書士と狩人   作:タカミヤ

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2章 銀世界に立つ

 サクミが渡した原稿に、ユズリが目を通している。

 日頃から表情の少ない先輩書士が、どのような評価を下すのかは読めなかった。

 

「自信のほどは?」

「ないことはないですね」

「だからワタシに先に見せに来たか。素直だこと」

 

 サクミは黙って評価を待った。考察の踏み込みが甘い自覚はあるが、全体の論理は破綻なく通っているはずだ。ここで先輩からヒントを得られれば、論文の完成度はぐっと高まるだろう。

 しかしユズリは思わぬ言葉を口にした。

 

「サクミ。そろそろフィールドワークに出てみたら」

「……え?」

 

 何を言い出すのか。

 一瞬の思考停止を挟んで、サクミは猛然と反発した。

 情報不足に喘いでいた昔とはわけが違う。多くの謎は明かされ、書物に記されている時代だ。

 もちろん実地でしか分からないこともあろうが、そんな情報はハンターや探検家たちが持ち帰ってくれる。書士の仕事は情報を精査し、実のある結論を導くことだ。

 手間をかけてまで身を危険に晒す必要はないと、サクミは確信していた。

 

「そうは言っても、キミは一度も《外》に出たことがない。まずは一度体験してみるのも良い」

「アーサー卿のように未踏の地へ向かい、そのまま命を散らすのが正しいのですか。僕はそうは思いませんよ!」

 

 学術院の前筆頭書士にして、ハンターとしても有名だったジョン・アーサー卿。

 調査のために勇敢なフィールドワークを繰り返し、幾つもの新発見を学術院にもたらした功労者だが、やがて帰らぬ人となった。

 彼の後釜には対極的な学派のロン先生が就いたが、アーサー卿を信奉する者たちは今も強く反発している。

 無謀なフィールドワークに命さえ散らしていく彼らの熱狂ぶりは、サクミの目には異常な光景として映っていた。

 

「僕の同輩たちにも、外に出かけること自体が目的となった連中が多くいます。彼らはアーサー卿の悲劇に酔いしれているだけだ。ユズリさんも前にそう言っていたじゃないですか!」

「噛みつかないで。キミの考えを否定するつもりはない」

「……すみません」

 

 いつの間にか身を乗り出していたことに気づき、サクミは頭を下げた。

 ユズリは尊敬できる書士であり、サクミのことを何かと目にかけてくれる先輩だ。

 彼女に呆れられてしまうのは望むところではなかった。

 

「サクミ。練度の高い報告書には現地調査が付き物。これはワタシの持論ではなく、学術院の総意。キミの文章はよく書けている。けれど教授たちは認めない」

「外を知らない書士が認められることはないと?」

「そう」

 

 反論を許さぬ即答だった。

 サクミは依然として不満をくすぶらせていたが、ユズリの主張自体に齟齬はない。

 そしてサクミが学術院という組織に属している以上、逆らい続けることはできなかった。

 

「……分かりました。不本意ですがユズリさんに従います」

「ヒトコト多いよ、キミは。まあ良い。行き先はワタシが手配するけど」

「好きにしてください」

 

 自棄になって言い放つが、ユズリは怒らなかった。

 何でも受け止めてくれるこの偉大な先輩に、甘えてしまっている自覚はあった。

 

「不満な顔をしない。だいたいキミが思っているほど、フィールドワークは悪いものじゃない」

「行くなら安全なところが良いです」

「当然。キミのような軟弱者を、未開の地に向かわせるわけがない。ワタシの責任問題になる」

 

 ユズリが声もなく笑った、ように見えた。

 まさか楽しんでいるんじゃないか、とサクミは疑いの視線を向ける。

 先輩書士は意にも介さず、引き出しから大きな地図を取り出した。

 

「行き先は雪山が良い。麓の村……そう、《ポッケ村》には、信頼に値するハンターがいる。腕の良いヒトだから、キミも安心できるはず」

 

 こうして、サクミのポッケ村行きが決まった。

 目的も行き先も、何から何まで先輩書士の意向による、まるで主体性のないフィールドワークだ。

 

 ただ一つだけ、予定が狂った。

 

 現地入りしたサクミを迎えたのは、ユズリが想定していた人物ではなかったのだ。

 村付きハンターの代理を自称する彼女との出会いが、調査の吉と出るか凶と出るか。今のサクミにはまだ判断がつかなかった。

 

 

   * * *

 

 

「……さん。おーい、書士さん」

 

 テントの外から自分を呼ぶ声がして、サクミは意識を呼び戻された。

 返事をするよりも早く、ハンターが無遠慮に覗き込んでくる。

 

「もしかして寝てた?」

「違いますよ。考え事をしていただけです」

 

 ポッケ村からここまで歩いてくるだけでも、馬鹿にならない距離があった。

 昨晩あまり眠れなかったこともあり、サクミはテントの簡易ベッドで休んでいたのだ。

 

「そろそろ出発しようと思うんだけど」

 

 頷いてテントの外に出ると、澄んだ空気に取り囲まれる。冷たい風に吹きつけられて、サクミは思わず瞬きをした。

 雪山のベースキャンプは、小高い丘の上に作られていた。狭い区画にひっそりと張られたテントは、背の高い木々と岩に囲まれ、天然の隠れ家のようだった。

 他に目につくものとして、青と赤の木箱が一つずつ設置されている。どちらも年季が入っており、ところどころ色が剥げていた。

 

「この青い箱が支給品ボックス。開けてみる?」

「では、失礼して。……う、意外と重いですね」

 

 両手に力を込めて蓋を開け放つと、ギイイと木の軋む音が響いた。

 アイネが箱の中身を見て、ため息をつく。

 

「ろくな物が残ってないや。仕方ないか」

「仕方ないって、それで済ませて良いんですか」

「そろそろ補充してほしいけど、ここしばらく雪山には大型モンスターが出てないし。今回は採取クエストだから、これだけあれば充分かな。私の鞄に入れといて」

 

 アイネは支給品ボックスを物色すると、手当たり次第に道具を押しつけてきた。

 雑に折り目の付いた地図に、未開封のまま砕けている携帯食料、そして小綺麗な赤色のビン。

 てきぱきと動くアイネに急かされるように、サクミは手早く鞄にしまっていく。

 

「それにしても今日は風が強いね。寒くない?」

「大丈夫です。これを着ていますから」

 

 サクミの身を包んでいるマフモフコートは、ポッケ村伝統の防寒着だ。今回のクエストの依頼人、シンシアから借り受けたものだった。

 本来の持ち主は彼女の夫だが、どうやら体格差があるらしい。サクミが着るにはやや大きく、分厚い布地も相まって動きにくい。

 しかしこの布地が冷たい風を遮断し、外部からの衝撃をも和らげてくれるため、ハンターにも愛用者は多いのだという。

 

「それなら良かった。先に進むほど、寒さが厳しくなってくるからね」

「あの、ハンターさんこそ寒くないんですか。フードはどうしたんです?」

 

 アイネも自前のマフモフを着込んでいたが、束ねた青髪は雪山の冷たい風にさらされていた。

 フードを被っているサクミでさえ、頬には冷たさを感じるほどだが、彼女は気にしていない様子だ。

 

「帽子やフードって、頭が重くなる気がして。ちょっと苦手なんだよね」

「なんだ、単なる好みの問題ですか」

「……。フードを被らない利点は三つあります。まずは広い視野の確保。異変を見落とすようじゃ、ハンターとしてやっていけないからね。次に」

「好みの問題ですよね?」

「さて、出発しようか書士さん! ちゃんと私に付いてきてね」

 

 

 開けた平原に出たのは、歩き始めてすぐのことだった。

 入り組んだ地形のベースキャンプと違い、視界を遮るものは何もない。足元には背の低い草が一面に広がり、ところどころ雪が溶け残っている。

 左手には広大な湖が、なみなみと水をたたえていた。そして遥か遠景には、一様に雪化粧した山脈が彼方まで連なっている。

 

「ようこそ。大陸北方の狩猟フィールド《雪山》へ」

「僕たちはもう、ハンターズギルドが指定する狩場に入ったんですか」

「そうね。ここは雪山の玄関口で、エリア1って呼ばれてる場所。狩場の要所には数字が割り振られていてね、安全圏のベースキャンプに近いほど若い数字が当てられるの。逆に頂上の方は……」

 

 アイネの言葉の後半は、サクミの耳に入ってこなかった。

 平原の先に数頭の獣が闊歩しているのを見つけ、気を取られたのだ。

 草食竜ポポ。穏やかな性質であり、寒冷帯においてアプトノスの代替家畜として広く飼われている。しかし、今サクミの視界に映っているのは野生の個体だった。

 

「ねえ、聞いてる? ポポばっか見てないでさ」

「ごめんなさい、実際に見るのは初めてなもので」

 

 アイネが目を見開く。

 辺境の人々からすれば信じられないだろうが、本国に暮らすサクミたちにとって、モンスターとは決して身近な存在ではない。その存在を信じない者さえいるほどだ。

 

「書士さん、まさかポポを知らないなんてことは」

「もちろん知識としては頭に入れていますよ。僕も書士の端くれですから。ただ、この目で見たことがないだけでして……」

 

 サクミはほとんど話に集中できていなかった。

 先ほどのポポが近づいてきたのだ。動き自体は緩慢だが、巨体ゆえに歩幅が大きく、あっという間に距離が縮まっていた。

 

「怖がらなくても大丈夫。小さいのが混じってるから親子連れみたいね」

 

 たしかにアイネの言う通り、一匹ほど体格の小さなポポが確認できた。それでも背びれの高さはサクミの背丈と変わらない。親個体ともなれば見上げるほどで、圧倒される心地がした。

 

「何かの間違いで、急に襲ってきたりしませんよね」

「ないない。こっちから手を出さない限りね」

 

 ポポの親子連れは、サクミたちの前を横切り、そのまま通り過ぎようとしている。

 あまりにも無防備な彼らの死角で、アイネは悪人のように笑い、腰に差したバーンエッジに手を伸ばす。

 

「な、何をする気ですか。そっとしておきましょうよ」

「せっかく狩場に出たんだし、ちょっと刺激があった方が良いかなって」

「無害で温厚な親子連れですよ。絶対に手を出しちゃ駄目です!」

「はーい。そんなに身構えなくても大丈夫なのになあ」

「身構えてなんていません!」

 

 そう答えた後で、自分がきつく握りこぶしを作っていることに気づいた。

 一方のアイネは緊張感のない欠伸をしている。ハンターにしてみれば、このエリア1は通過点に過ぎないのだろう。

 

「さてと。ここには用はないから、どんどん進んでいくよ」

「雪山草を探さなくて良いんですか」

「あの草はもっと上の方にしか生えてないから」

 

 アイネはポポたちに背を向けると、岩壁に向かって歩いていく。サクミも付いていったが、先に道らしきものは見当たらない。

 

「どこへ向かっているんです?」

「こっちこっち」

 

 手招きの先には、3メートルほどの高台があった。これがどうしたのかと尋ねる間もなく、アイネはわずかな岩の隙間に足をかけ、軽やかに登っていった。

 サクミが呆然としていると、上からアイネが顔を出す。

 

「ほら、書士さんも早く」

「いやいや。無茶を言わないでくださいよ! 僕は木登りだってしたことがないんですからね!」

「そんなこと堂々と言われても。そっち側に足場がない?」

 

 言われた通りに確認すると、高台の陰に簡素な階段が組んであるのを見つけた。土嚢を積み上げて作られたようだ。

 

「ちゃんと上がれるようになってるじゃないですか」

「ポッケ村のハンターに感謝しないとね」

「自分で言わないでくださいよ」

「ああ、私のことじゃなくて」

 

 そういえば、この足場は新しいものには見えない。行き交う村人やハンターたちに何度も踏み固められ、元からそこにあったかのように調和している。

 これはアイネがハンター代理になるよりも前の時代、本来の村付きハンターの手によるものと考えて良いだろう。

 

「ハンターはモンスターを狩るもの、という印象が強かったのですが、そればかりじゃないんですね」

「特に村付きは、街のハンターとはだいぶ性格が違うからね。用心棒と賞金稼ぎみたいな?」

「分かるような、分からないような」

 

 高台に上がったサクミを待ち受けていたのは、洞穴の入り口だった。

 中の様子は暗く、奥までは見通せない。ひんやりとした空気が漏れ出ている。

 

「ちょっと寒いし入り組んでるけど、ここを通って山の中腹に出るよ」

「他に道はないものですかね。たとえば、あちらとか」

 

 サクミが指差した方向は、ベースキャンプからエリア1を直進する道だ。

 広く緩めの登山道となっており、先ほどのポポたちの姿が見える。山頂を目座すなら、あちらの道が順当であるように思えた。

 

「あの先はエリア2ね。垂直の崖を命綱なしで登っていくことになるけど、それでも良いなら」

「親切なハンターさんが足場を用意してくれていたりは」

「しないよ」

「うう。遠慮しておきます」

 

 洞窟に入る前の準備として、アイネは鞄からビンを取り出した。支給品ボックスから回収した赤色のビンだ。

 慣れた手つきで封を開け、口元に持っていく。

 

「それ思い出しました。寒さ対策のホットドリンクですね。店先で見かけたことがあります」

「値が張る薬だから、支給品にあって助かったよ。はい、残りは書士さんの分」

「えっ?」

 

 手渡されたビンの中身は、器用にもちょうど半分残されていた。

 二本用意するという選択肢はなかったのだろうか。彼女が気にしないなら構わないが。

 

「ちなみに何が入ってるんですか」

「トウガラシと……。あー、知らない方が良いかも」

「怖いこと言わないでくださいよ」

 

 ホットドリンクを飲んだことはないし、この赤いビンを手に取ること自体が初めてだったが、既に嫌な予感しかしなかった。

 材料にトウガラシがある時点で、少なくとも飲みやすいものでないことは確かだ。

 

 大いに不安を覚えつつも、少しだけ口に含んでみる。

 直後、舌が痺れるような刺激に嫌悪感を覚え、思わず吐き出した。

 

「あっ、もったいない!」

「すみま、げほっ」

「私も初めての時はそうだったから、気持ちは分かるけど。ちょっと味に癖があるんだよね」

「これ、は、ちょっと」

 

 癖があるの一言で済ませて良い味ではない! 

 その場にうずくまって咳き込むサクミに対して、アイネは無慈悲に告げる。

 

「でも残りは一気に飲んでね」

「ちょっと! なんですかその取って付けたようなルールは!」

「あまり間を空けて飲むと、効果時間を正確に計算できなくなるんだって。うっかり頂上付近で効果切れなんて笑えないよ」

 

 真面目な顔で言うものだから、余計にタチが悪い。

 おそらくアイネの説明は正しいのだろうが、この液体は人の体に入れて良いものとは思えなかった。

 

「そうだ、マフモフコートは一線級の防寒着なんでしょう。無理にホットドリンクを飲む必要はないはずですよ」

「でも書士さんはここに来て日が浅いから、まだ寒さに慣れてないんじゃない?」

「僕としてはポッケ村が産んだ防寒着の性能を信じたいところですね」

「そもそもサイズが合ってないみたいだから、耐寒スキルを引き出せてないよ」

 

 痛いところを突かれた。たしかに、隙間風を冷たく感じてはいたのだ。

 どう取り繕ってもアイネを突破できないことを悟ったサクミは、観念して赤色のビンを見つめなおす。しばしの逡巡を経て、残りの液体を一気に喉に流し込んだ。

 

「……っ」

 

 ちくちくと刺すような辛味と、粉っぽい苦味が織り混ざった、絶妙に不愉快な味だ。

 しかし、すぐに味はどうでも良くなった。

 喉が焼けるような熱さを感じたかと思ったら、全身の血が活性化し、身体の隅々にまで行き渡っていく感覚を得る。かじかんでいた手先までが熱を帯び、湯気でも出てくるのではないかと疑うほどだった。

 

「こ、れ、本当に大丈夫なんでしょうね。副作用とか」

「火山で間違えて飲んだ人が、死の淵をさまよったとか何とか。でも無事に生還したらしいよ」

「よく生きてましたね、その人」

「噂だけどね。よし、先に進もうか。私も体が火照っちゃって」

 

 アイネは手で顔を仰ぎながら話す。雪山の麓にいるというのに、二人の頬を汗が伝っていた。このホットドリンクは即効性があるらしい。

 日陰に避難するような思いで、二人は雪山の洞窟へと足を踏み入れた。

 

 

   * * *

 

 

 入り口こそ狭いものの、中は巨大な空洞が広がっていた。

 空気は外よりも湿気を含み、しかし冷たく澄んでいる。生き物の気配はなく、静謐にすら感じられた。

 

「中は暗闇だと覚悟していましたが、意外と明るいですね」

「ほら。あそこの天井が吹き抜けになってるの」

 

 アイネが指差した先。空から白い光が差し込み、雪がちらちらと舞っていた。

 王都ではまず見ることのない、幻想的な光景に目を奪われる。

 外界から隔離された状況と、氷の洞窟が持つ静けさが、より景色への没入感を高めている。

 

「あまり左側に寄らないようにね。崖になってるから」

「うわっ」

 

 アイネが注意した通り、そこには真っ暗な大穴が口を開けていた。

 それを囲うように道が伸びており、穴の向こう側に先が続いているのが見えた。

 ここエリア4は、中央が丸ごと抜けたドーナツ型のフィールドらしい。

 

「光の届かない底なしの穴とは、途方もない話ですね」

「さすがに底はあると思うよ。誰も見たことがないだけで」

 

 もしかしたら過去に足を滑らせた者もいたかもしれない。

 そう考えると急に恐ろしくなり、サクミはできるだけ崖から離れることにした。

 

「露骨に立ち位置を変えたね、書士さん」

「柵ぐらい作ってくれても良いと思うんですよね……」

「公園じゃないんだから。それは高望みしすぎってもんだよ」

 

 辺境では拠点同士を結ぶ陸路を整えても、大型モンスターに破壊されるのが日常茶飯事だという。狩場の真ん中、野生が巣くう地に柵を作ったところで、手間に見合う効果は望めないだろう。

 

 一本道を進んでいくと、少し開けた広場が見えた。

 まず目に付いたのは、青く輝く氷の柱だ。ポッケ村で見た大マカライト鉱石よりも二回りは大きく、その先端は天井に届かんとしている。

 

「ここが分岐点になってて、複数のエリアに分かれていくの」

「僕たちが向かうのは」

「エリア5だから、このまま直進ね。だけど寄り道しても良いかな。氷結晶を補充したいの」

 

 そう言ってアイネは氷の柱を指差した。岩が凍りついているのではなく、柱自体が氷でできているようだ。透明度の高い輝きが眩しい。

 

 もっと間近で見たい。はやる気持ちがあったのだろう。

 一歩踏み出した足は氷の表層を滑り、サクミは大きく体勢を崩した。

 

「う、うわ!?」

「ちょっ……」

 

 闇雲に伸ばした手がアイネの肩を掴んだ。

 不意に体重をかけられたアイネは、巻き込まれて穴の方へとバランスを崩しかける。

 

「っと」

 

 しかしアイネは体をひねって踏ん張り、二人分の体重を見事に支えきった。

 安堵のため息が重なる。

 

「見れば分かるから、わざわざ言わなかったんだけど」

「はい」

「このあたりは地面も凍ってるから」

「はい」

「よく気をつけて歩きましょう」

「今後は気をつけます」

「もう、危うく道連れにされるところだった……」

 

 アイネが底なしの大穴をちらりと見た。

 たまたま命拾いしたが、二人まとめて転落していてもおかしくなかった。こんな大穴に身を滑らせたら、骨も拾われないことだろう。想像しただけで、胃が絞めつけられるような気がした。

 

「ここは洞窟内でも特に気温が低い一帯でね。地面も壁も凍っちゃってるの。だから良い氷結晶が採れるんだけど」

 

 近づいて見ると、改めて圧倒される。

 この洞窟を支える一柱かと思えるほどの、巨大な氷柱だった。天然の彫刻は青く透き通り、静謐な冷気を放っている。澄んだ氷は美しく、まるで硝子細工のようだ。

 アイネは柱の傍にしゃがみこむと、根元を漁り始めた。

 

「退屈だろうけど、ちょっと待っててくれる?」

「お気になさらず。ピッケルは使わないんですね」

「ここだけは特別なの。初めてこの場所を見つけた時は嬉しかったなあ。貴重な氷結晶が集め放題と知って、片っ端から氷属性の武器を作っちゃってね」

 

 アイネは懐かしむように語りながら、白色の岩をその場に転がした。

 重みを持って転がった岩は、よく見ると何かの原石のようだ。彼女の様子からして、ここでは珍しいものではなさそうだが。

 

「何ですか、これ」

「白水晶の原石だけど」

「白水晶!?」

 

 その希少性から、本土では値が高騰している宝石だ。サクミを含む一般庶民にはまず手が出せない代物だが、そんなものが平然と転がっていようとは。

 

「ハンターさん。これ、持ち帰らないんですか」

「やだよ、重いし」

 

 アイネは目もくれずに即答した。

 しかし目の前にあるのは、あの白水晶だ。原石にどのぐらいの値が付くのかは知らないが、ここに捨て置くのはあまりに惜しい。

 

「この原石は僕が持ち帰ります」

「書士さん、無理はしない方が良いと思うけど」

 

 同情の視線を向けられても、この固い決意は変わらない。

 サクミは腕まくりをすると、滑りにくい雪の上に陣取り、渾身の力を込めて岩を持ち上げた。

 が、水晶の原石は予想よりもずっと重かった。気合いで持ち上げたは良いものの、一歩も動けない。この体勢を維持するのも厳しかった。

 

「おお、持ち上がった。偉い偉い、頑張ったねー」

「馬鹿にしてるでしょ!」

 

 これを抱えて村まで戻るのは不可能だ。サクミは無念ながら見切りをつける。

 地面に置いた原石が、ゴトリと重たげな音を立てた。今のでちょっと腰を痛めた。

 

「あはは。それを持ち帰るなら、あらかじめ準備をしてこないとね」

「残念です。旅費の足しになるかと思ったのですが」

 

 うっかり口をついて出た本音に、アイネはふむと考え込む。

 そして両手に息を吐きかけながら、白水晶の原石に視線を向けた。

 

「どうしても欲しいなら帰りに拾ってあげようか。依頼金を用意してくれたらの話だけど」

「本末転倒じゃないですか」

「そうね、本来なら9000zは頂きたいところだけど」

「う、結構です」

「お友達価格で8700zにしてあげる」

「結構です! ……もしかして、ハンターさんもお金に困ってます?」

 

 サクミの素朴な疑問に、アイネはわざとらしく笑って返すだけだった。

 おもむろに立ち上がり、膝に付いた雪を払う。どうやら必要分の氷結晶が集まったらしい。

 

「じゃあ、行こうか」

「はい。……何でしょう、この手は」

 

 アイネが手を差し出している。

 早く、とでも言いたげだが、何を急かされているのかが分からない。

 

「また転ばれても困るから。危なっかしいし、親切なアイネさんが手を貸してあげる」

「えっ! いや、さすがに手を握るのはちょっと恥ずかしいんですが」

「子供みたいなこと言わない。書士さんはこの先、絶対に滑らない自信がある?」

 

 足元は依然として分厚い氷に覆われている。

 ぐっと踏みしめてみるが、力を込めるほどに足をすくわれる感覚があった。

 これでは三歩と進まないうちに、また同じ失敗を繰り返しそうだ。

 

「ええと……」

 

 なおも悩んでいると、痺れを切らしたアイネが無理やり手を取った。

 直前まで氷結晶を採っていた彼女の手は、はっとするほどに冷たい。

 

「書士さんは転ばずに済むし、私は暖を取れる。お互いに良いこと尽くしね」

「暖を取るって、まさかそれが目的だったんですか」

「ハンター心が分からない人ね」

 

 あっけらかんと話す姿に、サクミは呆れてしまった。

 何が親切なアイネさんだ。下心しかないではないか。

 

「さ、気を取り直して進もうか。エリア3を経由して5に向かうよ」

 

 そこからは寄り道もトラブルもなく、ただ手を引かれるままに進んでいくだけだった。

 美しく冷たい鍾乳洞の中で、自分たち以外の生き物と出会うこともなかった。それほどに洞窟内の環境は苛酷なのだろう。

 先に進むにつれて、地面には次第に雪も混じるようになり、多少は歩きやすくなった。

 アイネの手もすっかり暖まっているはずだが、二人は手を繋いだままだ。お互いに離し時を見失ったことは否めない。

 

 会話が途絶えてからどれほど経っただろう。

 上り斜面の先が明るくなっているのが見えた。洞窟の出口にたどり着いたのだ。

 しかしサクミは足を止めざるを得なかった。角の生えた獣が数匹、出口の前に陣取っていた。

 

「外から入り込んだみたいね。探す手間が省けてちょうど良いや」

「ハンターさん?」

「ひと狩りさせてね」

 

 声と共に手が離れる。

 アイネは瞬時に獣と距離を詰め、甲高い悲鳴が洞窟に響いた。

 

 早業だった。

 サクミが事態を理解した時には、もう狩りは決していた。

 鋭い突風が通り抜けていったような、一瞬の出来事だった。

 

 他の数匹が逃げ去るのを、アイネは追わなかった。

 剣を小型のナイフに持ち替え、氷の上に倒れた獣を検分している。

 サクミがおそるおそる近づくと、アイネは呑気に話しかけてきた。

 

「書士さんもガウシカは知ってるよね。ほら、私の髪型と、この尻尾の形。似てるでしょ」

 

 アイネは無邪気にガウシカの尾を指差す。

 だがサクミの視線は、どうしてもそちらには向かなかった。

 焼け焦げた斬撃の痕から、とくとくと血が流れ出て、雪に染みこんでいく。

 

 ガウシカはぴくりとも動かない。

 この一瞬で、命を狩られたのだ。

 それがハンターのあり方だとしても、むごいものだと感じずにはいられなかった。

 

「仕事が速いのですね」

「まだ雪山草を確保できてないからね。寄り道に時間はかけられないし」

 

 慣れた手つきで獣の死骸を解体していくアイネの横顔は、紛れもなくハンターのそれだった。

 気さくで明るいこの女性に対して、サクミは親しみを持ち始めていたが、そこへ冷や水を浴びせられたように思えた。けれど、これがこの人の本来の顔なのだ。

 

「ハンターさん。僕は先に出ていてもよろしいですか」

「え? ああ、うん。あまり遠くまで行かないでね」

 

 剥ぎ取り作業に集中しているようで、気の入った答えではなかった。

 邪魔をしても悪いだろう。サクミは視線を背けると、逃げるように洞窟の外に出た。

 

 

   * * *

 

 

 真っ白な光に目が眩んだ。

 

 そこは一面の銀世界。

 話に聞いていた通り、雪山の中腹に出たようだ。

 

「おお……」

 

 空がこんなにも近い。視界は遥か遠くまで開けている。

 城壁に囲まれた街では、決して見ることのできない景色だった。

 吹きつける風には雪粒が混じるが、サクミの興奮を冷ますには至らない。

 

 真新しい白の絨毯に足跡をつけていると、切り立った崖際に緑を見つけた。

 白雪ばかりの大地に生えた草は、薄くしなやかであり、葉の白い斑紋が美しい。

 雪山草の現物を見たことはなかったが、これこそが依頼された薬草に違いないと確信できた。

 

 すぐ奥は断崖絶壁となっており、風が鳴き声を上げている。

 サクミは思わず身震いし、体勢を低くした。及び腰で手を伸ばし、そっと雪山草を採取する。

 

 これでクエスト完了だ。

 

 この雪山に同行してから、サクミはまだ何も貢献できていない。

 ハンターの付き添い人の立場ではあるが、依頼人にはマフモフコートを借りた恩もあるし、少しは手柄を立てたかった。

 

「……ふう」

 

 どこまでも広がる白に見惚れ、雪山草を自分で見つけた高揚感に浮かれ。

 この時のサクミは、危機感が著しく欠如していた。

 雪山の風鳴りとは明らかに違う、獣の足音を聞き逃したのだ。

 

「ギ、ギイィ!」

「っ!?」

 

 甲高い鳴き声に振り向いた時、既にそこには一匹の鳥竜の姿があった。

 雪原に溶け込む青と白の体躯に、トサカとクチバシ、瞳の黄色が鮮やかに浮かび上がる。

 

 肉食の小型鳥竜種、ギアノスだ。

 麓で見かけたポポよりも体は小さいが、それでも人の背丈ほどはある。

 何よりポポやガウシカと異なるのは、この鳥竜がサクミに対して、明らかな敵意を持っていることだった。

 

 逃げなければ。

 

 体が震え始めた事実に目を背け、サクミは一目散に走り出した。

 雪を蹴り上げ、鞄を振り回しながら、全速力で逃げ出す。ギアノスが追ってきているかどうかまでは、とても気が回らない。

 そして履き慣れないマフモフブーツは、あっさりとサクミを裏切った。

 

「ぐうっ」

 

 足がもつれて転倒する。

 すぐに立ち上がろうとするが、恐怖と焦りで上手く力が入らなかった。

 殺気を感じて顔を上げると、どこから現れたのか、複数のギアノスに取り囲まれていた。

 

 カチカチと牙の鳴る音が聞こえる。

 一匹ならまだ逃れることもできたかもしれない。

 しかし、この状況は。

 

「あ……」

 

 絶望的だ。

 

 ハンターの名を呼ぼうとして、声が掠れた。

 鋭い双眸に尖った牙。今そこにある生命の危機に、サクミは恐慌状態に陥っていた。

 包囲は徐々に縮まっていく。近くにいた一匹が、爪を振り上げる。

 

「はっ!」

 

 突如、何かに掴みかかられ、サクミは横殴りに吹き飛んだ。顔から倒れこみ、鼻孔に雪が入りこむ。

 咳き込みながら目を開けると、至近距離でアイネと目が合った。

 彼女は一瞬だけ表情を緩めたが、すぐに立ち上がって赤熱の剣を抜いた。

 

 一匹のギアノスが荒々しく飛びかかってきた。

 獣の爪とハンターが突き出した盾がぶつかり、鈍い衝突音を立てる。

 直後、燃える刃が一閃し、ギアノスの体が雪原に転がった。焼け焦げた亡骸からは、薄っすらと煙が立ちのぼっている。

 

「危なかったね、書士さん」

「た、助かりました……?」

 

 サクミもようやく立ち上がり、体の雪を払った。語尾が震えたのは、依然としてギアノスの包囲は解かれておらず、予断を許さない状況だからだ。

 

「この私が来たからには、もう心配いらないよ」

 

 仲間を一瞬で斬り倒されたギアノスたちは、示し合わせたかのように一歩後ずさる。

 この場に割って入ったハンターを警戒し、その力量を計ろうとしているように見えた。

 アイネはそれに応え、好戦的に笑ってみせる。彼女の剣に宿る炎が揺らめく。

 

「退く気はないか。実力の差ははっきりしてるのにね」

「なぜ退かないのでしょう」

「勝算がある、少なくとも彼らはそう考えているみたい。あっ!」

「ぶあ」

 

 アイネが勢いよく向き直り、束ねられたガウシカテールがサクミの顔をぶった。

 

「やっぱり逃げよう」

「急にどうしたんですか」

「ここにいるのは別働隊。ドスギアノスの本隊が近くにいるんだ」

「そんな……!」

 

 サクミは眩暈を起こしそうになった。

 この獰猛な獣たちにそんな知恵があるのか。彼らは狡猾にも仲間の加勢を待っているのか。しかも後ろに控えているのは、群れ長のドスギアノスが率いる大部隊だという。

 信じたくはない。信じたくはないが、現地のハンターが断言している。

 

「書士さん。私のポーチに閃光玉が入ってるから、取ってくれる?」

「閃光玉、ええと……これでしたか」

「それはペイントボール。たしか底の方に入れたと思う」

 

 アイネは燃え盛る剣を構えたまま微動だにしない。わずかな隙も作らないように、周囲のギアノスたちを牽制している。

 サクミは口頭での指示を受けながらハンターのポーチを漁り、小さな手投げ玉を取り出した。包みの中がかすかに発光している。

 

「当たり。投げてもいいよ」

「僕がですか?」

「足元で良いから、思いっきりね。衝撃で光を放つから視線は逸らして、目もつむって」

「視線を逸らし、目をつむる」

 

 サクミは言われたことを復唱しながら、閃光玉を地面に叩きつけた。

 光の爆発が巻き起こり、瞼の上から一色に焼かれていく。

 同時にギアノスたちの甲高い悲鳴が重なった。

 

「頂上まで走るよ!」

 

 アイネに腕を掴まれた。

 まだ瞼を開けないサクミは、ほとんど引っ張られる形で走り出した。

 

「頂上って、そっちは危険なんじゃ」

 

 言うまでもなく、麓のベースキャンプからは最も遠いエリアとなる。

 頂上は危険度の高いモンスターと出くわす可能性が高い場所であり、それこそギアノスたちの首領が待ち構えているかもしれない、が。

 

「大丈夫。この先にドスギアノスはいないから」

 

 憶測で言っているのではなく、この先にモンスターがいないことを確信しているようだ。

 先のエリアのことなど、空からフィールドを俯瞰しない限り、断言できないはずなのに。

 

 どうして言いきれるのだ。

 そう尋ねようとした矢先、背後で耳障りな音が鳴った。それは風の擦れる音にも、ギアノスの遠吠えにも聞こえた。

 

「もう回復されちゃったか。こっちへ!」

「は、はい!」

 

 アイネが手を強く握りしめ、サクミもそれに応えた。

 二人は雪を踏み分け、段差を飛び越え、風を切りながら進んでいく。

 

 

 ――どこまで登ってきたのだろう、とサクミは思った。

 雪山のさらなる高所に到達したことは間違いない。

 心なしか空気が薄まってきた気がするが、おそらくは息切れを起こしているだけだ。

 そろそろ体力の限界が近づいてきた頃、背後を気にかけていたアイネが徐々に速度を落とし、やがて足を止めた。

 

「撒いたみたいね」

 

 ギアノスたちが追ってくる気配はなかった。

 ひとまず危機を脱したことに、サクミは大きく息を吐いた。走り続けて呼吸は乱れ、疲労した足は小刻みに震えている。

 アイネはというと、至って涼しい顔のままだ。小腹が空いたのか、ポーチから携帯食料を取り出してかじっている。

 

「はあ、はあ……ハンターさんのスタミナは無尽蔵ですか……」

「人並みだと思うけど。書士さんがスタミナなさすぎるんじゃない?」

「否定は……できませんね……」

 

 全速力で走ること自体、何年ぶりかという話だ。

 足下が慣れない雪道であったことも大きい。明日以降の筋肉痛は免れないだろう。

 

「でもびっくりしたよ。外に出たら書士さんがギアノスに囲まれてるんだから」

「生きた心地がしませんでしたよ……。助けてもらって、本当にありがとうございました」

「わりと危なかったよね。間に合って良かった良かった」

 

 雪山が危険な狩り場であることは、充分に理解していたはずだ。

 だが実際にギアノスと対峙した時の恐怖といったら。

 身体が動かなくなり、逃げることすらままならなかった。今も鳥肌が収まらない。

 

「危険の少ない採取クエストとはいえ、一筋縄ではいきませんね」

「まあね。私の両親も雪山草を採りに行って、そのまま帰ってこなかったって聞いたし」

 

 アイネが声のトーンを変えず、単なる世間話のように明かすものだから。

 ……危うく適当な相槌を返すところだった。

 

「……すみません、ハンターさん。僕の失言でした」

「あ、良いの良いの、小さい頃の話で私も覚えてないから」

 

 無理に明るく振る舞っている風でもなく、本当に気にしていない様子だ。

 物心がつく前の話なら、記憶に残らなかっただけ幸せだったのかもしれない。

 

「そんなことより雪山草を集めなきゃ。そのためにここまで登ってきたんだからね」

「そういえば、さっき少しだけ拾いましたよ」

 

 ポーチから束ねた薬草を取り出す。

 アイネが手に取ってしげしげと見つめると、苦笑いを浮かべた。

 

「なかなか上物の……霜ふり草だね」

「これ雪山草じゃなかったんですか!?」

「氷結弾の材料になるから、ハンターには需要があるよ。もらっても良い?」

 

 そう尋ねながらも、アイネは既に自分のポーチへとしまいつつあった。

 白い斑紋はいかにも雪山草の名にふさわしいと考えたのだが、まったくの別種だったとは。

 昨日シンシアを訪ねた時に、現物を見せてもらっておくべきだったと悔やまれる。

 

「ハンターさんはさすがの鑑定眼ですね」

「雪山の駆け出しハンターは雪山草で生計を立てるからね。嫌でも見分けられるようになるよ。はい、これが見本」

 

 アイネが手早く束ねて見せてきた薬草は、雪にしっとりと濡れている。

 霜ふり草に比べると葉は肉厚で、たしかに滋養に効きそうなのはこちらだと思えた。

 

「このエリア8なら簡単に見つかると思うよ。手分けして探そうか」

「分かりました」

「お互い5つぐらいを目安に。あまり遠くに行かないようにね」

 

 サクミは深く頷いた。ギアノスに襲われたばかりということもあり、できるだけアイネから離れたくなかったのだが、そうも言っていられない。

 アイネが分担を提案したのは、このエリアの安全を確保できているからだと信じたい。

 エリア8は今までで最も空に近いエリアだった。風はいよいよ強まっており、ここに雪が加わればあっさりと視界が奪われそうだが、今は天候も安定していた。

 

 注意して探すまでもなく、雪山草の緑はあちこちに見つけることができた。

 麓の薬草よりも鮮やかで瑞々しいのは、他に雪と灰色の空しか見えないからだろうか。

 

「書士さん、こっちは集まったよ」

 

 アイネの呼び声を聞いた時、ちょうどサクミも目標数を採り終えたところだった。

 合流しようと踵を返し、そして。

 

 ミシ、と足元で音がした。

 何かを踏み砕いた感触を受けて、視線を下ろす。

 

「うわっ!?」

 

 サクミは思わず飛びのいた。

 自分が踏みつけたのが、動物の骨であることを知ったからだ。

 すぐに駆けつけたアイネが、冷静に周囲を見渡して言った。

 

「これ、ポポの死骸ね。襲われてから数日は経ってるみたい」

 

 散乱した骨の中央に、その死骸はあった。

 風雪にさらされるだけの時が過ぎ、大部分は凍りついている。

 ほぼ原型を留めていないこともあり、エリア1で見かけた獣と目の前のそれは、上手く結びつかなかった。

 

「よくポポだと判別できましたね」

「確証はないけどね。ちょうどこのぐらいのサイズってだけで」

 

 アイネは拳を顎に当て、思案していた。

 サクミもまた、このあまりにも乱雑に打ち捨てられた亡骸を前に、嫌な予感を覚えてはいた。

 

「さっきのギアノスたちの仕業でしょうか」

「違うと思う。彼らは隊を組んで行動するから、こんなに身を残さないし。これはもっと乱暴に食い散らかされて……。もしかしてティガレックス!?」

 

 突然アイネが叫ぶ。

 しかもその表情が歓喜に溢れているため、サクミは面食らった。

 

「ええと、ハンターさん?」

「心配しないで。近くに気配は感じない。でもこの雪山のどこかに潜んでいるのはたしかね」

 

 アイネは興奮を抑えようとはしているが、その試みは明らかに失敗していた。

 獲物を前にした捕食者のような、獣じみた獰猛な笑み。

 ポッケ村を訪れてこのハンターと出会ってから、初めて見る表情だった。

 

 それは凶暴な飛竜の存在をも越えて、サクミの胸を不安にざわつかせた。

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