「ーーーシェリーさん‼︎」
アレンの声が悲鳴のように響き渡る。深紅の飛沫が霧のように撒き散らされ、アレンの頬に大量に付着した。
仮面を砕かれたシェリーはフッと全身から力を失い、糸の切れた人形のようにアレンの広げた腕の中に倒れこむ。意識を失い、全身の力が抜けて全体重がかかっていると言うのにその体は軽く、アレンは急に受け止めたのに全くよろめくことがなかった。
「シェリーさん、しっかり……‼︎ くっ……血が止まらないっ……‼︎」
傷口を押さえて出血を抑えたくとも、この状況では応急処置もままならない。すでに呼吸も薄いシェリーの姿に、アレンは焦りを隠せなかった。
「……まさか、そんな……」
測らずして、ジャック・ザ・リッパーの正体を目の当たりにしたトラッシュが、信じられない気持ちで仮面の下で目を見開く。
アレンの左腕もそうだが、かの殺人鬼の正体が何時ぞやに会った修道女であったことも驚きだった。無愛想ながら可憐な印象を抱いた女性が恐ろしい異形の姿をしていたことに、開いた口が塞がらなかった。
驚愕で動けなくなるG3-X。だがそのそばを、小銃を構えたG4が我が物顔で歩き抜いていった。
「ちょっ……」
嫌な予感がしたトラッシュの制止も聞かず、G4は銃弾を装填するとシェリーに向けて再び銃口を向ける。今度は鎧は無い、無防備な眉間に向けてだ。
今度こそトラッシュは慌てた。この機械の戦士は、確実に彼女を殺そうとしている。至近距離に民間人(?)がいることも厭わず、ただただ最初の命令に従って全ての敵を排除しようとしていた。
それを見たG3-Xはもう止まっていられなかった。G4を無理矢理にでも止めようと、戦士の方に手を伸ばす。だが、その手が届くことはなかった。
ズガァン!
と衝撃が走り、G3-XとG4の両方がまとめて吹き飛ばされたのだ。G3-Xは吹き飛ばされた先で背中から盛大に倒れ、G4はかろうじて姿勢を保ったまま後ずさる。
呻き声を漏らすトラッシュは、なんとか起き上がると何が起こったのか把握するために目を凝らし、呻き声を途切れさせた。
「……近づくな」
そこには、異形がいた。身の丈ほどの鉤爪を操り、銀の鋼を輝かせる左腕を振り抜いた姿勢で白髪の青年が左目を赤く光らせていた。その凄まじい眼光は、先程までの青年からは感じられないほど鋭い光。G4にも負けず劣らない迫力があった。
イノセンスを発動し、盾のようにシェリーを守りながらアレンはG3-XとG4を睨みつける。
その凄まじい殺気に、G3-Xは装甲越しに気圧されたように一歩後ずさる。だが、G4は逆に警戒を強めたように銃のグリップを握る手に力を込めた。
一触即発、どちらかが動けばすぐに決着がつくであろう緊張感が両者の間に走る。火力の差は明らか、その上負傷者を抱えたアレンの方が不利に見えたが、それを感じさせないほどの威圧感がいまの彼からは放たれている。
G3-Xは声を発することもできず、二人の硬直している姿を見つめている他になかった。
その時だった。睨み合う両者の間に、何かが投げ込まれて来たのは。
ちょうどG4の目の前に転がってきたそれはいきなりパンッと弾け、大量の白い煙が辺りに勢いよく噴き出し始めた。しかもそれは一つではなく、次々にいくつも投げ込まれては弾け、あっという間に港は真っ白に染め上げられてしまった。
「⁉︎」
「え……煙幕⁉︎」
突然の事態に警察組織もG4も、そしてアレンもとっさの反応が遅れる。向こう側のオペレーターも惑わされたためか、機械の戦士たちの動きが目に見えて悪くなっていた。
『何をやってるの⁉︎ 早く撃ちなさい‼︎』
G4側のオペレーターらしき女性のヒステリックな声が聞こえるが、G4は闇雲に打つほど狼狽してはいないようでその声には従わない。
そんな中、いち早く動いたのは、煙の中で何者かに手を引かれたアレンだった。シェリーの体を背負ったアレンは、自身の手を引くだれかの正体にすぐに思い至ると大きく目を見開く。
「ユノ⁉︎」
現れた少女は、心痛な表情でアレンとシェリーを見つめるもすぐに首を振り、青年の手を引っ張って煙の中へと誘った。
「早くこっちにくるです‼︎」
小さな体で懸命に走り、ユノはアレンの手を引いて煙幕の中を駆け抜ける。アレンも困惑しながら、背中にいる負傷したシェリーを決して落とすまいとイノセンスで固定し、視界の悪い中を走り続ける。
少年と少女たちは、黙々と広がっていく煙の中にその姿を隠し、やがて完全に姿を消した。
「……逃げたか」
G4は小銃を下ろし、臨戦態勢を解く。耳元でオペレーターがうるさいが、標的を完全に見失ったために追うこともできない。目に見える外敵をすべて排除すると言う命令は達成したため、G4は自己の判断で戦闘行為を終了した。
後に残ったのは、うっすらと残る煙幕の跡と、機械の戦士たちが残した凄まじい戦闘の傷跡だけだった。
◆ ◇ ◆
「どういうことですか⁉︎」
デスクについた警部に向かって、セレナは怒り心頭のまま机上叩いて詰め寄った。その剣幕に、警部はおろかトラッシュまでドン引きさせていた。
噛み付いてきそうな勢いのセレナに圧倒されながら、警部はゴホンと大きな咳払いをしてから向き直る。
「……どういうことかと聞かれても俺は知らん。お前のようなオツムを持ってねぇ俺が、G3-Xに関する情報を外部の、それも軍の方に流せるわけがないだろうが。ちったぁ冷静になれ」
「そんなことは百も承知なんですよ‼︎ これは署のセキュリティを高く見積もりすぎていた八つ当たりなんでちゃんと聞いてください‼︎」
「理不尽すぎるだろ‼︎」
セレナのあんまりな言葉に思わず警部も涙目になる。反論したいが正論であるため言い返せない、その上剣幕があまりに怖すぎて逆らう気が全く起きない。現に、トラッシュや他の部下たちはスタコラと逃げ始めていた。
一人残された警部に向かって、セレナはまだ治まらない怒りをぶつける。
「とにかく、このことに関しては断固抗議をーーーあ……」
言いかけたセレナがようやく止まる。視界の端に、ある一人の人物の姿が入ったためだ。
警部はセレナの暴走が止まったことにこれ幸いとデスクから離れ、見つからないようにコソコソと逃げていった。
セレナは気にすることもなく、見つけた憎たらしい人物ーーー機密情報を漏らした張本人と思わしき女の元へと歩いていく。
軍服を纏ったその女、つい最近署に配属になったと聞いていたマリエとか言う女の前に仁王立ちになり、セレナはギロリと鋭く睨みつける。対してマリエは、人懐っこい笑みを微塵も崩すことなくその視線を受け止めていた。
「……まさか、軍の人間だったなんてね。立ち方に違和感があったから気になってはいたけど、これでスッキリしたわ」
「その割には、ずいぶん機嫌が悪そうですね」
「自分の胸に手を当ててよく考えて見なさい。私なら恥ずかしくて顔も合わせられないわよ」
「さて、なんのことか……」
頬に手を当てて、マリエは首を傾げてみせる。可愛らしい仕草だがセレナにとっては和むどころか火に油を注ぐ行為に他ならない。
白々しいと本気でイラついたセレナは、殴りそうになる右手を必死に押さえつけながら低く声を絞り出した。
「G4のデータを盗んで置いてよく言うわね。私はそう言うハイエナみたいなことする奴らが一番嫌いなのよ」
「何を言うんです? G4は人類が完成させた最高の力。天才セレナが生み出した究極の存在よ」
「違う‼︎ あれは世に出してはいけない最低最悪の悪魔の兵器よ‼︎」
警察と軍の技術者、二人の天才が真っ向から異論をぶつけ合う。
セレナは、自分がG4を作り上げたこと後悔していた。
G3-Xをはるかに超えるスペック、それをすべての分野において求めた結果、出来上がったのはあの悪魔の兵器だった。そんな見たくもない、黒歴史とも言える自身の生み出した兵器を引っ張り出されて、冷静ではいられなかった。
「人間では耐えきれない反動が襲いかかって、装着者は良くて廃人になるか最悪の場合死に至る! どうしてそんなものを使わなければならないっていうの⁉︎」
「アンノウンという未知数の敵を相手にするためなら、過剰とも思える準備をしておいたほうがいいでしょう?」
「人を守る警察と軍が人を潰してどうするのよ⁉︎」
罵倒しながら、セレナにはわかっていた。この女には常識も倫理も通じない。
何か、大切なものがこの女には欠けている。あまりに自己中心的でモラルの欠如した異質な存在、そんなイメージを抱いてしまう。一瞬だけ、セレナはマリエに恐怖を抱いてしまっていた。
「あんなものの登用をを認められるわけがないわ。人間の命をなんだと思っているの⁉︎ あなたは何、神様にでもなったつもりなの⁉︎」
「国防のためです。脅威に対抗するにはそれすら超える絶対的な力が必要になるのは明白、だったらそのために尊い犠牲になるものはこれ以上ない名誉を得るのよ」
「このっ…………言わせておけば…………‼︎」
あまりに話も通じない、思考がずれた彼女にセレナが思わず掴みかかろうとするが、傍にいた二人の軍人に阻まれそれは叶わなかった。
「チッ……」
「セレナさん、アンノウンの脅威はいまもなお増大しています。小を気にかけていては、大を見殺しにすることになりますよ?」
マリエはそう言うと、二人の軍人を引き連れてその場から颯爽と歩き去っていく。その自信満々な背中を、セレナはぐっと歯を食いしばったまま睨みつける他にできなかった。
「……君が、G3-Xの装着者か」
セレナの八つ当たりから逃れていたトラッシュに、そんな声がかけられた。
セレナの怒りが収まるまでどう時間を潰そうか、などと考えていた彼は背後にいつの間にか立っていた中年の男に視線を向け、眉をひそめた。
軍服を着た目の前の男は見覚えのない顔なのだが、なぜか既視感がある。正確には、男の放つ雰囲気や威圧感をどこかで味わった気がするのだ。普通の人には出せるはずのない、幾千もの死線をくぐり抜けて着た猛者が持てる殺気のような圧力だ。
そこまで考えた時、トラッシュはようやく目の前の男が誰なのか思い至った。
「……あなたは、G4の装着者の?」
「シロエ・ドッグウッドと言う。所属は軍だ」
敬礼とともに名乗られたトラッシュは、姿勢を正してシロエに向き直ると、ビシッと敬礼を向けた。
「トラッシュです。……先日は、ありがとうございました。おかげであれ以上の被害もなく……」
礼を言いながらも、トラッシュは内心で複雑な感情を抱いていた。戦場で暴れるG4の凄まじさとともに、敵に対する容赦のなさも目に焼き付いていたからだ。いくら人類の敵だからといって、あまりにも過剰な戦闘だったように思えたのだ。
「…ですが、あれはやりすぎだったのではないですか? 向こうは完全に戦意をなくしていましたし、あのスペックなら捕縛することだって……」
「君は、青いな」
自分なりの正義感を述べるトラッシュに、シロエは短く告げた。
「その甘さが、自分の身を滅ぼすこともある。俺の戦う理由と君の戦う理由はまた異なるものだ」
「しかし……」
戦うものとしては確かに未熟なことを言ったかもしれない。だがトラッシュは、振り下ろす拳にはきちんとした意味を持たせて戦いたい、そう思っていた。
そんな彼に落胆したように、シロエは視線を外して嘆息した。
「……俺はかつて、地獄を見た」
その低く響く声に、トラッシュは息を呑んだ。やはり常人が出せる一言ではない。
何があったのかはわからないが、確実に死よりも恐ろしい何かを体験したものにしか出せない覇気が、目の前の男からはほとばしっていた。訓練を受けたトラッシュでさえも、その威圧感に硬直させられるほどだった。
「この世界で、命はあまりにも軽い。常に死を覚悟して戦わねば、いずれ飲み込まれることになるだろう。……忘れるな」
不穏な一言を残し、シロエはトラッシュの前から歩き去っていく。話しかけてきたのは彼なりの気遣いだったのか、それとも邪魔をするなら容赦はしないと言う牽制だったのか。固まっている間に見失ってしまったトラッシュには、判断のしようがなかった。
呆然と立ち尽くしていたトラッシュがようやく息をついた時だった。
「ああああああむかつくぅぅぅ‼︎」
「いったい⁉︎」
尻に食らいついたセレナの靴のつま先に、トラッシュは飛び上がって痛みを表す。先ほどまでの真面目な雰囲気が飛び散るほどの衝撃だった。
「ちょっ……何するんですか⁉︎」
「八つ当たりよ⁉︎」
「ちくしょうせっかく逃げてきたのに‼︎」
まさかここまで被害が及んでくるとは見通しが甘かったと、トラッシュは涙目で尻を抑えて悲鳴をこらえる。まさか苛立ちをぶつける相手を求めてこんなところまでさまよい出てくるとは。
するとセレナは、今ので落ち着いたのか深いため息をついて天を仰いだ。
「……ごめん。私も自分の心が制御できないの。自分と絶対に相入れない人と会っちゃって」
いつになくしおらしい彼女に、事情を知らないトラッシュも空気を読んで姿勢を正す。この人がここまで答える相手なら、相当に嫌な相手だったのだろう。
「……俺の方にも、来ました。俺とは全く逆の人が」
「…………」
自分が理解できない、理解したく無い相手と対話することはかなりの苦痛だ。セレナとしては、自分のアイデンティティを全否定された気分に陥っていて、未だに頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
「俺は、人を守りたくて警察に入ったのに、その思いが未熟だみたいに言われて、正直だいぶへこみました」
「間違ってなんか……」
「俺もそんな風には思ってません。でも、とっさに言い返せないのが悔しくって……」
認めるつもりはない。だが逆に真っ向から相手の考えを否定できるだけの用意があるわけでもなく、不完全燃焼した気分だった。体の中に不快な煙が充満しているようで、気持ち悪くて仕方がない。
「あんなのが、国のためって言われてもあんまりしっくりこないんです。相手が殺人鬼だったとしても、ほとんど戦意をなくした相手にあそこまでやるなんて……あのままじゃ、アレンくんまで巻き込むところだった」
トラッシュもセレナもしっかりと見ていた。ジャックが我が身を犠牲にしてまで、アレンを守ろうとしていたことを。
そのためか、自分の信じて来た正義が揺らぎ始めたのは。人も異形も殺す殺人鬼と、異形も人も殺す兵器。果たして正しいのはどちらか、どこに違いがあるのか。
「……アレン君の方が、正しいような気がしてきたよ。殺人鬼の擁護するなんて、警部に怒られそうだけど」
「……そのことなんだけどね」
自嘲気味の笑みを浮かべていたトラッシュだったが不意にセレナは深刻な表情で顎に手を置きトラッシュの方を見つめてきたため、訝しげな表情で振り向いた。
「ジャック……じゃないわね。シェリーさん……の犠牲になった人たちについて詳しく調べてみたの。ちょっと無理してね。…そしたら、とんでもないことがわかったの」
一拍おいてからセレナの語った内容は、青年から一瞬思考を奪うほど奇妙で驚愕の事実だった。