ノォト・リムは憤っていた。世間が休日のなか、そんなことは関係なしに仕事をするつもりで出勤してきたのだから、それが今になって取り消されるのは面白くない。キャンセルを言い渡された理由を問いただすため、事務所の最奥にある執務室に向かった。鉄筋コンクリートで出来た建屋はあちらこちらにヒビが入り、廊下中に黴臭さを漂わせている。
「どういうことです!」
まだ十代らしい張りのある声は、ドアを開ける音よりも強く部屋中に響いた。ずっしりと革張りのソファに沈んでいるアダムスはぎょっとした顔を見せたものの、咥えた葉巻を落とすことはしなかった。
三十代で独立して以来、創業二十数年。一代で食料品からフォトンバッテリーまで幅広く取り扱う運送会社「バラクーダ運輸」を築き上げた男は、でっぷりとソファに埋もれたままの姿勢で、入室してきたノォトをただ観察している。
短髪茶色のいがぐり頭があどけなさを演出しているような少年ノォトは、つかつかとアダムスの前まで歩み寄って葉巻を奪った。消し方がわからないこともあって灰皿に押しつける。
さすがにアダムスは身を乗り出し、ノォトを睨みつけた。
「ニュース見てないのかよ。貨物クラウンが海賊に襲われて、今日運ぶ予定だったフォトンバッテリーをごっそり獲られちまった。お前の仕事はないよ」
「それじゃ困るんです。給金もらえないと、今月の家賃が……」
ノォトも負けじと鋭い目つきで見下ろす。だがその顔は困惑の色を隠しきれてはいられなかった。アダムスは目をそらし、深いため息をひとつ吐いた。
「仕事はまたある。たまの休みを貰えたと思ってゆっくりしてりゃいいだろ」
「待機してます。急な仕事が入るかもしれないでしょ」
「週末だぜ? 世間一般の連中と同じように、祭でも行ってこいよ。さあ、もういいだろ。お前とちがっておれは忙しいんだ」
ほんとうに邪魔者扱いしていることが、追い払おうと大きく振られた手の動きからも見て取れる。それ以上話すことはないとでも言うように、アダムスは書類に目を落とした。もはや取り付く島もないと落胆したノォトは黙って頭だけ下げ、執務室を後にした。
「どうだった?」
二ヶ月前に新しく雇われたばかりの受付嬢を口説いていたイブラヒムが、頬杖をついた恰好のまま、顔だけ動かして尋ねてきた。声色と表情がにやにやしているのはいつものことだ。残念な結果と残念な同僚にがっかりしながら、ノォトはため息をついて返事の代わりとした。
「残念だったな」
言葉とは裏腹にさほどがっかりした様子もない。ノォトにしてみても予想通り過ぎる反応で、特段驚くこともなかった。この男にしてみれば、ありがたい特別休暇が増えたというだけのことなのだ。
イブラヒムは年齢だけで言うならノォトの倍は生きているのだが、入社した時期が近いこともあってほとんど対等の関係だった。女とギャンブル、モビルスーツが好きな独身貴族の中年は、ともすれば自分より精神年齢が若いのではないかとノォトは思っていた。
「……おれは帰るよ。じゃあな」
イブラヒムの方を見ずにそう言って、ノォトは自分のボディバッグを担いだ。
嫌そうな顔を取り繕おうともしない女の子が助け船を求める視線を向けていたが、それを無視してノォトは事務所を出た。
イブラヒムは何も言わなかった。
表まで出て、ゴウという音に振り向く。雨風に曝され続け、あちこちに錆が見え出している「バラクダ運送」の看板の向こうに、キャピタル・タワーのケーブルを昇るクラウンの編成が見えた。空は腹も立たないくらい清々しい晴天だった。
***
キャピタル・タワーを備える世界の中心、キャピタル・テリトリィ。この町も今日は週末祭の準備で朝から賑やかしい。その名の通り週末に慰労の意味を込めて開かれる祭りは、この町の観光名物でもある。人々は昨日までの激務を忘れるため、明日からの日常を頑張るために狂乱の宴を繰り広げる。そのための飾り付けや屋台の設置などがそこかしこで行われている。
そんな喧噪とは関係なく、ノォトはひとり町をぶらついていた。
キャピタル・タワーの中継ポイントであるスペースコロニー、ナット。全百四十四個あるナットの、地球側から数えて六十五番目となる「ベルガモ」生まれのノォトにとって、地球に住む人たちというのはどこかコンプレックスを抱く存在だった。同じキャピタル・テリトリィとは言っても生まれ故郷はもっと生活に疲れた空気が漂っていて、この町のように活気などはない。ずっとナット育ちだったノォトは、自分の体にあの町のくすんだ空気が染みついてしまっているような気がして、ここでは自分が不純物のように感じられた。
普通なら学校に通っている年頃であったが、金銭的な理由で進学は諦めざるを得なかった。それでも地球で見つけた今の仕事は割が良く、実家からの支援もなしにどうにか働けている。初めは子どもだからと馬鹿にされたり苛められたりもしたが、三年も働けば職場にも打ち解けられるし、自分の業務に対してそれなりに誇りを持てるようになっていた。それにボロアパートとはいえ自分の給料だけで借りられ続けているのだから、どうにか生活できているという実感がある。
昼も夜もなく働く人間にとって、日々の営みなどは感じる余裕もない。そんなノォトだから、週末祭にはさしたる興味はなかった。
なにか時間をつぶす場所を探しているときだった。
「離して!」
極彩色の民族衣装に身を包んだ若い女性が、チンピラらしき痩せぎすの男に腕を掴まれている。相棒らしきもう一人の太った男はなにも手を出さず、昼間だというのに酒を飲みながらにやにやと成り行きを見つめていた。周りの人間は無関係、無関心を装いながら、目だけ動かして野次馬根性を滲ませている。誰も関わろうとはしない。
どこにでもある光景。それがノォトの感想だった。故郷で何度も同じような場面に出くわしてきた。そんなときどうすれば良いのかも十分に教わってきた。
他人のことを気にする余裕などないのだ。みな、自分の事で精一杯なのだ。
女性と目が合った。すぐに痩せぎすの体に遮られ、見えなくなった。
ノォトは地面を蹴った。
「ァガッ!」
痩せぎすが鼻血を噴きながら吹っ飛ぶ。体勢を崩した女性はよろけ、ノォトは殴ったのと反対の手で腰を支えた。
人肌の生ぬるさと、衣装のジャラジャラした飾りが放つひんやりした感覚の両方が腕から全身に伝わった。
「あ……あり……がとう」
「てめえ!」
太った男がにやにや顔をやめてノォトに殴りかかる。女性の腰を離し、追っ払いながらノォトは男に向かっていく。向こうが拳を振り下ろす前に、股間へ前蹴りを食らわせた。
蛙が潰れたような声を上げ、男は股間を押さえながらその場にうずくまる。丸まった背中はうめき声を漏らしている。さすがに息の乱れたノォトは女性のほうを振り向くと、「早く行けよ!」と叫んだ。女は動転しながらも頭を下げ、その場から走り去っていった。
桃色のポニーテールが左右に触れながら小さくなっていくのを、数秒の間見つめていた。ノォトは心の中、ひそかに安堵した。
「お前……関係ねえだろ……!」
うめき声といっしょに、やせぎすが声を絞り出して言った。
「他人にそんなことしたって……何の得もねえだろ……!」
太った方も体勢を変えないまま、ぜえぜえ息を吐きながらつぶやく。ダンゴムシがそのまま大きくなったらこんなものかもしれない、とノォトは不意に思った。
「関係ねえよ。ねえけど、目が合っちゃったんだ。なら助けるしかないだろ」
「カッコいいね……けど、そんな強がり言ってらんないでしょ。そんな余裕、いまになくなっちゃうよ……」
「……みんな自分のことで精一杯だものな。だけど、一人じゃ生きられねえんだ。助け合わなきゃ生きてけないんだから、あんたらもヘンなことすんなよ」
ふたりはそれ以上なにも言わなかった。ために、ノォトもそれ以上言葉を続けようとはしなかった。
伸びていたチンピラどもはその後、体力が回復するのを待って警察が来る前にそそくさとその場から逃げていった。
ノォトは野次馬どもの視線から逃れたくて少し離れた路地まで歩き、一息つきながら女性のことを思い出していた。より正確に言うなら、彼女の「目」を。
宝石のようだった。放たれた光を自身の中で反射させ、輝きとして放つオパールのような。透き通るように真っ青な目は一瞬でノォトの脳裏に強く焼き付き、今なお離れなかった。
ふと、オパールなんて何で知っているのかと我ながら驚いた。昔雑誌で見たことがあるんだったかと思い出して、なんでそんなものを見たことがあるのかと訝しんだ。
しばらく考えた後で同僚に見せられたせいだと気付いたとき、
「よう、ノォト」
まさにその同僚、イブラヒムが声をかけてきた。
独りでいるところを見るまでもなく、ナンパには失敗したのだろう。
「さみしいなあ。ひとりでお茶してるなんて」
「そんなヤツに声かける、あんたこそさみしいだろ」
「言えてる」
皮肉を言ったつもりだが、イブラヒムはへらへらした表情を崩さない。いつも通りの態度に見えたが、気のせいかすこし肩を落としているような気がする。彼の様子にいつもと違うなにかを感じた。
「突発で仕事だとよ。良かったな」
「いつ」
「今から」
「今!?」
突発にしても急すぎる。運ぶ予定だったフォトンバッテリーは無いはずなのに。
いつのまにかイブラヒムの顔から表情が消えていた。
「軍からの依頼でな。急遽運んでほしいブツがあるんだとよ。そんで空いてるのがおれたちだから、それに当てられたってわけさ。そういうわけで、戻るぞ」
「なんだよ……今更。それにブツって、中身は」
「秘密らしい。まあ物騒なもんじゃねえだろ。ほら、急げよ」
踵を返したイブラヒムから数歩遅れて、ノォトも歩き始めた。なにかもやもやしたものを抱えながらも、脳内にはまた彼女の「目」がフラッシュバックしていた。