私は麻雀が好きだ。
幼い頃から続けてきた麻雀のおかげで沢山の友達に出会えた。ライバルとも出会えた。
麻雀は私に想い出をくれて、今も、そして未来にも掛け替えのないものになるだろう。
うだるような暑さを前に道行くサラリーマンは手にしたハンカチで額の汗を拭いていく。その顔には疲労の色が出ており、重たい足取りとなっている。そんな彼らの横を駆け回る子供達の元気な笑い声と蝉の鳴き声が夏を嫌でも感じさせてくれる。
私の住んでいる部屋の下では、かき氷の旗を持った町内会のおじさんがかき氷屋さんを開いている。毎年、この時期になると見かけるその光景と、かき氷を一心不乱に食べる小学生の姿は夏の恒例イベントとも言えるだろう。
時折、かき氷を催促する声が聞こえてくるはずの窓際はジリジリと照りつける太陽を遮るためにカーテン共々閉め切られていた。クーラーの効いた室内はとても快適な温度を示している。その部屋のベットの上、お世辞にもふかふかとは言えず、純白のシーツが敷かれた少し固めの布団の上に私は横になっていた。枕元には小物入れの小さな棚が有り、その上には今日花瓶に挿されたばかりのガーベラが咲いている。
ポト、ポトと水滴の音が規則正しく聞こえる。
私の自室にはその他に衣類を直す棚とテレビ、数個の椅子しかないない。そんな狭い室内には私以外に数人の人々が来室していた。大学生や、サラリーマン、技術士に医者や弁護士など様々な職についており、涼しいはずの室内はその人口密度のせいか暖かいと感じる。いや、それだけではないと私にも分かっていた。心の奥底から湧き上がるようなこの感情はきっと懐かしい夏の高校時代を私に思い出させているのだろう。
それはこの場にいるみんなも同じようで、その原因である小さな薄型テレビに視線を向けていた。
『先鋒の三尋木(みひろぎ)詠(うた)の活躍により、大きなリードを得ていた日本代表ですが、次鋒、中堅で善戦虚しく削られ3位に転落してしまいました』
麻雀世界大会、男女混合団体戦の決勝。世界中の人々が注目するこの大会は生放送され、人々は今日という日に胸を高鳴らせていた。
『しかし諦めるにはまだ早いです。副将にはあの男がいます。国内リーグ5年連続最下位だったチームを準優勝にまで導いた立役者。男子の若手エース。彼ならば奇跡を起こしてくれるでしょう』
実況アナウンサーの興奮と期待の入り混じった声が皆の燃え上がった熱い炎に油を注いでいく。誰かが持参してきたお菓子の袋を開いた。それに釣られるようにに次々と缶ジュースのプルタブを開けていく。口数も多くなり、騒がしくなってきた。いつもなら注意をしにくる人がいるのだが、今日という日だからなのか一向に現れる気配はない。
『今、対局室に現れました。副将の清水谷桜です』
テレビから出た音声に黄色い歓声が上がる。その中には当時、彼のことを嫌っていたと思っていた後輩の女の子の姿もあり以外だった。
かつて共に戦ったテレビ画面に映る彼はいつものようにどこか愉しげな笑顔を浮かべていた。思わず、私は拳を握りしめてしまっていた。悔しかった。今でも麻雀を続けている彼が悔しくて、そして、もう二度と彼と麻雀を打つことができないことが歯痒かった。
俯く私の様子を見た女性が心配そうに私の方を叩いていた。私はとっさに下手くそな作り笑いを浮かべ、大丈夫と返した。こんな素晴らしい日にあんなことを思ってしまった自分を嫌いになってしまう。私はこの試合を正面から見届ける義務がある。
いつの間にか薬品の匂いがしていた室内はお菓子やジュースの甘い匂いで一杯になっていた。
桜君が魅せてくれる世界は私の唯一の希望だ。
『副将戦、スタートです』
私は今日という日を最高の宝物にするだろう。そして、より一層、麻雀を好きになるんだろうな。
{一筒}
俺は麻雀が嫌いだ。
幼い頃から続けてきた麻雀は様々な出会いを生み、沢山の思い出を作り、当時の俺は少なくともそれに喜びを感じていた。
だが、失ったものもあった。それはあまりにも大きすぎた。
ピピピ...
目覚まし時計の無機質な電子音がつまらない一日の始まりを教える。窓辺から差す眩しい太陽光に目を細め、俺は気怠げに体を起こしていく。酷い頭痛に襲われていた。昨日、夜遅くまで一人で酒を飲んでいたのが原因かもしれない。
気持ち悪さを押し込め、台所へ向かう。ガラスのコップに水道水を注ぎ、一気に飲み干した。幾分か楽になったような気がする。
冷蔵庫から適当に材料を取り出し、朝食を作ることにする。男の一人暮らしというのは大変なものだったが、一年の月日が流れた今となっては作業化してしまっているので、何も感じない。ご飯と簡単なスクランブルエッグ、ソーセージを手にテーブルにつく。そして、いつものように日課となっているテレビの電源をつけた。
午後から雨になるという今日の天気予報を聞きながら、事務的に朝食を口へと運んでいく。美味しくもなければ不味くもない。何も感じないまま箸を進めていくと、天気予報が終わりつぎの番組へと画面が変わる。
『白糸台、宮永照。圧倒的実力です。流石は二年連続インターハイ優勝者です』
油断した。そう思わざる負えなかった。もう関わりたくないと思っていた麻雀をこんな朝に見るとは今日は不運としか言い様がない。テレビの電源を切り、席を立つ。まだ朝食は残っているが、食欲など消えてしまっているため、残すことにする。台所にある大きなゴミ袋に残飯を入れ、皿は流しに置いておく。
再び襲ってくる頭痛に顔をしかめながら、俺は家を出た。
{二筒}
午後は朝の天気予報通り、雨が降ってきたのをバイト先のコンビニから見ていた。空は暗雲立ち込めており、まだ雨が降り続ける事を意味している。生憎、傘を忘れてしまっていたため、帰りはずぶ濡れを覚悟するとともに憂鬱な気分になっていた。
新商品とされるお菓子の類を陳列棚に補充していると、プロ麻雀チップスと呼ばれるものも見えた。おまけとしてプロ雀士のカードがついてくる事が話題で、一覧には見知ったプロ雀士やかつて対局した者の名前も書かれている。ただそれだけの事で、もう彼ら、彼女らと対局する事はないだろう。手にしたチップスの袋を棚に置き、レジへと戻った。
何時ものようにバイトを事務的にこなしていく。
「あの、すいません」
女性の声がした。コンビニの店員とはよく、道を聞かれるものだ。あるいは、質問をされる事も多く今回もそうであろうと思い込み、営業スマイルを浮かべて、どうしました?と返した。何の感情も含ませず、ただ、機械のように。
「こちらに清水谷桜さんはいらっしゃるでしょうか?」
一瞬、時間が止まったように感じた。その名前で呼ばれたのは二年振りだ。清水谷という姓は俺の父方の姓であり、麻雀をやめてからは母方の姓である卯ノ花を名乗っている。清水谷桜という名前はあまりにも有名になりすぎて、何処へ行っても麻雀が付き纏ってきて嫌気がさしたので姓を変えたのだ。改めて、女性の姿を見てみると黒のスーツと黒のスカートを身につけ、染めていない黒髪をポニーテールに纏めた清潔感のある身だしなみとなっている。そして、その顔には何処と無く見覚えがあったが思い出せない。
「清水谷は私ですが、何の御用でしょうか?」
「これはすいません。私は日野遥といいます。妹の日野灯はご存じですよね?」
確かに俺は日野灯を知っているし、彼女の姉であるという目の前の女性にも心当たりがある。当時は大学生だった彼女は時々、俺達が麻雀をしている姿を遠目に見ていたのを覚えている。あまり話した事は無く、これといったエピソードもない。
「えぇ、忘れられませんよ。それで何の用ですか?」
自然と口調が荒くなった。無理もない。あまり思い出したく無い名前が出たし、その名前からは麻雀を連想せざる負えない。俺が麻雀を好きだった理由でもあり、俺が麻雀をやめた理由でもあるからだ。
「単刀直入にいいます。私達を助けてください」
今日という日は本当に不運だったらしい。
外の雨は勢いを増していた。
{三筒}
あのままコンビニ内で話すわけにもいかず、日野遥には俺のバイトが終わるまで近くの喫茶店で待ってもらう事にした。
外は雨も強く、気温も下がってきている。傘をさしているとはいえ足元あたりは濡れてしまうし、体温の低下は感じられる。不快さに顔をしかめながら、バイトを終えた俺は喫茶店へと足を踏み入れた。店内は明るくモダンな雰囲気であり、利用客もそこそこいるようだが、すぐに彼女の姿は見つかった。テーブル席につき、コーヒーを飲んでいた。
「コーヒー、一つ」
店員に注文し、彼女の向かいの席に座る。
彼女は俺に気づくと、姿勢を正していた。俺より年上なのだからそこまで礼儀正しくする必要はないと思うが、口に出すのは面倒なので言葉を飲み込む。
「それでいきなり助けろって言われても、意味が分からないのですが」
「ですよね。いきなりごめんなさい。それで、あのですね、改めまして自己紹介を。私は有珠山高校で教師をしている日野遥といいます」
彼女は礼儀正しくお辞儀をした。そういえば灯から自分の姉は教師になる勉強をしているという話を聞いた事がある。
「それでですね、お願いというのは私が顧問をやっている麻雀部の監督をしていただけないかということです」
「すいません。俺はもう麻雀に関わるつもりは無いんで。それに高校の麻雀なら指導員は他にいくらでもいるんじゃないですか?」
俺は彼女の勧誘に即答で否定の意を示した。結構強めに返したのだが、彼女は引き下がらない。
「いませんよ。清水谷桜さん、あなたでないと駄目なんです。6年前、三尋木詠、妹の灯、清水谷桜の三人を指して『黄金世代』と呼ばれ、インターハイで大暴れされた事は知っています。その後、プロ入りされ、日本代表にまでなったことも灯から聞きました。勿論、最下位だったチームを準優勝にまで導いたこともです。だから、清水谷さんに私達の高校の麻雀部を全国大会に導いて欲しいのです」
随分と自分勝手な意見だと思った。彼女の言葉からは必死さは伝わってくるが、だからといって手伝う気は無い。自分の性格の悪さを感じつつ、断ることを想像すると空気が悪くなるのは明白だった。
「お待たせしました。コーヒーになります」
重苦しい雰囲気を断ち切るように、注文していたコーヒーがやってきた。白のティーカップに入ったコーヒーからは湯気が出ている。俺は何もいれずにコーヒーを一口飲んだ。液体が舌を撫で、苦味が広がって行く。
「勝手なお願いであることは分かっています。けれど、清水谷さんに頼らざる負えないのです。不況の影響で学校の予算も少なくなり、部活動の予算カット、または廃部ということになりました。目立った成績もなく、人数も少ない麻雀部は今年、優秀な成績を修めないと廃部になると上の方で決まってしまったのです。ですが、麻雀部に在籍しているのは来年、卒業の子だけではありません」
「そんなの俺は知りませんよ。俺は麻雀をしない。もう決めたことなんです」
俺はバックから財布を取り出した。彼女と話すことは何も無いし、変に期待させるだけ可哀想だ。それに廃部になろうが、なるまいがそれは数多ある日本の高校の一つの麻雀部が無くなるだけだ。俺には関係無いことだ。
ティーカップには飲みかけのコーヒーが残っているが、熱いそれを一気に飲めるようには出来ていない。テーブルにコーヒー代にしては多いが、財布に入っていた千円札を置いて席を後にしようとした。
「待ってください。清水谷さんが麻雀を辞めたのは、灯のせいですか?妹のせいで、麻雀を辞めたのですか?」
「...っ!」
酷く動揺したのが自分でも分かった。逃げられない、か。俺は視線を彷徨わせ、溜息をついた。外から聞こえる雨音が一層激しくなったことを感じながら、昔を思い出した。
{四筒}
俺が日野灯と初めて出会ったのは、高校受験の時だった。日野灯は単純に受験の教室が同じで隣の席に座っていた他校の女子生徒という赤の他人であったが、彼女から見た俺は違うかったらしい。
「あなたからは凄いものを感じるわ」
昨夜から徹夜をして寝ていない頭を必死に稼働させ、試験前の最後の確認をしていた俺を見て、彼女はそう言った。会話もしたことは無く、お互い初対面であるにも関わらず親しげに声を掛けて来たことは強く印象に残っているし、俺は彼女の訳の分からない話に試験が始まるまで付き合わされたせいで最初の科目はボロボロであった。
その後、無事高校も合格した俺は、再び彼女と出会うことになる。麻雀。それが俺達を引き寄せたのかもしれない。
高校入学後、彼女と出会ったのは放課後のことだった。入学後、振り分けられたクラスには日野灯の姿はなく、また入学式でも彼女の姿は見つけられず、てっきりこの高校には来ていないかと思っていた。だからだろうか、入学して間もないのに急にやる気が無くなっていた俺は足早に教室を後にしようと鞄を手に取る。教室内には既に幾つかのグループが出来ており、談笑する声が聞こえていた。その教室が一斉に静まり返る。
「えーと、清水谷桜君はいるかい?」
その女は麻雀部の部長を名乗る3年生だった。うちの高校の麻雀部は最近は、ほとんど団体戦は県大会一回戦で敗退する弱小チームであると聞いている。噂では今年、在籍している人数が少なく、大会出場さえ危ぶまれていると聞いており、活動自体してないのかと思っていた。
「上級生命令だ。君、麻雀部に入りたまえ」
麻雀部の部長に無理矢理、連行された俺は麻雀部の部室で卓についていた日野灯に出迎えられた。話によると俺がここへ呼ばれたのは彼女のご指名らしい。清水谷桜が麻雀部に入部するなら私も入る、それが麻雀が強い一年生と麻雀部員に認識されていた彼女の我が儘ということらしい。
「待ってたよ、清水谷君。早く卓に着いて、私と麻雀しよう」
いつの間にか、卓には麻雀部の部長の女の人ともう一人、男子生徒も着いていた。空いた席は一つ、日野灯の対面。どうやら俺は参加せざるおえないらしい。あまり乗り気ではないが、ここは手早く終わらせてお暇させてもらおう。笑顔でこちらを見てくる彼女の対面に座り、ゲームは始まる。