傷ついたシェリーを担いだアレンは、ユノの案内で下水道の中へと潜り、暗く狭く臭い道を必死に走り抜けていた。
負傷した者を不衛生な場所にいさせるのもどうかと思ったが、外では確実に警察やあの黒い戦士の目に止まる可能性があるため、移動経路として使うことで目を瞑っていた。
やがて、先導していたユノは道の途中でアレンを止まらせると脇にあった鉄の梯子を登り、外の様子を探りにいく。
下水道の穴を塞ぐ格子を外し、わずかに浮き上がらせて顔の上半分だけを出すと辺りをじっくりと見渡していく。しんと静まり返った道は夕暮れに染まり、薄暗く人の気配も全く感じられない。問題ないと判断したユノは、下にいたアレンに手招きをしてから静かに格子を脇に置き、ようやく外へと出た。
下水道から出たユノはアレンが顔を覗かせるのを確認すると、すぐそばにあった建物の朽ちた扉をあけて手招いた。
そこは、放棄された古い屋敷のようだった。権利や立地などの理由で買い手が付かなかったのか、随分長い間風にさらされていて見るも無残な様を晒している。シェリーたちの拠点といい勝負だった。
「……ここは」
「何かあった時、ひとまず身を隠そうと姉様が見つけておいたところです。しばらく、ここで姉様の回復を待つです」
要するに不法侵入だが、背に腹は変えられないとアレンは無遠慮に入って行くユノの後を追う。咎めるものはいないし、自分もたまにこうして勝手に廃墟に入って一夜を過ごしたこともあったため今更だろう。
元はそれなりに裕福な住人の家だったのであろう、中は思っていたより広く居心地は悪くない。埃がたまっているのは仕方ないし、それ以外であれば不服は感じなかった。
「とりあえず、姉様を寝かせるです」
「う、うん」
ユノの指示に従い、アレンはギシギシと嫌な音がなる廊下を渡って一室を目指す。先に入ったユノが布切れなどをかき集めて台の上に広げ、簡易的なベッドを作る。
その上にシェリーを優しくおろし、ようやくアレンは緊張を解くように大きく息を吐いた。ずっと息を止めていたように、息苦しさから解放された。
今日は、いろんなことが一気に起きすぎた。アンノウンの群れの襲撃、新たな戦士の介入、シェリーの負傷と正体の露見、そして挙げ句の果てには逃亡を余儀なくされた。たった1日で状況が豹変し、心身ともに疲労がたまってしまった。
そのときだった。ベッドの上のシェリーが、か細い声をこぼし始めたのは。
「……ごめん、なさい……」
それは謝罪の言葉だった。聞き取れないほど小さな声で、誰かの名を呼んでは謝ることを繰り返している。激痛のためか魘される声も弱々しく、ただはらはらと涙をこぼしては名を呼び続けている。
「許し、て……カノン…………カルロ……」
「……姉様、みんな怒ってないです。誰も……姉様を憎んでなんてないのですよ……」
あやすようにユノがシェリーの髪を撫で、優しい声でなだめる。シェリーはなおも魘されていたが、やがて落ち着いたように寝言を沈めていく。しかし、涙は未だ止まってはくれなかった。
そんな姉の寝顔を眺め、悲痛な表情を浮かべると自前らしい水筒から水を流し、ユノはタオルを濡らしていく。小さな体でせかせかと動く姿に、アレンは思わず悲痛な顔になった。
「……シェリーさんも僕も、もうここに入られそうにないですね。ゴメン、僕のせいで……」
「いつかはこうなったと思うです。アレンが気にすることじゃないのですよ」
「でも……」
「でもも何もないのです。姉様がそうしたいと思ってこの結末を望んだのですから、ユノは何も言わないのです」
ユノはタオルを絞り、淡々とアレンの嘆きを否定する。そのままごそごそと何かをいじり、未だうつむいているアレンの方に咎めるような目を向けた。
「……そんな顔してるくらいなら、さっさとこっちを手伝うですよ」
「う…、わ、分かっーーー」
叱咤されたアレンが、情けない顔のままユノの元に近づく。落ち込んでいる暇があるなら何かをやってみろと言われているようで、思い気分のまま少女たちの方へ向かった。
が、いそいそとシェリーの服を脱がせているユノの姿を見て、アレンのさっきまでの後悔は跡形もなく吹き飛んでしまった。
「わーっ⁉︎ 何やってるんですかユノぉ⁉︎」
もろにシェリーの肌を見てしまったアレンは慌てて目を右手で覆い、後ずさってシェリーとユノから離れる。しかし一度目にした女性の裸は脳内からなかなか消えず、アレンの顔はすぐに真っ赤に染まっていった。
ユノはそんな姿に不思議そうに首を傾げ、ついで理解して呆れたようにため息をついた。
「? 体を拭くのに服は邪魔なのです。何を慌てているですか、アレンのえっち」
「そ……それはわかるけど、一言いってくださいよ‼︎」
言われてみればその通りだ。が、女性の体を見慣れていない若いアレンにとってはシェリーの裸は目に毒だ。無数の銃痕が刻まれた痛々しい姿とはいえ、大きく膨らんだ胸も細く引き締まった腰も、青年には真っ向から目にする度胸はない。
「いいから手伝うですよ。……多分もう、気にする余裕はなくなるです」
「け、けど………………え?」
ユノの一言に、見ねば手当もできないと覚悟を決めたアレンがようやく手を退けて目を開く。そして、それまでの恥ずかしさも忘れて、大きく目を見開いた。
ボロボロになったシェリーの衣服、ほとんど意味をなさなくなったそれを剥がすことであらわになった、シェリーの胸元。豊かに膨らんだ乳房の間の、深い谷間の上。
そこには、宝石が埋め込まれていた。黄色か金色の中間のような、不思議な色合いを放つ見たこともない楕円形の宝玉が、心臓の鼓動のようにゆっくりと点滅している。なぜかアレンの左腕の甲が熱く感じた。
目を奪ったのは、それだけではなかった。脈動する宝玉の光がシェリーの体に走ると、流れていた血がみるみるうちに止まり、無残に穿たれていた傷跡が徐々に塞がれていったのだ。ユノが血を拭うと、僅かな跡だけを残して傷跡は皆消えていってしまった。
まるで時間が早送りにされているような不可思議な現象に、アレンは言葉を失って立ち尽くす。そんな彼に、ユノは淡々と告げる。
「……これが、姉様の持つ
ユノが告げた衝撃の真実。アレンは驚愕しながらも、どこかで納得している自分に気づいていた。
「……やっぱり、シェリーさんもエクソシストだったんですね」
「……生まれたときから持っていたそうなのです。そのせいで、親にさえ気味悪がられたとか、……その辛さは、アレンにもきっとわかるです」
ユノの言葉に、アレンは驚きながらも頷く。
なぜユノが知っているかなど今更だ。
「…って、ちょっと待って。イノセンスの能力が再生なら、それって」
「はい……、このイノセンスが与えるのは再生能力だけ。戦う力をくれるわけではないのです。……イノセンスが姉様の体にある限り、どんな傷を負おうとも、血を流そうとも、決して死ぬことはないのです」
まるで呪いだ、とアレンは眠り続けるシェリーを見ながら思った。
戦う力がない少女に宿った力は、本来戦士を永久に戦わせるためのものだったのだろう。いかなる敵を相手にしようとも、いかなる傷を負おうとも、決して倒れさせない不屈の戦士へと変えるための力だったのだろう。
だが、神は与える相手を間違えた。優しい少女に宿ったそれは、戦うすべのない少女を戦場へと縛り付ける枷となった。あまりにも残酷な話に、アレンは返す言葉がなかった。
「……じゃあ、あの力は」
「……それを語るには、もう少し時間がいるです。聞くですか?」
「……うん、聞かせて」
ユノの悲痛な表情から、相当な道を二人して歩んできたのだろう。言葉にするだけで嫌悪感がするほど、嫌な思い出が蘇るはずだ。
アレンに聞く資格はないのかもしれない。だが、アレンはどうしてもシェリーたちの悲しみも苦しみも、ともに背負いたいと思っていた。
そんな思いを感じたのか、ユノは観念したようにアレンに向き直り、その目をじっと見つめ返して口を開いた。
「ユノは、本当は……ここに来る前から姉様のことを知っていたです。……同じところに、いたから」
「え……」
思わぬユノの告白に、アレンはユノを凝視する。
「……姉様とユノは、ある研究所でずっと実験材料にされていたです。何がしたいのかはよくわからなかったけど、血を取られたり頭に何かの装置をつけられたり、とにかくいろんなことをされたです。他にも、ユノたちと同じように、どこかから連れてこられた子供達がたくさんいたですよ」
当時のことを思い出しているのか、どこか青ざめた表情でユノが語る。カタカタと肩を震わせ、ぎゅっと自らの体を抱きしめたユノの様子から、ろくな環境ではなかったことが見て取れた。
「そのうち、合格者って呼ばれてた何人かは研究所の人たちに連れられて、別の部屋に移っていって……それから、二度と戻ってこなかったです。帰ってきたのは……姉様だけだったです」
アレンはじっと黙ったまま、震えながら語り続けるユノを見つめる。目を合わせることはなかったが、アレンは決して真剣に告白するユノから目を離さなかった。
「その姉様も、行く前はすごく元気だったのに、戻ってきたときには見るのも辛いくらい弱っていて、すぐにでも死んじゃいそうなほどだったです。そして、すごく怖がってたです」
触れるだけで、過剰に怯えるほど。
そう語るユノの表情も、見ているこちらが辛くなるほど悲痛な表情をしている。
「そのあとは、ある意味幸運なことに、研究所にアンノウンが襲ってきたのです。その時の混乱に乗じてユノたちは逃げたです。そして二人でさまよっているうちに、ここにたどり着いてマザーに助けてもらったです」
不幸中の幸いというやつだろうか。今でこそ敵対している異形の手によって、邪な大人たちの魔の手から逃れて自由を手にしているのだから、皮肉なことにも思えた。
「……姉様はずっと怯えていたです。ユノが何を言っても怖がって、ご飯もまともに食べられないくらいに」
「……あの、シェリーさんが」
「時間はかかったけど、マザーのおかげでやっと元気になってきたです。……その頃です。姉様があの力に目覚めたのは」
研究所での検査が覚醒を促したのか、それともアンノウンの襲撃による恐怖が原因か。とにかく生まれたときから眠っていた力が、事件によって強制的に目覚めさせられたのだった。
「正確には、ユノも姉様も人間ではないのです。未知の力を得て、“進化”した存在なのです」
アレンはユノを見つめる。見た目は変わらない同じ人間である、だがその能力は確かに人智を超えたものだ。
「ユノたちが普通と違うと知ったのは、研究所にいたからなのです。ユノは見たこともない景色を見たり、すぐ最近に起こることがわかったり、いろんなことが見えたです」
「予知能力、だね」
「はいなのです。……そして姉様は、肉体を変質させる力をーーーあいつらはギルスって呼んでたです」
アレンはようやく合点がいった。あの翠の怪人の力はシェリーが元から有していた力、再生能力はイノセンスが与えていたもので、二つが合わさって不死身の怪人“ジャック・ザ・リッパー”が生まれたというわけだ。
以前から感じていたイノセンスの疼きは、シェリーの再生能力を司っている宝玉に反応していたのか、とアレンはようやく気づいた。
「研究所から逃げた後は、姉様はギルスの力を、自分の巣を守るために使ったです。まだ制御もできてなかった頃、ホームに侵入しようとした泥棒を追い払ったり、野犬を追い払ったり、決して、人を傷つけたりはしなかったのです」
姉の痛みを追体験するように、苦痛の表情でユノが語る。自分の帰るべき場所を守るため、少女は自ら怪物となったのだ。それほどの覚悟と決意を、アレンは想像だにできなかった。
「……じゃあ、どうして殺人鬼なんて呼ばれるように」
「…………」
アレンの問いに、ユノはすぐには答えなかった。しかしその顔に浮かんでいる感情は、姉の苦しみを悲しむものではなく、何かを嫌悪し憎むかのような、刺々しいものだった。
「……実はユノたちは、ずっと監視されてたです」
彼女はずっと、守るために戦い続けていたのだ。
◆ ◇ ◆
資料を手に、セレナはトラッシュに語り始めた。
「犠牲になった人の身元を調べてみると、ある共通点が見つかったの。どの人も年齢とかはバラバラなんだけど、全員がある場所で働いていたことがわかったわ。……あの女がいた研究所よ」
「!」
トラッシュが驚愕しながら、どこか納得したような表情を見せると、セレナはその通りだと言わんばかりに深く頷いた。
「その研究所はね、特殊な能力……超能力とか予知能力とか、そう言った特別な力を持った子供を無理矢理“保護”して、さらなる能力の開花を求めていたらしいの。……非合法でね」
非合法、という言葉に思わず力がこもる。保護という名目で親元から引き剥がされ、知らない場所に閉じ込められて、大人たちに得体もしれないことをされる。なんという外道だろうか。
「アンノウンの襲撃で研究所は壊滅。摘発しようにも証拠不十分で見送り。全員無罪放免で誰一人捕まっていなかったわ」
セレナも同じ気持ちなのだろう、嫌悪感を隠そうともしない表情で、虚空を見つめている。
「そんな場所にいた者が、偶然この街に訪れて、偶然殺人鬼の餌食になって、偶然その研究所の科学者がデータを盗みに来て、元の同僚を殺した殺人鬼を殺そうとして……偶然の一言で片付けられるかしら?」
セレナの言葉に、トラッシュはとっさに答えられなかった。偶然だと言ってしまえばそれでおしまいだが、どう考えてもそれで片付けてしまうにはできすぎている。
ジャックの被害者が全員、子供に非道を行なっていた研究所の人間、そして人間に害をなしていた異形の集団。もしそれが確かなら、ジャックは現状罪なきものには決して手を出していないということになる。警察や世間の評価をひっくり返す情報であった。
戦慄の表情を浮かべるトラッシュに、セレナは真剣な表情ではっきりと言い放つ。同僚たちを、守るべき人々をある意味で敵に回すような一言を。
「……“彼女”は、殺人鬼なんかじゃない」