「いやっ‼︎ 離すです‼︎」
廃墟の外に出たシェリーとアレンがまず目にしたのは、屈強な男に取り押さえられるユノの姿。頭巾を剥ぎ取られ、手首を乱暴に掴まれた彼女の目尻には涙が滲んでいた。
そこには他にも数人の黒服の男たちがいて、外に出て来たアレンたちの顔を見て何かを確認していた。
いたいけな少女に乱暴を行う外道に、アレンとシェリーは険しい表情で男たちを睨みつける。
「ユノっ‼︎」
「……何が目的かは知りませんが、その子を離してください」
殺気を込めた目で告げるも、男たちが従う様子はない。敵の目的はわからないが害意があると察したシェリーは、痛い目に合わせようと構えを取る。
「従わないのなら、体に教えてあげましょうか……?」
「それは困るわね」
不意に聞こえた、声。
それは、異形の力を纏おうとしていたシェリーを硬直させる力を持っていた。
「その子は、私の今後の研究に絶対に必要なものなの。あなたにどうこうされるわけにはいかないのよね」
「…………⁉︎」
男たちを脇にどかせ、現れた一人の女が不遜な態度でそう告げる。
「シェリーさん……⁉︎」
「ーーーあ、あ、あぁ、あ、あ、あ……‼︎」
マリエを前にしたシェリーが、小刻みに体を震わせながら顔を青く染める。目の焦点は外れ、虹彩は光を失って虚ろになっていく。
これまで異形を狩り続けていた修道女は、たった一人の人間を前にしてほとんどの戦意を失ってしまっていた。
怯えて動けずにいるシェリーに気づいたマリエは、ニヤリとどこか底冷えする笑みを浮かべてじっと凝視する。その視線の冷たさといえば、アレンすらも凍りつかせるほどだった。
「これはこれは……、逃げた魚を探しに来たら、もう一匹大物が戻ってくるなんて。運がいいですね」
マリエを前にして凍りつくシェリーに、軍服の男たちが徐々に近づいていく。男たちが一歩近づいていくたびに、青い顔でガタガタと震えているシェリーも一歩後ずさっていき、距離を取り続ける。
アレンはシェリーのその表情から、ユノを捉えている女性が何者なのか察し、怒りに自らも表情を変えた。
「……まさか、この人たちがシェリーさんたちに人体実験を行っていた……⁉︎」
シェリーとユノが受けたという、兵器を生み出すための狂気の実験。何人もの子供達を死に追いやった最悪の兵器開発の最高責任者だということか。恩人たちの仇ともいうべき存在に、ついアレンの拳にも力がこもる。
マリエはアレンの方には全く注意を向けることなく、ただシェリーだけを狂気じみた目で見つめ続ける。それは、狂った研究者が自分の買うモルモットを見下ろす目と大差ないもので、そばにいるアレンにとっても吐き気を催させるものだった。
「昨日見たときからまさかとは思っていたけど、こんなところで見つけるなんて。一体どうやって我々の捜査網をくぐり抜けたのかと思ったら、そういうことだったのね? 完全に騙されたわ」
「ねっ……姉様! 逃げるです! こいつらに捕まったら、また姉様はひどい目にあわされるです‼︎
怯えて固まっているシェリーを案じ、ユノは自分の身も顧みずに姉に懇願する。
シェリーはその声にはっと我に帰り、未だ青い顔ながらもきっと視線を鋭くしてマリエを睨みつけ、両拳に緑色の光を灯して身構える。
「……私の妹を、離していただけますか?」
「それは出来ない相談ですね。この子も、そしてあなたも、我々の所有物です。自由にする権利などどちらにもありはしないのですよ」
あくまで丁寧に、しかし傲慢にマリエはシェリーに言い放つ。人間に対していうセリフではない、そのまま人間以下の動物に向かって命令するような、冷たい無情な言葉だ。人間としての何か大切なものが欠落しているとしか思えないマリエに、シェリーは舌打ちして表情を歪ませる。
だがそのとき、男たちに拘束されていたユノが逃れようともがき、さらに悲痛に顔を歪める。
「アレン! 姉様を連れて逃げるです‼︎ お願いなのです‼︎」
「……それは無理だよ、ユノ」
顔を俯かせ、アレンは低い声で答える。
「……僕もシェリーさんも、君をこんな人たちに渡すつもりなんてないから」
低く答えながら、左腕の力を解放して鉤爪を出現させるアレン。
アレンにとって、敵は千年伯爵ただ一人。彼が従えるAKUMAはその被害者で、救うべき迷い子。イノセンスによって破壊し、魂を救済するべき者である。
世の中には“
だが、この者たちは違う。
「ダメなのです‼︎ 逃げるのです、姉様‼︎ アレン‼︎」
「…………黙らせなさい」
泣き叫ぶユノを鬱陶しそうに見下ろしたマリエが、吐き捨てるように軍服の男たちに命ずる。
それに応じた男は抱えたユノの首筋に酒盗を落とし、ユノの意識を刈り取る。少女は一瞬目を見開くとビクンと体を震わせ、声すら漏らすこともできずにガックリとうなだれた。
その様に、シェリーは言葉を失って目を見開く。
限界を超えた怒りが、彼女の中で燃え上がった。
「その子に触るなァァァァァァァァァァ‼︎」
世界で唯一の宝に手を出されたシェリーは、怒りの咆哮とともにその身に翠の甲殻を纏い、疾風へと変わった。
赤い瞳を爛々と輝かせ、両腕に鋭く尖った牙を生やして男たちに襲いかかる。峰打ちや手加減など考えない、最初から全力での斬撃が不届きものたちの首を狩るために振るわれる。
だがそれは、ガキン‼︎という甲高い音とともに止められ、シェリーの突進の勢いが完全に殺されてしまった。
目を見開いたシェリーの顔面が黒い籠手に掴まれ、凄まじい力で振り回され、そのまま投げ飛ばされる。シェリーはかろうじて態勢を立て直し、地面を滑りながらアレンの下まで後退する。だがやはり昼間の負傷が響いているのか、がくりと膝をついてしまった。
「…アレは」
「ヴァァアア……‼︎」
忌々しげに顔を上げれば、マリエと男たちを守るように立ちはだかる黒い機械の守護兵・G4の姿があった。
超人の力を誇るシェリーとアレンをやすやすとねじ伏せた戦士が投入されていることに、アレンの背筋に冷や汗が伝った。まともに戦っては、確実に勝ち目はなかった。
G4はホルスターから拳銃を引き抜くと、障害であるアレンとシェリーに銃口を向けて狙いを定める。かの戦士の射撃の精度であれば、食らえば一撃で戦闘不能にされるであろう。
「男の方はいいけど、もう一人は殺しちゃダメよ? 大事なサンプルなんだから」
「…………」
G4の陰に隠れたまま、マリエはG4に追加の注文をつける。自分の作った兵器の性能を確信しているのか、それともアレンたちを甘く見ているのか、少なくとも図らずにアレンたちの怒りを煽り、冷静さを失わせるには十分だった。
戦闘はG4に任せ、マリエと男たちはすぐに背を向け、ユノを抱えて走り出した。彼らの向かう方には、昼に見た黒塗りのトラックが停止している。
「逃がさないっ……‼︎」
「ヴァアアアアアア‼︎」
吠えたアレンとシェリーが、同時にG4に向かって走り出した。それぞれの得物を研ぎ澄ませ、黒き兵器を突破するために刃を振るう。二人の目は、G4の感情の見えない赤眼に向けられていた。
G4は銃の引き金を引き、接近してくる二人に銃弾を放つ。一瞬の思考の中で、アレンには致命傷となる一発を、シェリーには足を撃ち抜く程度の加減した一発を放ち、命令通りに捕獲を図った。
だが放った銃弾はアレンとシェリーが左右に分かれたために外れ、石畳を砕く程度に終わる。左右を入れ替わるようにして、二人は何度も位置を替えG4を翻弄する。
それだけでは終わらず、アレンは壁伝いにG4を飛び越え、反対にシェリーは真っ直ぐにG4に襲いかかった。
ここでG4に初めて、一瞬だが迷いが生じた。
アレンはシェリーに比べて戦闘能力は一段階低いが、異形の左腕の防御力が高く銃弾程度では止まらない。逆にシェリーは防御が低い分機動力に優れ、簡単には銃弾を喰らわない。
アレンには射殺許可があるが、シェリーやユノを撃つわけにはいかない。仮にアレンを背後から撃てば、ユノやマリエに当たる可能性もある。かといってシェリーを先に対処すれば、ユノを奪還されるかもしれない。
どちらの命令を優先すべきか、同時に二つの動作を行わなければならないという、人間として当たり前の躊躇に一瞬の隙が生まれる。その好機に、シェリーが凶刃を首に向けて振るう。
だが、そんな一瞬の油断をものともしない性能の差が、両者にはあった。
「ガッ⁉︎」
「ヴァッ⁉︎」
驚愕の声が、アレンとシェリーから同時に漏れる。
G4の片腕はシェリーの首を掴み、もう片方はアレンに向けて銃の引き金を引き、同時に静止させていた。背中を撃たれたアレンは悶絶し、シェリーは頚動脈を決められて意識が薄くなる。
背後の様子が気になったのか振り向いていたマリエが、難なく止められているアレンたちを見てせせら笑った。
「ああ、言っておくけど、G4システムはただの鎧ではないのよ。人工知能によって常に戦略を構築して、任務完了まで正確に使用者に操作させるの」
どさりと倒れふすアレンに嘲笑を向け、気分が乗ってきたのか聞かれてもいないことを語り始めた。
「これからはね、人が武器を使うんじゃないの。武器が人を使うのよ。あなたのような時代遅れの戦い方をする人たちは、一生G4には勝てないわ」
研究所からユノとともに姿を消し、今まで散々邪魔をしていたシェリーがなすすべなく囚われている姿に、マリエは徐々に愉悦じみた笑みを浮かべ始めた。もっと苦しんでいる顔を見たかったのか、首を掴まれてもがいているシェリーの元に歩み寄って行く。
「でもG4はまだ未完成。これでもまだ人工知能の計算には無駄が多くて、G4のフルスペックを出せていないの。……でも、あなたたちがいればそれももう終わり」
ピクリとも動かないアレンを踏み越え、赤い瞳をG4越しに覗き込む。徐々に動きが鈍くなっていくシェリーに、満足そうに表情を醜く歪めた。
「強大な予知の力をシステムに組み込んで、より完全なシステムを構築する‼︎ 完成すればG4は何者にも倒されない究極の兵器へと進化するのよ‼︎ あははははは‼︎」
ついには哄笑まで上げるマリエ。もはや猫をかぶる気はないようで、狂った科学者の本性をさらけ出している。ユノを連れた部下の男たちは完全に引きつっているが、G4はやはりなんの反応も見せなかった。
「…………そんな、ことの」
笑い続けていたマリエの声が、聞こえた声に反応して中断する。
「そんなことのために……ユノを……シェリーさんを…………‼︎」
受けた銃弾は致命傷のはず、昼間の傷も完治していないはずですでに満身創痍のなのに、なおも立ち上がろうとしている青年の姿に、マリエの表情が不機嫌そうにしかめられる。
「絶対に……二人は渡さない……‼︎」
「……あんた、鬱陶しいわね」
煩わしそうに溢れた声に、G4が応じて銃口を向ける。それを見たシェリーがさらに激しくもがくが、それは自分の首を文字通り締める行為で、余計に苦痛が募っていく。
「ヴァアアア‼︎ ヴァアアアアア‼︎」
「じゃあね。ーーー正義の味方気取りの、おバカさん」
アレンの心さえも嘲笑う、マリエの底冷えさせるような笑顔。
冷酷なマリエの命に従い、G4が拳銃の引き金に力を込める。僅かな抵抗ののちに、標的となってしまった哀れな青年の頭蓋は砕かれ、赤い血飛沫が宙に広がる。
はずだった。
「ーーー⁉︎」
ブシュゥッ、と音を立ててG4の装甲に亀裂が走り、血飛沫が生じる。拳銃を持つ腕とシェリーを拘束する腕、両方が同時に切り裂かれ、一瞬ではあるが力が抜けた。
その一瞬の間に、G4の脇腹に凄まじい衝撃が走った。全く予想もしない方向からの攻撃に、人工知能すらも反応できず重い巨体は宙へと跳ね飛ばされていた。
自身の状況すらも理解できずにいるG4は、反撃する間も無く地面を跳ね、廃墟の壁に激突して沈黙する。
解放されたシェリーは、ふらふらと体を揺らしながらギラリと赤い目を輝かせる。
同時に、彼女の胸の中心が見覚えのある光を放った。
「ヴァアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎」
咆哮を上げたシェリーの肉体が、金色の光に包まれながら変貌していく。胸には交差するように赤い触手が巻かれ、メキメキと筋肉が隆起し始める。腕や肩、肘や手首からは鋭い刃が生え、胸の中心には金に輝く宝玉が露出する。
赤い触手と鋭い刃、爛々と輝く胸の宝石を携え、さらなる異形へと“進化”したシェリーが、狂ったように辺りに刃を振り回す。制御が完全ではないのか、それらはほとんど何も関係がない場所へと突き刺さっていた。
「な……何、なんなのよ⁉︎」
突如標的の異形が膂力を引き上げ、自慢の兵器が最も簡単に吹き飛ばされたことが信じられないのか、マリエは困惑と狼狽の表情でヒステリックに叫ぶ。
G4は許容範囲以上の衝撃を受けたためか、激突した壁にもたれたままピクリとも動かない。
襲い来る触手の牙を避けながら、男の一人がマリエのそばに駆け寄った。
「主任…ひとまず、サンプルの少女だけを連れて行きましょう。ここは危険です」
「な、何を言って……⁉︎」
逃亡が気に入らないのか、進言する男に不満げな顔を見せるマリエ。自尊心と傲慢さが、一瞬だけ彼女を正気に戻していた。
だが、今もなお暴れ続けるシェリーの眼光を真っ向から受け、その気力も再び一瞬で失せた。
「ヴァアアアアア‼︎」
「ヒッ……! わ、わかった! わかったわよ‼︎」
シェリーの気圧されたまりえは悲鳴を漏らし、よたよたとおぼつかない足取りで立ち上がると、男たちの方を借りてトラックの方にまで逃げ出していく。倒れ伏したG4を回収すると、男たちは荷台に乗り込んで運転席の仲間に合図を送った。
「撤収‼︎」
先ほどまで優位に立っていた者たちは、打って変わって怯えた表情でシェリーから視線を逸らし、脇目も振らずに逃げ出していく。呆れるほどの素早さだった。
シェリーは追跡しようとするが、それが限界だったのかその場でがくりと膝をついてしまう。鋭い刃がボロボロと崩れ、すぐに元のギルスの姿へと戻った。
黒塗りのトラックが排気ガスだけを残して走り去って行くと、その場にはアレンとシェリー、そして深く刻まれた戦闘の後と吹き抜ける風の音だけが残されていた。
「……あの力は、一体……?」
呆然としていたアレンが、つぶやきをこぼす。
シェリーの胸で輝いていた金色の光、あれは確かに彼女の持つイノセンスの光であった。治癒力を異常に高める力を持つ宝玉のはずだが、もしやそれだけではなかったのだろうか。
だがそれを確かめる暇もなく、シェリーはぐらりと体を傾けさせ、力なく倒れ伏した。
「シェリーさん!」
アレンは慌てて痛む身体に叱咤し、伏したシェリーを抱き起す。顔色はすでに青白く、呼吸も荒い。昼間よりも命の危機にあるように見えた。
そんな瀕死の姿でありながら、シェリーはトラックが消えた方を睨みつけ、傷ついた手を伸ばしていた。
「……ユ、ノ」
伸ばされた手は虚しく虚空をかき、やがて糸が切れたようにパタリと落とされた。
無数の銃痕が刻まれた廃墟街は、先ほどまで激闘があったとは思えないほど静まり返っていた。