「ただいまー!」
「お、お邪魔します」
まりちゃん先輩に連れられ、篠原邸に到着し玄関の敷居を跨いだ。
平屋建ての小ぢんまりとした木造建築。趣はまさに京町屋と言っていいほど風情があった。
年季の入った色をした柱たちが舞を出迎えた。
玄関先まで香る匂い。ふわりと鼻腔を撫でる香りは僅かながら和の雰囲気とは懸け離れた洋の香り。
「おっかえりー。もうすぐ準備できるぞー」
溌溂とした啓二の出迎えの声が匂いの下からする。
「舞ちゃん、上がって上がって。遠慮なんかしなくていいから」
やけに嬉しそうなまりに促され、しずしずとした様子でローファーを脱いで篠原邸に上がった。
案内されるがまま居間の食卓に通され、冬場は掘り炬燵であろう机につかされてしまった。
フカフカの座布団に、他人の家という雰囲気的問題で二重の意味で居心地が悪かった。
「まり姉、帰ってきてすぐで悪いけど。茶を出してやってくれ」
「わっかたよ啓ちゃん」
スキップをするようにお茶を台所に行こうとするまりに舞は手伝おうとする。
「手伝います」
「いいの、座ってて。お客さんだしゆっくりして」
座布団に押し戻される舞は借りてきた猫のように大人しく座っておくしかなかった。
畳の目に指を滑らせ、部屋を見渡した。
電球色のオレンジっぽい色でリラックスする電気、小物入れやリモコン入れ、テレビに据え置き電話など家庭的な温かさを感じさせる内装だった。
壁に掛けられた時計がカチカチと歯車の音を鳴らし、その下には幾つも家族写真が飾られていた。
仲の良さそうな篠原夫妻、その手に囲われたまりが気恥ずかしそうに笑い、啓二はどこ吹く風かそっぽを向いていた。
「お待たせ~、喉乾いたでしょう。お茶です」
「あ、ありがとうございます……」
マグカップに注がれたお茶は、ほうじ茶のよで沸かしたてで味は薄かったが匂いは良かった。
舌を火傷しないようにチビチビと飲む姿にまりは、まるで孫娘が来た時の御婆ちゃんのような綻んだ間でこちらを見ていた。
「な、なんですかまりちゃん先輩……」
「なんだか。リスさんを見てるみたいで可愛いなぁって」
一応婦女子としての身嗜み、作法は身に着け実践しているが世間一般の可愛いという部類には私は入らない。無愛想、無口、無表情の三無が揃った不届き者だ。
そう言ったか可愛いは私より、まりちゃん先輩の方がよっぽど形容に値する。
まるで人恋しい子犬といった感じの雰囲気が舞には羨ましかった。ニコニコと人懐っこい笑顔に人当たりのいい性格は誰もが絆されよう。
そんな彼女が私を可愛いというとは、おかしなことを言う人だ。
「啓ちゃんとのタッグはどう?」
藪から棒にまりは舞と啓二のタッグの相性を聞いてきた。
少しだけ考え答える。
「啓二とのですか……中学初めからの縁ですし、不可もなくいいパートナーだと思いますよ」
「そっかー、良かったー」
「どうしてそんな事を?」
聞き返した私にまりはニコニコとした表情で答えた。
「啓ちゃんがね最近私に相談してくるの、『七瀬とどう接すればいいんだ―!』って。啓ちゃんとクラス別でしょ、話題も合わないからコミュニケーションに悩んでたみたいだよ?」
驚きだ。私と同じく無神経、無節操、無遠慮の三つ揃った口達者が人間関係に悩むことがあったとは。
暫時、啓二との円滑なコミュニケーションについて熟考した。
任務の話はブリーフィングで話し合うことは当たり前として、他の話題等を私から振ることは基本的にはないと理解している。
日常会話などの話は今日の昼食に話したような軽い話が多い。距離感が近く、共通の趣味から出る話などはあまり話していないかもしれない。
ここ最近で話した話題と言えば何があっただろうか。ふと一つ思い出す。
「そうでしょうか? この間も小説の話をしましたよ」
「小説? どんな?」
「藤沢周平の『隠し剣 秋風抄』というモノの話をしましたよ。第一章の弓削甚六の使う石割りという技は再現できるって言っていましたし。四章の『陽狂剣かげろう』の陽狂剣かげろうの主人公、佐橋半之丞が狂気に染まっていく様は
そう語る私はつい書籍の話に熱が籠ってしまう。
ハッと気づきちらりと見たまりはの表情はにこりと笑い、安心した様だった。
「良かった。啓ちゃんと舞ちゃんが不仲になったんじゃないかって心配しちゃった」
「……私が口下手なのがいけないんです。もう少し気軽に話せる話題を持っていればいいのですが」
「そうかな~? 啓ちゃんは元々本は読むほうだったし雑食だから何でも読んでるよ」
「そうなんですか?」
「うん。舞ちゃんとペアを組んでからさらに加速したかな~。漫画と小説が特に多いけど、最近とか『人類不平等起源論』とか偉人の伝記とか、さすがに新約聖書を読みだしたときは変な宗教にハマったかもって心配しちゃったけど」
さすがに驚いてしまう。啓二がそこまで本を読む人間だとは思って見なかった。
宿題を見せてくれと言ってくるあたりいつも遊び惚けて、学業をすっぽかしているものだとばかり考えていた。
一般的な勉学は別として、存外啓二は博学なのかもしれない。
啓二を心配するまでもないのに、まりちゃん先輩は本当にやさしい。
「まりちゃん先輩は、家族思いなんですね」
「そうかな~、普通だと思うけど」
「いいえ、家族思いです。家族の心配事に真摯に向きあって一緒に解決してく……私の家族は違いました」
まりは少し考えた様子を見せ、笑顔で答える。
「家族次第だと思うよ」
その答えに、私はきょとんとしてしまう。
私の家庭環境はお世辞とも言えど決していいとはいなかった。
幼い頃から紙気の力を授かり、紙に自在に操れた私に周囲の人間は気味悪がり、両親ですら怪物を見るような目で私を見ていた。
厄介払いで私を五車に送った両親は私を心配はしてくれないだろう。
学生寮に入っている人間は大体が私のような人間が多いく、ネグレクトされた者たちの巣窟であり、その事はこの街では周知の事実だった。
家庭を知らず、人の笑い声を知らず、人の温もりを知らぬ抜け殻。
憐れむ人間は数多くいれど、まりのように溌溂と、家族次第だと切って捨てた言葉にある意味ですっとした気持ちが私の心内に芽生える。
ふいに頬がほころんだ。
「そういった事を言われたのは初めてです。そういった答えもあるのですね」
「? 答え、初めて?」
まりはよく理解していないようだったが、私はその反応は新鮮で楽しくなった。
「おまっとさん! 俺特製男飯、追い生クリームのカロリー爆弾クリームシチューだ!」
納得の出来前なのか渾身のドヤ顔で、台所から現れる啓二。
どう名付ければ美味さを二割増しで削ぐ名前を付けるのか。
両手一杯に鍋を持ち、机にドカッとクリームシチューを置く啓二の姿は今までに想像もしていなかったエプロン姿に新たな側面を見たと思う。
テフロン加工の鍋の蓋を開けると、フワッと軽やかな煙が薄い霧雲のように立ち上った。
「わぁ……」
思わず小さな声が漏れてしまった。
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、グリーンピース。色とりどりの野菜たちが目を楽しませた。
シチューの甘く滑らかな香りに混在する胡椒など香辛料の香りが食欲を誘う。
「七瀬は白米に掛けて食うタイプか? 一応飯も炊けてるから食べたくなったら言ってくれ」
丸深皿にシチューをよそいながら、そう言う啓二の姿は手慣れた感じがある。今日は啓二のいろいろな側面を見る機会が多いように思う。
そういった雰囲気はなかったが、家事が得意なのだろうか。家事に勤しむ啓二の姿を想像する。
専業主夫というのはこう言った感じなのだろうか。仕事終わりに温かく出迎えてくれ、ともに家庭を育む。
不意に啓二と私がいもしない子供を挟んで笑って歩く想像をして、ポッと頬が赤くなる。
「どうした七瀬? 顔が赤いぞ、クーラーつけるか?」
一人勝手な妄想に顔を赤くしていた舞に心配するように聴いてくる啓二。
盛り付け終わったシチューは舞の前にあり、ボーとしていたようだった。
「い、いえ。何でもありません。──いただきます」
「? おう?」
匙を持ち、シチューを掬い口に運ぶ。
私は一人で食事をするときは基本的に本を片手に読みながら食事をすることが多い。
行儀は些か悪いが、一人であるために気にはしていない。
食事は作業、味気のないパン食などがメインだがそれと同じ心持で味わうと。
「……おいしい」
想像以上の美味しさに言葉が出る。追い生クリームカロリー爆弾と女性受けはよろしくネーミングだが、ピリリとした胡椒の風味を和らげるクリームソースの味が鼻孔を抜ける。
甘く、そして脂のどっしりとした重みのある味。味は確かでしっかりとした味わいなのだが、その味は舌の奥に余韻を残し尚且つその余韻はくどく無くスッキリとした味わいだった。
「そいつは良かった、旨くなかったら食ってても楽しくないからな」
白米をついっだ丼にシチューを掛け、口に掻っ込む啓二はそういった。
確かにシチューは美味しいが、その食べた方はどうなのだろうか……。
そうであったとしても、この食事は楽しかった。誰かと囲む食事がこんなに食事を美味しくさせるとは実感したことがなかった。
本に記された、食事の楽しさを初めて知り私は頬を綻ばせ笑った。
鳴き声も細く数少なくなった鈴虫の鈴の音、夜道に七瀬を学生寮まで送るまで付き添う啓二は肌寒くなった夜風に体が冷える。
しかし啓二の体温は想像以上に熱く火照っている。
「…………」
思い人を隣に嬉しさに盆踊りを三日三晩踊れそうな歓喜に支配されているにも拘らず、その無口さに妙な焦燥感に苛まれていた。
まり姉をダシに使い、やっとこさ彼女と二人っきりで話せる機会に巡り合えたのにこの様とは。
(なっさけねぇ!)
恥ずかしさで、カナダ映画のスキャナーズの名シーンの頭が炸裂しそうなほどに顔が熱い。
(流石にないな。怖すぎだ……)
変な想像に一人突っ込みを入れ俺は鼻笑いを漏らした。
その息遣いが聞こえたのか、舞は僅かに顔を傾け聞いてくる。
「どうしたんですか?」
「いや、コバエが鼻を掠めただけだ」
俺は頬を掻き誤魔化した、七瀬と一緒にいるから緊張しているなんて当て擦りのような言い訳を言うほど、女々しくもプライドを捨てているわけでもない。
好きな女の前では格好を付けたいだけだ。
「あなたがあんなに料理が上手だったなんて驚きです」
「そうか? 親父たちは、任務が多いしまり姉は委員会で忙しいだろ。必然的に俺が家事をやるんだよ」
「……ふーん」
納得したのか納得してないのかよくわからない返答が返ってくる。
家庭を経験した事がないのは知っていたが、ここまで知らないというのも驚きだった。
食事中の七瀬は、七瀬自身気づいていなかったが。目を輝かせ、そして泣きそうな目をしていた事を。
その感情が悲しさからか嬉しさからか、どちらとも見当がつかない啓二には彼女に寄り添おうとずっと前から決めていたのだ。
彼女に初めて会って、彼女に惚れた中学一年の入学式のあの瞬間から。
七瀬は思い返す様に瞳を閉じ、微かに微笑む。
「今日は楽しかったです。ありがとうございます」
「いいってことよ。相棒だしな、お前が不調じゃ心配で戦えねえ」
「ふふっ、心配性なんですね」
くるりと振り返り、その満面の笑顔を俺に向ける。
暗闇も何のものか。純白の色に光り咲く笑顔に、思わず俺も笑顔が漏れた。
そして思った。
(可愛すぎだろ。卑怯すぎる……ッ!)
スケベ心満点で恥じ入る気持ちだが、可愛いと思ったのは嘘ではなく本心からそう思えた。
住宅地を抜け、学園付近の学生寮の近くに来た時、不意に鼻を掠める香り。頬にぽつぽつと打ち付ける雨粒。
七瀬は天を仰ぎながら思い出したように言う。
「明日は雨天祭でしか?」
「ああ、朝から土砂降りになるから傘か合羽がいるな」
頭を掻きながら憂鬱な気分になりそうになる。明日はやることが山積みで、学園には行けないな……。
町の人間には隠されているが、何しろ今年の雨天祭の主賓は『俺』だ。
「啓二、明日の夜、時間ありますか?」
「ん? どうかな。予定が立て込んでるが会うくらいなら出来るはずだが」
七瀬は少しモジモジした様子で俯き気味に言う。
「今日の料理はホントに美味しかったんです。……お礼がしたくて、明日の雨天祭──一緒に回りませんかッ‼」
最後は叫び声のような音量で聴いてくる七瀬。学生寮からは何事かと窓から生徒が覗いてきて、恥ずかしさから頬を紅潮させ俯く。
「────―」
明日、雨天祭、一緒に回る──デートではなかろうか……。
「マジ?」
「駄目ですか?」
七瀬は残念そうに聞いてくるが、答えは迷いながらもほとんど一択であった。
「俺なんかで良ければ、ご一緒させてください」
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