生まれ変わって、こんにちは   作:Niwaka

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17. 冬の楽しみ

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 ハロウィンのない月末も、〈聖人の日〉の祝日も過ぎた数日後、あちこちでラッパの演奏が聞こえた始めた。

 起きぬけに(にゃに)ごと? と聞いてみたら、終戦記念日だって。第一次大戦のね。第二次大戦はまだ勃発していない。

 

 私の近代~現代の日本史は駆け足授業だったので、いかんせん、西暦でいつから世界大戦かはっきり覚えてないんだよねえ。明治維新の後は駆け足も駆け足で、大正時代くらいからはダッシュだったし。

 

 終戦の日なら覚えてる。確か、昭和二十年八月十五日。

 ラジオ聞くから集まりなさいって集められたのに、何(しゃべ)ってるのかちっともわからなかったよ、とお年寄りに聞いた気がする。祖父母とかかなあ? もちろん記憶の日本の話だけど。

 

 戦争が終わるってことだけはサーっと話が広まったけど、あの声が誰だったか話の内容は何だったか、は、ちょっと後になってから知らされたって云ってた。田舎の村とかじゃそんなもんだったんだってさ。

 

 私としては、お盆の頃の暑い盛り、入道雲と蝉と甲子園が思い出される。向日葵(ひまわり)西瓜(スイカ)と麦わら帽子を加えても良い。夏休みにスイカを食べながら高校野球をテレビで見て、蝉の声をBGMに正午の時報のサイレンで黙祷ってイメージだ。日本の夏の風物詩だね。あの黙祷が、終戦記念だったんだよ~。

 

 第一次大戦の終戦記念日は寒い冬の日に行われました。

 

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 11月もそろそろ終わる頃、どこかから貰ったというユーズド感たっぷりの緑色のワインボトルを数本、ラシェルが持ってきた。

 

 グラスに注いでみれば明るい色合いの赤ワインで、カミッロと二人で飲み比べている。

 (ウチ)には保存用にドゥミ(ハーフ)ボトルが数本あって、飲み残すと詰め替えるのだが、珍しく数本林立させていた。なるべく飲み残しから消費していくように、いつもしているのにね。

 

 なんでも味見用のワインらしく「今年はここのワイナリーを買いだな」って感じで試飲するんだって。だからラベルも販売用の正式なモノじゃなくて、ワイナリーの名前が書かれた簡単なものがペタリと貼ってあったりもする。あまり小売りはしないようだけど、そこは伝手で入手したみたい。

 

 話を聞くに、アレだ、ボジョレー・ヌーボーだよね? 単語としてはヌーボーとしか聞こえないから、ボジョレー地方のモノとは限らないけど。

 

 私の記憶の日本では、バカみたいにモテ(はや)されていたワインの新酒。昔から旬の物と初物を好む日本人らしい狂乱ぶりだったと、今なら思う。まあ、村興しの販売戦略に乗せられたってのもあるだろうけどさ。

 本来はあくまで試飲で、感覚としては試供品だ。大量購入予定者に配られるサンプル品やお試し価格のような物で、安売りの味見用でしかない。本式で本物のワインは、まだ出来上がってないのだから。

 

 その日の夕食はワインとチーズとパンだった。―― キリストか!

 

 白カビと青カビと、硬いのと柔らかいの、新鮮なのと熟成させたチーズ(フロマージュ)がずらずらテーブルに並ぶ。今日のワインの試飲会のためにわざわざ揃えたのだろう。

 食料品を買える界隈にはチーズ屋も当然ある。パン屋とワイン屋と肉屋もセットで、むしろ無い方が稀だ。チーズ屋は量り売りがメインで、いつ食べるのか、どんな料理と食べるのか、ワインも飲むのか、何人分か、などと聞き取って数種類のチーズをピックアップしてくれるシステムだ。

 

 これとこれとこれはディナー用でこれは朝食用、こっちは昼食までに食べきれよ、と云う感じで売ってくれる。無駄に細かく押しつけがましいのがチーズ屋の特徴だ。どこの店も、いつまでに食べるように、と指示して来るんだよ。対面販売ならでは、なのかな?

 買い置きとかで量を買おうとすると、客でも来るのか、みたいな感じの確認が入ったりする。余計なお世話だよ!って私なんかは思うんだけどね、ここじゃそれが普通らしい。

 

 パンはメテイユの薄切り。バタールくらいの太さのライ麦パンだ。黒パンなんてって眉をひそめてたけど、その健康と美容効果と、なにより相性の良さに我が家ではチーズにはライ麦パンを合わせるのが定番なのさ。(美味しければ正義!)

 

 珍しく生野菜のサラダボウルがあったけど、全体的にほろ苦系だからか私にはサーブされずに、様子を見て取り分けるよう言われる。エンダイブとセロリに、ビーツと人参のラぺ。カラフルでキレイだ。

 記憶の日本人だった時はセロリや香菜(シャンツァイ)系の香りが苦手だったけど、今はそういう食べ物の好き嫌いが一切ない。嬉しい。生セロリもシャクっといけるよ。

 

 試してみれば、けっこう苦みを感じた。ラシェルやカミッロはわしゃわしゃ食べてる。大きくなれば美味しく食べられるようになるよ、と、人参だけ取り分けて私の皿にちょこんと乗せてくれた。うん、甘めでほのかなキャラウェイの香り、いつもの我が家のラぺだ。エンダイブの白っぽい葉の部分なら苦みが少なく、何とか食べられた。

 

 私の分もワインは準備されていた。ただし〈炭酸割り〉。

 最初こそワイン1に対して炭酸水5くらいのカルピス配合だったけど、味見をしたラシェルがさらに炭酸水をドバドバ注いで薄めてからわたされる。かなりアルコール度数が薄められたほとんどワイン色付き炭酸水って感じのモノになっていた。炭酸水は普通に売ってるミネラルウォーターのガス入りね。

 

 ガラス瓶入りのミネラルウォーターはお高い感じがするけど、ラシェルと私が愛飲してるので我が家には常備されている。水に拘る一族の我が家は『浄水筒』が設置済みなので、水道からでも美味しい水が飲めるけど、炭酸水じゃないから、わざわざ購入しているのだ。

 

 薄めのビールくらいのアルコール度数でも、幼児の私にはちょっと早かったみたい。たちまち酔った。いつもの3倍くらいきゃわきゃわ騒いで、すぐ眠くなって寝た。

 

 バタン、きゅ~。

 

 

 翌日、頭が痛いとムスッとしていたら、苦笑された。まったく見事に二日酔いだってさ。

 

 二日酔いの薬飲む? って差し出されたのでチラッと見れば、ベージュ色でドロッとした感じ。液キャベ? 大人はカップ一杯だけど子供だからとスプーンで掬って()()()を促してくるラシェル。ラシェルは二日酔いにならないの?

 カミッロは喉を仰向けてカップを呷っていた。薬を飲み下した後、顔をしかめてカラフェに直接口を付けて水を飲んでいる。丸々一つを空にして、トイレに急行していた。―― 大丈夫なの? この薬。

 

 私が不安そうな顔をしていたのか、ラシェルが笑み含みで説明してくれた。この薬を飲んで、大量に水を飲むと、アルコールがたちまち尿に排出されて酒が抜けるそうだ。何それ画期的! ただし0にはならないみたい。少々(きこ)()した状態まで素早く回復させるのがこの『酒精排出薬』なんだって。

 ちなみにラシェルは朝一番に服用済み。な~んだ、二日酔いにならないんじゃなくて、処置済みなのか。

 

 納得して、私は()()()と口を開ける。慣れた手つきで流し込まれた薬は……甘ッエグッ冷しょっぱ!って味だった。

 まず甘い気がするけどえぐみがある、そしてミント系の爽やかな香りが冷たいと錯覚させて後味はしょっぱいのだ。一言でいえば、マズい。

 

 水、水。水を飲まなきゃ、流し込まなきゃ。大匙二杯を何とか飲み込み、大きなカップの水をがぶがぶ飲む。最初など外聞もなくブクブクと口を(すす)いだ。

 大きなカップの二杯目の水を飲んでるうちにトイレに行きたくなった。()()()()しだしたら、サッとカップを受け取られて、私はトイレへ急行した。

 

 すでに踏み台が設置してあったので、わき目もふらずに用を足す。

 

 尾籠な話、我が家のトイレは現在、大人用便座の上に子供用便座が設置されている。一回々々取り外しの利くタイプじゃなくて、普通の便座と同じく常設型だ。

 大人はフタが二つある感覚で、フタと子供用便座を上げて使用する。私はフタだけ上げて、子供用便座と下の大人用便座を重ねて使用する。高さ的に踏み台は必須だ。もちろんお掃除はシルキー任せ。ありがとう、シルキー!

 

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 12月に入った日に、小さな抽斗(ひきだし)が規則正しく並んでいる、薬箪笥みたいなものが飾られた。

 

 箪笥よりは薄っぺらくて、横6列、縦6段。内、横3列分の横広の抽斗(ひきだし)が、2つ。つまり小さいのが横6列×縦5段で30個、横広が2個。前面には漢数字が浮彫に彫られていて、英語と仏語でも単語で番号が振ってあった。

 

 はじめは何だかよく分からなかったけど、横広の抽斗(ひきだし)に刻まれてたり描かれてたりする言葉で理解した。

 [廿五(にじゅう ご)]には[Christmas][Noël]って書いてあるし、もう一つは[Happy New Year!][Bonne année!]真ん中にドカンと[元日]ってあった。よく見れば[丗一(さんじゅう いち)]がなくて、[大晦日]ってなってるし。―― うん、カレンダーでした。

 

 12月の特別なカレンダーで、ノエル(クリスマス)をワクワクと待つための暦箪笥なんだって。

 毎朝その数字の日の抽斗(ひきだし)の中身を取り出して(中身はちょっとしたプレゼントになってる)本番(クリスマス)まで毎日気分を盛り上げていくシステムみたい。皆で分けましょうね、と楽しそうに言うラシェル。

 

 父さんが留学した初めての年、もっと小ぶりだけど全く同じ感じのものが、日本から留学先の学校に届いたそうだ。

 

 父さんのマンマ(私の祖母)が学生時代、同級生などが家族の手作りを寮に持参していたのを羨ましく眺めていたそうで、留学したならば譲司(ジョルジョ)(父)にも贈らなきゃ! と、準備したらしい。日本の職人にこれこれこういうものを、と発注して。ただ、うまく話が伝わらなかったのか、ナターレ(クリスマス)で終わるハズのカレンダーが、正月を待つ方が重要とばかりに、12月いっぱいの暦箪笥になってしまっていたけれど。

 

 話を聞いていた父さんの父(私の祖父)は、これはこれで日本らしくて良いだろう、と[元日]の所にお年玉を仕込んで送ってくれたそうだ。ちなみに父さんのマンマ(祖母)はカミッロの通った学校の卒業生です。さすがグローバルなクヮジモド家出身。

 

 この暦箪笥はロンドンに引っ越した時に、引っ越し祝いを兼ねて子供たち用にと新たに贈られてきた(もの)だそうだ。漢数字は浮彫で漆塗り仕上げの職人技で、かなり立派な造り。英語は父さんが、仏語は母さんが、飾り文字で書き込んだみたい。

 二十年くらい経ってても、とても丁寧に使われたことがうかがわれる綺麗さで、むしろ風格が増している感じ。ラシェルとカミッロが小さな頃から毎年使い、二人して学校に入り、このアパルトメントの上階に住み始める時にも大事に持って来たんだって。

 

 暦箪笥の上にはプレゼピオ ―― 仏語ではクレシュ(降誕劇)を飾れるようになっている。専用の小さい人形や家畜小屋など付属に在って、すでにセットされていた。

 家畜小屋に聖母がメインで、主人公のイエスは25日の朝に置かれるのが基本コンセプトの降誕劇(クレシュ)。東方の三賢人や家畜小屋の住人(羊とか馬)、ヨセフ(聖母の夫)やベツレヘムの星などはサブキャラで、オプションって感じ。この暦箪笥にはフルメンバーで揃ってるけどね。

 

 ラシェルやカミッロが学生の頃、学校用に持って行ってたのは母さんが手作りしたもの。もちろん、このロングバージョンで、正月を待っちゃうタイプ。学校の寮ではとても話題になったみたい。そりゃあ、誰も彼もノエルまでのカレンダーなのに、12月いっぱいでお正月まであるなんて、珍しがられるよね。

 同室者の中にはノエルまでじゃなくて、帰宅日までのカレンダーを持参してきてる猛者も居たみたい。さすが寮生活。そういう簡易的なカレンダーは、布製のパッチワークみたいなタペストリータイプがほとんどで、イメージ的には薬カレンダーっぽい。たいていが手作り。だから日にちとかはいくらでも融通できるってわけ。

 

 中身はちょっとしたお菓子がメイン。焼き菓子とかチョコレートとか飴とか、日持ちするモノね。寮では毎朝確認しては、交換し合ったりしてたんだって。ノエルまでの、帰宅日までのお楽しみだったそうだ。

 

 三つ子たちには三つ子たち専用の物がすでに贈られていて、ロンドンで活躍してるから、この暦箪笥はこれからカレン専用で使いなさいと、二人して譲ってくれたのだ。

 え、これってカミッロが受け継ぐモノじゃないの? 長男って意味で日本から贈られたと思うよ?

 クレシュ(降誕劇)用の人形なんかを入れておくっぽい物入れ部分の観音開きの扉には、どどんと家紋があしらわれてるし……。五月人形とか雛人形に家紋が入れられますって感じの、どう見ても『隠崎家』って仕様なんだけど?

 

 カミッロ的にはどうでも良いらしい。家を継ぐとか、そういうの興味ないって感じ。もともと父さんも次男だし、日本を飛び出して異国に居ついちゃった時点でお察しだ。まあ、くれると云うなら遠慮なくいただいちゃうけどさ。

 貰ったからには、私が将来家族を持った時も大事に使わせていただきます。ふふふ、けっこう嬉しいな。

 

 学校ではノエルやユールやナターレ、つまりクリスマス関係をお祝いする風潮がけっこうあるんだって。何でも、不思議な事が出来ない系の人たちの中にも、突然変異か何かで魔法が使える人が出現するみたいで、そういう人が学校にやって来ては、いろいろなお祭りとか風習を広めていった結果らしい。

 隠れ住むうえで紛れ込む意味もあって、そういう行事は忠実に模倣されてたりするものね。ホラ、クヮジモド家でもいろいろ(おこな)ってたでしょ? アレよ。

 

 

 我が家では父さんが日系だから、お正月も重要行事の一環として教えられている。

 新年の挨拶をして、作り置きのご馳走を食べて、グリューワイン(ヴァン・ショー)を飲む。

 

 父さん的には「お節」に「お屠蘇」といきたいところだろう。

 母さんはフランス系だからクリスマスシーズンのヴァン・ショー(ホットワイン)には違和感なかったろうけど、新年にご馳走って、なんで?ってなったかもね。ノエルに食べたでしょ?って感じで。

 

 逆にこの時代ぐらいの日本人だったら、クリスマスにご馳走って、それこそ何の意味が?ってところかな。元旦にはまだ早いぞ、とね。

 まあ、父さんはイタリア人のマンマがナターレ(クリスマス)公現祭(エピファニア)を教えてたろうから、留学してもそういうカルチャーショックは少なかっただろうけどねえ。

 

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