アレンは俯いたまま、一人の少女を抱えて施設の入り口で佇んでいた。何人もの警官たちが通り過ぎていくのを尻目に、腕の中にいる少女を優しく抱きしめ続けていた。
するとそこへ、修道女の姿に戻ったシェリーが姿を現した。アレンはハッと我に帰り、彼女の元へと駆け寄る。
シェリーはアレンに頷くと、彼の差し出した少女を代わって腕に抱え、きつく抱きしめる。わずかな微笑みと共に小さくアレンにつぶやくと、外へ向かって無言で歩き始めた。
アレンはくしゃっと表情を歪め、歩き去っていくシェリーに目を向けることもできずに歯を食いしばる。その姿が見えなくなってようやく、アレンは大きな声で哭き、拳を壁に叩きつけた。
シェリーが外に出ると、スーツを脱いだトラッシュとセレナが立っているのを見かけた。
彼らの前には膨らんだ大きな袋があり、他にも何人かの警官が黙祷を捧げている。それが一体誰のものなのかは知らなかったが、いまのシェリーにはなんの興味もわかなかった。
シェリーはただ一人少女を抱いて歩き続け、彼らの横を通り過ぎていく。気づいた警官の一人が引き止めようと前に出たが、シェリーの抱えた少女に気づいた他の警官に引き止められていた。
トラッシュとセレナはそんな彼女の背を見つめ、やがて静かに敬礼の姿勢をとった。ただ無言で霧の中に消えて行くシェリーの背中に、じっと敬意を払い続けていた。
「…………姉様、アレンは…………?」
林の中を歩いていた時、いつの間にか気がついたらしいユノがかすれた声で尋ねた。
「後でまた合流します。……あなたは、何も心配しなくて大丈夫よ」
心配させないように微笑みを浮かべ、シェリーはユノの小さな体を強く抱く。気のせいか少女の体は、以前に抱きしめた時よりも軽く、痩せているように感じた。
ユノは焦点の定まっていない目でシェリーを見上げ、少し悲しげに眉を寄せた。
「……さっきから、姉様の顔が、よく、見えないのです。もう少し、近くに…寄せてくださいなの、です」
「こうかしら……?」
言われた通りに顔を寄せつつも、シェリーは顔が触れないように気を配る。
そうしなければ、溢れる涙に気づかれてしまいそうだからだ。
「ユノは、もうダメ……みたいなのです。さっきから、体に力が入らないのです。さっきいっぱい……力を使ったからですかね」
「そんなことはありません……! 待っていて、安静にすれば、必ずよくなるから……‼︎」
必死になって、シェリーはユノを励ます。だが、それがただの気休めの励ましであることは明白だった。
やつれた顔に青白くカサカサに乾いた肌、目からは光が失われどこを見ているのかもわからない。ただ唯一、瞳の中にシェリーの姿だけが映り込んでいた。
だがそれでも、決して動揺を気取られまいと必死に表情を取り繕うシェリーに、ユノは小さく儚げな微笑みを見せた。
「……やっぱり姉様は、嘘が下手なのです。目から出てるこれは……なんなのですか……?」
「……ただの、汗よ。出所は目では……」
下手くそな嘘をこぼすと、ユノはまたかすれた笑い声を聞かせた。
もう、長くない。それをわかっている少女は、最後まで姉に気遣わせないと笑みを見せようとしていた。
「……姉様、ユノは見たのです。アレンの、未来を」
ユノの言葉に、シェリーは目を見開いて唇をかんだ。
この子はこんなになってでも、他の誰かを想っている。
「……姉様、アレンのそばに……いてあげて、欲しいのです」
シェリーは俯きながら、彼女の声を聞こうと漏れそうになる嗚咽を押し殺す。聞かなければ、守らなければ、きっと後悔すると、そう思って。
「アレンはこの先……とても辛い運命が……待っているのです」
「…………」
「姉様だけは……姉様だけは、アレンの、味方でいてあげて、ほしいのです」
「……ええ、わかっていますよ」
それは、シェリーにもわかっていた。出会った時から、彼のうちには得体のしれない何かがあることはわかっていた。
だがそれ以上に、世界を憎み、恐れている彼を放って置けないと思っていたのだ。言われずとも、そうするつもりだった。
「……でも、姉様も、無理したらダメです。今度は……アレンが、きっと泣くです」
「……ええ、泣かせません。そんな、みっともないところ、私も見たく、ありません」
「ちゃんと……ごはん、食べるですよ? 姉様、お金がない時はよく、私にだけ作って、我慢するですから」
「……ええ、よく、怒られましたね。わかりました。ちゃんと食べます」
「あと、ちゃんと寝るです。ずーっと、長いこと寝てないの、知ってるですよ?」
「……ええ、今度からは、ちゃんと寝ます。本当、です、よ」
耐えろ、堪えろ。そう思っているのに、シェリーの声にはどうしても嗚咽が混じってしまう。
すでに薄くなっていた少女の呼吸が徐々に薄れていく様に、修道女の鋼の心は限界を迎えていた。
ユノもそのことに気づいていて、先程からだんだんと小言を迷いながら口にしている。残り時間が少ないことを知っていて、できるだけたくさん話そうと焦っているようだった。
「……どう、しましょう。まだ、いっぱい、言いたいこと、あるのに……もう……眠い、ですね」
「……大丈夫、よ。私は、ちゃんと言われたこと守るから、ちゃんと、いうこと聞くから……だから、もう、大丈夫よ?」
「…………じゃあ、信じるです」
ユノはやっと、シェリーに笑みを見せた。
血の気を失い、目は光を失って虚ろになっているが、そこにあるのは絶望に染まった諦めの顔などではなく、姉が約束を守ってくれると期待して、安心しきった笑顔だった。
悔いはない、あるとすれば、この先を見守ることのできない悔しさだろうか。最後までこの少女は、誰かの事を思っていた。
震える手で、ユノは姉の頬に触れて優しく撫でる。不器用な手つきに、シェリーは涙で濡れた頬をゆっくりとこすりつけた。その感触を、決して忘れることがないように。
「……サヨナラです、私の……大好きな、姉……様」
その言葉を最後に、ユノの体から力が抜け、頬に触れていた手がパタリと落ちた。笑顔を浮かべた目尻から雫が一筋こぼれ、雨に混じって地面に落ちていく。
少女が声を発することは、もう二度となかった。
「ユノッ…………!」
ピクリとも動かなくなり、冷たくなっていく妹の体を抱きしめ、シェリーは振り絞るようにして名を呼ぶ。
自分よりも他の人の痛みを悲しみ、自分よりも他の人を思うことができた少女。誰よりも優しく、誰よりも強かった少女が今、逝ってしまった。
そんな少女に守られていたと気づいたのは、失ってからだった。ずっと自分一人が、異能の力を持った姉が家族を守り続けていたつもりでいた。汚れ役も厭うことなくこなし、ホームを守り抜いてきたつもりになっていた。
だが本当は、誰よりも弱くて怖がりな姉は、ずっと小さくて幼い妹に守られていたのだ。
本当の強さを知りながら、代償として大切なものを失った聖女は、ずっと妹の亡骸を抱きしめ続けていた。
頬を伝う涙を、隠しながら。
◆ ◇ ◆
「…………あなたには、何から何までお世話になりっぱなしでしたね」
教会に鍵をかけ、完全に閉じきったシェリーが門の前に佇んでいるアレンにそう言った。
教会は、他の者の手に委ねることになった。もともとギリギリの生活を続けていたシェリーには維持するだけの余裕はなく、この街にいる理由をなくした今未練は残っていなかった。
「いえ、それは僕のセリフです。僕にできたことなんて……」
「いいえ、あなたがきてくれなければ、私はまた大切なものを失っていました。何一つなすこともできず、無様に散っていたでしょう」
「……でも、ユノが」
「あの子は、きっとわかっていたのでしょう。自分の死期を。だからあんなにも必死になって、自分以外のだれかのために奮闘したんでしょう。……自分の生を、無駄にしないために」
力は、万能でも無尽蔵でもない。ユノのように未来や過去が見えたとしても、それを変えられるわけではない。きっと彼女には自分の死と姉の死、どちらかを選ぶ他に選択肢がなかったのだろう。優しい少女は、前者を選んで大好きな人を守る道を選んでしまった。
自分の命を代価に大切な人の未来を守った彼女は、この戦いでの唯一の勝者だったのだ。
「……やっぱり、教団へは行かないんですね」
無表情で教会の外観を眺めるシェリーに、アレンはシェリーの意思を悟る。なんとなくだったが、彼女はここで自分に別れを言うつもりである気がしたのだ。
その証拠に、アレンの傍には先日使っていた例の機械の二輪車が置かれ、一人分の荷物を背負って主人の乗車を待っている。アレンとともに行くつもりはないことの表れだ。
「あの子がいない今、私に戦う理由はありません。……かといって、あの子の後を追うような真似はするつもりはありません。ただ、今私に何ができるのか、今一度見つめ直してみようと思うんです」
シェリーは天を仰ぎ、珍しく雲一つない晴天を見上げる。天を舞う白い小さな鳥を目で追いかけ、クスリと微笑みを浮かべる。
「……では、私はこれで。あの男に愛想が尽きたら、いつでも私を探してください。多分、通じますから」
「はは……考えておきます」
もうこれ以上ともに過ごして失態を晒したくないとでも思ったのか、久々の毒舌とともに別れを告げる。
背を向けて二輪車の方へ歩み寄るも、ふと何かを思い至ったのか途中で足を止めると、振り返ってアレンの方へと駆け寄っていった。
「? シェリーさーーー」
ずんずんと近寄ってくるシェリーを訝しげに見つめていたアレンは、次の瞬間言葉を失った。
頬に両手を添えられ、顔を固定されたかと思うと、柔らかい感触が自分の唇に当てられたのだ。妙に近いシェリーの顔はわずかに赤く染まり、閉じられた目には涙が滲んでいる。
永遠にも感じられた数秒ののち、シェリーはアレンから離れ、微笑みとともに首を傾げた。
「…………さよなら、アレン様」
小さな声で告げた言葉を最後に、シェリーは今度こそアレンに背を向け、若干早足で歩き去っていく。鞍にまたがってギアを回すと、シェリーを乗せた二輪車は低い唸り声に似た音を響かせてみるみるうちに走り去っていった。
残されたアレンは呆然と立ち尽くし、シェリーの背中が見えなくなってもその場に留まり続けていた。
そんな弟子の背後に立ち、赤毛の大男は深いため息をついた。
「……いい女だったな。惜しい事をしたもんだ」
「…………化け物呼ばわりしたのは誰でしたっけ」
ようやく再起動を果たしたアレンは、クロスの方を見る事なく抗議のようなぼやきをこぼす。
「俺は過去を顧みねぇ男だ」
「…………」
なんという面の厚さであろうか。
そう言おうと思ったが、面倒なことになりそうなので自重した。この人の性格にいちいち噛みついていたらキリがない。はっきりいって時間の無駄である。
「……彼女は、一人で大丈夫でしょうか」
「さあな。俺もアギトにあったのは初めてだ。こっから先は知らん」
質問のようになってしまったが、アレンは別に答えを求めたわけではなかった。心配な気持ちも確かにあるが、どちらかといえば無事でいてほしいという気持ちが声に表れただけだった。
あの優しい女性がいつまでもあのままでいてくれるように、そう願いながら、アレンはフッと微笑みを浮かべ、見ていた方向から背を向ける。
自分の行くべき道を、歩き続けるためにーーー。
が。
「ちょっといいかいお兄さん」
歩き出そうとしたアレンの方が、ゴツゴツとした腕に止められる。
振り返った先にいたのは、見覚えのあるいかつい顔の男たちーーークロスが借金した相手の部下たちだった。
「……お、お金ならちゃんと返し」
「あー、そのことなんだけどねー」
顔面を真っ青にするアレンに、強面の男はずいっと何かの紙面を見せる。一体なんだと覗き込んだアレンは、さらに顔面を青く染めてきゃーという悲鳴を漏らした。
男が差し出したのは、借金の借用書。その金額の欄には、数字が何桁も上乗せされていた。
「お前がいなくなった後、例の奴が追加していきやがってね。……逃げられると思うなよ?」
「ちょっちょっちょっちょっと待ってください⁉︎」
強面で凄んでくる借金取りの男たちに、アレンは半泣きになりながらブンブンと首を振り、自分の傍らに目を向けた。
「そ、それだったら僕じゃなくて、ここにいる借金した本人に……!」
そういって師を指さそうとしたアレンだったが、先ほどまでそこにいたはずのクロスの姿は影も形もなかった。いつの間にかティムキャンピーがアレンのそばにいることから、あのクロスが幻聴や幻覚でないことは確かだった。
「……誰もいねぇじゃねぇか」
「下らねぇ嘘ついてんじゃねーぞ」
訝しげな、あるいは苛立った表情でアレンを睨む男たちの前で、アレンの姿が燃え尽きた灰のように真っ白になっていく。雨雲のようにどんよりとした陰まで漂わせた彼は、そのままずるずると男たちに引きずられ、どこかへと連れ去られていく。
やがて、何処かから青年の断末魔に似た悲鳴が、町中に響き渡ったのであった。
EDは『corona/UVERWorld』を聞いてお楽しみください。
次回はついに最終回。
どうぞ最後までお楽しみください。