし?ホントに小指の先くらいは悪い所もあったかもって思ってる訳で……」
「……」
「だから、しょうがないからチャラって事にしてあげる」
「は?」
よく意味が分からず間の抜けた声を上げる俺。
「だから…ちょっと言い過ぎたからごめんっつてんの!あんたそんな物分かりしてたら社会でやってけないよ」
「お、おう」
普段自分から謝る事をあまりしない為か、三浦は赤くなった顔を誤魔化す様に声を張り上げる。なんというツンデレ。よく分からないが、これは許してもらったという事でいいのだろうか。
「はい、んじゃこの話はこれでお終いっ」
そう言い切ると三浦は満足そうに身体を伸ばす。心に引っ掛かっていたものが取れたという感じだ。どことなくほっとしている様子から、三浦も多少は気にしていたんだという事が伝わってきた。
「…じゃ、俺はそろそろ」
話がついたとなれば、もう三浦と二人きりでいる必要もない。そう思いその場を離れようと腰を上げようとしたのだが、それを阻む様に制服の裾が勢いよく引っ張られる。
「ちょっと待つし!」
「なっ、なんだよ」
「あんたどうせ教室に戻っても居場所ないっしょ。もう少しここに居たら」
「は?」
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「ヒキオってさぁ、隼人とちょっと仲良かったよね」
三浦に呼び止められてからしばらく二人でぼうっと空を眺めていると、三浦が雲に息を吹きかける様に呟いた。
「はぁ?何で俺があんなイケメンリア充と仲良くしないといけないんだよ」
「けど、たまに一緒にいたりしたっしょ」
「…あいつが勝手に近寄ってきただけだ」
そんなんで仲良し認定されるなら席替えする度に友達が増えるっつーの。
「マジ捻てんね、あんた。まぁ確かに、隼人は誰にでも優しいからヒキオが卑屈になるのも分かるけどねぇ」
「おまえ、ちょっとは言い方ってもんがだな…」
「けどさ、なんかヒキオにだけは違った様な気がすんだよね」
そう言うと三浦は、記憶を辿る様に地面を見つめる。
「…そうか?」
「うん。何かうちらや周りの友達にはいつも優しく笑って接してたけど、あんたにだけは優しくないっていうか…キツいっていうか…」
「それってむしろ嫌われてね?」
「そうじゃなくて…隼人にとってみんなは友達だけどあんたは違うっていうか」
「…やっぱりそれ嫌われてね?」
三浦は上手い言葉が見つからないのか、探る様に言葉を選ぶ。しかし出てくる言葉はどれも俺を貶したいんだろうかと思うものばかりで、辛くて涙が出そうになる…。
「あーもうっ…なんてーの?一人でも大勢でも隼人にとってはみんな友達で、そこに差はなくて…けど、友達じゃないヒキオだけは特別っていうか…自分と違うあんたを認めたくないっていうか、張り合ってるっていうか……対等?負けたくないみたいな感じ…?」
「葉山みたいなイケメンリア充のどこに、俺みたいなぼっちに負ける要素があんだよ?」
「でしょ!?隼人とヒキオなんて、比べるまでもなく隼人の圧勝じゃん」
自分で言うならまだしも、人に言われるのは若干腹立たしい。
「なら良いじゃねぇか。俺に葉山に勝てる所はないし仲良くもない。おまえの勘違いだ」
「けど、隼人はそう思ってないみたいだし…」
三浦は叱られた子犬の様なしょげた顔をする。その納得いかなそうな表情を見て、俺はこいつが何を気にしているのかを理解した。こいつが知りたいのは、葉山が俺に負ける筈はないという事実ではなく、なぜ葉山が俺を気にするのかという事だ。
そんな事誰も思わないし、気づかないし、気にもしない。
そう三浦が感じるとするなら…
「…お前、葉山の事よく見てたんだな」
俺がそう呟くと、三浦は一瞬目をぱちくりさせてから顔を綻ばせる。
「好きな人の事知りたいって思うのは当たり前っしょ。まぁ結局……ずっと一緒にいても隼人の事全然分かんなかったんだけどね…」
そう言うと三浦は涙を堪えてなのか遠くの空を見上げた。その表情は嬉しそうで、同時にとても寂しそうにも見えた。
「あーしさ、隼人の事まだ好きなんだよね。そりゃ振られちゃったけどさ、そんな簡単には忘れらんないじゃん?ちゃんと自分で納得して、それでケジメをつけたいのよ。あーしが勝手に好きになったんだから、好きじゃなくなるのもあーしの勝手でしょ?」
普通なら辛くてに逃げ出したくなってしまいそうな事にも三浦は立ち向かっていく。きっと逃げ出せば後悔する事を分かっているんだろう。いや、誰だって分かっている。けれど、目の前の辛い事に立ち向かうのはそう簡単にできることじゃない。
「…お前はすげぇな」
思わず感嘆の声が漏らすと、三浦は得意気に笑う。
「だしょ?だからその為に隼人の事もう少しだけ知りたいって思う訳なんだけどさ……」
三浦はそこで言葉を溜める。
「…そこでヒキオに協力してほしいのよ」
「は?お前らの仲を取りなすなんて俺には無理だぞ」
お詫びという点を踏まえても協力する事は吝かではないが、如何せん俺にそんな社交性の高いスキルは備わっていない。
「自惚れてんの?」
三浦は呆れた様にため息をつく。
「…じゃあどうしろってんだよ」
「ヒキオは何もしなくていいよ。ただあーしがあんたの事ちゃんと知ろうと思ってるだけだから」
「三浦…おまえ何言ってんの?」
俺の頭がおかしいのか、三浦の頭がおかしいのか…話が全く見えてこない。
「隼人ってヒキオの事気にしてんじゃん?あーしがヒキオの事ちゃんと理解できたら、何で隼人がヒキオの事気にするのかも分かるはずっしょ。そしたら今よりも、多少は隼人の事理解できる気がするんだよね」
「いや、意味が分かんないんだけど?俺なんかより葉山の事見てた方がよっぽど分かるだろ」
「あんたバカぁ?ずっと隼人の事見てたけど分かんなかったから、別の方法考えてんでしょ!?」
三浦はムッと頬を膨らませる。
「…そもそも、俺は別に誰かに理解してほしいなんて思ってねぇよ」
「何言ってんの?あーしはあーしの為にヒキオの事理解しようとしてんの。別にあんたの為じゃないから安心していーよ」
まっすぐ俺を見る三浦の瞳は、変える気はさらさらないという決意ある輝きを放っていた。これはもう俺が何を言っても聞きそうにない。
「リア充のお前にぼっちの気持ちが理解できるとも思えないけどな…」
「隼人に比べたらヒキオの事理解するなんて楽勝っしょ」
にやりと笑う三浦。その屈託のない笑顔に観念した俺は深いため息をつく。
どうやら恋する乙女のロマンチックエンジンは俺の想像よりも遥かに逞しかったようだ。
「はぁ…勝手にしてくれ。じゃあもう俺行くから…」
「ちょっと待つし」
改めてその場を離れようとする俺の制服の裾を、再び三浦ががっしりと掴む。
「なんだっ、まだ何かあるのかよ!?」
「そいえばあーし、ヒキオに飲み物買ってきてって頼んだんだけど」
「は?何言ってん…」
そう言えば一昨日飲み物を買って来る様に言われたのを思い出す。
「…いや、買ってったけどお前先帰ったじゃねぇか」
「ふーん、何買ってくれたの?」
「これと同じヤツだけど…」
そう言って俺はマッカンを見せる。
「うぇ、あーし甘過ぎるの嫌いなんですけど」
「そりゃ悪かったな」
「…まぁ、いいや。んっ」
三浦は不味そうな顔をするが、手を伸ばしマッカンを催促してくる。
「嫌なら別のでもいいんだぞ」
「あんた好きなんでしょ?ならあーしも飲む」
先程俺の事を理解すると言ったからか、俺がマッカンを手渡すと、三浦は珍しいものでも見る様にしげしげと管を見回す。フタを開け子犬の様に匂いを嗅ぎ、それからおもむろに口を付ける。
「あんっまっ!あんたいつもこんなん飲んでんの?糖尿病になるよ、程々にしときな」
「お前は俺のオカンかよ」
さすがオカン属性。もうパッシブスキル並みに常時発動している。
「何言ってんの?…はい、あーしもういらないから返す」
そう言って三浦はマッカンを俺に押し付けてくる。
「いや、返すって…どうすんだよこれ」
「さぁ?ヒキオの好きにすれば?」
随分あっけらかんとしている。こいつは気にしないのだろうか、その…間接キスとかそういうのは…。
「ほら、もう行くんでしょ?さっさと行きな」
たじろぐ俺を尻目に、三浦は虫でも追い払うかの様に言い放つので、なす術なく俺はベストプレイスを後にする。ちらりと振り返ると三浦は一人空を見上げていたので、そのまま視線を戻し再び廊下を歩き出した。
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ベストプレイスを離れた俺は、三浦から返されたマッカンを片手にぽつぽつと廊下を歩く。
さてこれをどうするか…。まだ半分以上残っているのに捨てるのはもったいない気もする。かと言って何も考えずに飲める程俺も子供じゃないし、経験を積んだ大人でもない。
解決を見出せず知恵熱を出していると、正面から由比ケ浜が歩いてくるのが見える。
「ヒッキー。優美子見なかった?」
「あぁ、さっきまで一緒だった。たぶんまだベストプレイスにいるんじゃないか?」
「そうなんだ。…ちゃんと話せた?」
「…あぁ、ありがとな」
お礼を言うと、由比ヶ浜は優しく微笑む。
「そうだ由比ヶ浜、礼にこれをやろう」
「えっ?何?」
お礼という言葉に反応する由比ケ浜に、三浦の飲みかけのマッカンを渡す。女子同士なら飲み回しも普通だろう。我ながら上手い処理方法思いついたもんだ。
いや待て、そういえば由比ケ浜もあまり好きじゃなかったかも…。由比ケ浜にまで返品されてはどうしようもない。そう思った俺は由比ヶ浜がマッカンに気を取られてるうちにそそくさとその場を去ることにした。
「ヒッキーありがと。けどコレ私もそんなに好きじゃないし……ってこれフタ開いてるっ!?てことはつまり間接キ……ちょっ、ヒッキーこれどういう事っ!?ってヒッキーってばー!」
遠くで聞こえる由比ケ浜の叫ぶ声を無視し、俺は足早に教室に戻っていった。