「おねーちゃん、はやくーっ!」
井河邸の玄関先で大声で妹に急かされるアサギは、化粧台の前で薄く紅を口に引いていた。
さくらは自分がどう見られるかとは考えていない様だが、アサギは表に出るときは少しでも美しく見られようと飾る年頃に昇ってしまった。
子を儲け、家庭に入ってもいい頃合だが立場それを許さなかった。いつも気を張り詰め、息が詰まりそうになる。
そんな仕事一辺倒のアサギに気を回してか、それともただ自分が楽しむためか、雨天祭の出店を回って息抜きをしようと駄々を捏ねた。
「もうすぐ行くわー」
書類棚より二通の封筒を出し、差出人を確認する。
──衣原 敏井江
私がまだまだ世間を知らない学生だった頃に知り合った友人からの便りだった。
内容は息子が雨天祭の日、家督を継ぐため後見人となってほしいという内容であった。
衣原というのは養子に出された時の幼名であり、その家名と本名はすでに知っている。知っている為に後見人は丁重に断った。
後に届いた便りには、なら共に我が子の晴れ姿だけでも祝い一献酌み交わそうという旨が記された内容が、今日の夕方に届いたのだ。
さくらは祭に行きたいと駄々を捏ねだしていたためちょうどいい機会だった
セカンドバッグに財布とスマホ、その封筒を入れた時、インターフォンが鳴り響いた。
「はーいっ!」
限界に待機しているさくらがすぐに出て対応する。
自室より出て玄関に向かう。
「さくら、どちらさま?」
腕時計を嵌め、顔を玄関に向けた時、まさに招かれざる客という言葉が合う人物がいた。
「アサギ、急ぎ人員を集めたい。時間をもらうぞ」
内務省公共安全庁対魔災三次対策室『
「利家殿、飲んでくださいよーっ!」
野猿は顔を真っ赤にして親父殿の盃に酒を注ぎ呆けた顔で大声で笑っていた。
静粛な席も時間とともに緩和する。宴会も数刻たち、どんちゃん騒ぎの狂乱になりつつある風景に俺は少し気を抜いていた。
分家衆の当主たちは思い思いに祝いの言葉を俺に言いに席を立ち、次第に大声での笑い声が木霊する藹々としたものに代わり俺は妙に緊張していたことが馬鹿らしくなり始めた。
隣に座る狒々、沙流鳶利家の元より赤らんだ顔を酒でさらに赤くし顔をほころばせていた。
「親父殿。面取っていいか?」
「もう少し待て、そろそろお開きだ」
面を少しだけ上げ少し乾燥し始めた刺身の盛り合わせを食べため息を付いた。
あれだけ強く降りっていた雨は、小雨になりしとしとと庭先の木々に露を乗せるだけであった。
表山道の方より縁日の声が聞こえる。
(抜け出せるか……待たせてねえといいけどな……)
七瀬との雨天祭を巡る約束に焼きもきした心境で、次々と酒を注ごうとしてくる野猿を虎ジイに押し付ける。
「コラーッ! 何パン一になっとんじゃーッ!」
蛇乃が呂律の回らぬ怒声を上げ、周囲からば歓声が上がる。見れば大の大人が裸踊りまではじめ、皆がいい具合に壊れ始めた。
しばらく見ない親戚一同の面々の壊れた姿に俺は苦笑し、お茶を飲んだ。
いくら酒が美味しかろうとああも壊れては頂けなかろう。未成年でもあるため終始ソフトドリンクで喉を潤わしていた。
「皆いい頃合、宴会はこれで閉幕だ。酒はまだまだある、親戚筋とはそう顔を合わせる機会もないだろう、親睦も程々にせよ」
親父殿はそう言い立ち上がった。立ったといっても大猿の背丈、座った俺の同じくらいにしかならなかった。
俺の隣で小さく耳打ちする。
「暇だろう。屋根に行こう、親子水入らず一献」
「分かった」
共に席を立ち、大座敷を出た。
どんちゃん騒ぎは俺たちが抜けても座敷で続き、宴会に出席していない分家衆の親類は屋敷のそこかしこで騒ぎあげていた。
あちこちで給仕に駆け回る御手伝い達に頭が下がる思いだ。
屋敷を抜け台所に向かい日本酒を一升と盃を二杯貰い、蔵の方へ向かった。
「酔ってはいないな?」
親父殿は木々をひょいひょいと駆け上り、屋根から手招きする。
相当飲んでいるのに猿の健脚は失われてない様だ。俺も地面を蹴り上げ、一跳びで屋根へと上る。
「おお、素晴らしき脚力よ。俺も若い頃は同じかそれ以上跳べたがなあ」
「親父殿は元より狒々だろ」
「こいつめ言いよるわ」
からからと笑う親父は濡れた瓦の雫を払い座り、隣に座るよう促してきた。
息苦しい面を外し俺も座り寝転がる。どうせ濡れるのは陣羽織だ、どうとでもなればいい。
「それはお前の子も使うぞ?」
「どうでもいい」
「無礼な奴だな。先祖代々使った陣羽織を」
「俺と同じ血が半分は言ってるなら。無礼もくそも考えてないだろ」
「まったくだ」
キキキっと猿笑いをだし、日本酒の瓶を開ける。
「飲もう。啓二」
「俺未成年だぜ?」
「法に囚われては何も成せぬ。倫を尊び、法は軽視しろ」
「親には思えねえ言い草だな……」
「昭和では誰もが酒を飲み、煙草を吸っておったがなあ。しずく絞りのいい日本酒だが、お前が飲まんというのならそれも仕方ない」
親父殿は酒を乾かし、キーっと猿声を上げ夢見心地と言った様子だった。
不思議だった。こうして一対一で話した機会はよくよく考えればなかったかもしれない。
いつも会ったとしても、というより過去の親父はまだ『人間』だった気がする。
択捉での要請任務に向かって以降、親父殿は親戚の前を表すのは雨天祭ぐらいだった。
やはり狒々となったことを恥じているのかもしれない。
そう考えを巡らせてみるが、人の心というのはやはり分からないものだ。
「そろそろ来る頃か……」
親父殿はそう言うと、屋敷の塀を飛び越えより木々を伝い一人の男が蔵に上って来た。
「よっ、啓二、親父久しぶり」
「安芸耶ッ!」
唐突に現れたのは啓二の実兄、
スーツ姿で片手にビジネスバックを持った姿に顎が外れるほど驚いてしまう。
親父殿は手招きし座るように促した。
安芸耶は二年前に理由もなしに唐突に出奔し、沙流鳶家筋で勘当状が出回るまでになった伝説の問題児だった。理由は様々流れ、最も主流だったのが
「安芸耶、市中の生活はどうだ?」
「平和極まるね、出奔して正解」
盃を受け取りグイっと呑み旨そうな唸り声を上げる。
お化けでも見たように安芸耶を見続ける俺の姿に実兄は不思議そうにし、親父殿に訊く。
「親父、言ってねえの?」
「機会がなくてな、ほたっておった」
「おいー、おっおっおーい」
軽いノリで親父殿の肩を叩く安芸耶は明るい顔をしていた。
親父殿は綻んだ顔で俺に安芸耶の事情を打ち明けてくれた。
「話しておらなんだな。安芸耶な、市中で嫁をとったのだ」
「はぁ!?」
いたずらが成功したと言わんばかりに二人は猿笑いを上げる。
啓二が驚くのは当たり前だ。
対魔忍が一般人と縁組をするというのは容易なことではない。
異形の力を持った人間が只人と結ばれるということはそれだけで障害になり、対魔忍の家系からは邪魔立てが間違いなく入るし、何より国が戸籍の変更を許さない。
その障害があるのに──。
「できちゃった婚でーす。ぴーすぴーす」
嬉しそうに薬指の結婚指輪を見せつける安芸耶にちょっと腹が立つ。
「安芸耶はな、市中の女子と内密に子を儲けたと俺に告げた。子が出来て市もうたから仕方がなく出奔したことにしたのだ。勘当状を回せばこいつはもう沙流鳶の人間ではない」
そう言い親父はクイっと二杯目の日本酒を飲み干し、ゲップを一つはいた。
「そうならそうと言えやクソ親父!」
「そう言うな啓二、親父も悩んだ末の答えだったんだ」
「うるっせぇ主原因! 俺の取り越し苦労返せ!」
喚き散らす俺に安芸耶も親父殿もにやけて終わるだけでどうしようもなかった。
俺は不貞腐れるように口を尖らして茹蛸のように膨れてた。
そんな俺に、安芸耶は慰めるように俺の肩を叩き、頭を撫でてくる。
「悪かったな心配かけて。遅くなったけど襲名おめでとうな」
「そういう祝い事はもっと早くに言ってほしいもんだ」
初めて親父殿の親らしいところを見た気がした。養子に出され、親子の関係なんて仮初のモノしか知らない。そんな俺にも親父殿は親になろうと必死に親らしくおろうとしてくれていた。
「早く孫がこの手に抱きたいのう。啓二、この機に嫁を探さんか?」
「はぁ? 嫁をさがっすってどこで」
「雨天祭の目的を忘れておらんだろう。次期当主の襲名と、沙流鳶の血を絶やさぬための見合いの場だ」
親父殿は懐から嫁の候補となりえる名が記された一覧を出す。
見知った名前もいくつかある。当たり前だ、何せその一覧にある名前は五車学園の生徒から選抜された秀でて強い者たちだった。
「強き嫁がいいだろう。秋山家の凛子という娘はどうだ、気立てもいいし乳もデカい。夜は不便せんだろう」
「いやいや、ダチの姉貴に手出せるかよ」
「そうか、ならば鬼崎の所の娘はどうだ。血の強さは折り紙付きだ、俺たちも大手を振って迎え入れよう」
親父は次々と候補を上げ、早く嫁をとれと急かしてくる。
見た目も麗しく、血筋も申し分ない者たち。おそらく彼女たちの了承は得ていないだろう。
しかしながら現在の対魔家系の序列に措いて最も古参でかつ最大規模の沙流鳶の申し入れを断るという発想がまずあるだろうか。
対魔族との戦いに措いて血の強さは特に重要になる要素だ。
魔族と対するその戦闘技術、潜在的超常の力の素養。すべて血によって決まる。
そういった事から対魔忍の縁組は重要な事であり安芸耶のように一般女性と子を儲けるなど言語道断であり、対魔忍は対魔忍の花嫁花婿を娶ることが常だ。
それ故により強き子を残すため血の強い家系に分家や他の家系は弱く、封建的な形になっている。
「どれも粒ぞろいだ。この者すべてを嫁に迎えてもいい」
「日本は一夫多妻制じゃねえよ。だからご先祖様は関西の隠れ里に追いやられたんだろ」
沙流鳶家の忌まわしい過去だ。
より強き血を生み出すため度重なる人の品種改良を行い、血の強き子を当主と据えてきた。
その為には強引な方法で嫁を娶ることもあった──近親間での子を儲けることも。
倫理より外れた当主製造は先の大戦の終結とともに政府より禁止令が出るほどに、おぞましい営みがこの家の過去にある。
その名残こそ何を隠そう──雨天祭の全容だ。
「うむ……口惜しい限りよ」
「時代だ親父、嫁は一人で十分だぜ。俺のとこは鬼嫁だ」
安芸耶はそう言い空となった親父殿の盃に酒を注ぎ、口を塞いだ。
俺自身もそう思う、血を分け対魔の血を濃くするだけが男女の関わりではない。
子を育み、寄り添い、夫婦ともにその喜びを噛み締めるべきだ。
そうでなければ子供が不憫で仕方ないだろう。
「今宵も、お前が身を許せる女子を待たせてあるがどうする?」
ビックリするようなことをさらっと親父殿は言い放った。
嘘ではないはずだ、恐らく分家衆から血の強い子を選んで離れで待たせているのだ。
「いや、余計なお世話だ。俺はまだ純潔を守るぞ」
「そうか……それは残念だ……」
肩を落とし残念がる親父殿を他所に俺は空を見て、雲より漉ける月あかりを見て時刻を図った。
「安芸兄、今何時かわかるか?」
「ん? どうした」
「いや、ちょっとな」
安芸耶は不思議がりながらスマホの画面を見せた。
「七時半過ぎだ」
渋い顔を浮かべ唸ってしまう。
その様子に安芸耶はなにかを察したように、下心が前面に出た顔をした。
「啓二ぃー、さては女だな」
「なっ、何言ってんだ」
声が裏返り、動揺したように否定しまった。
それは同意したようなもので安芸耶ははにかみ親父殿と肩を組んだ。
「親父ホントによけな世話だぜ、なんせ啓二はもう女を作ってるみたいだ」
「なんとッ! それは誠か!」
「だから女じゃねえって、
捲し立てるように迫ってくる肉親たちの気迫はある意味でコワいくらいだった。
「それはデートに誘ってんだ。変に勘ぐんな気づけ! こんなもの脱げ! なんだこの髪、せめてセットしていけ!」
「
あれこれと言われ、陣羽織をむしり取られ、髪にワックスで整えられ、変な教訓を教えられ、五万も小遣いを懐にねじ込まれる。
「なんだお前ら! 何狙ってやがる!」
「孫!」「姪っ子!」
息を揃えてそういう親父と兄貴の目の血走りようは鬼気迫る勢いだった。
作務衣の襟をしっかりと治され、小洒落た帯を渡された。
「ほら、さっさと行け。彼女を待たせるな」
「彼女じゃねえ!」
小紋に腰帯を結び、蔵の屋根から飛び降り表山道に向かう。
本当にこの馬鹿加減は──俺の血だ。
特殊な家系であっても血の繋がりを感じれる、同じ血が流れる親子であり、家族であること実感する。本当に他人にお節介を焼くことを楽しむ馬鹿な血筋だ。
「ありがとな! 親父、兄貴!」
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