「…………シェリー、さん?」
仏頂面で毒舌ながら、そのぶん面倒見がよく優しい修道女を前にしながら、アレンの表情は真っ青になっていた。普段と何も変わらないはずなのに、全身に寒気が走って凍りついたように動かず、彼女から全く目を話すことができないでいた。
ここにいるのは、知っている人のはずなのに。漂ってきた血の匂いを嗅いだ瞬間から湧き上がった疑念に脳内が支配され、これまでと同じように接することができなくなっていた。
「……どうかなさいましたか? ウォーカー様」
シェリーは門に手をかけた体勢のまま立ち止まり、振り返ることもなくアレンに尋ねてくる。表情が見えない分、彼女が何を考えているのかわからず余計に不安感が強くなっていく。
アレンはそれら全ての感情をかろうじて押さえ込み、知らないうちに震える唇を開いた。
「……その傷、どうしたんですか?」
「っ…………ああ、今朝言ったじゃありませんか。昨日重いものを持っていてつくったと」
ピクンと肩を跳ね上げ、首を傾げながらシェリーは腕を隠すように抱きかかえて答える。両腕の肘と手首の間に手を置き、ぎゅっと押さえ込むようにしてアレンの視線から外させる。
その反応に、アレンは嫌な予感が当たったとばかりに痛ましげに眉をひそめる。彼女はきっと、恐れていたのだろう。アレンが彼女の秘密を知ってしまうことを。
「違いますよシェリーさん。僕が言っているのは……貴女の頬についた傷の方です」
シェリーはすぐさま振り向き、アレンの目を確認してから自分の頬に触れた。少しだけぬるっとした感触がして、手を離すと赤い液体が指先について垂れていく。深くはないが長く目立つ傷跡だった。彼女は気づいていなかったらしい。
取り繕うようにして血を拭い、シェリーはアレンに向き直った。
「っ……気づきませんでした。どこでついたのでしょうね」
「それにね、シェリーさん。僕は昨日、貴女が怪我をしたかどうかまでは聞いていません。箒を落とした貴女に、疲れていたからだと聞いたんです」
「……言い忘れていたんです」
シェリーはじっとアレンの目を見つめ、一切声に動揺を見せずに答えて見せた。その間シェリーの目は、アレンの目を見つめ返したまま少しもブレることはなかった。
アレンはそれで確信を持った、いや、持ってしまった。
以前聞いたことがあった。男性は隠し事がある際目を泳がせるが、女性は逆にじっと目をそらさなくなることが多いのだと言う。
着実に真実に至りかけていると自覚しているアレンは、ついに思い切った質問を持ちかけた。
「……シェリーさん、僕が部屋から抜け出す時、貴女の姿を見ることはありませんでした。……貴女はいつも夜中に、どこにいたんですか?」
「…………」
シェリーは答えなかった。ただ振り返って、じっとアレンを見つめるばかりだった。
思えば、ジャックと出会った後におかしなことがあった。容疑をかけられて警察署に連れていかれたアレンを、シェリーはいつも通りの様子で
アレンは自分のことを話しただけで、教会にいるシェリーのことは話していない。迎えをよこしたはずはない。そしてシェリーも、アレンが警察署にいることを知るはずがない。知っているとしたら、あの場にいた警官か、ジャックしかいなかったはずなのだ。
そしてシェリーが反射的に隠した、両腕にあるという傷跡。あれはジャックと遭遇した時、彼がG3-Xの攻撃で負った傷の位置と同じところだった。昨晩遭遇した際にも、頬に大きな裂傷があるのを確認していた。
シェリーの体に刻まれた傷跡は全て、ジャックに刻まれた傷跡の位置と一致していたのだ。
「……シェリーさん」
アレンは引きつった青い顔で、目の前の修道女を凝視する。自分の考えが信じられない、信じたくないと思いながらも己の目で見た事実を否定できず、むしろそうではないと否定してほしいと願ってしまう。
だが彼女は、全く表情を変えなかった。いつものように無表情で、どこかいつもより冷たく突き放すかのような鋭い目を向けて、アレンの目を見つめ返している。まるで、話を聞かずとも内容を全てわかっていて、自らそれを認めているかのように。
アレンは何度も唇を噛み、思い直すように開閉を繰り返しながら呼吸のリズムを乱し始める。そしてやがて意を決したように唇を歯で噛み、口を開いた。
「…………貴女が、
ついに放たれた、苦しげなアレンが投げかけた問い。
それにシェリーは、小さくため息とアレンには聞こえないほどの微かな呟きをこぼし、誤魔化す気も失せたような呆れ果てた目を向けた。
「違います、とでも言えば良いんですか?」
是でも非でもない、曖昧な返答。
だがアレンにはそれは、肯定の言葉に聞こえた。
「…………どうして」
思わずアレンの口から、そんな言葉が漏れていた。
誰にともなく漏れ出た少年の問いにシェリーは何も言わず、ただじっと冷たくアレンを見つめ返すだけだった。
アレンは唇をきつく食いしばり、顔を手で覆ってよろける。
正気を保っていられる自信は、衝撃を連続で受けすぎた今のアレンにはあまりなかった。
「……貴女が、殺したんですか。あの人たちを……自分の手で……」
一言でいい、無理矢理な言い訳があってもいい、否定して欲しかった。優しい彼女が忌むべき殺人鬼だったなどと、思いたくはなかった。綺麗な手を、地で汚していただなどと信じたくはなかった。
だがシェリーは、アレンを見つめたまま口元を歪めた。唇の端を横に引っ張っただけのそれはまるで、歪に笑っているようだった。
「……ふふっ、本当に馬鹿ですね。あなたと言う人は」
その声は、もはやいつもの彼女のものではなかった。残酷で冷酷で、人をなんとも思っていないような、嘲笑するような冷たい声だった。
道端の虫を見下ろすような冷酷な目で自分を見つめる彼女に、アレンは自分の心が締め付けられるのを感じた。
「たかだか一週間程度一緒にいただけで、もう私を理解していたつもりだったんですか?」
「…………‼︎」
小馬鹿にするように、アレンに向けて告げるシェリー。まるで別人のように豹変してしまった彼女に、アレンはただただ戸惑うばかりだ。
確かに、一方的にしか信頼関係はなかったかもしれない。だがそれでも、繋がりはあったのだと信じたかった。
シェリーはアレンの目の前に歩み寄ると手を伸ばし、青白い肌にそっと触れる。ぐいと力を込め、うつむき気味だった少年の目を無理矢理に合わせて覗き込んできた。
「ダメですよ、そんなに無条件で人を信頼しては。そんなことではこうしてーーー簡単に死んでしまいますよ?」
頬に添えられたシェリーの手が、緑の光を帯びて変貌していく。一瞬で異形のものへと変わった彼女の手に、アレンは呆然と横目を向けた。
冷酷な薄い笑みを浮かべる偽りの乙女の爪が頬を撫で、浅く傷をつけていく。わずかな痛みにも気づかないアレンはくしゃくしゃに顔を歪め、シェリーの目を見つめ返す。
しかしその瞬間、シェリーはハッと息を飲んで表情を変えた。
アレンの目には、一切の恐怖がなかったのだ。異形の腕を向けるシェリーを恐れることなく、ただただ悲しげにシェリーを見つめてくるだけだった。
自分が死ぬかもしれないという恐怖を、微塵も感じさせることなく。
「っ…………」
たまらずシェリーは、自分の手を払いのけるようにして離し、アレンから距離をとって背を向ける。心配そうな表情のアレンから、必死に目を背けていた。
「……シェリーさん」
「……もう、私たちに関わらないでください」
明確な、拒否の言葉。
それだけを最後に、シェリーは一人で門を抜けて教会の方へと向かい、黒い扉を開いて中に入る。俯いたままシェリーに背を向け、頼りない足取りで立ち去っていくアレンを放ったまま、扉は重い音を立てて固く閉じられた。
背後で閉じられた扉に背を預け、シェリーは天を仰ぎながらため息をつく。途端に足から力が抜けていき、ズルズルと腰を下ろしていくと膝を抱えてうずくまる。何も声を発することなく、胎児のように外界から心を閉ざしていた。
そうしてしばらく丸くなっていると、シェリーの頭上に影が差した。のそりと顔を上げて虚ろな目で見上げると、ようやくそこで妹分が心配そうに見下ろしていることに気づいた。
「……ユノ」
シェリーはのろのろと膝を立てる体勢に移ると出迎えてくれた妹の元に歩み寄り、静かにユノの前で跪いて目を合わせ、自らの手を伸ばしていく。
その細い首に手が伸ばされていくのを、ユノはただ無言で見つめて目を閉じる。肌に触れる感触を感じ、それを黙って受け入れる。
ユノは自らも手を伸ばし、妹の小さな体に手を回して抱きつき胸に顔を埋める姉の頭を、慈愛を込めて優しく撫でた。
「…………姉様、アレンは……行っちゃったですか」
「…………うん」
か細い声で、シェリーは答える。顔はユノの胸に埋めたまま、妹に決して表情を見せないようにして頷く。しかしユノは、姉がどんな表情をしているのか手に取るように察し、抵抗することなく撫で続けた。
未来を見ることができる少女は激しく後悔する。あの時、無理矢理にでも、縛り付けてでもアレンを行かせなければよかった。もしくは最初から、アレンに事情を話しておけばよかった。
だがそれだけは選べなかった。誰よりも姉が、それを望んでいなかったことを知っているからだ。
「ごめんなさい。ユノは……姉様に何にもしてあげられない、ダメな子です」
「違う…………ダメな子は、私の方。あなたを悲しませる、最低の姉……あの人を傷つけた、最低の女」
シェリーはカタカタと身を震わせながら、ユノの胸にすがりついて泣き続ける。その姿からは、凄まじい殺気でアレンを遠ざけて追い出した恐ろしさも、鬼のような凶悪な眼差しも、微塵も感じさせなかった。
女手一つで妹を守り、
誰より強くあらねばならなかった女性は、本当は誰よりも弱く儚い人だった。
「誰かをただ傷つけるだけの、最低の……化け物」
◆ ◇ ◆
ドズン、と轟音が鳴り響いて的の中心から少しずれた位置に大きな穴が開く。音は一発だけではなく、連続して横に並んだ的に命中して行き、木片を辺りに散らばらせた。
全ての的に銃弾を打ち込んだG3-Xは一旦銃を上げ、次の的が運ばれてくるのを待つ。そして準備が整うと、再び的の中心を狙って引き金を引いていくのだった。
G3-Xの開発者であるセレナはそれを厳しく眺め、時折中心から大きく外れた的を目ざとく見つけて手に持ったボードに記していく。外した数と距離ごとに減点し、改良点を導き出すためだ。当然、装着者であるラッシュにも雷が落ちるのだが。
「……まだまだ直すところは残ってるわね」
「厳しいな、オイ」
ハァ、とため息をつき、隣で呆れる警部を無視して誰にともなく呟く。成果は周りからすれば十分なのだが、作った本人からすれば粗が目立ち、残したままでは気に入らなかった。
警部はそんな部下の執着ともいうべきこだわりの強さに慣れたのか、あまり口出しするようなことはせずただ黙って訓練風景を眺めているにとどめていた。
「ですが、素晴らしい成果です。これほどまでに威力のある機体は他にそうそうありませんよ」
「え……?」
傍から聞こえてきた聞き覚えのない声に、セレナはボードに走らせていたペンを止めて振り返り、そこにいた一人の女を凝視した。
いつのまにか、黒髪の二十代後半程度の女が二人の近くに立っていた。警察の制服を着ているが、見覚えのない顔だった。
だがその女が歩み寄ってくると、警部が納得したように目を細めて迎えた。
「ああ、今きたのか。…紹介しておこう。今度からうちに配属された、マリエ・レゾンだ。仲良くしてやれ」
警部の紹介で、セレナは新入りだったのかと納得する。もともと現場で働く警部たちとは顔を合わせる機会も少ないため、見たことがなくてもおかしくはなかった。
だがマリエは、どこかギラついた表情でセレナの下まで歩み寄り、食い気味に詰め寄ってきた。
「お名前は以前から伺っています。G3-Xを一から作り上げたセレナさんとは前々からお話を伺って見たいと思っていたんです。よろしくお願いします」
「…………そう」
グイグイと迫ってくるマリエにセレナは目を丸くしながら、かろうじて返事は返す。署の功労者であるのは確かだが、そこまで知名度があったとは思わなかったのだが。
マリエはあっけにとられているセレナには気づかず、訓練中のG3-Xに注目して熱い目で見つめはじめた。
「あれがG3-Xですね? もっと近くで見せていただいてもよろしいですか?」
「……いいけど、一応立ち入り禁止のテープの内側までね」
「はい!」
元気よく返事をしたマリエは、先ほどよりも早い足取りでG3-Xの方へと向かっていく。その背を黙って見つめるセレナに、警部はニヤニヤとしながら近づき、彼女の背中を肘でくいくいと押し始めた。
「よう、よかったじゃねーか。お前のファンらしいぞ」
憎たらしい表情でそう言い、部下にちょっかいをかける警部。やっていることが子供であった。
だがセレナは、それに一切反応しなかった。無言で、マリエが歩いていく背中を見つめているだけだ。
「……ん? どうした?」
部下が何も言わずに佇んでいることが気になったのか、警部はセレナの顔を覗き込んで尋ねた。セレナは警部に目を向けることなく、ただじっと新入りの方に視線を固定していた。その表情はどこか不機嫌そうで、不穏な気配があった。
「…………いえ、なんとなくあの娘、妙な感じがしまして」
「妙? どこがだ?」
部下の言いたいことがわからず、首をかしげる警部。セレナも確信はないのだが、どうにもマリエからは不穏な気配を感じて疑惑の目で見てしまうのだ。
それを知ってかしらずか、訓練場に到着したマリエは訓練に明け暮れるG3-Xをじっと観察し、その顔にどこか底冷えするような笑みを浮かべるのだった。