奥へ、奥へ、さらなる深みの奥へ。
人一人がようやく通れる幅の道の行く先は真っ暗で手に持つ提灯だけが周囲を照らせる照明だった。
冷たく肌名を撫でる空気は体温を奪って、俺たちを凍えさせ体を震わせる。
だが、俺たちはその歩みを止めることをやめず、その先へと落ちて往く。
山をくり抜いて作られた道は、密教信仰のそれを大いに受け家督を継ぐ俺とそれのを見届ける親父殿と琉子衆棟梁の三人、そして見届け人として井河アサギを迎えた六人だけだった。
この先の奥宮で俺は、『篠原啓二』は本当の意味で『沙流鳶啓二』と成る。
『参られい、魅入られい──』
最前を歩く虎二の声が呪文のような抑揚のない声で響いた。
提灯の中から僅かに立ち上る煙は妙な臭いが混じっている。それもその筈、意識を変性し混濁させある種のトランス状態にするためだ。
神懸かると誰かが言った、神や、悪魔が憑いたと思わせる意識の混乱は──実際にそれに類する者たちを呼び寄せる。
「……参られい、……魅入られい」
俺の口からついて出た言葉とともに意識が削られていく感覚がある。
どこか朦朧とした感覚があった。頭がふらふらと揺らめいて、世界が廻る。
この体に眠る忍術、違う、奴を引っ張り出すために固く掻掛けられた意識の呪詛を緩めるために抗する必要があるのだ。
体を廻る対魔粒子は奴の吐息。俺の、沙流鳶の家の血に巣くう魔族──鵺を呼び起こすための。
「何事だ?」
沙流鳶屋敷の喧騒でかき消されそうになった俺の緊張は、襖の先にいる親父殿の声で引き戻された。
「ご多忙のところ恐れ入ります。山本信繁でございます」
廊下に正座し、深々と頭を下げる山本部長の姿に如何に対魔忍界隈で沙流鳶の家名が重要かを再認識させられる。
この人も相当なポストに収まった
姿を見せないまま声が返ってくる。
「久しいな信繁。何用だ?」
「タカマガハラより緊急の依頼がございました」
「あそこからのお……、三龍五兵八陣に不備はないはずだ」
「それを崩そうとする動きが近年激しくなっております、我々もあの陣に触れることは畏れご協力をお願い申し上げます」
「俺の血肉と、巨人の足を、沙流鳶が知識を得てまだ不服か?」
押さえつけるような声が、俺たちに圧し掛かり否が応でも頬に冷たい汗が伝った。
俺の隣に座る舞ですらその顔からは精気が失われつつあった。
そっと背中を撫で落ち着けせようとした。僅かに傾けた顔で、微かに笑いありがとうと声なく舞は答えた。
「陣の不備ではありません。この度はタカマガハラに蔓延る無頼の輩の対応にE&S社より要請があり、お伝えに上がりました」
「先陣を俺に決めよと?」
「……恐れながら」
タカマガハラ。
北東の島、択捉島の上空に建造された超大型上層構造居住人工都市の総称だ。
土地の歴史的に現在も露帝と領土争いが続き、その隙を突かれ魔族の流入を許し現在日本の数か所ある行政麻痺の違法都市となっている。
だが、あの都市は特殊な成り立ちから臨時行政があり形だけであろうとも一般人の居住が可能だと聞く。
対魔忍という職業柄、そういった違法都市、廃棄都市の情報はいち早く知ることができ、北東の地であったとしても風の噂程度は啓二も耳にしていた。
「その無頼の輩とやらは、なんだ? 魔族か、異形か?」
「人間でございます。対魔技術の得た、ゲリラ部隊と」
「米連の自治化であろう。沙流鳶の祝いの席にわざわざ持ち込む話でもない」
「その輩の動き、少々妙でありまして」
その発言に、小さなため息のような声を漏らした親父殿が聞く。
「ほう、妙とは」
「三龍五兵八陣の面となる龍脈を象った蒸気伝達線を破損させているようなのです。現状の動きから見ても狙いは
「そういった話は、琉子衆より入っておらぬがなぁ。何故だと思う信繁?」
白々しく聞いてくる親父殿の声は嘲笑しているような色を孕んでいた。
深く頭を下げた山本部長の不動なる姿が僅かだが揺らいだ気がする。非難されているとう自覚があるからだ。本来、タカマガハラの行政は日本政府が取り仕切る筈であった。
しかし、現状で東京キングダム、アミダハラやトミハラ、アマハラなどの違法都市の数々の治安維持が成されていないこともあり、それに付け込まれ自治権を米連の民間軍事委託会社『イーグル&サンクチュアリ社』に取られてしまったのだ。
米連としても鎖国状態の露帝の動向を探るためタカマガハラに軍隊を差し向けたいのが真意であるが、表向き日本と米連は友好国だ。民間委託という形で自治権を得ているのだ。
本来タカマガハラの治安維持をするための日本の武力は蚊帳の外、タカマガハラの下、択捉島に追いやられている。
そのせいもあってか、タカマガハラは日本の領土でありながら実質的な他国状態。治外法権の土地なのだ。その影響もあり琉子衆もタカマガハラへの登昇は困難を極めている。
親父殿はその国際的な手腕の不手際を非難し、嘲笑しているのだ。
「我々としても、択捉に封印した第四号魔界門の管理に人員を割かれ、この様な事に」
「以後慎め、俺もそう願おう」
この話の手綱を握っているのは親父殿だった。全てに措いての決定権を持ち、その気になれば生殺与奪の権利すら持ち合わせていた。
沙流鳶屋敷は沙流鳶の頂点である親父殿の手足として動く分家衆が集結している、そして何より親父殿も脅威的だった。
「まあいいさ、お前の働きは平時より知っておる。そう委縮するでない、ちょっとした冗談だ」
あまり冗談なっていない。さくら先生が安堵のため息を付いたのを俺は聞き逃さなかった。
楽しげな親父殿の含み笑いの声が耳に届いた。
「井河の次女も来ておるのか?」
「はい、井河さくら、井河アサギとも共、必要かと思い連れてまいりました」
「ふぅん。現対魔忍総隊長であるアサギもなあ、その手際の良さ、もはや俺に相談するまでもなく人選は決まっておるのだな?」
アサギ校長の軽い目配せが俺と舞に向けられた。正座の状態で襖ににじり寄り平伏する。
「篠原家、長男。篠原啓二、推参いたしました」
「七瀬舞。召還に応じ参りました」
親父殿は沈黙で答えた。暫時の間があり声が返ってくる。
「……信繁、選抜した篠原の家の長男。事情を知らぬわけではなかろう?」
アサギ校長が答える。
「今回の人選、私が選ばさせ頂きました。タカマガハラという構造的な事情を考え、火遁や雷遁、大規模な攻撃力は都市の崩壊を招きかねない。確実な制圧力と日本国と米連との軍事摩擦を避けるための人選です」
対魔忍とは国際社会の観点から見れば優秀な諜報員であると共に、絶対的な殺傷性を持った
俺たちは実戦を経験しているが、現役の者たちと比べればまだまだ露出の少ないヒヨッコだ。
その為の人選。他の目にまだまだ触れていない事こそ国際間での本当に表に出したくない暗部の仕事をやらせる口実だった。
ありていに言えば鉄砲玉と変わりはしない、しかし本来の対魔忍の『忍者』としての機密性と諜報の側面を考えれば当然と言える。
「答えになっていないな。が、良しとしよう」
「寛大なお心に感謝します」
襖に移る親父殿の影が揺らめき、こちらに顔を向けた。
「作戦の開始はいつほどに?」
「早ければ早いほど良いかと。火急の事案のため、米連方も焦りをのぞかせています」
「というと?」
「国連のUNOTAH作戦のカウントダウンの再開をE&S社が要請したと、外務省より通達がございました」
「…………」
沈黙で返答する親父殿。俺はUNOTAHという単語に疑問が浮かぶ。
UNは国際連合とし、OTSHはなんの頭文字だ? 。
疑問に頭を捻っているとき、親父殿の冷徹な声が響いた。
その声は怒りの色を孕んだ憤る声だった。
「日本を三度も焦土にすることは赦さぬ。今回のE&Sの不届き、我々が拭おうではないか」
「ありがとうございます」
廊下の端より現れた琉子衆たちが屋敷からの退場を促してくる。
この土地の主は沙流鳶利家であり、拒否する権利は総理大臣にもましてや天皇陛下ですら持っていない。
静かな声で俺と舞の派遣の返答が返ってくる。
「猶予を三日とする。その間にその二名の身辺を整理させることだ」
深層の奥宮へたどり着いたぼくたちは粛々と明かりを祭壇に灯していた。
薄暗い祭壇の広間は巨大な一つの巨岩の中をくり抜いて作られており、風水学にのっとり配置された蝋燭たちはあまりよろしくない場所に配置されている。
この祭壇の構造も、卵を象っておりいま孵ろうする当主を呪術的に呪う為にこの場所は創られている。
全てはぼくの、沙流鳶の当主になるべく作られた呪いを授ける場所なのだ。
「本日これより、鵺の血の引継ぎを執り行う。壇の上に、肉を」
琉子衆棟梁たちはその腰から下げた袋から儀式に必要とされたものを設置してゆく。
左寄り下段より虎の足、狸の胴体、蛇の亡骸を設置し、玉座に親父殿が腰を掛けた。
どれからも漂う気の感覚が尋常ではない。魔族から毟り取った生贄の方式の儀式だった。
虎の足、あれは九州に渡ってきた騶虞の脚だ。狸の胴体は四国の刑部狸の序列になる魔力を帯びだ狸の胴体だ。蛇の亡骸は蝦夷地に住む神『ホヤウカムイ』に転身前に仕留めた物だろう。
どれも魔力を帯び、呪術的に重要な物品であることは疑いようがない。
上座の祭壇に腰を落ち着けた親父殿、その体は神域の獣『赤狒々』の体だ。
──虎、狸、蛇、猿。
そのすべてが合わさるとき天帝にあだ名す獣なる。
俺は胸元に収めたあるものを取り出し祭壇の前に置いた。
戒名だ。
「鵺纏院覚志啓飛居士よ。鵺を継ぐ気にあるか」
親父殿はそう俺に問う。もはや無用な問答である。
「僭越ながらその栄誉にこの
背に担ぐ虚残剣を引き抜き、親父殿に切っ先を向けた。
刀身に走る赤黒い静電が音を鳴らし、俺の体に纏わりつく。
この刀に刻まれし言霊を諳んじる。
──逢佛殺佛 逢祖殺祖 逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母 逢親眷殺親眷 始得解脱 不與物拘 透脱自在──
仏に逢うては仏を殺す、先祖に逢うては先祖を殺す、悟りを得た者に逢うてはその者を殺す、父母に逢うては父母を殺す、親族に逢うては親族を殺す、全ては一点の極致に至る道。
刀を振るい、俺は神楽を舞う。
俺の体に今宿っているのは神でもなく先祖の霊でもない、血に刻まれた鵺の気であり意識はすでに執着より抜け出している。
蝋燭の煙の影響で朦朧とする意識の中で、その感覚に身を任せる。
荒れ狂う衝動、殺意や悪意、そういった負のとは無縁のただ純粋なエネルギーのような暴れる感覚が俺を揉み砕く。
その意思に目的はない、そこに生じてただそのエネルギーを発散するだけの存在。要因もなければ理由もない。ただあるだけのエネルギーを俺は受け入れる。
その意思に俺は意志を与え、方向づける。無から意味を見出しそれに意味を与えつける。
汝なんぞや。我は人なり、影より人を護りし闇なり。
供物の魔力が俺の体に流れ込む。
鵺成る器。それに満たさる力を御さん我は真に人といえるか? 。
愚門、我は人なり──人として生を受けし肉袋なり! 。
刀を振り下ろし神楽を終らせた。翳む視界の先にいる親父殿の姿がいつもより大きく感じる。
「よくぞ継いだ、啓二。俺の血より鵺が抜け去りお前の代に引き継がれた」
眼を擦り、その視界が鮮明さを取り戻した。
赤狒々の姿が消え失せ、そこに座していたのは俺と顔つきが似た男性であり、古い記憶の底にいた親父殿その人だった。
「血集めの儀、これにて終了とし俺は本日今の時をもって沙流鳶家当主の座を降りるぞ」
第一章これにて完! と言う事にしておきます。
第二章より舞と啓二はタカマガハラに行ってもらいますが、話の流れの都合上米連編と勝手に名を打っている『金瞳の二丁拳銃 アイナ』の方を進めないと皆さま置いてきぼりになりそうです。
なので『対魔忍 マイ』が進めれるだけの話をアイナの方で進めたいので少しの間休載します。
『覇炎の皇女 アスタロト』は書きあがり次第投稿したいと思います。
誤字脱字報告。感想、意見、要求などはどんどん受け付けます。