「ヒヒッ……なんなのよコレ……?」
マリエ・レゾンは目前のモニターを凝視しながら、壊れた笑い声をこぼした。
画面に映っているのは、大の字になって倒れ伏す青い機械の戦士と、同じくうつ伏せに倒れる黒き機械の戦士。自分の人生の全てを捧げた最強の兵器が、沈黙していた。
「G4に勝てるわけがないじゃない……なのに、なんなのよコレはぁぁぁぁ⁉︎」
理解が追いつかない事態に、慄いている他の研究者たちの目も気にすることなく絶叫する。彼女の周囲には、大きな空間が空いていた。
「設計は完璧だった‼︎ 作戦も完全だった‼︎ 何もおかしいことはなかった‼︎ なのになんでG4が負けるのよ⁉︎ 何が違ったのよ⁉︎」
ガリガリと頭をかきむしり、ヒステリックな悲鳴を上げ続け、血走った目をモニターに向けるマリエ。数分前までの美貌はどこにもなく、化けの皮が剥がれたように醜い貌を晒してしまっている。ついには頭皮に突き立てられた爪が皮膚を引き裂き、だらだらと流れ出す血が顔を汚してより恐ろしい顔を見せていった。
そんな声が、ピタリと止んだ。
血の滴る両手をだらんと下げ、ゆっくりとマリエは背後に振り返る。視線の先にいた同業者たちは傍に寄り、被害を恐れて離れて行った。
「ヒヒッ……そうよね……アンタのせいよね? アンタが欠陥品だったから、私の計算に狂いが生じたのよね?」
「…………」
マリエが原因として目をつけたのは、磔にされた小さな少女。装置に力を全て吸い尽くされ、息も絶え絶えに瀕死の体を見せているユノだった。
虚ろな目で虚空を見つめているユノは何も答えず、いや何も答えられず、何か小さな声でブツブツと呟いている。
今にも死にそうな少女に、意にも介されていないと感じたマリエは鬼のような形相で目を吊り上げ、ぎりっと歯を食いしばった。
「なんとか言いなさいよ⁉︎」
バシン‼︎ とマリエの手がユノの頬を打ち、ユノの体が大きく揺さぶられる。マリエはそれだけでは満足せず、磔にされて動けないユノに何度も何度も頬を叩いた。
「全部お前のせいだ‼︎ 全部全部お前の‼︎ お前の‼︎」
「ぐっ……ひぐっ……ぇさま………ねぇさま……」
ユノは右へ左へ揺さぶられ続け、頬が真っ赤になっても打たれ続けた。だが、ユノはその苦痛に悲鳴ひとつあげなかった。
今にも心臓が止まりそうなほど苦しく辛いのに、理不尽な痛みを与えられているユノは薄れゆく意識の中で姉の顔を思い浮かべていた。自分の苦しみよりも、ユノにとってはシェリーの無事の方が意識が向いていた。
打ち疲れたマリエが荒い呼吸のままユノを睨み、なおも続けようともう一度手を振り上げた。
その時だった。
「ぎゃあああああああああああ‼︎」
研究員の一人が、甲高く響く断末魔の悲鳴をあげた。一瞬思考が冷えたマリエは、悲鳴が聞こえた方にあった光景に目を見開いた。
いつのまにか、壁に大きな穴を開けたアントロードの大群がわらわらと這い出し、研究員たちに次々に襲いかかり始めたのだ。戦う術などない研究員たちはなすすべなく倒れ、惨たらしく手足の先から貪り喰われていった。
「ヒッ……‼︎ いやぁああ⁉︎ たっ……助けて‼︎ ヒィイイ‼︎」
ハッと気づいたマリエは慌てて逃げ出そうとするも、床に張り巡らされていた機材の管に足を取られ、大きな音を立てて転倒する。
音に気づいたアントロードたちは矛先を変え、膝をついて唸っているマリエに近づいていった。
気付いたマリエが這いながら距離を取ろうとするも、それより早く接近した一体がマリエの脚を掴み、思い切り齧りついた。盛大に血が噴き出し、激痛がマリエの動きを止めた。
「ヒィィァァ……た、たすけて。助けてよ‼︎ お願いぃぃぃ‼︎」
必死に助けを求めて泣きじゃくるが、いるのは黒い化け物ばかりだ。唯一対抗できる最高傑作は、上の入口付近で全エネルギーを使い果たしてガラクタと化している。使い捨ての兵器は、ストックがなくなって仕舞えばなんの役にも立たなかった
そんな時、室内の隅の暗闇の中に白い影を見つけた。丸い大きな人影が、涙だでボロボロになっているマリエではなくアントロードの大群を見つめて笑みを浮かべていた。
「た……助けて……お願……なんでもする、だから……」
最後の希望のように縋り付こうと、マリエは人影に向かって手を伸ばす。どこの何者かはわからないが、助けてくれるなら悪魔であっても構わなかった、だが。
「……ハー、これはものの見事に暴れてくれましたネ♡ 人間は見事に全滅、おかげでAKUMAを作る材料もまとめてパー♡ 全く腹立たしいことデスネ♡」
シルクハットの異形はそう言い、人間を貪っているアンノウンたちを忌々しそうに見やり、深いため息をつく。傘をくるくると回し、ついでトンッと先端を地面に打ち付けた。
「もうここには用はありません♡ 材料の揃わない土地などポイデス♡」
「何言ってんのよ⁉︎ いいから助けっ……アガッーーー」
生き汚く罵り続けていたマリエの声が不自然に途切れる。首に食いついたアンノウンの一体が動脈を食いちぎったかと思うと、白目を向いたマリエに次々に他の怪物たちも群がっていく。未だマリエは声を漏らしていたが、それもやがてか細くなってブチブチと肉の裂ける音にかき消されていく。
その様を、異形ーーー千年伯爵は黙って眺める。心なしか、表情の変わらないその顔にうんざりしたような雰囲気を漂わせ、大きな大きなため息を漏らした。
「さっきからうるさいんデスよ人間が♡ デスが……やっと静かになりましたネ♡」
人間一人がどんな死に方をしようが彼にはさしたる興味はない。所詮自分が滅ぼすのだから。
すると、あらかた獲物を食い尽くしたアントロードたちは新たに現れた獲物ーーー伯爵に目をつけ出した。ギチギチと牙を鳴らし、絞り尽くされたユノに目もくれずにゆっくりと伯爵に近づいていった。
「うるさいのはお前たちもデスよ畜生共」
伯爵がそう呟くのと同時に、再びとんと愛用の傘が地面に突き立てられる。
その直後、一斉に伯爵に襲いかかったアンノウンたちが、一瞬にして細切れにされたかと思うと不可思議な力で塵へと変わり、不自然な風でまとめて吹き飛ばされていった。
聞こえていた咆哮すら余韻さえ残すことなく途切れ、あたりは不気味なほど静まり返った。すべての音が消えたかのような異常な空間で、千年伯爵はくいっとシルクハットのつばを引っ張り、闇の中で目を光らせる。
「あーあ、暇つぶしにもなりはしませんでしたネ♡」
そうこぼした伯爵の姿が、うっすらと消えていく。
現れた時と同じようにものの数秒で、彼は最初からいなかったかのようにその場から影も形もなくなってしまった。
「ーーーユノ‼︎」
誰もいなくなって研究室の扉を鉤爪で破り、アレンが侵入した。なぜかこの周りのアントロードがいなくなっていて、突入するのは容易だった。
暗い研究室を見渡し、目をこらすとようやく磔にされたユノの姿を発見する。すぐに拘束を破壊し、ぐったりとしたユノを抱きかかえて装置から離れた。
「ユノ、ああよかった。大丈夫、今安全なところへ連れて行ってーーー」
ユノの顔を覗き込んだアレンの声が、途中で途切れた。
通路の僅かな明かりに照らされた中に見えるユノの顔色、そして今にも消えそうな細い呼吸に、アレンの表情が絶望に染まっていった。
ーーーこれは、もう……。
遅かった、なにもかも。
なんのために連れていかれたのか、機械に詳しくないアレンにはそれはわからなかったが、ユノに相当な負担を強いるものであったことは確かだった。その結果、ユノの命はあとわずか保たないであろうほど削られてしまっていた。
もっと早くたどり着いていれば、もっと早く助けに来ていれば、こんなことにはならなかったのではないのか。そんな思いが次々にアレンの脳裏によぎり、アレンに途方も無い後悔と無力感を刻み込んだ。
「……姉、様」
唇を噛んで嘆くアレンの耳に、掠れた声が届いた。ハッとなって見下ろせば、虚空を見上げるユノが必死に手を伸ばしている。もう視覚もまともに働いていないのか、明らかに焦点があっていなかった。
「姉様……頑張る、です……」
「ユノ……、君は、こんなになってまで……」
少女は願っていた。
必死で自分を取り繕って、人に弱みを見せずに戦い続けていた姉が、自由になることを。自分というしがらみから逃れて、過去の影にとらわれることもなく、誰でもない自分のために生きてくれることを。
もう十分だ。私は幸せだ。
もう十分、幸せをもらった。
だから、その拳は他の誰かじゃない、自分のために振るってほしい。自分のために、戦ってほしい。だから。
「負けないで……………………姉様ッ‼︎」
あとはもう、あなたが一歩を踏み出すだけなのだ。
そんな少女の願いは、遠く離れた場所で戦う姉の元へ届き、力へと変わった。
◆ ◇ ◆
声が、聞こえた気がした。
囚われていたあの子が、苦しんでいたあの子が、自分を案じてはなった声が。
「ぐ……うぅ……!」
どんなに辛かっただろう、どんなに怖かっただろう。誰の助けもこない中、ずっと一人でどんなに苦しかっただろう。
首を抑える鎌を掴む手に、力が篭る。ギシギシと耳障りな音が鳴り始め、刃が徐々に押し返されていく。クイーンアントロードは目を見張り、急激に力を上げ始めたシェリーを凝視した。
「ああああああああああああ‼︎」
自身の体から迸る力を、シェリーは雄叫びとともに弾けさせる。
溢れ出た金色の力がクイーンアントロードに突き刺さり、鎌の刃を粉砕して吹き飛ばす。巨体が軽々と宙に浮き、弾丸のごとき勢いで壁に激突させた。
「ハーッ……ハーッ……‼︎」
肩を怒らせ、呼吸を荒くし、シェリーはクイーンアントロードを鋭く睨みつける。砕けた背後の壁の穴から、朝の陽光が徐々に姿を見せ始め、シェリーの背中を照らし出した。
「……進化は、止まらない」
すると胸の宝玉が光を強め、周囲に溢れ出る金色の力が渦を巻き、シェリーの体に徐々に融合し始めた。
「人が前へと進む意志を失わない限りーーー魂は、その思いに応える」
シェリーはこれまで、自身のイノセンスの能力を異常なまでの再生能力だと勘違いしていた。
しかしそれは、大きな間違い。再生能力は所詮、イノセンスの能力の一端でしかなかったのだ。
シェリーの持つ寄生型イノセンス〝
ユノの願いが、シェリーに宿った神の力を目覚めさせ。
そして
ーーー臨界点突破、
ゴウ、と突如発生した赤い炎が渦を巻き、夜明け前の暗い世界を真昼のように照らし出す。
その身を焦がす熱さながらも、柔らかく包み込む暖かさも含んだ光はまさに、あらゆる命を育む太陽と限りなく同じもの。全ての命の頂点に立つ、神に近い存在の力。
太陽そのものと言える熱と光の中で、シェリーの纏う武装が形を変えていく。炎を纏う鎧に罅が入り、パキンと砕けて弾け飛ぶ。胸と四肢の鎧は銀に、肩は紅色に、そして仮面は6本に展開して真紅に染まる。ベルトには三つの爪のような装飾が逆三角形の形に装着され、中央の宝玉は青い光を放つ。
太陽の輝きを背負い、シェリーの赤い眼光がアントロードの女王を射抜いた。
クイーンアントロードはその熱に圧され、欠けた大鎌を構えたまま後ずさる。顔の表情こそ読み取れないものの、その様子はシェリーの力に怯えているようにも見えた。
煌々と瞳を輝かせるシェリーは右腕と右脚を前方に、左腕は腰に回して、腰を徐々に低く落としていく。動作に呼応してか、周囲に荒れ狂っていた炎が収束し、シェリーの背後と目前に巨大なアギトの紋章を表し始めた。
「シャアアアアアアアア‼︎」
欠けた大鎌を振るい、クイーンアントロードがシェリーに再び襲いかかる。ここで仕留めなければこの存在は脅威となる、そんな不退転の覚悟を背負ったように、アントロードは咆哮とともに刃を振るう。
だが、もはやそんな抵抗などなんの意味も持たなかった。
「ハァァァァァァァァ‼︎」
アギトの紋章を背負ったシェリーが、スカートを翻しながら高く跳躍し、クイーンアントロードに向けて蹴りを放ったのだ。
背後の紋章が翼のようにシェリーの背中で輝き、シェリーの爪先が前方の紋章を貫いて力を纏う。光を纏った右脚が宙を裂き、一線の矢となってアントロードの王に食らいつく。
ドッ‼︎とシェリーの蹴撃がクイーンアントロードの胸に突き刺さり、突進を強制的に跳ね返す。その一撃の衝撃は施設をも揺らし、轟音が辺りにこだました。
たたらを踏んで後ずさるクイーンアントロードを踏んで、シェリーはくるりと宙返りして着地する。スカートを翻してクイーンアントロードに背を向けると、シェリーは髪をかきあげて歩き始めた。
「オオオオオオ……‼︎」
クイーンアントロードの断末魔の叫びにも振り返ることなく、しかし小さく口を開いた。
「……闇に抱かれて、眠りなさい」
人に害なす異形に向けた、修道女の最後の祈り。
それを受けたアントロードの王は、頭上に天使の輪を発現させるとがくりと項垂れ、やがて激しい炎と共に吹き飛んだ。
髪を嬲る爆風を受けながら、シェリーは振り返ることもなく歩き続けた。これまで彼らを相手にしてきた時と、同じように。