バリン・ザ・グレート   作:ふーじん

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主は嘆かれた

 

 

 

 

「それでは姉上、私は一度宮廷へ戻ります」

「ん……」

 

 身一つとなったリエンス王を馬に乗せながらベイランが言った。

 たった二騎による蹂躙劇を終えた後、王とその配下は皆例外無く心折られ、一切の抵抗のそぶりも見せずベイランの縄についた。

 リエンス王は憔悴しきった表情でベイランのされるがままに、荷駄のように馬上へ積み上げられている。

 配下の騎士たちは二人の目的ではないため、武装もそのままに解放した。

 彼らが捨てた剣を拾う間もなく散り散りに逃散すると、リエンス王はいよいよ望みが絶たれたといった様子でがっくりと項垂れる。

 

「引き渡しの後、幾つかの協議を踏まえ……些かばかり時間は掛かりましょうが、一刻でも早く朗報を持って参りましょう。くれぐれも……いいですか、姉上。くれぐれも! 私が居ないからといって考えなしに振る舞われぬよう、お願いしますよ?」

「ん……善処はする」

 

 確約はできかねるというベイリンの応答にベイランは空を仰いで溜息を吐くが、やがて仕方ないとばかりに苦笑を浮かべるとそのまま馬を駆っていった。

 そして残されたのはベイリン一人。戦闘の熱も冷めやらぬ屍山血河の只中に佇む彼女を恐れ、屍肉を漁る獣すらも寄り付かない。

 ベイリンは弟の姿が見えなくなると、そこで改めて独りの寂寥を覚え、自覚なき不満を僅かに抱きながらリエンス王の領地を後にした。

 

 

 

 

 それからベイリンは大きな目的を得ることなく、アーサー王の敵勢を削ることに暫し注力した。

 

 諸侯同士の勢力争いに介入し、両者を一切の隔てなく目に付く端から斬り捨てていく。

 ベイリンにとって王たる者は唯一アーサーのみであるが、彼に敵対し王を名乗る諸侯もまた、その不遜を驕るだけの力を持つ者ばかり。

 率いる軍勢は百を下回ることはなく、時には千を数えることも少なくない。

 しかしベイリンは一騎当千の武勇を以てそれらを真っ向から殴りつけ、散々に食い散らかしては霞の如く消え去る、さながら猛獣の如き活躍を果たしていた。

 騎士を騙る獣の介入は、諸侯の悪夢として刻まれ、その恐怖を糧として密やかな毒のように蝕んでいく。

 

 敵は諸侯のみに留まらない。

 外地から侵攻してくるサクソン人、スコットランド人、ピクト人――諸侯から蛮族と呼称される異民族もまた恐るべき敵である。

 特にピクト人と呼ばれる者たちは揃いも揃って常人を遥かに上回る巨躯を誇り、末端の戦士ですら最精鋭の騎士に匹敵する強敵ばかり。

 それを率いる隊長格ともなれば巨人の末裔かと疑う威容を発し、最も恐れるべき脅威として見るは当然の作法である。

 だがベイリンはそれすらも真っ向から斬り捨て、どの迎撃勢力よりも勇敢に、かつ追随を許さぬ大戦果を築き上げていく。

 

 ブリテンの各地を遊撃騎士として単身で巡り、敵対諸侯の噂を聞けば行ってそれを斬り捨て、蛮族の侵攻あらば駆けてそれを鏖殺する。

 所属は知れず、出自も知れぬ放浪の黒騎士の噂は瞬く間に島中を駆け巡り、その畏怖と蛮勇を轟かせた。

 

 およそベイリンの全身から死臭が漂わぬ時は無かった。

 いくら穢れを泉で清めても、背負った業を洗い流すには到底足りぬ。

 ベイリンは、ある日己の髪先が黒く染まっていたのを認識した。その理由に辿り着くだけの思慮を、彼女は持ち合わせていなかったが。

 

 その日もまた血腥い戦いを終え、最寄りの泉で身を清めたベイリン。

 全身を鎧う甲冑を脱ぎ捨て、産まれたままの姿で湖面に浮かぶ光景は、さながら湖の乙女と見紛うばかり。

 しかしその本性は如何なる外道も恐れを為す血風の荒野であるがため、獣の魔性も妖精も頑として近付かぬ。

 結果として一切の武装無く大地に五体を投げ出す彼女を襲うものもまた居らず、ベイリンは獣の主のように悠々と目を閉じた。

 

(やぁベイリン、久しぶりだね。また会えて嬉しいよ)

(……マーリン)

 

 最低限の休息のため訪れた夢に、花の魔術師が現れた。

 夢魔との混血にして幻術を最も得意とする彼にとり、夢は絶対の支配領域である。夢を介してベイリンの深層を訪うなど容易い。

 ベイリンは魔術師の来訪に驚く様子も無く、またここが夢の中であることもはっきりと認識して、彼がにこやかに久闊を叙するに任せていた。

 

(ベイラン卿から報告は聞いたよ。大戦果じゃないか、やはりキミは私の見込んだ通りの駒だ)

(よく言う。夢見でとうに見通していたくせに……おまえも有象無象と同じことを言うの?)

(あはは、辛辣だ。相変わらずで嬉しいよ、そんなキミだからこそ送り出した甲斐もあるというものだ。アーサー王も甚く感激されて、キミの罪を赦したとも)

(――そう)

 

 アーサー王の赦し。何よりも喜ぶべき朗報に、しかしベイリンは大した感慨も見せず簡素な反応だけを示す。

 彼女の忠義は酷く歪み、しかして純粋極まる他の誰にも真似できるもの。その真意を知るからこそマーリンはそっけない言葉にも疑念を抱かず、代わりに笑みを深くした。

 

(さて、折角の朗報だけど――このままキミに戻られたのでは、私としてはとても困るんだ)

(……わかってる)

(キミの忠義は王の懐の裡では真価を発揮できないからね。もし期待していたのなら悪いけれど、キミにはそのまま放浪を続けてもらう)

(期待なんて……)

 

 そもそも、あの日宮廷を後にしたとき。ベイリンは今生の別れを覚悟していた。

 その決心は今でも変わりはない。リエンス王の生け捕りでは、期せずして弟と協同し王との繋がりを内心愉しみはしたが……だからと言っておめおめと帰参するつもりは毛頭なかった。

 だが、期待していない、と。そう言い切れず言葉尻を言い淀んだのは、やはりどこかで未練があるからだろうか。或いは後ろめたさが王への忠心に寄生し、彼女の覚悟を揺るがそうとしているのか。

 その答えをベイリンは持たず、マーリンから視線を切ることで誤魔化した。まるで幼子の駄々のように。

 

(それならいいんだ。さて……とはいえこのまま捨て置くのもお互いにとって何の利益も無いだろう? そこで一つ、私の頼みを聞いてもらえるかい?)

(……前は、指示することは何もないって、言ってた)

(うん? あー、そんなこと言ったような気もするなぁ。でもさ、ほら、状況って刻一刻と変わるものだから、うん。気にしないでくれたまえ)

(……どうでもいい。それで?)

 

 辟易したようにベイリンが促すと、魔術師は虚空に像を描いてみせた。

 それはアーサー王の手勢がどこぞの勢力と戦ったときの記録のようで、大軍同士がぶつかり合う戦場の苛烈さを余すことなく捉えている。

 ベイリンは何も言わずその映像を注視し――やがてひとつの異変を察して瞳を動かした。

 

(独りでに死ぬ騎士が幾つか……暗殺?)

(御明察。下手人の名はガーロン、姿隠しの魔法で幾度となくこちらの手勢を屠っている)

(姿隠し……ふぅん)

 

 成程、それならば有象無象とはいえアーサー王の騎士が一方的に殺られたのも頷ける。

 およそ喧騒の渦巻く戦場に於いて、不可視の存在……それも熟練の騎士がその魔術を使って切り込んでくるとあれば、大半の騎士は対処する間もなく敗れるだろう。

 ベイリンにとっては何故気づけぬのかと疑うばかりの稚拙な小細工ではあるが、しかしそれを期待するのは酷に過ぎるかと考慮を放棄した。

 

(大体わかった。そいつを消せばいいのね)

(話が早いね。よろしく頼むよ、ベイリン卿。これ以上彼の好きにさせては、アーサー王の不利益になるからね)

(……いわれるまでもない)

 

 アーサー王のために。

 それこそがベイリンにとって唯一絶対の掟。

 蛮人の忌み名は、最大効率でそれを遂行するための隠れ蓑に過ぎなかった。

 

(…………まだなにか用?)

 

 用件は済んだはずのマーリンが退散せず居残るのを訝しんでベイリンが尋ねると、彼はおどけたように肩を竦め、艶やかな表情をして言った。

 

(せっかくの再会なのにつれないなぁ。どうせ一夜の夢だ、褥でキミを愛でるというのはどうだろう)

(…………)

 

 花の魔術師は、宮廷きっての好色としても有名だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次なる目的を得たベイリンは、ガーロン卿の足取りを追って各地を放浪していた。

 彼の目標がアーサー王の手勢であることは知れているため、アーサー王の介入している戦場を辿って人知れずその後を追う。

 その道中間違ってもアーサー王に、また彼の騎士たちに己の存在を悟られぬため、気配を絶ち、息を潜めながら、姿無き騎士に暗殺されて逝く同胞を見過ごしていく。

 

 彼女の目的はあくまでもガーロン卿であり、ひいてはその背後にいるであろうかの騎士の主であった。

 ひとたび排除を決めたならば一切の禍根を絶つべくその根まで叩く、それが肝要であることを彼女が心得ていたがために。

 結果として彼女は、ガーロン卿がカーボネック城へ出入りしていることを突き止めた。

 

 カーボネック城。

 かのアリマタヤのヨセフの末裔、ペラム王を主とするブリテン有数の名城である。

 おそらくは、ガーロン卿はペラム王の騎士であるのだろう。ペラム王もまたアーサー王に迎合せぬ諸侯の一人であるが故、ベイリンが討たぬ理由は無い。

 ベイリンは、王諸共ガーロンを討つべく城へ乗り込むことを決意した。

 

 だが、そこでふと気に留めたのが己の装いである。

 これまで黒騎士として数多の戦場に介入し、乱暴狼藉によって戦果と威名を恣にしてきた彼女だが、それ故に今の武装では目的の遂行に支障が出る不安を抱いたのだ。

 武装したまま城を訪れたところで門前払いを食らうのが関の山であろう。無理矢理乗り込んで暴れてもいいが、彼女は弟の忠言を思い出し、その意を汲むべく彼女なりに穏便にことを済ませようとした。

 

 そこでベイリンは、鎧を脱ぎ捨て、姿を現し、竪琴を携えてカーボネック城を訪ねることにした。

 長年来の愛剣と選定の剣の二振りは、護身用と言い張るためのもの。彼女は吟遊詩人を装って潜り込もうとしたのだ。

 騎士にとり、王にとり、旅のものを歓待するのは道に適うものである。相手が詩人ともあれば、誉ですらあった。

 その裏をかく発想こそが騎士道から外れる行いであるが、彼女にとって騎士道なぞただの言葉にすぎない。必要とあらば即座に捨て去れる程度のものでしかなかった。

 

 鋼鉄の代わりに薄衣を、剣の代わりに竪琴を携え、本来の生身を晒したベイリンは、およそ野蛮な黒騎士と結び付けるのは不可能な程に麗しい。

 その姿でペラム王の領地を訪れると、すれ違う人が皆振り返ってその背を追い、警邏の騎士たちが甘やかな言葉を捧げる。

 一度竪琴を爪弾き、唇から唄を紡げば誰もが聞き惚れ、麗しの女詩人の噂は瞬く間に領地を駆け巡った。

 

 ベイリンにとって、五体は己の意思を完全遂行して然るべき領地である。

 聞き心地のよい音を奏でる指先の動き。人を陶酔せしめる唄を紡ぐ唇と喉の動き。いずれも演じるに容易い簡素な働きだ。

 常人にとってはその働きを随意にすることこそが才能であり、あるいは至るための努力なのだろうが、こと五体の掌握と制御に於いてベイリンの右に出るものはいない。

 努力の一切を踏み躙る天性の肉体から奏でられる音の楽しみは、しかし心宿らぬ冷たい機械の雑音である。だがその機械が美しければ、その本質は往々にして見抜かれぬものであった。

 

 ベイリンは暫し領地の村々を巡り、唄を聞かせて回った。

 そうするとその噂が遂に王のもとへと届いたのか、ある日王の使いと名乗る騎士が迎えに現れる。

 曰く、是非王城にてその唄の妙を披露していただきたい――と。

 待ちに待った時が来たのだ。ベイリンは蕩かすような笑みを形作って快諾し、騎士の案内を受けた。

 

「おお、そなたが噂の……よくぞ参られた! 今宵は是非、巷を蕩かせる美声の程を拝聴したいものだ」

「拝謁を賜り光栄の極み。お望みとあらば、全霊を以てお応えしましょう……」

 

 素っ気無い振る舞いは、冷たい美貌も相俟って高嶺の花の如き凛を印象づける。

 ペラム王は詩人に扮したベイリンの美貌にまず酔い、卓に並ぶ色とりどりの馳走と葡萄酒を振る舞いながら、彼女の指と唇が躍るのを待ち侘びた。

 チラと流し目を送るベイリンの瞳に映るのは、王の他に最低限の護衛として残った騎士数名。そこにガーロン卿の姿はない。

 否、姿は無かれど実在していた。例の姿隠しの魔法で王の傍に侍っている。成程、彼が真なる王の懐刀か。

 本格的に演じる前の爪弾かれる弦の音、そのさざなみの返す違和を以てベイリンはより正確な動きを認識し、まずは一曲を披露した。

 

「おぉ、これは見事な――」

「――――♪」

 

 物語るのはブリテンの各地で繰り広げられた諸侯の戦い。

 その勲と誉を竪琴の奏でる音に合わせ朗々と歌い上げるその声は、王と騎士、晩餐を働く給仕までも酔わせる氷の美。

 各地の王とその軍勢の紹介から始まり、その会戦の有様を独特の調べで紡ぐうち、王はすっかり上機嫌となり、騎士もまた緊張を和らげ弛緩を許し始める。

 ガーロン卿は動かない。王の影たるかの騎士だけが、当初と変わらぬ鉄心を貫いていた。

 

 やがて唄は近年の戦いを物語る。

 アーサー王の台頭。選定の剣の誉。ブリテンを救う王。その偉大なるを唄うベイリンの声にはやや熱が入る。

 それを不敬と水を差す声は無く、続く一連の物語を遮ることなく聴衆は紡がれる歌声に耳を傾けていた。

 一方で変化を見せたのは、姿無き王の影。ガーロン卿である。

 

 かつていまし、今いまし。やがてきたりし剣の王。

 彼の軍勢を食い破る黒い影。姿隠して騎士屠る、霞の刃ガーロン卿。

 聖者の裔たるペラム王、彼の敵食らう魔法の騎士――――。

 

 その言葉の意味を王らが理解したとき、ベイリンは既に王の前に躍り出ていた。

 奏でる音と唄に合わせ躍るように足を運んだベイリンは、一曲を終えると同時王の御前に跪くと、竪琴に仕込んでいた短剣を抜き放ち、傍らの姿無きガーロン卿へ突き立てた。

 ガーロン卿は、よもや己の位置が知れていたことを想像だにしていなかったのだろう。驚くべき無防備でベイリンの刃を迎え入れ、呆気無く即死した。

 姿隠しの騎士が晒した唯一の姿は、血反吐に掻き臥す己の骸であった。

 

「アーサー王に仇なすガーロン卿、ならびにその主ペラム王。貴公らの命貰い受ける」

「なっ――あ、げ、……下郎めがァッ!!!」

 

 王は即発し、槍を執って応戦した。

 隠し持っていた短剣の他には丸腰のベイリンは、軽やかに身を翻すとそのまま護衛の騎士たちを屠り、激昂するペラム王へ相対する。

 王は、先までの温和な笑顔から一転、悪鬼の如き怒貌を浮かべてベイリンの命を狙う。

 

「よくも弟を! よもや詩人に扮し紛れ込むとは……先の勲詩、貴様さてはアーサー王の手先か!?」

「あらゆる蛮行は我が独断であるが故」

「成程、貴様が噂の蛮人か……まさしく忌み名の通りというわけだ。騎士道を解さぬ悪鬼めが、その美貌も魔性の果てよ!」

 

 ペラム王の武勇は、ベイリンをして片手で数えるに足る極みのそれであった。

 先のリエンス王とは比べ物にならない卓越した技量。成程王単身を以て配下の騎士団を優に上回る力量であろう。

 数少ない例外は弟であったらしいガーロン卿だったのだろうが、彼は姿隠しなどという小技に慣れるあまり、埋め難い程の慢心があった。

 それというのもベイリンにとって、ではあるが。相手が彼女でさえなければ、ああもやすやすと不覚を取ることもなかっただろう。

 

 さておき荒ぶるペラム王である。

 彼の獲物は身の丈以上の長槍であるが、それを驚く程器用に使いこなし、本来得意とはしない屋内でも何の支障も無く槍技の極みを披露する。

 ベイリンは短剣で応戦するが、その間合いの差は俄には埋め難く、突出した業物であろう王の槍と比べて粗悪な数打ちに過ぎない短剣ではあまりに荷が重く、ベイリンをして即座に命を獲ることが敵わないでいた。

 

「……強い」

「貴様の称賛なぞ願い下げだ、下郎め。貴様は誉れ無くここで死ぬのだ!!」

 

 強さを言葉にするベイリンのそれは、彼女にとって最大級の賛辞である。

 無論、王にとっては何の慰めにもならず、徒に神経を逆撫でする挑発としか取られなかったが。

 無傷を貫くベイリンだが、それはペラム王も同じこと。彼女はその無窮の武練と天性の肉体が織り成す力量から、彼は武器の絶対的な相性差からだが、これでは千日手は免れない。

 否、長引けば優勢を取るのはまだ外に配下を残している王の方だ。今は離れている騎士たちもいずれは激戦の音を聞きつけ、遠からずこの間へ流れ込んでくるだろう。

 あくまでも最大効率を前提にするベイリンは、その面倒を嫌った。故に彼女は、一度仕切り直すことにした。

 

「ッ!? まさか……待てッ――!」

 

 ベイリンは短剣を投げつけ、王はそれを防いだ。すると接触の瞬間短剣が発したとは思えぬ重音を奏で、王は一瞬槍を握る手を痺れさせる。

 投擲物に多大なる運動量を宿す妙技である。後世に於いて鉄甲作用と呼ばれる純粋体術の秘奥であるが、ベイリンにとっては石投げでより多くを殺すための小技に過ぎない。

 ベイリンの力量から放たれれば一石をして百の戦士に同時に殴られるに匹敵する衝撃を以て王の捕捉を逃れ、その一瞬の隙を突いてベイリンは広間を離脱した。

 

 王はその意図を一瞬計り兼ねたが、彼女の向かう先を察して初めて焦燥を露わにした。

 ベイリンが向かったのは、王城ならば必ずある武器庫。番兵に預けた双剣を取り返すのは手間が掛かると判断してそこを狙ったのだ。

 ベイリンは城内を駆け、すれ違う騎士たちを斬り捨てながら上階へ上り目当ての部屋を探す。

 その途中、ふと通り過ぎようとした王の間、玉座の据えられた謁見の間に於いて、あるものを発見した。

 

 ――それは穂先から血を流す古びた長槍であった。

 

 流れる血はまるで生きた肉の傷からそうなるように止め処無く溢れ、柄はその端まで厳重に帯を巻かれ封をされている。

 一見して異様な雰囲気を漂わせる一振りの槍。その全身、封を為す帯はその実聖骸布であり、およそ常人には触れ得ぬ聖性を放つ聖具であったが――不幸なのは、それを意に介さぬ蛮人に目を付けられてしまったことであろう。

 より便利なものがあった。そんな感覚でベイリンは槍を奪い取り、さぁ王を仕留めようと踵を返そうとしたところで……駆けつけた王の蒼白に直面した。

 

「やめろ蛮人! その槍に手を出すんじゃあないッ!! それは貴様のような者が触れて良いものでは断じて無いのだ!!」

「……命乞いにしては、些か的外れだが」

「解さぬか、野人――よもやそれ程までに道を知らぬとは、余の目をして見抜けなんだ……ッ!」

 

 顔を蒼白に染める王の焦燥は、命乞いとするにはあまりに悲壮に満ち、この上ない絶望に陥っていた。

 ベイリンは何がそうも彼を追い詰めるのか全く理解が及ばなかったが、さりとて敵の事情を推し量る義理もないといよいよ以て矛先を王に向ける。

 滴る流血は涙のように、穂先から石畳に零れ王城を穢す。

 王は、そんな蛮人の振る舞いを目にして女のような絹裂く悲鳴を上げて、頻りに制止の声を投げかけた。

 

「やめよ蛮人……やめろ、やめてくれ……ッ! この際弟を殺めた咎は水に流そう、だからその槍を置いてどこへなりとも失せてくれ――ッ!! 最早貴様を追いはすまい、もう二度と関わるまい……だから、だから――ッ!!」

「我が蛮行は、己が栄光の為でなく――」

 

 ベイリンは、取り合わず槍を振り被った。

 ペラム王は、堪らず絶叫し最期までその蛮行を咎め続けた。

 

「――ただ、殺めるのみ」

「や――やめろォおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――!!?」

 

 以上の蛮行を以て、天主は遂に嘆かれた。

 聖具を以て人命を危ぶむ冒涜の限りを天は咎め、神罰を地上に齎す。

 王の膝に突き立った穂先は雷鳴の如き唸りを以て神威を発し、王のみならず城、ひいてはその領地までをも灼き滅ぼす。

 炸裂する神光は、地脈、霊脈、龍脈の悉くを蹂躙し、王城を砕き、領地を殺し、王に決して癒えぬ不具を刻んだ。

 否、癒えぬのは王の傷だけではない。今この時を以てペラム王の国は逃れようもなく死んだのだ。

 

 その日、王の騎士、王の民は。

 王城から漏れ出る光の津波に呑まれ、冒涜の齎す奇跡を目撃した。

 光は民を殺さず、しかし収穫を待ち侘びる作物の悉くを殺し、今後一切の豊穣を否定する。

 地を駆ける獣に空飛ぶ鳥、水泳ぐ魚の類もその畏怖に中てられ多くが本能的に生命活動を手放し、大いなる混迷を人々に突き付けた。

 そして瓦礫の山となった王城に事の深刻さを悟り、その日のうちに多くの者が国を捨てて逃げた。

 ペラム王の国は、一転して死地となったのだ――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――ッ」

 

 ある日の夜が深まった頃、瓦礫の山を押し退け這い出る影があった。

 あの神罰の日、王諸共崩落する王城に巻き込まれ生き埋めとなったベイリンは、しかし死なずしぶとくも生き延びていた。

 王の安否は知れない。今や瓦礫と化した王城から彼を探し出す術も最早無い。

 しかし如何なる奇縁か、己の双剣と、冒涜に翳した流血の槍が、這い出たベイリンの前に突き立っていた。

 

「…………」

 

 ベイリンはその意味を計り兼ねたが、他に誰も手にする者が居ないことを悟ると、物言わぬまま手に取った。

 双剣は変わらぬ鉄の輝きを放ち、槍から滴る血も何ら変わりはない。この貧相な一振りが一国を殺したのだと、誰が信じられよう。

 ベイリンによって冒涜を為されて尚、槍は変わらず、手に取ったベイリンへ罰を降すこともなくするりと収まった。

 

 ベイリンはこの時知る由もなかったが。

 その槍こそはかつて神の子を突いて殺めた、聖ロンギヌスの槍である。

 彼女でさえなければ誰もが恐れ手に取ること拒む聖具の極み。しかし如何なる道も、如何なる信心も持ち合わせぬベイリンにとって、聖具は奇妙な棒切れに過ぎなかった。

 それが意味するところを表すのは、これよりずっと後のことである。

 

 静寂を保つ月光に照らされペラム王の領地を後にするベイリン。

 その月光と同じ輝きを放つ長髪は、いつの間にか髪先から半ばまでを黒く染め上げていた。

 

 

 

 

 




そらおめおめと帰るに帰れませんわ的なペラム王編。
こっから数十年単位で苦しむことになる彼は泣いていい。
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