バリン・ザ・グレート   作:ふーじん

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蛮人ベイリン

 

 

 

 

 その若騎士は底知れぬ怖気に背筋を震わせ、恐る恐る歩を進めていた。

 此処は宮廷地下の牢獄区。数多の罪人を留め置き、いずれ来たる沙汰を待ち受ける場所。

 そこへ繋がれた囚人は誰もが皆尋常ならざる咎を負った者ばかり。獄に繋がれる彼らの怨嗟と怒りの声は絶えず、若輩の心を責め立てる。強く保たねばたちまち萎えそうな心を努めて震わせ、彼は最下層へ続く階段を降りていく。

 

(私は、彼の者と見合うたことはないが……)

 

 若騎士はこの先に待ち受けるある人物を思い浮かべ、聞き拾った人となりを反芻した。

 曰く、蛮人である。その剣の冴え無双無比にして最強を誇れど、しかし騎士道を解さぬ獣のそれである――と。

 果たしてそれは本当に人かどうか、噂というものはとかく極端に膨れ上がるものだが、しかし牢獄に満ちる寒気の元凶がその者の吐息と思ってみれば、思いの外違和無く納得してしまえそうな自分を若騎士は戒める。

 

「御足労を強いてしまい、申し訳ない」

「はっ。い、いえ! そのようなことは……」

 

 そんな彼の戸惑いを察したように、同行していた騎士の重低音が響いた。

 若騎士はいつの間に心の中が漏れていたのかと己を恥じ、咄嗟の詫びを口にする。

 そんな若輩の彼へ重い声の騎士は僅かに笑声を漏らすと、染み響くように穏やかな声で言った。

 

「緊張なさらずとも、私が居れば卿が不安に思っているようなことは起こりますまい。ご心配召されるな」

「はっ……己の未熟を晒してしまい、恥じ入るばかりです。……その、ベイラン卿?」

「なにかな」

「口振りからすると、彼の者と貴卿は御知り合いのようですが……」

「ああ、そうだな」

 

 若騎士が遠慮がちに問うと、騎士――ベイランはなんとも味わい深い表情を浮かべた。

 呆れ、怒り、諦念、親愛、思慕……様々な心情が渦巻いている。次いで重く長い溜息をたっぷり吐くと、やや後ろめたさを帯びた声音で答えた。

 

「――我が不肖の肉親のことだ、否応無く知り合おうとも」

「なんと……」

 

 若騎士は驚愕に目を見張った。それというのも、目の前のベイラン卿と、牢獄に繋がれるような咎人の間に関係性を俄に認め難かったからだ。

 なによりも身内であるという――質実剛健、誠実にして実直を体現し、部下からの信望も篤いベイラン卿の肉親に、そのような咎人がいるという意外性が若騎士の心に強烈に突き刺さる。

 蛮人――その忌み名が具体性を持って若騎士の裡に浮かび上がった。

 

「……お尋ねしてよいものか、判りかねますが」

「なにかな」

「その方は何故、このような場所へ留め置かれることとなったのでしょう?」

 

 事情を根掘り葉掘り知りたがるのは、およそ騎士らしいとは言えない真似であった。

 しかしながら、かのベイランの肉親でありながら獄へ繋がれるような人物への興味を抑える術を、若騎士が持ち得ないのもまた事実。若騎士の裡で膨れ上がる蛮人の像は、既に怪物と比するまでに至っていた。

 

 そんな騎士の未熟をベイランは咎めず、さもあらんと納得してしばし黙考する。

 黙考した後、どうあれ言い繕うことは不可能であると判断し、若騎士の弾劾を覚悟しながら答えた。

 

「彼の者は恐れ多くもアーサー王の従兄弟君を弑し、その咎で半年を獄中へ繋がれるよう沙汰を下された」

 

 ――端的に語られたその言葉に、若騎士はゾッと身震いするのを抑えられなかった。

 

 

 

「此処だ。万が一もないとは思うが、卿は念のため私の背後に控えよ」

「は、はっ……」

 

 言われずともそうしようと動く身体を恥じる余裕も、今の若騎士にはなかった。

 彼はすっかり蛮人への恐怖に呑まれ、ベイランの傍を離れず進むことがせめてもの勇気とばかりに震え上がっている。

 牢獄区の最下層。極め付きの咎人を繋ぎ留める宮廷の暗部へと続く扉の鍵をベイランが開け、黴臭い石畳の上を進んだ。

 

 最下層は、上層と比べて極端に狭く、設けた牢屋の数も少なかった。

 その牢屋の中もがらんどうで、それが逆に若騎士に安堵を齎す。如何な罪人とはいえ、繋がれる虜囚の姿を目にするのは若輩の身には毒であるが故に。

 しかしその事実が却って唯一この場に繋がれる蛮人への恐怖を煽り、安堵したのも束の間にまたも身震いした。

 

「落ち着け。なにも卿を取って食うような怪物ではない」

 

 ベイランの言葉は、若騎士を落ち着かせるための軽口だったのか。

 生憎ながら、それで気が紛れるほど今の若騎士に余裕はなかった。

 

 そんな彼の心中を顧みることなく歩は進み、やがて最奥の独居房へ辿り着く。

 外部から取り込む明かりは無く、僅かな空気を届ける通気口が天井にぽつりと口を開けるだけの最下層。

 ベイランの携える角灯の僅かな光を頼りに牢の中を窺うと、不意に視線が合う瞳があった。

 

「ひっ……!」

「…………」

 

 紅い瞳は、小さく悲鳴を上げる若騎士へなんら関心を示した様子もなく、暗闇の中を暫し彷徨った後に傍らのベイランに向いたところで止まった。

 ベイランは、その瞳へ久闊を叙するように笑みを浮かべ、親しみを込めて言った。

 

「お久し振りです、()()

「――ああ、お前か。ベイラン」

 

 答えた声は、罪を知らぬかのように軽やかな無垢であった。

 

 

 

 

「半年振りの日は毒ですかな、姉上」

「そうでもない。明るかろうと暗かろうと、私には大した違いもない」

 

 牢獄を離れ地上へ出ると、ベイランはまず泉へ彼女を案内した。

 半年もの間暗がりへ繋がれていた彼女の姿は、率直に言って醜く、積もりに積もった穢れが目や鼻を不愉快に衝いた。

 纏っていた襤褸を剥ぎ取り、斑に汚れた裸身を水底に沈める。そうして全身の垢を洗い流すと、晒した裸身を全く気に留めた風もなく堂々と陸へ上がる。

 

 そこでようやく、若騎士は視線を外すことを思い出した。

 身を清めるまではみすぼらしい物乞いか浮浪者といった様相だったのが、一転して麗しき乙女のそれへと変貌したのだ。

 そのギャップに若騎士は束の間現実を見失い、期せずしてその全容を克明に捉えていた。

 

(よもや御婦人であられたとは……)

 

 騎士たるものが女人の裸体を不躾に眺めるなど言語道断である。

 その無礼を彼女と、その肉親たるベイラン卿が全く気にする様子も無かったために糾弾は免れたが、だからこそ若騎士は己で己を強く恥じた。

 

 そしてそうするほどに、彼の脳裏には女の全身が思い浮かぶ。

 女人にしてはベイラン卿と遜色ない長躯、白雪のような肌色、光を受けて淡く輝く白金色をした髪は、特に冬の長い北方の民の特徴だ。

 そういえばベイラン卿はノーサンバランドの出身であったか、であれば彼の肉親である彼女もまた出自を同じくするのだろう。

 ただ、鳶色の目をしたベイラン卿と異なり、血のように紅い瞳だけが特に妖しく魅えた。

 

「わざわざ鎧を磨いていたのか。物好きな奴め」

「他に誰も触れたがりませんからなぁ、少しは己を省みては如何です?」

「どうでもいいことだ。それで? 連れ出して早々に正装までさせて、何がある?」

「騎士は皆謁見の間へ集うております。乙女が選定の剣を携え来訪されました故、アーサー王を始め、騎士たる者は皆一堂に会するようにとのお達しです」

「馬鹿正直に私まで呼び集めるとはな。相変わらず愚直なことだ」

「宮廷魔術師殿が特にと仰せでしたよ、ベイリン卿」

「それこそ下らぬ話だな、ベイラン卿」

 

 軽口を言い合う二人は、成程確かに気心の知れた仲なのだろう。

 ベイリン――それが麗しき乙女。しかして蛮人の名で呼ばれる騎士の名だった。

 若騎士は、数度その名を胸中で呟く。彼が思い描いた数多の想像を裏切って日の目を見た乙女の姿は、未だ若く幼い彼には些か強烈に過ぎるようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「騎士ベイリン。獄中の罰を終え馳せ参じました」

「同じく騎士ベイラン。確かにこの者を連れて参りました」

「大義である。ベイリン卿、ベイラン卿。――卿は些かの衰えも無く、何よりだ」

「恐縮です」

 

 彼らが謁見の間へ踏み入ると、ざわめきは俄に静まり注視に移った。

 視線の多くはベイリンの釈放に驚いているようであり、古参である程にその驚愕は大きい。

 次いで隔意、敵意、嫉妬、侮蔑……そうした感情が多く視線には込められていた。

 耳を澄ませば蛮人、野蛮などという声が漏れ聞こえる。若騎士が耳にした噂は、彼らのそうした反応を見る限り然程的外れでもないようだった。

 何故そうも憎々しげなのかは、騎士として参じて日の浅い彼にはわからなかったが。

 

 一方で彼ら騎士たちを統べるアーサー王といえば、かつて従兄弟を斬られた仇を前にしたものとは思えないほど、険悪さは皆無であった。

 未熟な若騎士の目には見抜けなかっただけなのかもしれない。しかし、労いの言葉の端に含まれる信頼は、疑いようもなく確かである。

 風評に反する王からの篤い信頼。それがなんともチグハグで、若騎士に混乱を招く。だが若輩には知れない何かがあるのだろうとやがて彼は納得して、そのことには触れずにおくことにした。

 さすがの未熟者でも、王へそれを問い質すだけの無神経さは無かった。

 

「アーサー王。彼女が残る騎士であると?」

「如何にも、乙女よ。彼女こそは私の知りうる限り最も優れたる者。この場に集う者たちの中で、最優最強を競うならば彼女なくして他にはあるまい」

「成程――――であるならば、どうぞこれを。貴方が真に最も優れたる騎士ならば、この剣は容易く抜けましょう」

 

 アーサー王の煽りを受けて、ベイリンが乙女の前に進み出た。

 両者を対比すれば格段とベイリンの異様が浮き彫りになる。女人らしからぬ長躯は、乙女よりも頭二つ以上も高い。加えてその全身を構成する筋骨血肉の逞しさもまた、この場に集う騎士たちと比較して尚逸脱した強壮を誇る。

 騎士たちが彼女へ注ぐ負の感情に嫉妬を多く潜ませるのも、そのように一目見て解る隔絶した力量への羨望の裏返しだろうか。

 

 果たしてベイリンが乙女の剣を受け取り、その柄と鞘を握ると――――刀身はするりとその鋭さを白日の下に晒した。

 

 おお――と、場が俄にざわめきを取り戻す。

 この世で最も優れた騎士を選定する剣は、確かにベイリンを選んだのだ。

 その事実に多くの者は感嘆の吐息を漏らし――それと同じくらいの負の意思を溢す。

 あれが認められて何故自分が……そうした嫉妬の念が殆どを占めていた。

 

「お見事です、ベイリン卿。貴方こそこの世で最も優れたる騎士――」

 

 乙女は恭しく頭を垂れ、ベイリンへの賛辞を示した。

 そして同時に、剣を握ったままの彼女へ、ゆるゆると手を差し出し。

 

「その証は確かに立てられました。さぁ、その剣をお返しください」

「――――何故?」

「なぜ、とは……?」

 

 徐に返還を願い出た乙女に疑問を抱いたのは、彼女だけでなく他の騎士たちもだった。

 彼らはてっきり、剣を抜ければそれを己が物とできるとばかり思っていた。それがよもや、誰も抜けなかったならばいざ知らず、はっきりと所有に値する者を示した上で返せなどと……。

 誰もが道理に合わぬ、と心中に抱いた。しかし抜いた相手がベイリンであったために、誰もその不義を表立って咎めはしなかった。

 これが彼女以外であれば、誰かが庇い立てして乙女を糾弾しただろう。しかし蛮人と疎まれるベイリン、畏敬すべきアーサー王の親戚筋までも弑するような者の手へ貴き剣が渡ることを、心底では誰も認められなかった。

 

「道理が合わんな、乙女よ。勿体振って皆に試させておきながら、返せと? 私は今貴様の眼の前でこの剣を抜いてやった。ならばこの剣は私のものだ、貴様に返す謂れなどありはしない」

「いいえ、ベイリン卿。これは確かに選定の剣、最も優れたる騎士を選び出すもの。しかし私はただの一度も、抜いた暁にはこの剣を与えるなどとは申しておりませんよ?」

 

 そんな外野の心中を知る由もなく、ベイリンは返還を求める乙女の声を拒む。

 とぼけたように言葉を返す乙女への憤りを隠しもせず、澄ました表情はそのままにはっきりと弾劾した。

 対する乙女はどこ吹く風とばかりに答える。それがより一層ベイリンの神経を逆撫でした。

 

「何も悪意を持って言っているのではないのです。これは選定の剣であると同時に呪いの剣、愛するものを死に至らしめる業を背負った剣。その呪いを負わせたくないからこその申し出です。どうか素直にお聞き届けくださいませ」

「世迷い言を。呪いだと? 生憎だが、私はただの一度もそうした類を信じたことはない。言い訳を弄するならば、もう少しマシな文言を語るべきだったな」

 

 両者の間に横たわる空気は、いよいよもって剣呑を露わにした。

 ベイリンが剣を握る手を僅かに動かそうとする。蛮人が蛮人と蔑まれる所以を此処に示さんと――すなわち不遜の乙女を斬り捨てようとしたとき。

 更なる闖入者の声が、両者の間を引き裂いた。

 

「ならば代償に、汝の命か、剣を齎した乙女の命を求める。それを以て剣はあるべき者の手に委ねられるだろう」

「貴女は……」

「お久し振りですね、アーサー王。このような場で再会を果たしたのが残念でなりません」

 

 誰あろう、アーサー王へエクスカリバーを授けた湖の乙女その人である。

 思わぬ介入者に場の誰もが彼女の顔を注視した。他ならぬベイリンもまた、同様に――否、一層燃え滾る炎を裡に秘めて。

 彼女の内なる変化を、誰もが見抜けないでいたが。

 

「さて、ベイリン卿。貴方が真にその剣を欲するならば、その乙女の命を差し出しなさい。あるいは己を恥じる心があるならば、自らその命を絶ちなさい。事此処に至って剣を元の鞘に収める機会は失われた、最早二つに一つ、命を差し出す他にこの場を収める術は無し」

「待たれよ、湖の乙女よ。それは余りにも早計ではないか。非礼は詫びよう。そして返還を求めるならばベイリン卿には私からよく言って聞かせよう。徒に命を差し出すこともあるまい」

「いいえ、アーサー王。そうはいきません。私が求める命は二つに一つ、断じて翻しはしませんとも」

 

 見かねたアーサー王が仲裁を申し出るも、素気無くそれを拒む湖の乙女。

 果たして如何なる道理が彼女の裡に働いているのか、およそ人道では理解できぬ法外な要求に、誰もが息を呑み圧倒された。

 そして思い知る、如何に淑やかな婦人の見目をしているとはいえ、彼女は化外であると。人界を逸脱した妖精・精霊の本性の一端を目にし、誰もが固唾を呑んで行く末を見守った。

 即ち、命差し出すは乙女か、ベイリンか……その結末を、誰もが見届けんとし――。

 

「湖の乙女、貴様は二つに一つと私に言ったな」

 

 ゆらりとベイリンが呟き、その視線を湖の乙女へ向ける。

 感情の見えない翳りに満ちた瞳。紅く血のように薫る眼差しが乙女を射貫き。

 

 

「――――三つに一つだ。母の仇、此処で晴らす」

 

 

 あっ、と誰かが息を漏らしたその瞬間には。

 ベイリンの剣は湖の乙女の首を刎ね飛ばしていた。

 

 

 

 




というわけで新作です。
今回の舞台はアーサー王伝説、円卓成立以前の騎士ベイリンを主人公としたものになります。
前作と違ってややダーク路線、ピカレスク風味なダークヒーローなので、雰囲気はまるっと変わるかと思います。
そして原典とは性別の異なる女体化枠です。これは完全に作者の趣味ですが、受け付けられない方もいるだろうことは重々承知しております。その上で趣味です、ご容赦ください。

更新頻度もミセス・ヨーロッパのとき程にはいかないと思いますが、それでもよければどうかお付き合いくださいませ。
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