ユーノ・スクライア外伝 PARALLEL STORY   作:重要大事

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第17.5話「無惨帖」

五年前―――

新暦074年 10月

第97管理外世界「地球」

東京都板橋区 帝京大学 医学部

 

「ほ~ら急がないと!」

 高校卒業後、都内の医大に進学した一護は恋人の織姫に連れられてある講義に参加すべく人の波に乗って教室へ向かう。

「なんせ日本の整形外科を牽引すると言われた順天堂大の教授の講義なんだから」

「わーった、わーったから。そんなに引っ張んなって」

 進行方向には自分達と同じく目当ての講義に参加する予定の学生の群れがぞろぞろと続く。何が彼らをそこまで突き動かすのか当時の一護にはよく分からなかった。

 到着した時には既に階段教室いっぱい多くの学生達が埋め尽くしており、一護達は完全に出遅れた。

「うわぁ! もういっぱいだー。さすがは順大のスター教授だねー」

「そのスターとやらがどうしてこの大学に?」

「んー、詳しいことは知らないけど・・・でも私たちラッキーだよ。こんな機会滅多にないことだもん」

 やがて、講義室の扉が開かれ―――中に入ってきたのは、フランケンシュタインのような強面の男だった。

 想像していたイメージとかけ離れた容姿に学生達がショックを抱く一方、順天堂大学医学部付属順天堂医院からやってきた講師、百目鬼遥(どうめきはるか)は学生達に挨拶をする。

「初めまして。今日から隔週ではありますがこの大学で講義をすることになった百目鬼です。この講義では整形外科の観点から義肢について深く知ってほしいと思っている。今日学んだ事を是非とも君達の今後に生かせるよう僕も精一杯務めさせてもらうよ」

 強面な外観とは裏腹に実に人当たりのよさそうな印象。学生達は直ぐに警戒心を解いて、彼の講義に聞き入った。

 事実、百目鬼は噂に違わぬ優秀な男だった。学生一人一人の質問にも丁寧に答え、医者としてあるべき姿について熱く説き、若き医学生達にエールを送る。そんな姿にいつしか一護も次第に心を動かされていった。

「すごい先生だね。あんなに熱心になって患者さんの為に自分の知識を役立てようとしてるんだからね」

「ああ―――そうだな」

 

           ◇

 

五年後―――

第97管理外世界「地球」

東京都 空座本町 中心街

 

「どわおぇあああぁあぁああ! 巻き込まれたーッ! 巻き込まれたよ俺達!」

 4月中旬、夕暮れ時の空座町。

 人気の無い路地裏を走りながら、つい数分前まで休日を満喫していた男―――浅野啓吾(あさのけいご)が涙声を周囲に響かせていた。

 すると、その隣を並走しながら、ポーカーフェイスの青年―――小島水色(こじまみずいろ)が声をかける。

「静かにしなよ啓吾。叫んだ分だけ体力が無駄になるよ?」

「あのさ、あのさ! 毎回思うんだけど、なんでお前いっつもいっつもこういう状況で焦らないの!?」

「前にも言ったかもしれないけど、焦ってもどうしようもないからかだよ」

 水色は走る速度は緩めぬまま、チラリと背後に目を向けた。

 彼の視線の先にはナマケモノのような形状をした巨大な異形―――魔導虚(ホロウロギア)・ヨミテリウムがこちらに迫っており、不快な軋みを上げながら爪を振り上げている。

 浅野啓吾と小島水色は黒崎一護の高校時代の級友であり、一護の高い霊力に当てられたことで知らず知らずのうちに幽霊や(ホロウ)、そして死神といった霊的な事象に対して感覚がかなり敏感になっていた。

 それにより何度か命の危険に遭遇した事もあり、命の危険に晒された事もあった。しかしそれでも二人は一護との関係を断とうという気持ちは毛頭無かった。

 そんな二人だったが、現在ヨミテリウムが直接命を狙っているのは啓吾と水色ではない。

 ヨミテリウムが己の爪で切り裂こうとしているのは、啓吾達から僅かに後ろを走っている死覇装姿の男だった。

「ひえぇええぇえッ! だ、誰か私を助けてくれー! 金ならいくらでも出す! だから早く助けておくれー! 誰かー!」

 啓吾と同じくらいの涙声でそう叫ぶ死神は、斬魄刀を始解する余裕すら与えられずにヨミテリウムから逃げ続ける。

 

 死神であり魔法の力を持つ彼―――白鳥礼二は、たまたま現在の自分よりも強い魔導虚(ホロウロギア)と出くわしてしまい、慌てて逃げる最中に裏路地を歩いていた啓吾達を巻き込んでしまう形となった。

 啓吾達も白鳥の存在はチラチラ見えていたし、名前ぐらいは織姫達から聞いて知ってはいたが、特にこちらから関わる事はしなかった。

 ところがこの魔導死神は、啓吾達も呆れるくらい頼りならない存在だった。現世の魂魄を守護する筈の死神の為体(ていたらく)振りは深刻なものだった。

 斬魄刀を抜く代わりに尸魂界(ソウル・ソサエティ)で流通している貨幣をばら撒き逃げている白鳥を見て、啓吾は悲鳴を大きくし、一方の水色は『このペースだと、浦原さんのお店まで逃げきれるかな・・・・・・』などと冷静に考えていた。

 だが、その思考は途中で停止する事となった。

 路地裏に響く、威勢の良い男性の大声によって。

「なにやってんだよ! てめーはぁッ!」

 声の主―――ビルの屋上から飛び降りた男性の影を見て、啓吾達は彼が高校時代の級友で空座町を守護する死神代行だという事を確認した。

 ―――マジでいいタイミングだったぜー、一護ッ!!

 ―――来ると思っていたよ、一護。

 死覇装を靡かせながら、落下の勢いに合わせて出刃包丁の形に変形した斬魄刀・斬月を思い切り振り下ろす一護。

 激しい衝撃が、周囲の路地を地震のように震わせた。

 ナマケモノ型の巨大魔導虚(ホロウロギア)は粉々に砕け散り、斬魄刀の力でその霊子が浄化され、元となった素体―――肥満という言葉を顕著に示した不健康な体格の男が解放される。

 ヨミテリウムの正体が人間だった事に啓吾は驚きの表情を向け、水色は『へえー、あの怪物って人間だったのか』と冷静に状況を把握していた。

 その一方で、魔導虚(ホロウロギア)が浄化された事に安堵した白鳥は、一護を見て声をかける。

「助かったである黒崎氏・・・・・・実に見事な働きぶりだったぞ」

「おめーが働けボケッ!」

 白鳥に背中を向ける形で地面に着地した一護は、そのまま背後に跳躍して肩口で相手に激突する。

 偶然なのか故意なのか、ルチャドールのトペ・デ・レベルサの形で白鳥を地面に転がした後、追い打ちを掛けるようにその身体に関節技を掛ける。

「なんでてめーはいつもいつもそうなんだよ! ちったー死神らしくしたらどうなんだよ!」

「アタタタタ! 取れちゃう取れちゃう! 違うのだ黒崎氏! 私だってやればできる男なのだ!」

「だったらいつもやればいい話だろうが! ちったー俺やユーノの気持ちも考えてみやがれ!!」

 そんなコントめいたやり取りをしている二人を見て、ようやく危機を乗り越えたのだと実感し、啓吾は大きく息を吐き出した。

「ひゅー・・・・・・助かったぜ。一護、マジでサンキューな!」

「おめーこそ、少しは巻き込まれないように注意しろよな。水色も悪かったな。せっかくの休日に」

「全然。むしろ退屈な休日にちょうどいいくらいの刺激だったよ」

「退屈な休日!? っていうか水色、いくらなんでも俺のいる前でその言い方はなくない!? つーか一護も一護で俺とこいつの扱いが違いすぎるんですけど!?」

 啓吾は高校時代の級友二人から向けられる辛辣なコメントにショックを受ける。まるで斬魄刀の切っ先で自分の心臓を貫かんとばかりに。

「ったく、なんでおめーみたいな腰抜け成金野郎が一番隊の席官なんだ? 京楽さんの人事もいよいよトチ狂ってきやがったな」

「失礼なことを言うでない! 私は実力で選ばれたのだ! 京楽隊長は院生時代から私の死神としての実力を高く買っておったからな」

 白鳥の地位を本気で疑う一護に、白鳥が猛反論をする。

 そんな二人を見かねたのか、口論を中断させるために啓吾は話を逸らす事にしたようだ。

「ていうかさ、一護が無事に来たから気にしてなかったけどよ。あの(ホロウ)・・・だったっけ? なんだってあれの中から人が出てきたんだ・・・・・・」

「確かに、あんなのは僕も初めて見たね。一護・・・あれって本当にただの(ホロウ)なの?」

 巻き込まれた被害者である啓吾と水色の問いに、一護が険しい表情で答える。

「あれは魔導虚(ホロウロギア)、つってな。普通の(ホロウ)とは少し事情が違うんだ。詳しいことはこれからあれを調べてみねーとわからねーけどな」

 そう言うと、一護はメガテリウムとなって暴れ回っていた男を一瞥。

 やがて気絶している男ごと、一護は詳しい調査の為にスクライア商店へと向かった。

 

           ◇

 

4月22日―――

東京都 空座本町 中心街

 

「ふぁ~」

「一護くん、疲れてる?」

 休診日。一護と夫婦水入らず商店街を歩いていた織姫は、ここ数日欠伸ばかり掻いている一護の体調を懸念する。

「あぁ。ちょっとな。さすがにこう立て続けに(ホロウ)魔導虚(ホロウロギア)が出たんじゃたまんねーぜ。こっちは一応医者って立場だからな。学生時代とは訳が違うぜ」

「あまり無理しないでね。辛かったらいつでも私に言って」

「ありがとう織姫。気持ちだけで十分嬉しいよ」

 思えば織姫とも十年近く同じ道を歩んでいるのだと感慨深くなる。

 初めて出会ったのは高校時代。たまたま死神・朽木ルキアから託された死神の力で(ホロウ)となった織姫の兄・(そら)と戦ったのがきかっけだった。

 以来、尸魂界(ソウル・ソサエティ)での死神との戦い始まり―――破面(アランカル)完現術者(フルブリンガー)滅却師(クインシー)との死闘を乗り越え番いになる事を選んだ。

 何かを護る為に死神として生きる道を決めた一護だったが、気づかないところで一番護られているのじゃ自分だということを織姫の言葉で再認識させられる。

 

「あいたっ!」

 不意に一護達の目に車椅子で移動中に転倒する男性の姿が映った。

 二人はすぐさま転倒した男性の元へ駆け足で近づき安否を気遣う。

「だいじょうぶですか?」

「体起こしますね」

「すまないね・・・」

 おもむろに声をかけ、車椅子ごと男性を起こしたとき、一護はあまりにも意外過ぎる人物の姿に目を見開きた。

 五年前、医学生時代の恩師・百目鬼遥が両手足を失った姿で目の前に現れたのだ。

「百目鬼先生!」

 歓喜の声を漏らす一護とは対照的に、百目鬼は当初きょとんとしたままだった。

「ご無沙汰しています先生。黒崎です・・・黒崎一護です」

「その派手な頭髪は・・・・・・!」

 

 落ち着いた所で一護達は百目鬼との再会を祝して、積もる話をしようと近くの喫茶店へ立ち寄った。一護達はここ数年の出来事を和やかに語り合い、百目鬼も彼らとの会話を心から楽しんでいた。

「そうか。君はお父さんの後を継いで開業医に」

「高校時代の悪友が院長やってる病院でちょうど研修期間が終わった頃だったんっすけど・・・親父が急に『あとの事はオマエに任せる!!』とかなんとかテキトーなこと言って海外に行っちまうもんで、半ば強引に後を継ぐ形になっちゃいました」

 医師免許取得後、現在の空座総合病院院長を務める石田雨竜(いしだうりゅう)の父・竜弦(りゅうけん)の計らいで研修医として勤務していた一護は、唐突に父・一心から実家である病院の経営権を譲渡されたのを機に若干25歳の若さで開業医となった。高い志を持って本格的な医師の歩もうとしていた矢先のことだった。

「なるほど。君もいろいろ苦労をしているようだね」

「俺なんかより先生の方が大変だと思うぜ」

「差し支えなければなんですけど・・・百目鬼先生、その体は?」

 両手両足が欠損し、車椅子となった百目鬼を見ながら恐る恐る尋ねる織姫。問われた百目鬼は、自嘲した笑みを浮かべ答える。

「車の事故でね、見ての通りすべて持っていかれた。お陰でメスも捨てる事になったよ。だが幸いにも若い頃に取った杵柄かこんな私を快く迎え入れてくれる大学があってね。今はそこで非常勤講師をしてなんとか食い繋いでる」

 ありのままに事実を口にする百目鬼を見ながら、一護と織姫はどこか憂慮した様子で表情を曇らせる。

「そうだ。良かったら、今度二人で研究室に遊びに来てくれ。いつでも歓迎するよ」

 

           ◇

 

4月24日―――

東京都 某医療大学 百目鬼研究室

 

「織姫君、バッテリーを入れてくれないか」

「はい」

 百目鬼の誘いを受けた二人は空いた時間を利用し、彼が勤務する大学の研究室へ足を運んだ。彼は現在も専門である整形外科の分野で義肢の開発をメインとした研究を続けていた。

「これが最新型の筋電義手・・・」

 百目鬼が普段の義肢に代わって身に着けている筋電義手と呼ばれる物を珍しそうに見つめる織姫。

「共同開発の企業スタッフがこれ一つで高級スポーツカーが買えると言ってたな」

「えっ!?」

 予想に反して高額な義肢の価格に織姫は吃驚し声をあげ、安易に触れようとした自身の行動を顧みる。

「そして日常使うには最低でも1、2年の訓練が必要だが、日本ではそういった医療施設は僅かに二つしかない。コストの面もあるし、実用化はまだまだ先だろう。やはり今は骨と筋肉で動かす能動義手のほうが圧倒的だ」

「ですが、この義手は長期間の訓練が必要な上、素早い連続動作には不向きでは?」

 筋電義手から能動義手に付け替える手伝いをしながら、一護が率直な所感を口にする。

 それを聞くや、百目鬼は「何~? よしよし見てなさい」と言って、二人に特技を見せてくれた。

「わっ! すごーい♪」

 感嘆の声をあげる織姫は一護とともに、両手の能動義手を器用に扱い、華麗にお手玉を披露する百目鬼の姿に目を輝かせた。

 得意満面にお手玉をやってのけた百目鬼は二人に自らの腕に嵌められた義手にまつわるエピソードを語ってくれた

「片手を失ったとある子供がいてね。その子のために開発をしたんだが、単純な動きはできても繊細な動きがね。それがクリアできれば、通常の人間と変わらない動作が可能になるのだが・・・」

「もし、そんな義肢が完成すれば患者が元の生活に戻れるかもしれない」

「希望を失わないで済むね!」

「ああ・・・それができればね」

 百目鬼は自分で語った事の難しさを何よりも痛感していた。だからこそ、彼は今の閉鎖的な医療環境を危惧し暗い表情を浮かべるのだった。

 

 一護達の帰りを見送ろうと研究室を出たとき、外は生憎の雨だった。

 学生の多くが居なくなった事でシーンと静まり返ったキャンパス内を歩いていた折、唐突に一護が呟いた。

「先生は強いですね」

「え」

「手足を失っても医師であることを諦めず、こうして研究を続けている」

「そうでもないさ・・・・・・よく考えるんだ。あのとき車に乗らなければ、ってね」

 一護達が卒業した翌年、百目鬼は今日のように雨が降っている夜道を車で走っていた。当時、彼は大切な患者の手術があり予定の時間が差し迫っていた。だが不幸な事に車のブレーキが故障していたのが災いし、結果として百目鬼は両手両足を失う羽目になった。

「あの一瞬で色々なものを失った。ここの教授に声をかけてもらうまで、そのまま山に引き籠ろうかとも思った」

 失意だった百目鬼は過ぎた事をいつまでも気に病んでも仕方がないと割り切り、前向きに新たな人生を歩もうと今の仕事を受け入れた。

「だがすべてが無駄ではなかったと思ってる。こうして君らにも会えて・・・」

 と、一護に話をしていたときだった。ふと外に目を向ければ一人の女性が傘を差したまま立ち尽くしていた。

 女性は百目鬼を優しい眼差しで見つめながら、おもむろに歩み寄ってきた。

「美雪くん!」

 

「ねーねー、一護くん。あの女の人だれかなー?」

「やめろよ織姫。人の恋路に首ツッコむのは」

 親密な関係に思える百目鬼と彼の幼馴染の女性―――小泉美雪(こいずみみゆき)の話をする様を一護達は柱の陰から静かに見守る。

 すると、美雪の口からある言葉が聞こえてきた。

「遥くん、私たち結婚しましょう」

「けけけけけ、けっ・・・こ・・・!」

 結婚という単語に織姫が必要以上に取り乱し、たちまち顔中が赤面。

 一方の百目鬼は彼女からの逆プロポーズを受け、嬉しく思う反面、胸につかえた思いから素直になれずにいた。

「美雪くん・・・やめてくれないか。もうすべてが事故に遭う前とは違うんだ。帰ってくれ。そして二度と僕の前に来ないでほしい」

「嫌よ」

「美雪くん!?」

「分かってるの、あなたが私のことを思って離れようとしていること。でもあなたは間違ってるわ。あなたがそばにいてくれるだけで私は幸せなの。だから諦めない。遥くんが来るなって言われても何度でも来るわ」

 双眸から透き通るような雫が零れ落ち、百目鬼の心は揺れ動く。遠目から見ていた織姫はもらい泣きをしてしまう。

「・・・・・・忘れていたよ。君が見かけによらず強情だったことを」

「はい」

 昔から百目鬼は彼女の涙には弱かった。何よりこんな体になってでも一緒にいたいと言ってくれた彼女の言葉が何よりも嬉しかった。

 おもむろに義手となった右手を差し出す百目鬼に美雪も自分の右手を差し出し、手を取り合った。

「おめでとうございます!」

 水を差すように聞こえてきた織姫の声。歓喜の涙を流す彼女の隣で一護も朗らかな表情を浮かべていた。

「ほんとうによかったー!」

「お二人を祝福します」

「君たち・・・まったく、お節介なものだな」

 などと口にしながら顔ははにかんでおり、四人の周りには終始穏やか空気が満ちていた。

 

 やがて雨は降り止み、日も暮れた頃合い―――織姫が美雪とともに帰路に就いてからも一護と百目鬼は大学に残っていた。

「良かったんですか? 美雪さんを送って行かなくて」

「僕の決心が鈍らないうちと思ってね」

「決心?」

 発言の意味に戸惑う一護。

 すると、百目鬼は研究室に戻るなり机にしまっていたある物を取り出した。

「先生・・・それは?」

「僕の人生を取り戻す研究だ。美雪くんには僕と一緒にいる事で引け目を感じさせたくないんだ」

「! これは・・・」

 一護が見たのは、今まで全く見た事の無い義肢の図面だった。

 いや、それは義肢という範疇を大きく超えていた。言ってみれば身体の構造を丸ごと組み替えるような設計図に近かった。

「義肢の機構を直接体に埋め込む図面だ。筋肉や骨の動きが直接義手や義足に伝わるようになる。僕はこの手術を成功させ失った手足を取り戻す。そして外科医としての自分を取り戻す」

「先生・・・でもこんな大手術誰が?」

「順大に蛭魔(ひるま)という親友の外科医がいる。やがては順大のトップに立つ腕を持つ男だ。僕はもう一度外科医として、たくさんの患者の命を救いたい。これは僕の人生最大の賭けなんだ!」

 

           ◇

 

4月26日―――

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「黒崎くん、君はここで待っていてくれたまえ」

「はい」

 かつての古巣へ向かって行く百目鬼の背中を見送り、一護は病院の外で吉報が返ってくることを期待する。

「先生・・・・・・」

 

「百目鬼、お前本気か?」

 医学生時代からの同期にして百目鬼の親友・蛭魔は百目鬼自身の口から語られた前代未聞の手術内容に驚愕。椅子から立ち上がり、デスクに広げられた持ち込まれた図面を凝視する。

「僕はいつでも正気だ。パイプやワイヤーを通し、肩甲骨に直接繋げ、複雑な動きを可能にし、電極を埋め込む事で補助する指も使えるようにするんだ。蛭魔くん、君の技術ならできるはずだろう。これで事故に遭う前と遜色ない医療を行うことができる。僕はどうしても外科医に戻りたいんだ!」

 ブラインド越しに僅かに入る陽の光。

 純粋な眼差しで訴えかける百目鬼の瞳に思わず目を逸らし、蛭魔は苦い顔できっぱりと告げる。

「無理だ・・・」

「な・・・・・・何故だ!?」

「やるとなるととんでもない手術になるし、感染症の危険も大きい」

「それは承知の上だ! だが―――」

「これは手術というよりただの()()()()だ! こんなリスクしかない手術誰もやらんよ。俺だってな」

「そんな・・・・・・この手術を頼めるのは君しかいないんだ! 医学生の時代からの親友だろ!?」

 藁にも縋る思いで蛭魔へ懇願する百目鬼。残された一縷の望みを失いたくないと全身全霊で訴える必死そうな彼の姿が蛭魔には正直鬱陶しかった。

「いい加減にしろ!」

 ゆえに冷たく突き放し、百目鬼が抱く淡い展望を断ち切ろうとする。

「こんな手術に手を出し失敗でもしたら俺の医師生命も終わりだ。悪いが帰ってくれ」

 突き放した際の衝撃によって、机に零れ落ちたコーヒーが百目鬼持参の図面に染み渡る。

 

「そんな・・・・・・!」

 望みが絶たれた事を告げられた一護は、百目鬼とともに近場の公園にいた。

 夕暮れ時の公園には自分と百目鬼だけ。その百目鬼はひどく消沈した様子だった。

「ムリも無いさ。リスクが高すぎる。だが、蛭魔くんのほかには・・・・・・」

 残された選択肢があるとすれば一つ。義手となった自分の腕を見ながら、何を思ってか百目鬼は「ならばいっそ、この手で・・・!」と、口にする。

「ムチャだ! 危険すぎる!」

「承知の上さ! でもするしかない!」

「けど先生!」

「だってそうだろ!? 僕は外科医なんだ! 僕から外科医をとったら何が残る!?」

 たとえ手足を失っても医者であり続けようと志を高く持つ百目鬼の言葉は、一護の心を突き動かすには十分だった。

 彼を助けたい。そう思った一護は意を決し大胆な提案を持ち掛ける。

「だったら先生。俺に・・・俺にやらせてくれ!」

「な・・・何を言っている!?」

「こんな成りしてっけど俺だって医者なんだ。俺は俺なりに医者として色んな手術をしてきた。アフリカで医療ボランティアに参加した時は、爆弾が今にも降って来そうな状況で手術をした事もあった」

「だが君は分かっているのか? もしも手術が失敗したらそのときは・・・」

「俺だってこの腕を奪われたら同じことを思うはずだ! だから先生やらせてくれ! 先生の手術を!」

 若い一護の未来を案じる百目鬼だったが、それでも一護の意志は金剛石のように固く揺ぎ無いものだった。

 

           ◇

 

5月2日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

 一世一代の大手術の日がやってきた。

 執刀医の一護は患者として今まさに麻酔が掛けられそうになっている百目鬼の言葉を真摯に聞いていた。

「ここから先は引き返しは利かない。私は私を救うために君自身の未来を奪うかもしれない。それでもいいんだね?」

「はい」

 躊躇や迷いの感情は一切無い澄んだ瞳に安堵したのか、百目鬼はそのまま麻酔によって意識が完全に沈黙。

 やがて、一護は今回の手術の助手として付けたユーノに申し訳なさそうに話しかける。

「悪いなユーノ・・・・・・俺のわがままに付き合わせちまって」

「師匠の頼み事の一つや二つなんでもありません。それに、もしもこの患者さんが一護さんで僕が一護さんと同じ立場だったとしたら・・・・・・きっと同じことをしていましたよ」

「そうか―――・・・」

 愛弟子も自分と同じ思いを抱いてくれる事を何よりも嬉しく思う。

 口角を僅かに上げた一護は、深呼吸で気持ちを整え、手術用の手袋をしっかりと嵌めてから目の前の患者―――百目鬼遥と向き合う。

「切開する場所は最低限に収め、骨にドリルで穴を開けてパイプを通していく――――――術式開始!」

 覚悟を決め、一護はユーノからメスを受け取った。

(先生、必ずこの手術成功させてみせる。ここからは孤独な戦いだ・・・・・・だが俺は必ず!)

 自分を信じて身を委ねた百目鬼の願いを叶える為、一護は背中を向けた彼の身体にメスを入れる。

「まずは左下腿断端部(だんたんぶ)を切開し術野を広げる」

 できるだけスピーディーに。それでいて正確に。患者自身の負担も考慮しながら一護は今日まで行ってきたシミュレーションを思い出しながらメスを振るう。

「次は右脚だ」

 いつだってそうだ。誰かを救う為に孤独な戦いを強いられてきた。そのたびに一護は誰よりも強く逞しく成長してきた。

 助手を務めるユーノはその事を如実に実感した様子だった。彼は目の前で起こっている奇跡のような出来事に目を見開くとともに、研ぎ澄まされた感覚で百目鬼に施術する一護を横で見る。

(一護さん・・・・・・あなたはいつだって護る為に戦い続けている。死神として、医師として、一人の人間として。自らの手で大切なものの命を救う為に)

 

 そして、五時間に渡る手術の末―――見事に一護は全てをやり切った。

 術後ユーノや織姫の助力もあり、百目鬼は僅か一週間という短い期間でリハビリを終え、見事職場復帰を果たした。

 

           ◇

 

5月10日―――

東京都 某医療大学

 

「今日の司法解剖誰が?」

「さぁ。特別な講師がやるって聞いたけど」

 司法解剖の講義を受ける医学生が期待に胸膨らませる中、手術室に現れたのは車椅子に乗った手術衣姿の百目鬼だった。

「わぁ!? な、なんじゃ?」

 学生だけでなく司法解剖を依頼し同席していた刑事も思わず驚く外観―――百目鬼は義手のパーツとしてメスや鉗子などの手術器具を格納していた。

「それでは検死を始めます」

「では助手を」

「いりません」

 一人でやって見せる、そう伝えた百目鬼は手慣れた様子で目の前の遺体にメスを入れ、検死を開始した。

 誰もが息を飲む。両手足を完全に失った筈の百目鬼が四肢を失う以前と遜色ない医療行為を行っていることに。

「ここからは特殊義肢を使います。これは第三第四の手として使うことが可能です」

 折り畳まれていた特殊義肢を展開し、足りない部分を補う。その姿はさながらロボットを彷彿とさせるものだった。

 少し、いやかなり異様な光景だった。

 だが周りからの目など気にも留めず、百目鬼は与えられた仕事を着実にこなしていく。

「これは・・・扼痕(やっこん)ですね。自分の爪でひっかいた痕だ。それと紐状のアザの方向からみて殺人に間違いありません・・・」

 

 この司法解剖が話題を呼んだ。

 吉報は直ぐに百目鬼の元へと届けられた。

「美雪くん! やったぞ! 手術の依頼が来たんだ! しかも僕が失職した順天堂大からの招待だ!」

「おめでとう遥くん」

「外科医としての再出発だ。必ずこの手で患者を治してみせる。そうしたらすぐに式を」

「うん・・・」

 

 ある者にとっての吉報。それは一方である者には悪報を意味する。

 百目鬼の外科医復帰を快く思わない蛭魔は同僚の鯖目(さばめ)多野(たの)教授らとともにこの由々しき事態を憂慮していた。

「かつてのホープがご帰還か」

「新義手で行った検死が話題になったとかで」

「あいつ余計なことを・・・」

「厄介だね」

「多野教授、何とかならないのか?」

「そうですねぇ」

 

           ◇

 

5月12日―――

東京都 松前町 スクライア商店

 

「一護さん。あなたが以前店に運び込んできた男性の調査結果が出ました。とんでもないものを見つけました」

「とんでもないもの?」

 店の地下にある研究室で、ユーノは一護に調査結果を見せた。

 巨大なスクリーンに表示されたのは素体となった男性から採取したミトコンドリアだった。怪訝する一護が凝視すると、ユーノは最新鋭の魔導電子顕微鏡の精度を上げていき、やがて分解能が1兆分の1―――ピコメートル単位に達したとき、それはあった。

 思わず目を見開く一護。ウニの幼生体として知られるプルテウス状に形成された三角形の未知なる物質がミトコンドリアに取り付いていた。

「こいつです。このピコメートル級の物質が身体に寄生していたんです」

「なんなんだいったい?」

「これこそ、あらゆる生物を(ホロウ)または魔導虚(ホロウロギア)に変貌させ、あるいは魂魄自殺へと誘う諸悪の根源。スカリエッティ一派は完全体となった魔導虚(ホロウロギア)で非物質粒子レギオンを含んだこの物質・・・『(ホロウ)化因子』を苗床として利用し、地上の文明を丸ごと滅ぼすつもりです。言うならば・・・・・・“虚焉(ホロウズ・デマイズ)”!!」

虚焉(ホロウズ・デマイズ)・・・だと?!」

 言葉が意味するものは想像するだけで背筋が凍り付く。ユーノの口から語られたのは、これまで不透明だったジェイル・スカリエッティが魔導虚(ホロウロギア)を使って為そうとする最終目標そのものだった。

「生物のマイナス思念をエネルギーにして成長する魔導虚(ホロウロギア)の体内に蓄積された無数の(ホロウ)化因子が完成した時、それは放出され―――同タイプの細胞で構成された生物全てに取り付く。そうなれば、あらゆる生物が幼生体も含めすべて滅びを迎える事になります」

 

           ◇

 

5月13日―――

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「どういうことですか? 手術がキャンセルって!?」

 順大を訪れた百目鬼は地獄に叩き落された感覚に陥った。

 多野によって告げられた衝撃の話―――二週間後に控えた手術が突如取りやめとなってしまったのだ。

「誰かが手術に反対を?」

「患者だよ」

 多野が懐から取り出し見せたのは、術後初めて行った司法解剖時の様子を克明に写した写真が数枚。

「どこからか手に入れたそうだ。こんな()()()()()()()()に手術されるのが怖くなったそうだよ」

 聞いた瞬間、百目鬼は絶望に打ちひしがれ―――目の前の景色が真っ暗となった。

 

「先生・・・またきっとチャンスがあります!」

「いや・・・医学会は閉鎖的な世界だ。外科医として受け入れてくれる病院はもうない」

「そんな!」

 彼を助けるために手術をした一護だったが、その行為が患者自身の口から無駄だったと突き付けられる。

「だがこれで諦めがついたよ。美雪くんには申し訳ないが・・・」

「先生・・・」

「蛭魔くんに挨拶をしてくる。気まずいまま別れたくないからね。君は先に帰ってくれたまえ」

 覇気の無くなった声で一護を突き放し、百目鬼は背を向けた。

 

 だが、この後百目鬼を待ち受けていたのは知られざる真実。

 そしてそのことが彼自身を復讐鬼へと変貌させるとは彼自身も思ってもいなかった―――・・・。

 

           ◇

 

5月16日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

「百目鬼先生の執刀が中止になった!?」

 一護から聞いた話に耳を疑う織姫。彼女以上にショックを受けている一護は浮かない顔で昼食のカレーを食べ進める。

「でも、検死解剖時の写真が患者に送られたって誰がそんなことを!?」

「普通なら考えられないっすよねー」

 同席していたコンも明らかにおかしいと思った。

「ひどい・・・ひどいすぎる。あんなに一生懸命準備してたのに」

「織姫・・・・・・」

 ショックなのは自分だけではなかった。織姫にとっても百目鬼は紛れもなく恩師である事を一護は再認識する。

「先生・・・ショックを受けてるだろうな」

「そりゃ手術がドタキャンになったんっすからねー」

「二人とも心配いらねーよ。先生には美雪さんがついてる」

 

 そう思ってカレーを口に運ぼうとしたとき、家のチャイムが鳴った。

 織姫が玄関を開けると、妙齢の女性―――小泉美雪がどこか焦ったような顔つきで立っていた。

「美雪さん?」

「あの・・・遥く、いえ。百目鬼先生は?」

 なぜ彼女がそんなことを聞くのか。不審がりながら、一護と織姫は百目鬼の行方を尋ねてきた彼女へ正直に話をする。

「えっと・・・私たちはてっきり美雪さんのところだとばかり」

「いいえ。手術の準備で当分戻れないと連絡があったきりで・・・」

「もしかして知らないんですか? 先生の執刀が中止になったこと」

「ええッ!?」

「もうずいぶん前ですが」

「捜さなきゃ・・・あの人を捜さなきゃ・・・」

 取り乱し動揺する彼女。落ち着かせようと織姫が詳しく事情を聴くことに。

「落ち着いて、何があったんですか?」

「手術の後に挙げるはずだった結婚式場がキャンセルされていたの。遥くん、戻らないつもりかもしれない!」

「・・・・・・・・・」

 嫌な予感がした。一護は百目鬼の身に何かが起きたことを直感する。

 

           *

 

東京都 文京区 順天堂大学医学部付属順天堂医院

 

「多野教授が行方不明? 確かヨーロッパでシンポジウムがあると」

 百目鬼の失踪と並行して蛭魔の身の回りでも不穏な事態が勃発。同僚の多野が三日前から行方が分からなくなったのだ。

「成田に向かったままそれっきりらしい。ヨーロッパにいるとばかり思っていたんだがね」

「あの多野教授が、約束をすっぽかして三日もなんて・・・」

 

『ここでニュースをお伝えします。先日、転落炎上した車ですが・・・焼死体となった運転手の身元はまだ確認できていません。焼け残った残骸から車は白のフォードア、イタリア製のセダンと判断しており・・・』

 何の気なく流れてきたテレビのニュース。それを聞いた直後、蛭魔は何かに気づいた様子で鯖目の方を見る

「たしか多野教授の車は・・・」

「セダンだ」

「多野教授は歯科の診察を受けてましたね? 警察に行ってきます」

 

           *

 

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

 行方不明となった百目鬼。診療室の机で一人彼の行きそうな場所を模索する一護に織姫が近づく。

「美雪さんはどうした?」

「心当たりを探すって」

 すると、一護は椅子から立ち上がり白衣を脱いで出かける準備を始めた。

「一護。どこ行くんだよ?」

「順天堂大病院」

 僅かな可能性を信じて一護は彼の古巣に何か失踪のヒントがあるかもしれないと思い、順天堂大学病院へ向かうことにした。

 

           *

 

東京都 世田谷区 高級住宅街

 

 警察へ向かった蛭魔の情報提供により、多野は三日前に事故で死亡していたことが判明。しかしこれにはいくつか不可解な点があった。

 車内で焼死体の姿になって発見された多野の右腕は事故の際に切断されていたが、警察の必死の捜索にもかかわらずその部分だけが見つからず、何よりナンバープレートも剥がされていた。

 これらの事から警察は多野の車に第三者が同乗しており、その同乗していた者の犯行とみて捜査を開始。

 蛭魔は帰路に就く途中、今回の出来事を不審に感じていた。

(やはり多野教授だったか。しかし何で右腕が・・・)

 明らかに不自然な死を遂げた多野。消えた右腕とナンバープレート。それが意味するものは不明だが、少なくとも内心穏やかではいられない。

 自宅へ戻り、鍵をかけて戸締りをしようとした瞬間―――ガっと、強い力で何かが扉を押さえつけた。

「ハッ!」

 何事かと思い隙間を覗き込むと、いつもとは比べ物にならない怖い表情でこちらを見つめる百目鬼が立っていた。

「やぁ・・・蛭魔教授。少し話があるんだ」

 

 一先ず百目鬼を自宅へ招き入れた蛭魔。晩酌用の酒をグラスに注ぐかたわら、車椅子ではなく義足なった百目鬼に率直な疑問を尋ねる。

「・・・車椅子はどうしたんだ?」

「義足にしたんだ。アタッチメントを交換することで二足歩行もできるんだ。使い方にコツがいるけどね」

「そ、そうか・・・・・・なんだ聞きたいことって?」

「僕自身の事故のことだ」

 問われた直後、一瞬顔つきが変化した蛭魔だったが直ぐに平静を装う。

「なんで今更そんな事を・・・」

「実は僕はあの事故のことをよく知らないんだ。考えたくもないし、知ろうともしなかった」

「俺だって知らないさ」

「いや。君ほどあの事故について知っている人はいないんじゃないのか? 亡くなった多野教授のように」

「! なんで多野教授が死んだと知っている? まだ発表になっていないはずだ。まさか・・・お前がやったのか?」

「・・・・・・あの日、執刀の中止を告げられて僕は打ちのめされた。やっと手にした再出発の機会を失ったんだからな。その運命を甘んじて受けようと思っていたんだ。病院に戻り、お前と多野の会話を聞くまではな・・・」

 段々と声が低くなり、口調が粗悪になる。言い知れぬ雰囲気を醸し出す百目鬼に蛭魔はかつて経験したことのない恐怖を覚える。

「事故の衝撃で切断された多野の腕はまるで天啓のように思えたよ。お前からはそうだな・・・左手をもらおうか」

「はぁぁぁ!!!」

 別人のように眼光鋭く睨みつけられた瞬間―――百目鬼の姿は異形の怪物へ変貌を遂げた。機械の脚を持ち、左腕には鋭利な刀、そして鬼神の如く白い仮面で覆われる。

 百目鬼遥は魔導虚(ホロウロギア)・ベファレンとなって身に着けた魔法の力でチェーンバインドを形成。蛭魔の首に引っ掛ける。

『さあ話してもらおう。俺の事故の真実を!』

「がぁぁ・・・・・・た・・・すけ・・・!」

 

 午後7時過ぎ―――。

 百目鬼の行方を追って順大病院を訪れた一護は最も居場所を知っていそうな蛭魔とコンタクトを試みる為、病院関係者から聞いた彼の住所へやってきた。

「静かな町だな。さすがは都内でも有数の高級住宅街ってところか」

 地図アプリで何度も蛭魔の自宅の住所を確認。あたりをきょろきょろと見渡す。

「確かにこっちの方向の筈なんだけど・・・」

 

「ぐああああああああああああ」

 

 絹を裂くような女の悲鳴―――とは言い難い、艶に欠けた男の叫喚が高級住宅街一帯へ響き渡った。

「なんだ今のは!?」

 ただ事ではない。そう思った一護は悲鳴の聞こえた方へ足を動かす。

 しばらくして、近くの公園の噴水近くで左腕を失い夥しい血を流す変わり果てた蛭魔の姿を発見した。

 一護は目の前の凄惨な出来事に驚きながら、すぐさま蛭魔の元へ駆け寄った。

「ひでー出血だ! しかも左腕が・・・ない!? よく見たらこの男・・・蛭魔教授じゃねーか!?」

 急いで病院に運ぼうとしたが、出血の度合いから運ぶ途中で失血死すると判断。

 逡巡した末、一護は鞄の中から持ち合わせの手術器具を使い血管結紮(けっさつ)による止血を前提とした応急処置に取り掛かる

(兎に角上腕動脈を見つけて縛る。そうすれば失血死には至らねー。くそ・・・出血が酷くて見えねー! けど俺は・・・・・・)

 目の前で死に呑まれそうな患者を死なせたくない。消え欠けている命の灯を何としても守りたい。一護は無我夢中で事にあたる。

 孤軍奮闘すること数分。辛うじて血管の結紮に成功した一護は、直ちに蛭魔を空座総合病院へと搬送した。

 

           *

 

東京都 大田区 田園調布

 

 逃げる。逃げる。逃げる。

 鯖目は逃げ続けていた。背後から執拗に迫る死神の化身から。

 だが、死神は決して狙った獲物を逃がさない。恐怖に脚が竦む鯖目の元に現れたのは―――百目鬼遥の皮を被った魔導虚(ホロウロギア)・ベファレン。

「ゆ・・・許してくれ・・・俺のせいじゃない・・・頼む・・・俺にできることがあれば何でもする!」

『では手足を返してくれ』

「そ、そんなこと不可能だァ!」

『いや・・・そこにあるだろう』

 研ぎ澄まされた左腕の刀。その波紋に映る死の恐怖に顔を歪める鯖目を薄ら笑うベファレン。

 恐怖に耐え切れず背中を向けて疾走する鯖目に狙いを定めた、次の瞬間―――ベファレンの凶刃が鯖目の肉を斬り裂いた。

「ああ・・・」

 気が付くと、綺麗な切断面で自分の左脚と体が分離。骨を断った際の想像絶する痛みを鯖目は身をもって経験する。

「ぎゃあああああああああああ!」

 体中の力が一気に抜け落ちるような感覚だった。ベファレンは切断した鯖目の左脚を回収すると、静かに獲物の前から立ち去った。

 

           ◇

 

5月18日―――

空座本町駅前 空座総合病院

 

「ん・・・・・・ここは?」

「ようやく目が覚めたか。蛭魔先生」

 目を覚ました蛭魔は見知らぬ天井を見つめ、その後周りの様子を確認。真っ白なベッドと部屋の雰囲気から病院である事を察し、近くには執刀を担当した外科医で空座総合病院院長―――石田雨竜(いしだうりゅう)が立っていた。

「ここは病院だよ。腕を斬られ、失血死寸前のところを運び込まれてきたんだ」

「腕?」

 ふと思い出した。慌てて左腕を確認すると、そこにあるはずの腕が無くなっていた。

「腕・・・俺の腕、俺の腕が!」

 悪い夢を見ていたとばかり思っていた蛭魔は否が応でも現実を突きつけられる。狼狽する蛭魔に石田は冷静に問いかける。

「一体何があったんです? しっかりしてくれ。あんたが三日間眠っている間に同僚の鯖目教授が亡くなったんだ」

「あ・・・あぁぁぁああああ・・・!! あいつだ・・・あいつがやったんだ! あの怪物がやったんだ!?」

「怪物? なんだその怪物というのは?」

「片腕に日本刀、金属の脚、胸に孔の空いた白い仮面で覆われた・・・!」

「なんだって?!」

 次の瞬間、蛭魔の精神に住み着いた悪鬼―――百目鬼遥こと、ベファレンの姿が瞳の奥に映し出された。

 

「百目鬼だああああああああっ!」

 

           *

 

5月20日―――

空座町 南川瀬 クロサキ医院

 

「蛭魔教授の証言によると、一連の犯行は全て百目鬼先生の仕業だそうだ。順天大病院での執刀を邪魔された事を恨んでの犯行だとね」

「そ、そんな・・・」

 あまりにもショッキングな話に同席していた美雪は言葉を失う。

 一護と織姫は石田とユーノの話を真摯に聞きながらこの痛ましい事件の全容について少しずつ理解し始める。

「ユーノ君の協力で、多野教授が司法解剖時の写真を患者に送ったという裏が取れた。蛭魔ら内神田院長派が百目鬼先生を追い出したのは間違いない」

「なんでそんなことを?」

「所謂『白い巨塔』と言うヤツですね。百目鬼先生を招待したのは反院長派でして、蛭魔達は百目鬼先生が順天大に返り咲くことで反院長派の勢いに弾みがつくことを警戒したんです」

「そして百目鬼先生はその事実を知って犯行に及んだらしい。しかも、悪い事に彼はその身を魔導虚(ホロウロギア)と化している」

「そんな!」

「いや、もっと何かあるはずだ。蛭魔達は何か隠してる!」

「ともかく。今は彼がこれ以上罪を重ねる前に何とか食い止めなければなりません」

(先生・・・いったい今どこにいるんだよ)

 魔導虚(ホロウロギア)化した百目鬼の行方は未だ知れない。

 しかし、一護はふと以前百目鬼の研究室を訪れた際に彼が口にした事を思い出す。

「山・・・・・・もしかして先生はそこに!」

「その話なら心当たりがあるわ。たしか、古い御堂があると聞いたことがあるの」

 美雪から裏が取れた。一護はたった一つの可能性に懸けることにした。

 

           *

 

東京都 御岳山

 

 その山中にひっそりと佇む、古びた小さな御堂。

 暗雲が立ち込め、ゲリラ豪雨に見舞われる。一護は一歩ずつ歩を進め、刺すような霊圧漂う御堂の中へ足を踏み入れる。

 ひっそりと静まり返っている境内。天井からは幾つもの義手がまるでもぎ取られた腕のようにぶら下がっていた。

 刹那、近くで落雷が起こると、一護は反射する雷の光に映った探し人の姿を目撃する。

「!」

 再会した百目鬼の代わり様に一護は衝撃を受けた。

 人としての姿を放棄し、完全にその身を外道の怪物へと堕とした姿は居たたまれない。同じ道を目指していたはずの彼は、今や終わりなき悪夢の道を歩む復讐の悪鬼と化していたのだ。

『帰れ』

「百目鬼先生・・・・・・」

『帰ってくれ。でないと俺は君をも傷つけてしまうかもしれない』

 魔導虚(ホロウロギア)化してなお人間としての自我を僅かに残し、その残った自我で以って一護を引き返させようとする様が尚のこと辛い。

 刃を突き付けられた一護は普段にも増して皺の寄った表情で問いかける。

「何があったんです? 手足を失っても前向きに患者のために医療に尽くそうとしていた先生を俺は誇りに思っていた。そんな先生がどうして魔導虚(ホロウロギア)なんかに成り下がっちまうんだ!?」

『ふふふふ・・・・・・ははははははは』

 唐突に笑い出すベファレン。怪訝する一護を見ながら彼は言葉を紡ぐ。

『そうだな。必死に乗り越えようとしていたよ。何も知らず、手足を失った事さえ自分の所為だと思い込んで・・・・・・だがそうじゃなかった!』

「え?」

『あいつらが奪ったんだ。俺の身体を・・・人生を! すべての夢を!』

 迅雷が再び御堂近くの森に落ちる。一護は神経がささくれた彼に恐る恐る問う。

「何をしたんだよ? 蛭魔達は先生に!?」

『あの日、君と別れて病院に向かった俺は蛭魔達が俺を追い出したのだと知った。それを問い質そうと多野の車に乗った・・・』

 

 

「教えてください!! どうして僕の再起を邪魔したのか? どうして僕が・・・順天大に戻ってはいけなかったのか!?」

 激しい雨が降りしきる断崖絶壁の道を猛スピードで走行する車内―――百目鬼は必死にハンドルを握りしめる多野に怖い顔で詰問。

 すると、多野は百目鬼に怯えながら赤裸々に告白した。

「怖かったんだ!  お前の事故の件がばれるんじゃないかと・・・・・・!!」

 

 

「まさかあいつらが先生の事故に!?」

『あのあと、俺と多野を乗せた車は崖から落ちた。そして気が付くと俺はこの姿となっていた。そして奴の切断された手が俺に復讐を決意させた。奪われた手足を奪い返せとね・・・・・・。それから俺は蛭魔を問い詰め、ついに事故の真実を知ったんだ』

 事故の際、滅びかけた百目鬼の肉体は偶然にも機人四天王の一人―――クアットロによって回収され、幼生虚(ラーバ・ホロウ)との融合によって魔導虚(ホロウロギア)化し、その後彼は復讐の為に身に着けた能力を用いて人間の姿へ戻り、自分を陥れた者達へ刃を向けたのだった。

 険しい表情を浮かべる一護を見ながら、ベファレンは事故の真相をおもむろに語り始めた。

『当時――-医局を制する最大派閥は蛭魔達が属する内神田副院長派で、内神田がすんなり院長になり蛭魔らもそのままポストを上っていくと見られていた。ところが理事長の不正経理が発覚したことですべてが白紙に戻され・・・大学のイメージを立て直す為に改革派の蛯名副院長が急遽次期院長候補として浮かび上がってきたんだ。こうして内神田副院長と蛯名副院長の熾烈な選挙戦が始まった。醜い争いだったよ・・・だが情勢は蛯名副院長の絶対優勢。ついに内神田達は実力行使に出ようとしたんだ』

「実力行使?」

 

 

「こうなったら蛯名の失態を図るしかない。何か方法は無いか?」

 ホテルの一室に集まり、内神田は同席していた蛭魔と鯖目、多野らに案を募る。

「ヤツは明後日、財務大臣の手術を控えています。そこでミスをやらかせば・・・」

「しかし、大臣の身に何か起これば病院の責任になります」

「いや。大臣のスケジュールは分刻みですからね。送れて手術が流れるだけで十分な失態になる。蛯名はいま兄の手術で伊豆にいます。そこから戻れないようにすればいいだけです」

 

 

『俺はそのとき、蛯名副院長から直々に助手を頼まれて伊豆に同行していた。蛭魔達はその旅館に車の整備士を潜伏させ、車を故障させることで大臣の手術への到着を遅らせようとした。だがそこで思わぬ事に副院長が突然体調を崩した。俺は副院長の代わりに大臣の手術へ向かうために車を走らせた。蛭魔が言うには車が動かなくなるように細工を頼んだそうだが・・・何かの手違いでブレーキに細工をしていたんだ』

「莫迦な! そんな事の為に・・・そんな事の為に先生が?」

『結局・・・蛯名副院長は脳出血で亡くなった。何もしなくても院長の座は内神田に渡っていたんだ。そして俺だけがすべてを奪われた! 俺は大学病院の権威なんてどうでもよかった。ただ患者を治したい・・・患者を治すため手術がしたかっただけなんだ!』

 胸が張り裂けそうだった。腐敗した医学界の闇によって人生を狂わされた百目鬼に一護はなんと声をかければ良いのだろう。もしも百目鬼と同じ立場に立たされた時、自分もまた復讐鬼と化していたかもしれない。

「奴らは裁かれるべきだ。だが先生がこれ以上罪を重ねるなんて・・・。こんな事したって誰も報われねえ! 美雪さんは今でもずっと先生の帰りを・・・」

『それ以上言うな!』

 怒声を放ち、左腕と一体化した刀を一護へ突きつける。

『俺は自分の方法で奴らを裁く。もう引き返せないんだ』

「先生・・・・・・」

『その邪魔立てをするなら、たとえ君でも容赦しない。俺は・・・・・・本気なんだ』

 頻々と鳴り響く雷鳴。稲光に反射するベファレンの朱色に光る殺気に満ちた瞳には復讐の二文字しか浮かんでいない。

 最早言葉ではどうすることもできない。明確な覚悟を持って実力行使に出る必要が迫られる中、一護が出した結論は―――

「・・・・・・先生の覚悟はよくわかったぜ」

 おもむろに懐に忍ばせていた「死神代行戦闘許可証」こと、代行証を取り出し、その力で以って死神化。

 一護は背中に帯びた斬月を構えてベファレンと対峙する。

「俺も覚悟を決めるぜ。俺は死神として、魔導虚(ホロウロギア)になった先生を―――斬る」

 

 刹那、両者は滾る霊圧を一気に解放させる。

 突進と同時に手持ちの刀と刀を交わらせる。それによって異質な霊圧同士の接触に伴う大爆発が発生。御堂は吹っ飛び、二人は雨降りしきる外へと飛び出した。

「ほおおおおおおお」

 豪雨に身体を濡らしながら一護は斬魄刀を振るう。

 ベファレンは一護が繰り出す一太刀一太刀を左腕と一体化した刀で受け止め、身に着けた多彩な魔法スキルで翻弄しつつ、優勢を獲得する。

『どうした? その程度の覚悟で俺を止められると思っていたのか?』

 未だ迷いのあるように思える一護の刃。ベファレンは霊圧と魔力を研ぎ澄ませたエネルギーを斬撃に乗せ、一護目掛けて放つ。

「ぐあああ」

 斬撃を受け、叩きつけられるように地面へ激突。

 ちょうど現場へ駆け付けた織姫とユーノが発見したとき、一護の身体は死覇装ともどもボロボロだった。

「あなた!!」

「一護さん!!」

 満身創痍の一護と頭上で立ち尽くすベファレンを見、ユーノは直ぐに魔法を発動させようと呪文を唱える。

「妙なる響き、光となれ!!」

 

「やめろユーノぉ!!!」

 森中へ響き渡る甲高い声。

 呪文の詠唱をやめたユーノに一護は斬月を杖代わりにして立ち上がると、肩で息をしながら懇願する。

「・・・今回オメーは引っ込んでろ。俺一人でやる。オマエは織姫が巻き込まれねーようにしてくれ」

「一護さん・・・」

「・・・たのむ・・・手ェ出さないでくれ。これは、俺の戦いだ。」

 それは他を寄せ付けない力強い言葉だった。

 ユーノは変わり果てた恩師を救済する為に覚悟を持って刃を振るい戦う一護の姿を、幼馴染の女性の姿と重ね合わせる。

 子供の頃にも同じようなことがあった。窮地に陥った幼馴染を助けようとした折、彼女―――高町なのははフェイトとの戦いに水を差されるのを良しとしなかった。

 当事者同士の決闘に部外者が口を出すのは許されない。ユーノは一護の誇りを踏み躙らない為に潔く引き下がる事を受け入れる。

 そうして再び刃を取った一護はベファレンと向き合う。

 決して目を背けない。嘗ての恩師だった男の成れの果てである眼前の怪物を見据え、血の滲む手の中に握りしめた斬月の柄を強く握りしめる。

 次の瞬間、瞬歩で前に出るや一護は斬月を振り下ろす。ベファレンも自己加速術式によって一護へ接近。左腕と同化した刃を振るう。

 カキン―――。鋭い金属音が幾度となく衝突する。

 激しい雷雨の中で交わされ合う刃と刃。ユーノは織姫を結界内で保護しながら戦況を静観。しかし内心穏やかではいられなかった。

(一護さん――――――・・・!)

 刃を交わすたびに傷ついていく一護の姿が居たたまれない。何より見ているのが辛かった。堕ちた師の魂と対峙し、断腸の思いで戦うことを決めた彼を黙って見ていることがユーノには身を引き裂かるように辛かった。

 今すぐにでも助けに行きたい。そうすれば自分の力で彼を護ることができる。

(ダメだ・・・手を出しちゃダメなんだ!!)

 しかし、ユーノはゆめゆめ手を出そうとはしない。ここで手を出せば師の誇りを無視する事になる。死神代行・黒崎一護の尊厳を侵害する行為だけは決してあってはならないことなのだ。

(僕が手を出して勝ったところで・・・一護さんは決して喜びはしない! 何よりこれは誇りを守るための戦いだ・・・僕なんかが・・・手を出しちゃいけないんだ・・・!)

 今の自分ができることはただひとえに一護の勝利を信じることのみ。

 そして、目には見えぬ神にひとしお強く切実な願いを祈祷することばかり。

「・・・死ぬな・・・! ・・・・・・一護さん・・・・・・ッ!!」

 

 雷鳴轟き、篠突く雨が体に刺さる。

 血も涙も何もかもを洗い流す雨の中、ボロボロの黒衣に身を包む男・黒崎一護と同じく満身創痍の魔導虚(ホロウロギア)・ベファレンは向き合っている。

『はっ、はっ、はっ、どうした。刃が鈍っているぞ。そんな剣じゃ俺は殺せない』

「はっ、はっ、はっ、俺は死神だ。そして医者だ。あんたが(ホロウ)である限り俺はたとえ恩師でも斬るしかない。だだ・・・・・・医者として俺は最後まで患者のために寄り添う!」

 死神としての誇り。医者としての誇り。相反する二つの誇りを背負い、一護が背中に抱えたのはどちらも『守る』ことへの強い執念だった。

 それを聞いた直後、ベファレンの口元が若干嬉しそうに吊り上がった気がした。

 次の瞬間―――ベファレンが刃を携え全速力で突進。一護の首筋目掛けて豪快に刃を突き立てた。

 しかしながら、刃は首筋に当たるや何か固いものに阻まれたかのようにピタリと止まった。見れば一護の頸動脈付近に特殊な筋が浮かび上がっていた。

 かつての霊王護神大戦にて一護が自分の中に眠りし滅却師(クインシー)の力に覚醒した際に発現した滅却師(クインシー)特有の防御術『静血装(ブルート・ヴェーネ)』。それによって破面(アランカル)鋼皮(イエロ)並に硬質化した皮膚の前では通常の刃は取らない。

 一護は呆気にとられるベファレンの一瞬の間隙を突き―――振り上げた斬月を豪快に力強く、振り下ろす。

 

 ドン――――――

 

 ついに戦いの終止符が打たれた。

 身の丈を超える巨大な刀で頭から斬られたベファレンは沈黙。一護の前でぐったりと倒れこむとそのまま動かなくなった。

「は――――っ。は―――っ。は―――・・・っ」

 最早立っていることさえ限界に近かった。

 熾烈を極める戦いを制した途端、一護は全ての力を使い果たした様子で膝を突きぐったりと前に倒れこむ。

「あなた!!」

「一護さん!!」

 織姫とユーノが雨に身体を濡らしながら一護へ駆け寄る。

 二人の声に気づいた一護は辛うじて意識を保ちながら疲労困憊ながら笑顔を取り繕った。

「・・・よォ。悪かったな・・・・・・ユーノにも迷惑かけちまって」

「・・・・・・馬鹿言わないで下さいよ・・・僕にもっと迷惑かけろって言ってるのは・・・あなたじゃないですか」

「・・・そうだったか・・・・・・へへ・・・・・・」

 ほどなくして、斬月に斬られた事で魔導虚(ホロウロギア)化が解けた百目鬼が元の姿へと戻る。

 だが悲しい事かな。彼は既に絶命しており、残された最後の生命エネルギーも魔導虚(ホロウロギア)化の際に使い果たしてしまった。

 一護はこの世に綺麗な亡骸を残して昇天した百目鬼の身体をそっと抱きかかえる。

「先生・・・・・・!」

 ピクリとも動かない。こんな筈じゃなかったと後悔したところで何も意味はない。沈痛な面持ちの一護を見ながら、ユーノは言葉を紡ぐ。

「・・・確かにこの人は被害者です。医学界は管理局に負けず劣らず権威主義に塗れた魔窟です。百目鬼先生はただそんな世界に真っ向から立ち向かっただけです」

「・・・ゴメンな・・・俺・・・医者の癖に先生を助けてやれなかった・・・・・・・・・」

 零れ落ちる涙が雨と一緒に冷たくなった百目鬼の頬へ伝わる。

 織姫は悔しくて小刻みに体を震わす一護を勇気づけようと、肩に手を当て和やかな表情で呼びかける。

「・・・・・・一護くんは、立派に務めを果たしたよ。一護くんがいなかったら、先生の魂は永遠に救われることはなかった。だから、胸を張って」

 その言葉で幾分気持ちが楽になった。

 一護は今の今に至るまで自分を見続けてくれた師に精一杯の敬意を表し、穏やかに笑いかける。

「・・・先生、ありがとうございました・・・!」

 

           ◇

 

5月26日―――

東京都 某寺院

 

 都内にあるとある寺院でしめやかに行われた故・百目鬼遥の葬儀。

 葬儀に参列した一護と織姫は墓石に百目鬼の遺品として残った義肢を備える美雪とともに手を合わせる。

 そして心中、一護は百目鬼を破滅へと追い込んだ医学界の腐敗と医者としての使命について自問自答し続ける。

(派閥、金、くだらないプライド、確かに今の大学病院は腐ってやがる。患者を助けないで何の医者だ!)

 拳を強く握りしめる一護。

 やがて、踵を返し織姫達に背を向け元来た道を戻り始める。

(一護くん・・・・・・)

 彼の背中が語るもの―――織姫は機敏にそれを理解し、それゆえに胸が張り裂けそうだった。

 

 

 ―――「それでも俺たちは・・・俺たち医者は、メスを取らなきゃならないんだ」

 ―――「たとえ明日には虐殺の王になろうとも、医者はその命に為にメスを振るう」

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:久保帯人 『BLEACH 3巻』 (集英社・2002)

原作:久保帯人 著者:成田良悟『BLEACH Can't Fear Your Own World 1』 (集英社・2017)

 

 

用語解説

※ルチャドール=スペイン語でプロレスを意味するルチャリブレの選手で、男性を指すときの言葉。




登場人物
百目鬼 遥(どうめき はるか)
声:山寺宏一
元順天堂大学の外科医で一護の恩師。フランケンシュタインの怪物のようないかつい顔をしているが、根は善良。交通事故で四肢を失って職を追われる。両手足には自身が開発した義肢を装着している。幼馴染の小泉美雪という恋人がいる。
外科医として再起するため、手術器具を格納した特殊義肢とそれを自在に操作する機器を開発し、それらを自身に組み込み、これを用いた司法解剖をやり遂げる。しかし、機械仕掛けの人間に手術をされることを怖れた患者にその後の手術の予定をキャンセルされ、再起の道を絶たれる。その直後、かつての事故の原因が人為的なものだったことを知り、憤慨。多野を問い詰めた際に転落事故に巻き込まれ、死にかけていた所をクアットロに目を付けられ魔導虚化。事件の関係者への復讐を決意すると、事件の真相を知る蛭魔の左腕を切断し、多野と鯖目を死に至らしめた。
一護との壮絶な死闘の末に敗北。魔導虚化が解かれた時には既に魂は肉体から抜け落ちており、その亡骸は一護らによって回収され、都内の寺院で葬儀が挙げられ、形見の義手も墓に添えられた。
小泉 美雪(こいずみ みゆき)
声:桑島法子
遥の幼馴染であり婚約者。事故で両手足を失った遥との結婚を控えていたが、蛭魔達に外科医としての再起を邪魔された事に怒り、遥が魔導虚となってしまった事で全てがご破算となった。葬儀の際には形見の義手を彼の墓前に供える。
蛭魔(ひるま)
声:諏訪部順一
順天堂大学の外科医で百目鬼の学生時代からの友人。現在の内神田院長の派閥として大学病院の権威を得るために百目鬼を陥れた張本人。
事故の真相を確かめる為に現れた百目鬼に詰問され、魔導虚化した百目鬼によって左腕を落とされる自業自得の結果を招いた。
多野(たの)
声:間島淳司
順天堂大学教授。外科医としての再起を図る百目鬼の手術を妨害する為、百目鬼が行った司法解剖時の写真を彼が担当するはずだった患者へ送りつけた。その後、事故の真相を確かめようと車へ乗り込んだ百目鬼に詰問され、操作を誤り崖下へ転落し焼死体となって発見された。
鯖目(さばめ)
声:平川大輔
順天堂大学教授。多野・蛭魔とともに帝都大学病院の内神田派閥に属する。百目鬼が大学病院に戻ることで権威失墜を恐れ蛭魔と多野とともに百目鬼の再起を邪魔した。そのことが仇となり、魔導虚となった百目鬼に恨みを買われてしまい、左脚を斬られた際の大量失血で死亡した。
内神田(うちかんだ)
声:井上和彦
順天堂大学院長。副院長だった当時、改革派の蛯名副院長と熾烈な派閥争いを繰り広げ、劣勢を翻るために同じ派閥だった蛭魔らと共謀して蛯名を陥れようとし、結果として百目鬼が四肢を失う遠因を作った。



登場魔導虚
ヨミテリウム
空座町に出現したナマケモノのような外観をした魔導虚。肥満体系の男性を素体とした融合型の魔導虚でだが戦闘力はさほど高くなく、一護によって一撃で倒された。
のちに素体となった男性のミトコンドリアからピコメートルサイズの虚化因子が見つかったことにより、ユーノはスカリエッティの狙いが全地上の生物を虚または魔導虚化する「虚焉」であると突き止めた。
名前の由来は、南アメリカ大陸に生息していた巨大なナマケモノの近縁属である「メガテリウム」から。
ベファレン
声:山寺宏一
かつて順天堂大学の派閥争いに巻き込まれて手足を失った百目鬼遥が幼生虚と融合して誕生した魔導虚。
機械の脚を持ち、左腕には鋭利な刀、鬼の如く仮面で覆われた姿をしている。純粋な復讐心を糧としている為、戦闘能力は非常に高く、外科医としての再起を奪った蛭魔達を次々と襲う。
左腕に装着された刀から魔力と霊力の斬撃を飛ばし攻撃する「鏖斬り(スコップアウト)」や自分の姿をかたどり、相手の油断を誘う「身体転写(トレース)」という技を使う。
魔導虚化して間もないことから自我が完全に喪失する前の一護に立ち退くよう言うが断られ、死神としての覚悟を決めた一護と一進一退の攻防の末、滅却師の防御術「静血装」を用いた一護に隙を突かれ、最期は斬月によって斬り伏せられた。
名前の由来は、ドイツ語で「襲う(災害・恐怖など)」を意味する「befallen」から。
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