ペラム王の敗北、カーボネックの失陥は暫くして周知の事実となった。
遺された民は難民となって路頭に迷い、騎士は仕えるべき主を失って忠義の行先を失って彷徨う。
一夜にして国土が枯れ復興の足掛かりすら失った領地を人々は恐れ、悪魔の地と呼んで離れていった。
その前日まで美貌の女詩人に沸いていた賑わいは一気に失われ、そんな些事など誰もが忘れて明日をも知れぬ今を生き抜くに腐心する。
その噂を耳にしてベイリンは、眉一つ動かさず。その日もまた殺戮に耽っていた。
ペラム王の城へ忍び込むにあたり捨てた甲冑の代わりを、戦場で拾ったそれで補い、形の統一せぬ継ぎ接ぎ姿で戦場に現れ、陣営の区別無く鏖殺に奔る悪鬼の姿は、黒騎士伝説に更なる尾鰭を付け加えるには十分に過ぎた。
いつしかブリテンに覇を唱えんとする諸侯は、敵の戦力を恐れる以上に黒騎士の介入を恐れる。
果てにはその首に報奨を懸けてまで脅威を除こうとするに至り、ベイリンの旅路はより一層の流血に塗れ死の轍を刻むようになった。
およそ如何なる道からも外れ切った、心底恐れるべき所業に、しかしベイリンの心は揺らがない。
その代わりとなるように、槍の穂先は屍を重ねる都度に流す血を増したが、ベイリンは取り合わなかった。
ベイリンを突き動かし得る王、弟、共犯者。いずれも彼女の傍に在らぬがために。裁く王も、宥める弟も、煽動する共犯者も無き今、ベイリンは一個の嵐となって戦場を吹き荒らすばかりだった。
「――――」
合流すると言った弟の迎えは、未だに無かった。
無論、だからと言って王の下へ帰るつもりはなかったが、彼の出迎えとその後のお小言を楽しみにしていた内心をベイリンは否定しない。
思えば、一時同道した弟の快活さこそが、唯一ベイリンの心を潤す娯楽――だったのかもしれない。
「――さみしい……ッ?」
彼の声無き現状をふと意識して、その虚しさを思わず口にして。
ベイリンは、己の口から出たその言葉を信じられずに、暫し呆然と立ち尽くした。
(……まさか)
さみしい。言葉にしてたった四文字。人に数ある弱さの形の一つ。
だが、ベイリンは。それまで一切の弱さと無縁だった彼女は、孤独の中漏れ出た音の羅列を心底驚愕して身震いした。
よもや、誰に言われるでもなく己から口にするとは想像だにしなかったのだ。
その事実を振り払うようにベイリンは哂い、その情動を奥底に押し込んで蓋をする。
しかしその間際、ふと立ち返る過去までは振り切れず、思考はかつての出会いまで遡った。
「貴公らが噂に名高いノーサンバランドの双子騎士か」
ある日、蛮族との会戦に備えるノーサンバランドの北方を訪れた若騎士は、未熟ながら確かな王気を纏わせて二人の前に現れた。
背丈は小さく、声は高く。男を装ってはいるが少女であるとベイリンは一目で見抜いた。ベイランも同様だろう。
しかしその振る舞いの奥に何らかの事情を察したベイランは敢えて言及せず、ベイリンもまた弟に倣った。
その配慮を向こうも察したのか、華やかな魔術師はにこりと微笑み、もう片方の付き人は神経質そうに鼻を鳴らす。
「私の名はアーサー。故あって諸国を旅し見聞を広める最中だ」
「……ベイリン」
「姉が失礼を、アーサー殿。今名乗りを上げたのは我が姉ベイリン、そして私はベイランと申します」
「この出会いに感謝を。貴公らのような百戦錬磨の強者と巡り会えたのは、この上ない僥倖と言えよう」
思えば素っ気無いにも程がある挨拶だっただろう、当時の彼女にとってアーサーは、物味遊山で見物に参った余所者でしかなかった。
否、そうでなくともベイリンの態度に変わりはなかっただろう。双子騎士などと祭り上げられてはいるが、そうするのは戦場に直接関わらぬ民くらいのもので、轡を並べる騎士からは蛮人と呼ばれていた。
女人にありながら貞淑を知らず、戦場の血風に耽り、騎士の領分を侵す"蛮人"と。
最初は、女の身で戦場へしゃしゃり出、あまつさえ誰よりも戦果を挙げる彼女への嫉妬から広まった蔑称であった。
その忌み名は当然アーサーも聞き及んでいるはずだ。ノーサンバランドの地で蛮人の二つ名が語られぬ日などありはしない。
だがアーサーはベイリンを色眼鏡を通さず、ありのままに見据え、その武勇を称賛した。
一切の皮肉も混じえず、純粋に。およそベイリンにとって初めての経験であった。素っ気無い返答は、今思えば照れ隠しだったのだろう。
ベイランと異なり、同じ血の通わぬ他者から歩み寄られることを、ベイリンは初めて知った。
歓談は暫し続いた。聞けば一行は次の戦場をノーサンバランドの騎士と共にして蛮族を迎え撃つのだという。
この北方の地は外地の異民族の侵攻が絶えず、王は常に人手を欲している。加勢ともなれば彼は喜んでそれを迎え入れるだろう。
ともすれば隊を同じくする可能性も――そう考えて、ベイリンは思わぬ胸の高鳴りを覚えた。
「未だ若輩の身ゆえ、何かと面倒をかけるかもしれぬ。先に詫びておくが、どうか許してほしい」
「ははは、皆最初はそのようなものですとも。どうかお気になさらず、戦場で見えたときは助力を惜しみませんよ」
「…………どうだか。そんな様子じゃあ、すぐ死ぬに決まってる」
「姉上、それは流石に無礼が過ぎますぞ」
高鳴る鼓動と裏腹に、ベイリンの唇は悪態をついていた。いや、本来ならばそうして悪態をつくことすらないはずだ。
有象無象がなんと言おうが、ベイリンは黙して語らず。あって一瞥をくれるか、鼻で笑うのみ。こうして心情を言葉に乗せるなど、常の彼女ではなかった。
或いは心情と行動の一致せぬ己の不具合に、ベイリンは苛立っていたのかもしれない。
弟に咎められ、バツが悪そうに口を噤むベイリンへ、若きアーサーはしかし気を害した風も無く、それどころかクスリと吹き出して小さな笑みを彼女へ向けた。
「であれば、いつか貴公をも黙らせるほど精進してみせよう。その時に改めて、貴公の眼で私を試されよ」
「…………そう」
その時試されていたのは、果たしてどちらであったか。
ベイリンはアーサーの眼を真正面から見ることができず、顔を背けた。
それからというもの、ベイリンは幾つかの戦場をアーサーと共にした。
彼は確かに未熟で、命を危ぶむことも片手で数えるに足りぬ程もあったが、その度に起死回生を図り見事に生還してのけた。その最中、ベイリンがやむを得ず彼を助けることもあったが、一方で彼に助けられることもまた、一度だけだがあった。
見目麗しき少年騎士の活躍は他の騎士たちの好意を捕らえ、たちまち人気者となる。その光り輝くような振る舞いをベイリンはいつしか目で追うようになり、しかし彼がこちらを振り向くたび即座に顔を背けるような日々が続く。
ようやく姉上も友と呼べる人を見出されましたか――親のような顔で知った風な口を利く弟を小突く。
そんな取り留めなくも掛け替えのない日々を過ごし、ある戦いの後の晩、同じ焚き火を囲んだ彼へ、ふとベイリンが問うたことがある。
「……おまえは」
「ん?」
「おまえはなぜ、此処へ来た? 最初は、士官が望みと思っていた。だけどそうじゃない。なら名誉を? だけどその割には戦果に執着するでもない。只管己を高めることを目的として、その先に何を視ているのか。それが私にはわからない……それが、気持ち悪い」
「…………」
「……なに?」
「いえ、あなたがそうも饒舌に話すところを初めて見たので、驚いただけです」
「……答えて!」
彼の言うとおり、彼女らしからぬ長広舌であった。
それを指摘されたのをベイリンは何故か恥ずかしく思い、これまた物珍しいことに語気を荒げて催促する。
アーサーはそんな彼女に吹き出すと、暫し逡巡して、声を潜めるようにして呟いた。
「内緒ですよ?」
「わざわざ言い触らす程暇じゃない」
アーサーの口振りは、この数ヶ月ですっかり柔らかくなっていた。
当初の肩肘張った振る舞いは一部の者の前でのみ鳴りを潜め、本来の快活な性根の片鱗を覗かせる。
己がその一人であることをベイリンは内心誇らしげにしていたが、さておき。
勿体振るような口調とは裏腹に真剣味を帯びるアーサーに、ベイリンは耳を傾ける。
「私は王になる。そしてこのブリテンを平定し、万人のための平穏を手にする」
馬鹿な――そう口出さずにいられたのは奇跡か偶然と言う他にない。
この戦乱の時代、誰もが自領の繁栄を第一とし、他国は全てその糧。間違っても統一など、そのような大言壮語誰も口にしなかった。
だが、彼は本気だった。本気でそれを信じ、実現しようと全身で物語っていた。
「……夢物語だと笑いますか?」
「……わからない。そんなこと、考えたこともなかったから……」
ベイリンは否定するよりもまず困惑した。
目の前の戦場が全てであった彼女にとって、彼の見ようとしている光景は遥かに大きすぎたのだ。
呆けたように口を開く彼女に、アーサーはふふと微笑む。気づいて、ベイリンは澄まし顔を取り繕った。
「今はまだ至らぬ身ですが……遠からず、私は旗を揚げる。その時は――」
アーサーは言いかけて、しかし閉ざす。
紡ぎかけた言葉の先を、ベイリンは察せず不思議そうに見るばかり。
「――いえ、今言っても詮無いことか。忘れてください、柄にもなく喋りすぎました」
「……そう」
ベイリンは追求しなかった。彼女らしからぬ配慮を覚え、彼の沈黙を尊重した。
語らいの終わりを双方が察し、火に砂を被せて消す。
「さぁ、もう寝ましょう。明日からはまた拠点を移す、疲れを残していては酷ですよ」
「…………」
その後、夜の静寂を破るものは何もなかった。
アーサー一行の加勢から数ヶ月が経ち、彼らはいよいよノーサンバランドを後にすることを決めた。
誰もがその別離を心底から惜しみ、王は再三彼を引き留めたが、アーサーの意思は固く結局は見送ることにしたようだ。
ベイリンもまた内心では別れを惜しんで――その変化をベイランは誰よりも喜んでいたが――惜しむあまりに見送りを拒み自室に引き篭もる始末だった。
そんな姉へ、弟は呆れたように肩を竦め、彼女の引き篭もる部屋の扉を叩く。
「姉上、アーサー殿が出立致しますよ。本当によろしいのですか? お見送りせずとも……」
「……やだ」
返る言葉は完全に拗ねた子供のそれであった。
この期に及んで彼女はアーサーの出立を納得できておらず、抗議するように膝を抱えるばかり。
ベイランはそんな姉の様子に嬉しいやら呆れるやら、心境の変化を成長と喜ぶと同時に途端に子供っぽくなったことを嘆き、開かずの扉に背を預けて言う。
「まったく、変わったら変わったで相変わらず手の焼ける方だ……。それならばせめて、窓から見送る程度はされては如何です? このまま全く一目も見ないのでは、必ず後悔しますぞ」
「……そうかも」
「でしょう? ですからほら、せめて一目だけでも」
ベイランに促され、ベイリンはおずおずと窓から顔を覗かせ外を見た。
眼下ではアーサーに世話になった騎士や民、隊の皆々が輪を成して彼を囲み、去りゆく彼へ口々に声をかけている。
付き人の騎士は心底鬱陶しそうにしながら、魔術師は常と変わらぬにこやかさを浮かべたまま、声援に応えるアーサーを見守っている。
……その光景を、ベイリンは心底から眩く想い。その背中を目で追って――
「? ――――!」
「――――!?」
ふと見上げた彼と、視線が合った。
ベイリンは堪らず赤面し、跳ねるようにして窓から離れた。
鎚が金打つように高鳴る鼓動。熱を宿す両頬の朱は、果たして後ろめたさのものであったか。
その答えをベイリンは見出だせず、結局それ以上彼を見ることができずに、言葉も交わさぬまま彼の出立を見過ごした。
彼がノーサンバランドを去って後、暫くしてとある報せがブリテンを駆け巡った。
湖の乙女に導かれし真なるブリテンの王アーサー、その飛翔の時である。
眩く輝く黄金、選定の剣を引き抜きし待望王、彼の下に騎士よ集えと号令が轟き、少なくない騎士たちが我こそはと馳せ参じる。
ノーサンバランドからも少なくない騎士が出奔し、彼の下へ向かった。
「よもやあれほどまでの御方だったとは……いや、かつての振る舞いを見るに、寧ろ得心が行くというものですかな? 姉上」
「…………しらない」
「成程、姉上はご存知でしたか。いや水臭い、せめて私にだけでも教えてくれてもよかったでしょうに」
「言い触らすようなことじゃない」
「ははは、然り然り。これは私が野暮でしたな、いや失敬。――で、姉上はどうされるのです?」
「…………どうしよう」
あくまで軽口を装う弟の言葉に、ベイリンは思い悩んでいた。
およそこうも心揺り動かされるなど、今までの彼女にはあり得ないもの。その出口を見出せず煩悶とした感情だけが鬱積していく。
やがて途方に暮れたように口を閉ざした姉に、ベイランは長い長い溜息を吐いて、その手を取った。
「な、なに……?」
「無論、我々も向かうのですよ。なぁにご心配なく、既に暇乞いは済ませ、荷は纏めております」
「勝手なことを……」
「さ、行きますよ姉上。長々としていては引き留める手が無いともしれませんからな」
ベイリンが抗議すると、彼はおどけたように肩を竦ませて悪びれもせず言う。
彼らしくもなく強引な手に引かれ、観念したベイリンはベイランと共にノーサンバランドを離れ、アーサーの下に集うた。
果たして二人を待ち構えていたのは、かつての人好きのする少年騎士の姿ではなく。
清廉にして潔白、冷徹にして実直そのものの、騎士王の姿だった。
「問おう。貴公らは我が剣の下に集う騎士たる者か」
凛とした声は、親しみの一切介在せぬ真なる王のそれそのもの。
ベイリンは、かけるに見失っていた言葉を更に失い、瞠目のまま王を階下から見上げる。
――嗚呼、彼はまことの王道を歩むのだ――
去来したその感動をなんと言い表そう。
彼はかつて語らったときの言葉に偽りなく、今まさに王として立っているのだ。
ベイリンの蒙を啓いたあの夜の誓いを此処に、今まさに体現しているのだ。
ベイリンは堪らず跪いた。
ベイランもまたそんな姉に倣い、揃って跪く。
貴方の騎士であることを誓います――ベイランはそう言った。
だがベイリンは――王の剣であることを誓った。
(私は、剣――――)
ベイリンは、その生涯に於いて最初で最後の忠義を其処に視た。
生まれ持った理由なき力の数々は、彼に捧げるためにあったのだと。
故に騎士道ではなく剣に誓った。ただ彼の敵を斬り伏せる剣であることを、ベイリンは自ら望んだのだ。
(彼の敵を討つ、蛮勇の剣――――)
即ち、そこに誉は無く、称賛も無く。誰に顧みられることのない、用途を終えればただ朽ちるだけの刃。
彼のために生かし、彼のために殺し。彼のために生き、彼のために死ぬ。
己が栄光の為でなく、ただ殺めることによって王の利益と為す闇の懐刀。王の影。
王は、にこりともせず双子騎士の宣誓を受け入れ、踵を返す。
先に参じていた騎士たちが二人を迎え入れる中、かつて旅を共にしていた魔術師が声をかけてきたのは、それが初めてだった。
思えばそのときから既に彼女の道は決し、誉無き蛮勇の道を歩み始めていたのだろう。
決して王の栄光に浴せぬことを知りながら――――。
(そう、だ――私は――)
ベイリンは過去から立ち返り、頭を上げた。
いつしか彼女は木陰に身を預け、知らず深層まで没頭していたらしい。
幾度巡ったとも知れぬ夕焼けを仰ぎ、彼女は己を省みる。
(さみしいなどと、愚かしいにも程がある――)
元よりその
それをたかだか
一度は今生の別れとしておきながら、駆けつけた弟の優しさに甘え、その果てに王の称賛を幻視するなどと、蛮人の名は何のために背負ったのか。
(王よ。どうか今一度、この愚かな私をお忘れください……)
そして叶うならば王道の果てに栄光を、轍となった己の骸の上に築かれますよう。
ベイリンは今一度身を起こし、歩みを進めた。
冒涜の蛮人は更なる放浪を重ね、やがてとある村へ流れ着く。
既に時は数年を過ぎ去り、王の宮廷で最早蛮人の名も忘れられようという頃、見えざる神の思惑集う名も無き村へと。
運命は残酷である。
罪には贖いを求め、容赦なく代償を持ち去っていく。
蛮人の積み重ねた咎を裁く時が、遂に訪れるのだ――――。
カリバーンを抜いた直後の、王になるまでのアルトリアの口調とかは完全に捏造です。
リリィのほうはあくまでイフですので、それと区別をつけるように意識はしましたが。
あとここまで何だかんだ毎日更新できてしまいましたが、さすがに今後は難しくなると思います。
そろそろ下旬に入りますしね……どうかご容赦ください。