【完結】D.Gray-man ー太陽ノ聖女ー   作:春風駘蕩

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3.青の守護者

「ヴァアアアアアアアアアアアアア‼︎」

「ガルルルルルルルルルルルルルル‼︎」

 妖しく輝く月光の元、二体の異形が互いに恐ろしい声で咆哮をあげる。

 片や翠色の光沢を放つ昆虫の表皮のような外套を纏った刺々しいシルエットの怪人。もう片方は、豹を無理やり人に変えたような見た目の弓矢を構えた怪人。同じだけ凶悪に見える両者は今、ギラギラと鋭く目を光らせて互いを睨みつけ、牽制しあっていた。

 奇しくも翠の怪人に背を向けられ、守られて居るような位置にいるアレンには何が何だかわからない。だが、この翠の怪人の敵意は自分に向けられたものではないということだけはわかった。

 二体の怪人は一定の距離を取り合ってジリジリと横に移動し、相手から目を離さぬよう円を描くように動く。

 膠着状態から抜け出し、先に動いたのは豹の怪人だった。目にも留まらぬ速さで矢をつがえるとすぐさま弦を引き絞り、連続で新たな敵に向かって射出する。

 翠の怪人はそれを硬い表皮を備えた右腕を振るって迎撃し、バラバラに砕いて無力化する。翠の怪人は唸り声を上げると矢を放つ豹の怪人に向かって疾走を始め、飛んでくる矢を払いながら接近し鋭い牙を剥いた。

「ヴァアアアッ‼︎」

 ものの数秒で敵の目前にまで距離を詰めた翠の怪人が後方に左腕を伸ばして拳を握ると、手首から鋭い鉤爪か鎌のような突起が生えて本人の二の腕ほどの長さにまで伸びる。翠の怪人は下から掬い上げるようにしてその鎌を振るい、豹の怪人の弓を持っている方の腕を斬り裂いた。

「ゴアアアアッ‼︎」

 深い裂傷が刻まれ、人間のものとは異なるどす黒い体液が勢いよく噴き出す。豹の怪人は苦悶の咆哮をあげて弓を取り落とすも、すかさずすぐ前にいる翠の怪人にもう片方の腕の爪をふるって反撃を放つ。

 翠の怪人はそれを高く跳躍して躱すと、空中で一回転してガラスの割れた街灯の傘の上に降り立った。

 豹の怪人は攻撃を躱されて一瞬だけバランスを崩すも、すぐに振り返って頭上にいる敵を鋭く見据える。見下ろされていることに怒りを感じたのか不機嫌そうに唸り声を上げると、挑発するように高々と咆哮を放った。

「ヴァァアア……‼︎」

 翠の怪人は挑発も全く気にせず、咆哮とともに街灯の上で身構える。すると翠の怪人の右脚の踵から鋭い牙のような刃が生え、月光を受けてぎらりと危険な光を返した。

「グルッ…………⁉︎」

「ヴァアアアアアアアアア‼︎」

 豹の怪人は警戒するように後ずさるもその時にはすでに遅く、翠の怪人は街灯の上からさらに跳躍して宙返りをし、刃の生えた右脚を大きく振り上げていた。

 振り上げられた刃は闇の中で一筋の軌跡を描き、吸い込まれるように豹の怪人の首筋に打ち込まれる。重力に加えて回転の加わった一撃は豹の怪人の皮膚をやすやすと貫き、内側の肉を突き破って怪人に致命的な傷をつけた。

「ゴァァアアアアア⁉︎」

「ヴァアアア‼︎」

 痛恨の一撃に豹の怪人もたまらず悲鳴に似た絶叫をあげ、刃を引き抜こうと翠の怪人の右脚を掴む。しかし翠の怪人も決して力を緩めようとはせず、それどころかより深く突き刺そうと右脚に全体重をかけてメリメリと押し込んでいく。

 するとそのうち、豹の怪人の頭上にぼんやりとした光が集まり、やがてまばゆい天使の輪のような光を放ち始めた。

 翠の怪人はそれを目にすると右脚にかかる敵の腕を払い、豹の怪人の胸を蹴って突き立てた刃を躊躇いなく引き抜いた。胸を蹴った反動でバック転し距離をとると、傷口から体液を噴き上げる豹の怪人を油断なく睨みつける。

「ゴァ…………ガァァァアアアアアア‼︎」

 傷口を手で押さえつけ、それでも止まらない体液に自ら汚れながら豹の怪人はよろよろと後ずさり、やがてガクッとその場で膝をつく。頭上の天使の輪がより強く発光した次の瞬間。

 ドンッ‼︎

 と閃光を放ち、豹の怪人は真っ赤な炎を吹き上げて爆散した。その勢いは強く夜の街が一瞬昼のように明るく照らされるほどで、近い位置にいたアレンは眩しさに思わず目をイノセンスで覆わなければならなかった。

 メラメラと業火が揺れて豹の怪人を跡形もなく燃やし尽くしていく中、翠の怪人はじっと静かにその様を眺める。するとやがて、炎の勢いが徐々に弱まり始めた頃合いにようやくアレンの方へと振り向いた。

 アレンもまた一瞬目を眩まされてから立ち直り、改めて命の恩人とも言える翠の怪人をまじまじと観察する。

 炎が放つオレンジの光に照らされて浮かび上がる外殻はまさに昆虫の持つそれに近く、異形と呼ぶに相応しい。カミキリムシに似た顔には鋭い牙と輝く赤い瞳があり、炎とは違う光を放っている。

 腰には金色の装飾が施され、中央に翠の宝玉をはめ込んだベルトが巻かれている。なぜかそれを目にした瞬間、左腕のイノセンスが共鳴するような感覚を覚えた。

 明らかに恐ろしく、明らかに異質な存在であるのに、アレンは目の前の怪人に全くと言っていいほど恐怖を抱くことがなかった。

「……あなたは、一体……」

「…………」

 イノセンスを解除し、質問とも言えない呟きをこぼすアレンに、翠の怪人はただ無言で視線を送る。なぜだかその視線は、どこか苦しげで何かの感情を押さえ込んでいるかのような、そんな複雑さを感じさせる気がした。

 だが、そんな時だった。一人と一体のいる無人街の路地裏にドタドタと騒がしい足音が響き、無数の黒い影が現れたのは。

「!」

 ハッと我に帰ったアレンは、彼らがこの街に常駐する警察の者達であることに気がついた。

 警官達は立ち尽くすアレンを無視し、翠の怪人を包囲するように展開して拳銃を構える。銃口が怪人の頭部や心臓にめがけて向けられ、さらには暗闇を照らす大掛かりなライトが用意され、完全な包囲網が完成する。

「これは……⁉︎」

 すると警官達の間から一人の中年男性が現れ、拡声器を構えて声を張り上げた。

『ーーーぁ、あー。お前は完全に包囲されている。大人しく武装を解除し投降しろ。繰り返す、投降しろ』

「…………え? ぼ、僕ですか⁉︎」

 怪人と同じように包囲されているアレンが焦ったように反応する。何かやった覚えはないが、“また”謂れのない疑いをかけられているのだろうか。

 冷静な時であったならば、自分ではなく隣にいる怪人に向けられた者であると理解できる気もするが、AKUMAを倒し、未知の敵に襲われ、同じく未知の存在に助けられと、短い間に目まぐるしく状況が変わっているアレンには落ち着いている暇は全くなかった。

 しかし警部は、慌てるアレンにはちらりと一瞥をくれただけで、しっしっと邪魔臭そうに手を振るのだった。

『そこの一般人‼︎ 危ないからちょっと退いてろ‼︎ 邪魔だから‼︎』

「……何だろう。安心したけどなんか腑に落ちない…………ってそうじゃなくて‼︎」

 自分が狙われているわけではないことに内心ホッとしながら複雑な心境になるアレンだったが、真の狙いを理解して我に帰る。

 事情は知らないが、この警官達が追っているのはここにいる怪人、つまりはアレンの恩人であるということになる。それはいただけないと止めに入ろうとするアレンだったが、警部が発した次の言葉にその動きはピタリと止まる。

『随分時間はかかったがこれでようやく決着がつく‼︎ とうとうお前を追い詰めたぞ…………ジャック・ザ・リッパー‼︎』

「ーーーえ?」

 警部が呼んだその呼称に、アレンは目を大きく見開いて呆然と立ち尽くす。そして、応答もせずに警官達を見つめている怪人の方に目を向けた。

 殺人鬼。出会ったばかりの頃のシェリーに聞いた、街を震え上がらせる恐怖の権化。

 女性ばかりを狙い、ズタズタに切り裂いて殺害するという異常者が、この怪人なのか。

 戦慄し、声も上げられずにいるアレンをよそに、警部は怪人を睨みつけながら右腕を掲げ、何かの合図を出した。

「よもや、俺たち人間にはお前に手が出せまいとたかをくくっているようだが、甘いな。人間の進歩は日進月歩だ。お前に対抗する手段はちゃ〜んと用意してあるんだよ‼︎」

 手招きするような警部の合図に応じ、彼の背後から足音が響いた。人間の重さではない、相当な重量の甲冑を動かすような金属音と機械の駆動音が、徐々に暗がりから姿を現していく。

 照明に照らし出されたのは、青と銀に彩られた分厚い装甲を纏った人型の戦士。黒のスーツの上に装着されたそれは見るからに重量感を感じさせ、圧倒的な威圧感を放っている。顔の部分には三本の角が生えたような仮面に加え、愛嬌があるようなオレンジ色の目があった。

「トラッシュ‼︎ 記念すべきG3-Xの初陣だ。派手にやってやれ‼︎」

『了解です!』

 警部の怒号じみたハッパに、呼ばれたG3-Xと言う名の重機械の戦士は太もものホルスターから一丁の銃とパーツを引き抜く。二つを組み合わせて完成させた、大口径の長い砲身を有する武器・サラマンダーと呼ばれるそれを、G3-Xは怪人に向けて引き金を躊躇いなく引いた。

 ドガンッ‼︎

 放たれたグレネードランチャーの一撃は、豹の怪人の鋭い矢でさえ耐えた翠の怪人の体を軽々と吹き飛ばし、レンガの上に派手に転倒させた。

「ーーー⁉︎ ヴァアアアッ‼︎」

 思わぬ威力を食らった怪人は怒り狂ったように腕を叩きつけ、すぐにまた立ち上がると今度は両腕から鎌を伸ばして身構えた。

 G3-Xは応戦態勢に入った怪人を前に、隣の警部にちらりと目を向けた。

『どうします? “ケルベロス”では周りの被害が大きすぎると思うんですけど』

「…………やむを得ん。デストロイヤーを使え」

 警部の指示で、G3-Xはサラマンダーを左手に持ち替え、右腕に新たな武器を装着する。

 右腕に装着した凶悪なシルエットのそれは、木々の伐採などに使用されるはずの電動式鋸。それが右腕の肘から先を覆うように備わると、ギュィィィンと耳障りな音を立てて回転し始めた。

 G3-Xは起動させたデストロイヤーを掲げ、怪人に向かってゆっくりと歩を進めていく。一歩も動かない怪人の元へ凶悪な音が徐々に距離を詰め、死神のように迫っていく。

 目と鼻の先の距離へと迫ったG3-Xがついに動く。デストロイヤーが横一文字に振るわれ、ガードの態勢に入った怪人の鎌に真正面からぶつかった。

 しかし両者は、拮抗すらしなかった。デストロイヤーの刃は易々と鎌を両断し、切り裂かれた怪人の腕から真っ赤な鮮血が溢れ出したのだ。

「ヴァアアアアアアアアアアアアア‼︎」

 傷を負い、怪人が悲鳴をあげて後ずさり、がくりと膝をつく。圧倒的な武器とスペックの差による一方的な攻撃に、怪人は着実に追い詰められていた。

 驚愕から口を挟めず、傍観する他になかったアレンは、我慢の限界に達してついに声を張り上げた。

「待ってください‼︎ その人は違う‼︎ 殺人鬼なんかじゃないんです‼︎」

 怪人の身を案じたアレンが必死に叫ぶも、警官達は振り向きもしない。聞いてはいるのだろうが、それを信じる気がないようだった。

 アレンは歯噛みして見守る他にない。対AKUMA武器であるイノセンスを人間に使うことはできず、いまのアレンはただの非力な人間でしかない。この場において警官達を説き伏せることも、力ずくで彼らを止めることもできないのがただ悔しかった。

 だがそんな中、アレンの方を向いた存在が一人だけあった。

 血を流す緑の怪人はちらりとアレンに一瞥をくれ、小さく牙を動かして声を発する。それは何かの呟きに思えたが、デストロイヤーの唸り声にかき消され誰かに届くこともなかった。

「こいつで終いだ‼︎ 畳み掛けろ‼︎」

 警部が怒号をあげ、怪人にとどめを刺そうとした時、膝をついていた怪人が再び動いた。

「ヴァアアアアアアアア‼︎」

 咆哮を上げた怪人が、突如地面に向かって両拳を叩きつける。凄まじい音を立てて煉瓦と地面が叩き割られ、瓦礫と土煙が立ち上ってアレン達の視界を奪い去った。

 警部は顔を腕で覆って即席の煙幕を防ぐと、忌々しげに舌打ちして顔を歪める。

 煙がようやく収まった時には、もうそこに怪人の姿はなかった。ただ、地面に残ったもう一体の怪人の燃えかすと数滴だけ残った血痕のみが、先の攻防を証明していた。

「チッ…………まだこの辺りにいるはずだ。探せ‼︎ 探し出すまで戻ってくるな‼︎」

 警部の命に従い、警官達は包囲網を解いて隊列に戻り、逃げた怪人を追って夜の闇の中に消えていく。警部はそれを不機嫌そうに見やり、上着のポケットからタバコを取り出して咥え始めた。

 アレンは、ひとまず恩人は無事であると安堵し息をつく。負傷していたようだが、どうにか逃げ延びて欲しいと思う他になかった。

 そこへ、ガシャンガシャンとやかましい足音を立てながらG3-Xが近づき、アレンの顔を覗き込んできた。

『大丈夫か? ごめんね、放ったらかしにしてさ。大丈夫だった?』

「…………」

 そう心配そうに訪ねてくるがアレンはどこか訝しげ、というか胡散臭そうに彼を見つめ、気を許そうとはしない。それに気づいた彼は、自分の姿を見下ろして納得したように頷き、困ったように頬もとい仮面をかき、肩をすくめる。確かにこれは怪しすぎるわな、という呟きが聞こえた。

 すると、先ほどまでタバコの煙をくゆらせていた警部が小走りで近寄ってきて、アレンの方に手をあげて声をかけてきた。

「……いやぁ悪ぃ悪ぃ。立て込んでてお前のことを完全に忘れてたわ」

「え?」

 アレンの元に寄ってきた警部は、ボリボリと頭をかきながら眉尻を下げてそう言う。何の用かと面食らった表情になるアレンの前で、ゴソゴソと懐に手をやって何かを取り出したかと思うと。

 アレンの両手に、ガシャンと音を立てて頑丈な鉄の輪がかけられた。

「………………え?」

 手錠を見下ろすアレンに、手錠をかけた警部は憮然とした態度で、重装甲の男は困ったように頭をかいて無言で頷く。

 突然のことで全く状況を理解できていないアレンは呆然と警部の顔を見上げ、視線で説明を促した。

 警部はフンッと苛立たしげに鼻で笑い、蔑んだような目でアレンを睨みつけた。

「お前、さっきまでずぅっと奴と一緒にいたな。なんか気のなることも言ってたようだし、重要参考人及び関係者の容疑で署まで来てもらうぞ」

 そのいきなりの宣言に、アレンは一瞬頭が真っ白に染まる。

「えええええええええええええええええ⁉︎」

 何が何だか事情も知らないまま、アレンは出荷されていく子豚の気分でパトカーに詰め込まれ、警察署へと連行されていくのだった。

 

 ◆ ◇ ◆

 

 ポタポタと、赤い雫が転々とレンガに連なって落ち、暗い路地裏に跡を残す。

 決して浅くない傷を負った翠色の怪人は、ずるずると足を引きずりながら壁伝いに歩を進め、目的の場所を目指す。

「…………あんなものまで出てくるとは、ね」

 血を流す片腕の傷口を抑えつつ壁にもたれかかった怪人は、荒い息を吐きながら今来た道の方を振り向いて言葉を漏らす。その時聞こえた声は、いくつもの種類の声が混ざったような歪なものであったが、その根本にあったのはどこか凛としたよく通る優しい声だった。

 怪人はズルズルと背を預けたまましゃがみこみ、濡れたレンガの上にどっかりと腰を下ろす。顔を反らせて後頭部を壁に当てると、ようやく終わったというように深く深く息を吸い、長い時間をかけて吐き出していく。

「…………ぐっ、うっ……」

 しばらくして、怪人は固く閉ざした牙の間から呻き声を漏らし、傷口をきつく握りしめて体をよじらせ始めた。途端に傷口からはみちみちと肉を引き千切るような嫌な音が発され、急速に流血の勢いが衰えていく。こんこんとドス黒い血液を垂れ流していた傷口は端からみるみるうちに塞がっていき、物の数秒で傷跡も残らないほど再生してしまった。

 だが変化はそれだけでは終わらず、怪しい緑色の光が体から僅かに迸り、苦しげに身を震わせる怪人の体を駆け回る。すると太く逞しかった腕が細く華奢になっていき、色も翠から白い肌色に変わっていく。

「ぎっ…………ぐっ、ぐぎゅっ…………い、ぎぃ…………‼︎」

 肉が裂け、骨が軋む耳障りな音が鳴り響く中、怪人の苦悶の声も優しいアルトボイスへと変わっていく。そして。

「ーーーッハァ…………ハァッ…………‼︎」

 勢いよく顔を下ろし、束ねていた髪がほどけてばさっと汗の雫を降らせる。びっしょりとかいた汗に濡れて額にくっつく金色の髪をかき分け、荒い呼吸を繰り返していたその女はようやく立ち上がった。

 袖を捲り、もう傷口があったとは誰も思わないだろう自身の腕を確認すると、ホッと安堵のため息をつく。垂れ下がる髪を耳にかけて顔をあげ、女は路地裏から明るい表通りの方を振り仰ぎ、じっと目を細めた。

「…………明日は少しだけ、お休みをいただこうかしら」

 恐ろしい怪人を屠った異形の外殻を脱ぎ捨てて女ーーーシェリーは、明日家庭教師として自身を待っている雇用主に伝える上手い言い訳を考えるのだった。

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