書士と狩人   作:タカミヤ

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1章 暖かき麓の村

 雪の残る街道を、青年は足早に歩いていた。

 街道と言っても、王都付近に敷かれた道ほど立派なものではない。

 小型の荷車が通れば、それだけで道が一杯になってしまうだろう。

 

 しかし青年は、道の中央を我が物顔で歩くことができた。

 人通りが少ない、というよりも皆無だったのだ。

 

「これで道は合ってるんだよな」

 

 決して地理に明るい方ではなかったが、迷いようがない一本道だ。

 道中の村で仕入れた情報によれば、街道を辿れば夕方までには目的地に着くとのことだった。

 それでも道行く人をまったく見かけないとなると、不安にもなってくる。

 

 既に太陽は折り返し地点を過ぎていた。

 午後の淡い光を浴びて、眼前にそびえるフラヒヤ山脈が白く輝いている。

 こうして遠目に見る分には、美しい光景だった。

 

「ずいぶん辺境まで来ちゃったなあ」

 

 天気は良く、旅の気候には恵まれていた。

 吐く息は白いが、この程度の寒さは歩いていれば苦にならない。

 

 ただし陽が落ちれば話は別だ。

 それまでにたどり着けなければ、凍える一夜を過ごす羽目になるだろう。

 考えるだに恐ろしく、青年はさらに歩調を速めた。

 

 やがて道脇に木製の看板が立ててあるのを見つけ、青年は足を止めた。

 田舎道には場違いな真新しい看板に、くっきりとした文字が書かれている。

 

〈この先、ポッケ村〉

 

 視界は開けていた。

 前方に向かって街道は徐々に広くなり、緩やかな上り坂を形成している。

 その先はまだ見えないが、目的地は近いとみて間違いない。

 

 青年は荷物を背負い直し、ふうと息を吐き出す。

 そして顔に若干の緊張を浮かべながら、再び歩き始めた。

 

 

   * * *

 

 

 ポッケ村は、王都から遠く離れた辺境の地に位置する。

 大陸北方に連なるフラヒヤ山脈を臨む、雪山の麓に作られた小さな村だ。

 青年が事前に仕入れていた情報によれば、昔は鉱山村として栄えたが、今は寂れた寒村であり、この地を訪れるのはハンターか行商人ぐらいだという。

 

 外門と呼ぶには簡素すぎるアーチをくぐると、そこが村全体を見通せる高台であることが分かった。なだらかな傾斜を下った先は開けており、野菜や果物、日用雑貨を並べた店が立ち並んでいる。

 店先のアイルーに呼び込まれた買い物客が、じっくりと商品を見定めていた。傍では母親らしき女性たちがにこやかに談笑し、その脇を子供たちがはしゃぎながら駆け抜けていく。

 

 どのあたりが寂れているのやら。物の本が役に立たないことを痛感する。

 青年は現場よりも書斎を好むが、自分の目で見たものを否定するほど頑なではなかった。

 

「やあ! ようこそ旅人さん!」

 

 村を見渡していると、銀髪の男性に声をかけられた。

 肩幅が広く、顔つきも精悍であり、屈強な印象を受ける男だ。

 そんな男が大股で近づいてくるものだから、少し物怖じしながら会釈した。

 

「王立学術院からの客人とは、キミのことかな。遠路遥々、ご苦労だったね」

「こんにちは。あなたがポッケ村のハンターさんでしょうか」

 

 いいや、と男は首を振った。

 右の袖をまくりあげ、筋肉質な二の腕を見せてくる。

 そこには深く抉られた傷跡が残っており、青年ははっと息を飲んだ。

 

「この通り、ハンターは引退した身でね。はは、気にすることはない。もう十年以上も前の話だ。今となっては、この傷も良い思い出だよ」

 

 穏やかに笑う男と相対しながら、青年は改めて納得するところがあった。

 

 ハンターという人種は、独特の雰囲気をまとっている。

 青年が彼らと接する機会はそう多くなかったが、それは確かな実感としてあった。

 彼らは一様に快活であるが、眼光は研ぎ澄まされた刃のように鋭く、そしてどこか現実離れしている。

 身一つで強大なモンスターを狩る者たちは、くぐり抜けてきた死線の数が違う。それが貫禄というか、説得力と呼ぶべきか、そういう類のものを生むのだろう。

 目の前の男も、既に現役を退いているとはいえ、一般人とは一線を画しているように思えた。

 

「村を案内したいところだが、まずは契約相手と顔を合わせるのが先だな」

「ポッケ村付きのハンターさんは、どんな方なんですか」

 

 青年の依頼相手は、ポッケ村の専属ハンターだ。

 G級クラスの実力者で、扱いの難しい太刀という武器の使い手らしい。

 過去に学術院の依頼を何度かこなした実績もあり、信頼はできる。

 

 しかし肝心の性格や人となりについては謎に包まれていた。

 近年は街には出ずに、村で静かに暮らしているという噂もある。

 

「そうだな。キミの期待に応えられるハンターであることは間違いない」

「あの、他には」

「ははは、書士殿は慎重なのだな。取って食われはしないのだから、実際に会った方が早いさ。ほら、そこの家を訪ねてみたまえ」

「ありがとうございます」

 

 青年は元ハンターの男に頭を下げ、逃げるようにその場を去った。

 不安から少しでも情報を仕入れようとした魂胆を、見抜かれてしまったように思えたのだ。

 

 

 男が示したのは、村の入り口からすぐ左に折れた先。

 木材と石を組み合わせて造られた大きな家だった。

 

 玄関口の脇に下された雪は、まだ新しい。

 青年はしばらく逡巡していたが、右手で握り拳を作り、年季の入った戸を叩いてみた。

 

 実際のところ、どんな人物が出てくるのだろう。

 彼と上手くやっていけるだろうか、神経質な人じゃなければ良いなあ、王都嫌いのハンターだったらどうしよう、などと色々な思いが駆け巡っていく。

 

「……あれ?」

 

 返事はなかった。

 勘弁してくれと思いながら、今度は強めに叩いてみる。

 やはり静かなままだ。留守にしているのだろうか。

 

 あまり気は進まないが、もう一度さっきの男に尋ねてみるべきか。

 そう考えて引き返そうとした、その時。

 

「はーい!」

 

 明るい女性の声と同時に、勢いよく戸が開いた。

 

「……へっ?」

 

 青年が当惑の声を上げたのも無理はなかった。

 中から姿を見せたのは、青年と同じぐらいの年の女性だった。

 他の村人たちと同じく、ポッケ村の伝統衣装に身をつつんでいるが、フードは被っていない。

 紫みを帯びた薄い青色の髪が、ざっくりと一つに束ねられている。

 王都では見たことのない、珍しい色だった。

 

「いらっしゃい。あなたが学術院の人ね」

「えっと、そうですけど……」

 

 この人は誰だろう。

 ハンターの奥さんにしては若すぎる。しかし娘にしては大人だ。

 そもそもこの村のハンターが家庭を持っているなんて話はなかった。

 

「あの、ポッケ村のハンターさんはどちらに」

「私がハンターだよ。さあ入って入って。あっ、靴は脱いでね」

 

 青年はますます困惑しながら、早口の催促に従った。

 雪に濡れた靴を玄関口に置き、室内へ足を踏み入れる。

 部屋の空気は外と変わらず、冷たく尖っていた。それもそのはずで、向かって右側にある二つの突き上げ窓は、どちらも開け放たれており、外の寒風が容赦なく吹き込んでいる。

 

「奥を片付けてたから、すぐに出られなくてごめんね」

「いえ、お気づかいなく」

 

 ハンターを名乗る女性は、軽い口調で話しながら、突き上げ棒の回収にかかる。

 

 青年は部屋を見渡した。居住スペースとしては、簡素な部屋だった。

 まず目についたのは、部屋の左手側に置かれた大きなアイテムボックスだった。

 学術院内の倉庫でも見たことはあるが、ハンターの場合は狩りに使う道具をしまうのだろう。蓋の裏側に埃が溜まっている。長らく開けっぱなしらしい。

 ボックスの隣では、暖炉がパチパチと控えめな音を立てている。その上には小さなヤカンが乗せられ、いかにも雪国の村の風情を醸し出していた。

 暖炉の右側、玄関から見て真正面には、奥へと続く通路が開いている。のれんに遮られて見えないが、奥にも部屋があるのだろう。

 

「好きなとこに座ってて良いよ」

 

 女性は背を向けたまま話す。

 青年はそそくさと暖炉の前に陣取り、腰を下ろした。

 暖炉の向かい側に置かれた机には、いくつもの本が横倒しのまま積まれている。

 机の脇には大きなベッドが置かれており、今はハンターが膝立ちで、布団を踏みつけていた。

 

「よいしょっと。お待たせ」

 

 ようやく窓を閉め終えた女性は、そのままベッドに腰かける。

 床に座っている青年からは、彼女を見上げる形となった。

 

「まずは自己紹介しましょうか。あなたの名前を教えてくれる?」

「シュレイド王立学術院書士、サクミと申します」

「私はポッケ村付きハンター代理のアイネ。よろしくね」

「しばらくお世話になります」

 

 丁寧に頭を下げながらも、サクミはアイネの言葉を訝しく思っていた。

 彼女がハンターだというのも信じられないが、気になったのは代理という言葉だった。

 

「ポッケ村のハンターさんは、かなりの腕利きだそうですね」

「照れるなあ」

「ベテランの男性だと聞いておりましたが」

「……性別は変えようがないから目をつむるとして、若いのはお互い様だと思うんだけど。あなた、いくつ?」

「この春で16になりますが」

「ほら。ちなみに私は17だから、よく覚えておいてよね」

 

 何故か勝ち誇っているアイネからは、いかにも同年代らしい幼さを感じられた。

 村に入ってすぐに話した男との落差も大きく、やはりハンターには見えない。

 

「……この村のハンターはしばらく留守にしているの。どこに行ったかは誰も知らない」

「じゃあ僕の依頼書に返事をくれたのは、もしかして」

「私だよ? 『ポッケ村のハンターとして喜んで引き受けます』って書いてたでしょ?」

「代理の文字が抜けてますよ!」

 

 なんということだ。

 代理を務めているなら、事前に教えてくれても良かったではないか。

 

「ねえ、何かがっかりしてない?」

「話に聞いていたのと違う人がいたんだから、がっかりもしますよ」

 

 これでは騙されたようなものだ。

 G級ハンターと聞いていたのに、実績があると思っていたのに。

 よほど不満が顔に出ていたのだろう、これまで笑顔だったアイネが眉をひそめた。

 

「私だって、もっと偉い書士官クラスが来るものだと思ってたんですけど? 戸を開けたら年下の男の子で、当てが外れちゃったなー」

「ぐ……」

 

 アイネは横目でこちらを見ながら、わざとらしくため息をついた。

 どうやらこの人は、言われた分はしっかりと言い返すタイプらしい。

 サクミとしては面白くない気分だったが、新米書士である事実は覆せない。

 それに、むやみに言い合うのも不毛だ。

 この場はこらえようと無言を通すと、アイネも意地悪な視線を引っ込めた。

 

「それで、書士さんの目的は何なの。学術院名義の依頼書には、フィールドワークの護衛って書いてあったけど」

「依頼書の通りですよ。僕は、将来的には書士官の地位を目指しています」

「へえ、エリート志向なのね」

 

 書士隊を指揮する権限を持つ書士官の立場ならば、より自由に研究を深めることが可能だ。

 書物だけでは分からないことも、書士隊に命じて直接調べさせることもできる。

 

「ですが学術院では、多数の書士たちがそれぞれの専門分野で活躍しています。その中から書士官になれるのは一握りのみ。僕は今までにフィールドワークを経験したことがなく」

「その点で、後れを取っているのね。それで高名なポッケ村のハンターに依頼をしたと。なるほど、これは責任重大ね」

「……話が早くて助かりますよ」

 

 サクミが旅の途上で練ったそれらしい動機を、アイネは簡単に受け入れた。

 決して嘘はついていない。書士官を目指しているのは、偽りのない本音だ。

 

 しかしサクミが王都の外、遠くポッケ村を訪れたのは、自ら望んでのことではなかった。

 

「フィールドワークって、どういうことをするんだろう」

「具体的な予定を立てていません。僕は《外》のことには無知ですし、ベテランのハンターさんに一任するつもりでした」

「そうなんだ。じゃあ私の好きにして良いってことね。とりあえず狩りの見学でもしてみる?」

「危ないのでそれは遠慮したいのですが」

 

 いきなり話が恐ろしい方向に向かい始めたので、サクミは慌てて釘を刺した。

 極端な話、フィールドワークに出たという既成事実さえ作れれば充分なのだ。

 危険を伴う狩りに付き合うなんて、とんでもない。

 しかしアイネは、サクミの心情など知る由もなく、別の捉え方をした。

 

「ハンター代理の腕が信用ならない?」

「あなたを信用するしないの問題ではなくて、安全面の考慮を……」

 

 サクミの弁解を聞かず、アイネはすっくと立ち上がり、壁に掛けられていた剣を手に取った。

 

 人の半身ほどもある、巨大な剣。

 その分厚い刀身は、燃え盛る炎のように赤い。

 

「な、何のつもりで」

「この《バーンエッジ》は、私が火竜を狩った証」

 

 アイネは片手で剣を構えて見せた。

 火竜リオレウスといえば、ハンター以外にも広く名を知られているモンスターだ。

 大空を自由に飛びまわり、口からは灼熱の炎を吐くという、恐るべき飛竜の代表格。

 そんな人智が及ぶとは思えない強力なモンスターを狩った?

 

「ハンターになりたての頃、アルコリス地方のココット村で修行していた時期があってね。さすがに手強かったよ。燃え盛る火球を潜り抜け、猛毒の爪を掠めつつ、最後は私が劇的な勝利を収めたってわけ」

 

 口ぶりから察するに、アイネはこの武勇伝を話し慣れているように思えた。

 それが嘘ではないことを、燃え盛る刃が如実に証明している。

 仮に剣を見せられなかったとしても、サクミは彼女を疑わなかっただろう。

 朗々と語るその姿は、一点の曇りもない自信に満ちあふれていたのだ。

 

「たしかに私は代理の立場で、本来の村付きハンターには敵わない。でもこの一年間、彼の代わりに、村の守り手を全力で努めてきたの。書士さんの力になる自信はあるよ」

「……申し訳ありませんでした」

 

 サクミは素直に頭を下げた。

 アイネは、彼女なりの矜持を持っている。

 年齢や性別、ハンター代理という肩書きを気にしたのは、サクミの非礼だった。

 

 もっとも、アイネの方は話すだけ話したら満足したらしい。

 バーンエッジを立て掛けると、元の明るい表情に戻っていた。

 

「せっかくだから、私の目的も話しておくね。書士さんの依頼を受けた理由」

「それは少し気になっていました。報酬金も大した額は出せていないはずですが」

「上乗せしてくれても良いんだよ?」

「できません」

「検討する振りぐらいしてくれても」

 

 今回のフィールドワークは、学術院から資金を出してもらっている。

 しかし大部分は、王都からポッケ村までの旅費に消えてしまった。

 おかげで肝心のハンターへの報奨金が、相場を大きく下回っていたのだ。

 

「お金もあるに越したことはないけど、それより欲しいものがあるんだよね」

「と言いますと?」

「あなた、博識なんでしょう。なんたって《王国の頭脳》にいるわけだし」

 

 様々な研究機関を抱え、膨大な知識が集結する学術院は、俗に王国の頭脳と呼ばれる。

 しかしハンターの口からこの通称が出てくるのは意外だった。

 

「私は書士さんから知識を盗みたいの。ハンターではない研究者の視点で得た知識を」

「……ハンターさんは勉強熱心なんですね」

「ありがと。本職の書士さんに言われると嬉しいもんだね」

 

 誇らしげに笑うアイネを前にして、サクミの胸中には新たな憂いが広がりつつあった。

 彼女の村付きハンターとしての矜持や、貪欲に知識を求める向上心には、感心している。

 

 しかしアイネは学術院を、新米書士を買いかぶりすぎだ。

 自分が持っている知識は、彼女を満足させられるだろうか。

 

 自信は、まるでなかった。

 

 

   * * *

 

 

 冷たくも清涼な空気を吸い込んで、サクミは大きく伸びをした。

 アイネの案内を受けながら、午後のポッケ村をだいたい回り終えたところだった。

 

「あれが書士さんの拠点だからね」

 

 村に立ち寄ったハンターに貸し出すギルドハウスは、しばらく使われていない様子だった。

 アイネの家ほどではないが、一人で使うには充分すぎるほどに大きい。

 

「滞在中は、ここを好きに使って。ルームサービスのアイルーは元キッチンアイルーだから、頼めばご飯も作ってくれるよ」

「あの、なんというか……」

「まだ足りないものがあったか。さあ、ハンターさんに何でも言ってみなさい」

「逆です、こんなに良くしていただいて、恐縮してしまって」

 

 無償で宿を貸してもらえるのは、嬉しい誤算だった。

 この村は物価もそう高くなさそうだし、残り少ない資金でもやっていけそうだ。

 

「良いの良いの。お婆ちゃ……じゃなかった。村長が決めたことだから」

「ああっ!」

「え、いきなりどうしたの」

「村長さんへの挨拶を、まだ済ませていませんでした」

 

 しばらく滞在するつもりなのだから、集落の長には挨拶をしておくのが礼儀だ。

 むしろ村を訪れたとき、まず一番に会いに行くべきだったのかもしれない。

 

「村長さんはどんな方なんですか」

「竜人のオババ様って皆は呼んでるよ。今から数百年前に、このポッケ村を開いた人」

 

 サクミが考えていたよりもずっと、ポッケ村の歴史は長かった。

 村を作った当事者が、今なお現役で長を務めているのも驚きだが、それも竜人族なら不思議ではない。

 

 彼ら竜人族は、人間よりも長寿で、博識だ。

 根拠のない迷信に惑わず、物の考え方は合理的であり、学術院でも一目置かれている。

 各地の集落では生き字引として、民を取りまとめる者が多いと聞いたことがあるが。

 

「あのマカライトが見える? お婆ちゃんはいつもあの辺りにいるの」

「ちょっと確認できないです。すみません、僕は視力が悪くて」

「私の目が良すぎるのかもね。付いてきて!」

 

 軽快に歩くアイネの背を追って気づいたことだが、ポッケ村は実に複雑な地形をしている。

 決して広くはないが、起伏の激しい土地であり、隅々まで回るには傾斜を上り下りする必要があった。

 

「どうして村長さんは、この場所に村を作ったんでしょうかね」

「私も不思議に思って尋ねたことがあるんだけどね。この地形と温泉があるから、雪が溜まりにくい場所なんだって」

「あれ、やっぱり温泉なんですね」

「もちろん。旅行者にも開放してあるから、落ち着いたら入ってみるといいよ」

 

 村の中にはいくつか水辺があり、薄緑の水面からは湯気が立ち上っていた。

 雪のちらつく露天風呂は、さぞ心地が良いことだろう。

 

 温泉を横目に、緩やかな斜面を登った先、そこには特大の青い鉱石が祀られていた。

 鉱山村だった頃の遺物だろうが、これほどに大きなマカライトは見たことがなかった。

 

「おお、よく来たね。待っておったよ」

 

 ポッケ村の村長は、サクミの腰ほどの背丈しかない竜人だった。

 すぐ近くにある守り石との対比で、余計に小さく見える。

 竜人の年齢など見た目からは想像もつかないが、アイネが呼んだ通り、お婆ちゃんという表現がよく似合っていた。

 声は高めだが、キンキンと響くような鋭さはなく、むしろ優しく包み込まれるような心地よさがあった。

 

「書士殿。このような辺境までご苦労だったね」

「挨拶が遅れて申し訳ありません。王立学術院書士のサクミと申します。これからしばらくお世話になります」

「丁寧にありがとうね。困ったことがあれば、いつでもオババを訪ねるがいいよ」

「ねえ、書士さんを連れていけるような依頼は出てない? 採集がなかったら、小型討伐でも良いんだけど」

 

 挨拶が終わったと見て、アイネが前のめりに尋ねる。

 すると村長は、そう尋ねられることを知っていたかのように、懐から三つ折りの紙を取り出した。

 

「雪山草摘みの依頼が来ておるよ。このぐらいが、雪山見学にはちょうどいいかもしれんの」

「やった! じゃあさっそく受注して」

「これこれ。今から出ては、帰りが夜になってしまう。それに書士殿も長旅で疲れておろう」

 

 話が先へ先へと進展する状況に青くなっていたが、村長のとりなしで一命を取り留めた。

 採集依頼が狩猟よりも安全なのは明白だが、それでも狩場に出向くことは変わりない。

 出かける前には、ゆっくりと心の準備をする時間を取りたかった。

 

「それもそうね。出発は明日の朝にしようか」

「あの、明後日では駄目ですかね?」

「時は金なり、知は力なり。書士さん、私たちは一日たりとも無駄にはできないんだよ」

 

 本当に、下手な書士よりも勉強熱心な人だ。

 ハンターではなく、学術院の徒となる道の方が向いているのではないだろうか。

 

「ほっほ、共に励むとよい。ヌシらの交流が、互いに実り多きものになるよう、このオババも願っておるよ」

「ありがとう、お婆ちゃん。じゃ、またね!」

 

 丁寧に一礼して村長と分かれた後、サクミはギルドハウスに向かって、来た道を引き返した。

 隣を歩くアイネは、預かった依頼書に目を落としていたが、何かに気づいて立ち止まる。

 

「あれ、依頼人はシンシアお姉ちゃんか」

「お知り合いですか。村長さんが取りまとめているなら、ポッケ村の方なのでしょうけど」

「うん。私が小さい頃、よく一緒に遊んでたお姉ちゃん。雪山草なら、普段は旦那さんが採りにいってるはずなんだけど」

 

 横から依頼書を覗き込む。

 村長が話していた通り、依頼内容は雪山草の納品だった。

 薬の材料に使っているので補充したい、といった文言が書かれている。

 

「ちょっと会いに行ってみようか。書士さんも付いて来なよ、お姉ちゃんは美人さんだし」

「それは関係ありませんが。せっかくなのでご一緒しますよ」

「半年前に結婚しちゃったんだよねー。書士さん、惜しかったね」

「何がどう惜しいんですか。早く行きましょうよ、一日たりとも無駄にできないんでしょう?」

 

 アイネに付いて路地裏を通り抜け、大通りから外れる。

 急勾配に土を重ねて作られた古い階段を下り、村の低所へと辿り着いた。

 

 そこは表ほどの賑わいはないが、小規模な店がいくつか並ぶ区画だった。

 その右端の店頭に、一人の女性が佇んでいる。

 商品は瓶詰めの粉末と、束ねられた草花がいくつか。薬効のある植物を取り扱う店らしい。

 

「いらっしゃい、アイネちゃん。何か入り用かしら」

「こんにちは。今日は買い物じゃなくて、依頼を受けてきたの」

 

 サクミやアイネより十歳近く年上の、どこか儚い印象を与える女性だった。

 全体的に細身ではあるが、前掛けに隠れたお腹は、それと分かるほどに膨らんでいる。

 じっと視線を向けてしまい、アイネに咎められて慌てて女性に謝った。

 

「気にしなくて良いわ。アナタが学術院の……ふふ、すっかり噂になってますよ」

「噂、ですか」

「はい。王立学術院の方から直々に依頼されたんだって、アイネちゃん大喜びで。ここ数日間、村のあちこちで自慢してましたから」

 

 その言葉に隣を見ると、アイネがバツの悪そうな顔をしている。

 サクミの視線に気づくと、何か文句でもあるのか、と言いたげに睨んできた。

 

「それより、お姉ちゃんは表に出てきて大丈夫なの? 安静にしてないといけないんじゃ」

「そうもいかないのよ。うちの人が熱を出して倒れちゃってね」

「薬草屋の主人が、なんでこの大事な時に……」

 

 アイネは呆れ顔だが、シンシアはゆっくりと首を横に振った。

 

「違うのよ。私があまり動けないから、その分まであの人が無理しちゃって。でも嬉しいの。熱を出すほど頑張ってくれたってことでしょう」

 

 そう話すシンシアの表情は、夫への慈愛に満ちていた。

 なるほど、新婚夫婦だという感想しか出てこない。

 アイネはいよいよ呆れ果てたのか、口がぽかんと開いている。

 

「えっと……それで仕入れが滞って、雪山草が足りなくなったのね」

「急ぎじゃないのよ。ただ、在庫が少し心もとなくて。アイネちゃん、お願いできるかしら」

「任せて。そのための村付きだからね。明日この書士さんも連れて雪山に行くから」

 

 アイネは自信満々に引き受けると、ついでにサクミのことにも言及した。

 まあ、とシンシアは穏やかに微笑む。

 

「お手伝い、ありがとうございます。充分に気をつけてくださいね。アイネちゃんが一緒なら、きっと大丈夫だとは思いますが」

「ハンターさんとはぐれないように気をつけます」

「子供のお使いじゃないんだから。書士さんは心配性だなあ」

 

 そんなことを言われても、楽観的になれるわけがなかった。

 ハンターズギルドが狩場に指定している場所で、一人はぐれるような事態になれば、生きて村に戻ることはできまい。

 誇張なしに、命がかかっているのだ。

 

「心配いらないって。雪山は綺麗なところだから、明日を楽しみにしてると良いよ」

 

 当たり障りのない返事をして、サクミは遠景の山々を眺めた。

 白き山脈には、夕暮れの赤みが薄く差し込みつつあった。

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