1.名も知らぬ者
ジャック・ザ・リッパーの再びの出現に、町の人々が恐怖心を煽られザワザワと噂話が行き交う。小さな囁き声でもあまりの人数が重なり合うことで、どこの誰にも否応がなく噂が耳に届いていった翌日の朝。
辛くも異形の魔の手から逃れたアレン・ウォーカーは、何故か両手にガッチリと手錠を嵌められて取調室に拘束されていた。巨漢の警官二人に両脇と正面を囲まれている様から見ても、押し込まれているという表現が最もふさわしいと思える光景だった。
哀れな青年は狭い部屋に充満するプレッシャーに震え上がり、涙目で目の前の警部や警官に懇願の眼差しを送る。
しかし警部は全くそれに反応せず、いらだたしげに人差し指で机をトントンと叩き、“容疑者”であるアレンをジロジロと探るように見下ろしていた。
「…………生物兵器AKUMAに対AKUMA武器イノセンス。人々を守る
アレンの聴取から作成した調書を見下ろし、警部はジロリとアレンを睨む。そしてしばらくの間目を合わせていたかと思うと突然拳を振り上げ、机に勢いよく叩きつけて大きな音を立てた。
「警察ナメてんのか⁉︎ こんなもん誰が信じるってんだ、アァ⁉︎」
「嘘じゃないですよ‼︎ ほんとのことなんですって‼︎」
必死に言いながら、この状況になんとも既視感を覚えるアレン。以前もこんな感じでAKUMAの所業を自分のやったことだと勘違いされて長く拘束されたことがあったが、今回は味方になってくれる人もいないようでほとほと困り果てていた。
だがそんな四面楚歌の中、アレンの背後に近づく一人の警官がいた。
「まぁ、警部。今回は被害者もいなかったし証拠らしい証拠は何もないでしょう? それにこんなに怖がってるのにかわいそうですよ」
「…………どなたですか?」
ポン、とアレンの肩を叩き、弁護をしてくれた爽やかな雰囲気の青年にアレンが振り向いて問う。味方してくれるのは嬉しいが、このような人はあったことがないと記憶しているのだが。
それに気づいたのか、青年は苦笑しながら頭をかきアレンに向き直った。
「俺はアレだね。さっきまで重たい武装つけてたから分かんないよね」
「……! もしかして、あの青い鎧を着た……」
アレンは目を見開き、青年の顔を凝視する。あの重装甲を纏って自在に動き回り、戦っていたものがこんな細身の青年だったとは。しかしよくみると制服の下の肉体はおもてに見えるほど鍛えられているようだし、確かに声にも聞き覚えがあった。
青年は笑みを浮かべ、次いで警部の方を向いて口を開いた。
アレンがこの街にやって来たのは本当につい最近のことであり、ジャックと関わる時間はなかったという証言の信憑性は高いこと。AKUMAかどうかは定かではないが、確かに兵器のものらしき銃器の破片が近くに散らばっていたこととアレンが負傷していたこと。普段行っている道化の興行から、殺人などの行為に関わる危険性などは感じられないとの証言を並べ、アレンの無関係性を説いた。
なんとか警部をなだめようとするトラッシュという若い警官に、警部はフンっと荒く鼻息を飛ばす。
「甘いな、トラッシュ。んなもんで警察が務まるかよ」
警部は部下の忠言にちらりと視線を向け、やがて観念したように片手を上げた。部下の言うこともあるし、これだけ根拠を集められて無下にするほど馬鹿でもなかった。
「まぁいい。とりあえずお前のことは不問にしてやる。……実際、アンノウンが出ていたのは確かなようだしな」
「……アンノウン?」
警部が漏らした聞きなれない単語にアレンは首を傾げて繰り返すと、警部に代わってトラッシュが答えてくれた。
「
「…………危険な存在、なんですよね」
「うん。実際に人が襲われるケースは何件も報告されているね」
アレンの質問にトラッシュは素直に答える。
アレンはそれを聞いて思い出す。あの怪人は見た目からしても異質だったが、その相違はもっと根本的な部分にある気がしていた。
アレンに向かって弓を引いた時、アレンを蹴り飛ばしていた時、あの怪人はこれ以上なく歓喜していたように見えた。人を襲うことにあの異形は重きを置き、命を奪うことを至上の喜びに感じていたように思えたのだ。
そこで、アレンは気づく。あの豹の怪人と相対していた翠の怪人から恐怖を感じなかったのは、そこに原因があるからではないか、と。
「……あの、ジャック・ザ・リッパーってもしかして、これまでにもアンノウンと戦っていたことが……?」
「……ああ、確かに奴はかなりの頻度でアンノウンと遭遇し、常に狩っている。俺たちが到着した時には、もう決着がついている時がほとんどだ」
「じゃあ…………‼︎」
アレンはそれを聞いて安堵する。人を襲う異形を狩るものなら、やはり敵ではないのではないか。あのとき感じた安心感は間違ってはいなかったのでは、と。
だが警部は、そんなアレンを呆れたように見つめ、深いため息をこぼした。
「お前は助けられたと思っているから、奴に過剰な感情移入をしているのかもしれんが……奴が危険なことはまず間違いないんだよ」
警部はそう言って、アレンの調書とは別の資料を取り出してペラペラとめくり始めた。
「噂でも知っているだろうが、奴はすでに女を何人も殺害している。ほとんどが裏町の娼婦だがな」
「…………」
「お前にゃ悪いが、アレを味方だとは思うな。奴はただの……………………バケモノだ」
断言する警部に反論するだけの根拠は、いまのアレンにはなかった。
◆ ◇ ◆
「……どうも、お世話になりました」
警察署の前で、アレンは見送りにきてくれたトラッシュに深々と頭を下げた。
青年警官は手間を気にしていないようで、逆に誤認で逮捕されたようなアレンに申し訳なさそうな表情を浮かべ、ポリポリと頭をかいて苦笑した。つくづく人がいい男だ。
「悪いね。警部は悪い人じゃないんだけど、ずっとおってるやつをいつも捕まえられないんで気が立ってるんだ」
「……そんなに長いんですか?」
「3〜4年くらいかな」
告げられた年月の長さにアレンは目を見開く。そこまで長い時間捕まえられずにいるのは果たしてどちらがすごいのだろうか。
考えが顔に出ていたのか、アレンの顔を見つめていたトラッシュは気まずげに目をそらす。アレンもその様子に気づき、それ以上詮索しようとはせず、会話の方向を変えようと試みた。
「えっと……、あ、そうだ。あなたが来ていた鎧、凄かったですね。見るからにヒーローって感じで」
「あー。G3-Xのこと? 実はアレ結構使うの難しいんだよね。重いし言うことなかなか聞かないし。……そもそもアレ、ジャックやアンノウンを相手にするためにできたもんじゃないからさ」
苦笑するトラッシュのこぼした言葉に、アレンは「え?」と思わず訊ね返した。
「本来アレは、暴徒鎮圧とか荒事のために設計されてたもんなんだけどさ、作った人が他にも色々仕事溜め込んでる時に舞い込んで来た命令で仕方なく作った物なんだよ。いや〜、あの時は大変だったな。どんだけ私を働かせる気よあのクソオヤジども‼︎ って大荒れしててさ」
再びアレンの表情が引きつった。トラッシュの声真似が真に迫っていたからだろうか、その時の光景が目に浮かぶ気がする。終わらない作業、次々に舞い込む仕事、理不尽な命令を下す雇用主、他人事とは思えなかった。
だが次の瞬間、アレンの表情が別の意味で変わった。というのも、笑いながら話すトラッシュの背後に、どこか底冷えする笑みを浮かべた一人の女性が立っていたからだ。その存在に気づかない青年のそばで、警察の制服を着た女性はヒクヒクと頬を痙攣させ、持っていた丸めた紙の束を静かに振り上げる。
「んで、俺が酒とか奢ったりして機嫌取ってたんだけど、そしたらあの人酔ったままのテンションで仕事始めちゃってね。そんで次の日できたのがあの冗談みたいな武器の塊で…………っていだぁ⁉︎」
上機嫌に話していたトラッシュの頭からスパァンと小気味良い音が響きわたる。痛みにうずくまる青年の背後から、女性が笑みを浮かべたまま冷たく見下ろした。
「トラッシュくん。余計なことは言わなくていいから」
「す、すいません。セレナさん」
笑っているのになぜか怖いという、独特の雰囲気を放つ茶髪に緑の目をした女性にトラッシュは頭が上がらないようだ。どう見ても絶対的な上下関係があるようにしか見えない。
アレンはセレナという女性を見つめ、ついで納得する。この女性がさっき聞いたG3-Xの開発者である人で、自分が勝手にシンパシーを抱いた人のようだ。なんというか、若く綺麗な女性であるはずなのに、仁王立ちする様から男らしさが溢れている気がする。
するとセレナは、呆然としているアレンに気づき、取り繕うように咳払いをした。
「君が、昨晩現場にいた子ね? ゴメンね、うちのクソオヤジが変な疑いかけて」
「い、いえ……。気にしないでください」
すでにさっきのやりとりで気圧されているアレンは、ブンブンと首を振って答える。なんだかこっちも、逆らえる気がしなかった。
一方、書類で叩かれたトラッシュは、そんなセレナに恨めしげな視線を送る。
「一応、あの人もあなたの上司ですよね? 良いんですか、そんなこと言って」
「フン。こそこそ影で悪口いうなんて私は大っ嫌いなの。言うなら正面から罵倒してクビにでもなんでもするがいいわ」
(漢らしい……ッ‼︎)
アレンはセレナの自信満々な姿を見て考えを改める。この人は男らしいのではない、見た目は麗しくも中身は屈強な漢なのだ、と。
そんな
「……悪魔だかAKUMAだか私にはよくわからないけど、この街で平穏に暮らしたいなら危ないことには首を突っ込まないこと。それとそう言ったものは私たちに任せることよ。わかった?」
「…………」
アレンは、この厳しくも優しいセレナの気遣いにグッと息を詰まらせる。本気で心配してくれていることはわかるのだが、それだけは応じることはできないのだ。
戦うことを、歩き続けることをやめて立ち止まってしまえば、父との誓いを破ることとなる。それはアレンにとって、死ぬことよりも辛く悲しいことであった。
唇を噛み、ぎゅうぎゅうと拳に力を込めていたアレンが、セレナの確認に応じることができずにいた、その時だった。
「……すみません。保護者ですが」
ふと、アレンの背後から声が届き、三人が一斉に目を向けた。
振り向いた先にいたのは、いつも通りの無表情に若干の呆れた雰囲気を漂わせたシェリーだった。どこかじとっと咎めるような彼女の視線に、アレンは気まずげに目をそらした。
「急にいなくなって帰ってこないと思ったら……どうして警察の皆さんのお世話なんかに? 何をやらかしたんですか? 馬鹿なんですか?」
「…誤解です。冤罪だったんです。だからそんなゴミを見るような目で僕を見ないでください」
冷めきった目で見つめられ、顔を青ざめさせたアレンがあっさりと降参する。両手のひらで壁を作ってジリジリと後ずさる様から、本気で恐れていることがよくわかった。
シェリーと初めて会うトラッシュやセレナがその毒舌やドSっぷりに戦慄する中、シェリーは傷ついたアレンを横にやって二人に深々と頭を下げた。
「シェリー・T・サザンクロスです。この度はうちの居候がご迷惑をおかけしました。大事な時間を浪費させてしまって申し訳ありません」
「い、いえいえ。こちらこそうちの上司が迷惑を……」
恐縮しているトラッシュの尻をセレナが蹴り飛ばす。飛び上がる青年を押しのけ、セレナは咳払いをしてからシェリーに向き直った。
「今回のことは完全に我々の落ち度です。ですが、夜間に徘徊していたことに関してはそちらで十分に注意していただければよろしいのですが」
「はい、承知しています。彼にはきちんと場を設けた上で…………たっぷりと話をするつもりですので」
最後の溜めの後に付け足された言葉に、アレンはブルリと震え上がる。ついでにトラッシュも震え上がる。
教会に戻ったら何をされるのだろうか、とにかくまずはユノにも助けてもらおうと固く心に決めるが、弁護してくれるかどうかは不明だった。
「お手数をおかけしました。サザンクロス嬢」
「いえ。悪ガキの扱いには慣れていますので……あ、失礼」
(悪ガキ扱い⁉︎)
まさかの不名誉な扱いにギョッとアレンは振り向くが、シェリーの冷たい氷の眼差しに完全に封殺される。残念ながら現在のアレンのヒエラルキーの位置は遥か下にあるようだった。
シェリーは息を吐くと、ガタガタと震えているアレンの手をとって歩き出した。すべすべとした感触がアレンの右手を撫で、思わず少年は息を呑んだ。
「では、行きますよ。ユノが待っています」
「あ、はい!」
最後にセレナたちにぺこりと頭を下げ、アレンとシェリーは警察署に背を向ける。その背に、セレナが手をメガホンのようにして声をかけた。
「ジャックにお気をつけて! 奴は女性ばかり狙っているみたいですから!」
「…………」
セレナの助言に、シェリーはピタリと足を止めた。急に立ち止まったシェリーに怪訝そうな顔を向けるアレンだったが、シェリーは顔だけをセレナに向けて声を返した。
「……ご心配なく。
シェリーはそれだけいうと、再びアレンの手を引いて歩き出し、警察署の門を通り過ぎていく。側からみればカップルに見えないこともないが、よくみれば主導権は完全に女性の方が握っていることがわかるだろう。
そんな変わった2人組の背を眺めていたトラッシュとセレナだったが、やがて上司は部下の尻を蹴って我に帰らせた。
「ほら、行くわよトラッシュくん!」
「いっだい⁉︎」
尻を蹴られながら、渋々トラッシュはセレナの後について署に戻って行く。しかしふと立ち止まり、もう姿の見えないアレンたちの方を振り返って考え込む。同じ時、修道女に連れられる少年も全く同じことを考えていた。
(……あの人)
(……あの子)
二人の男子が、それぞれの連れた女性に手を引かれながら互いを思う。自分のことは棚に上げて。
(大変だなぁ……)