人混みに酔いそうになりながら、表山道の入口で舞は未だに来ない待ち人にため息を付いた。
いつもより丹念に着飾ってみた舞はどこか変なとこがないか服を見回す。
かんちゃん先輩に頼んで借りた白菊の浴衣に、巾着を持ち慣れない化粧を薄くして、唇には紅を引いていた。白の和傘に隠された顔は白無垢のように純潔を示しているようであった。
その姿に違和感を覚え息苦しさを感じていたが、他の人間から見たらまさに美少女の言葉が相応しい出で立ちであった。
小雨であろうと秋口の雨の冷たさは肌に少し刺さる。
行きかう人々の密集具合は混雑を極め、繊細によけて通らねば肩がぶつかってしまう。この町で人がこれだけ集まることはそうそうない。
それだけ個々の町の人々にとってはイベントごとは稀少な出来事であり、たまの息抜きにはうってつけな事なのだ。
人との係わりを避け、ひっそりとしていることに慣れている舞にはこの光景は少しだけ心が高鳴った。
未知へと踏み込む緊張か、それとも待ち人への乙女心からか。
彼を待っている時間さえも愛おしく、あったならばその時間はさらに狂おしい。
「……そんな恋愛、私にできるでしょうか……」
恋とは無縁に生きてきて、初恋を覚えたのは今年の事。とある生徒への、淡い恋だった。
その生徒は女性に囲まれ、知に長け、文学に長け、そして人望に長けていた。
そんな彼との交流に胸の高鳴りを覚えた頃には、とうの人物、里を捨て抜け忍となっていた。
その人物の評価も高く、大問題となり生徒の間では黒い噂も絶えなかった。
彼に賛同し共に旅立った教師や幾人かの生徒は、今では立派なお尋ね者。そんな彼に私はまだ……。
「……」
──恋を覚えた乙女はその味に酔いしれる。
幾度か前に任務で出会った淫魔の言葉が呼び起こされた。
その淫魔の言葉は少なくとも的を掠めている気がしてならなった。
何せ、彼に向けられていた恋心は今では別の──。
ひとりでにその人物の顔が呼び起こされ、頬が赤く染まるが頭を振って否定した。
これではまるで私がとっかえひっかえ男と交際する阿婆擦れの様ではないか。
実際はそんなことはなく、告げられぬ思いに一人傷つくいじらしい少女のそれであったが、恋多きことは七瀬舞は許せないのだ。
そう考え秘める思いを押さえつけるが、押さえつければ押さえつけるほど感情は良く跳ねるゴム毬と同じで普通よりもより跳ね上がる。
恋に焦がれ、人恋しさに一人でいる時ほどそれは強く感じた。
恋は患い──まさにこの事ではなかろうか。
「遅いですね……啓二」
呟きは喧騒にかき消され、より寂しさが深まりそうになった。
「悪いッ! 遅れた!」
木々を駆け抜けて来たのか山から登場したパートナーである篠原啓二は僅かに息が上がっていた。
「待ち合わせ場所をしっかり決めとくべきだったな。寮に行ったけど、もう出たっていうから」
うっかりしていた、誘ったわいいものの落ち合う場所を告げずに来たために啓二は息せき切らしてここまで走ってきたようだ。いつもなら寮からここぐらいまでの距離は一息で走りきる啓二の息の上がった姿は少し新鮮だった。
「ごめんなさい、私の配慮ミスです」
「いやいいさ、七瀬は白いからな。すぐ見つかった」
ニッと笑って見せた啓二に、くすっと笑いが漏れてしまう。
この髪は私の人生から見ればいわば呪詛のようなものだった。生まれてから対魔粒子の影響で色素が髪に定着しなかった。虐げられてきた象徴であり、忌み嫌う印だった。
だが今回初めてこの髪が、この白さが役に立ったのだ。
息せき切らした啓二の服は祭用に誂えたのか、着流した黒の菊柄の小紋に紺と白の腰帯をしていた。
妙に洋服を着るよりも似合っているように感じる。
いつも見ない私服のせいか妙に彼を意識してしまいそうだった。
「行こうぜ。舞」
「は、はい」
表参道の階段は人の行きかいでごった返しており皆表情が明るい。
祭の浮つく雰囲気はこの町では早々味わえることではない、イベントごとは基本的に年間通して二回、雨天祭と五車祭のだけだ。
隣町の祭にわざわざ出向く者もいるくらいこの町に大きな流動的行動はない。
この町に根付く人々がその生業を『命のやり取り』としていようとも、その魂は人であり楽しみを望んでいる。
ひどく不釣り合いで、怪物がまるで人のまねごとをしているようで奇妙なさ感覚も覚えなくもない。この町の住人の八割は一度は死を目にして、それでもなおその人生を良きものにしようと生きている。
啓二も、私も。
階段を登り切った表参道は光に満ちていた。
屋台が軒を連ね、ライトが道を照らし上げていた。人々の笑い声に様々な匂いが混じった空気に心が高鳴った。
タコ焼きに、綿飴、金魚すくいに、射的。縁日には定番の出店から、出張薬草店や、本物の刀剣を取り扱う店まで普通では見ない店まである。
生業が生業なだけにこうした店にはそこそこ人が入っていた。
物珍しさに見回していた私に啓二は肩を叩いて聞いてくる。
「夜食べたか? 食ってないならなんか奢ってやるよ」
喧騒にかき消されそうな声を僅かに張っていう。
私は首を振っていう。
「食べてはいませんがお金は自分で払います」
「いやいや、出さしてくれよ。小遣いもらって俺は今羽振りがいいぞ」
「そうであっても、自分の分は自分で出します」
何とも言えない顔で固まってしまう啓二をよそ目に私は近くのチーズボールを打っている店で、一パック買い代金を払った。
「なんともなあ、しっかりしてるけど。奢り甲斐がねえな」
「女だから奢られるというのはおかしいと思います」
「しっかりてること。俺もなんか買ってくるわ」
そう言って出店に走って、戻ってきた啓二の手には大盛りのソバめしと山賊焼き二本が握られていた。
結構な量だ。今日は休んで家の用事で夜は食べている様子だったが胃袋の容量は底なしの様だ。
「夜は食べなかったんですか?」
「食べたぞ。でもお上品な味は俺の口には合わないな。こういったジャンキーなもんが食い応えがあっていいもんだ」
山賊焼きを骨ごとバキバキと食べる姿は猛獣を思わせた。学生対魔忍には魚も牛も骨ごと食べるというモノが少なからずおりそういったモノは異能の忍法で栄養を兎に角必要としている。
それを見て知っている為、驚きこそしなかったがやっぱり市勢を知っている身の上では何とも言えない感情に襲われる。
「旨そうだなそれ、一個くれよ」
「分かりました──はい」
爪楊枝に一つ刺したチーズボールを差し出した。
両手がふさがっている啓二はパクっと一口で口に頬張った。
「うん、……うん。美味いなこれ、チーズか」
「は、はい」
爪楊枝は一つしか付いていない。まだチーズボールは余っていて、
「……──っ!?」
頬が熱くなった。何を動揺しているんだ、誰でもあり得る事ではないか。
第一に啓二はそんな些細なことを考えるまでの繊細な脳味噌をしていないし気にもかけていない行動だったろう。それもそうだし私も気にし過ぎだ。
でも……それでも、しかし。
「……残りもさし上げます」
「え? お前が買ったんだろ悪いわ」
「構いません! 食べてください!」
どうしても踏ん切りがつかず、残りも啓二に突き出してしまう。
最近の私はどうかしている。色ごとに現を抜かすほど軟になってしまったのか。
こんな人並みな幸せを享受できることがない事は知っていいたはずだ。対魔忍になったんだ、冷静で冷徹でなくてはならないのに。
「じゃあ、食べかけで悪いが、これ食べるか?」
先割れスプーンで掬われたソバめしを出してくる啓二。
その行為により顔が赤く染まってしまう。
(どうしたんですか、私。気にし過ぎです!)
心裡で否定しても感情だけは昂って暴走してしまいそうだった。
哀しいかな、そう考えても口をついて出たのは──。
「……頂きます」
パクっと啓二の持つスプーンに口を付け、ソバめしを頬張っていた。
ただのソバめしだ、塩コショウとソースで味付けしただけのいたって普通のソバめしなのに凄くおいしく感じられた。
作りたてで熱く、外気で冷やそうともごもごと口を動かして俯いてしまう。
「どうした?」
「……なんでもないです」
恥ずかしさで顔から火が出そうだった。こんな大胆な行動は今までしたこととがない。
如何にかなってしまいそうだ。
そうであっても、この行動で舞の中で何かが満たされてゆく感覚があった。
「立ち止まってても仕方ない。出店を見て回ろうぜ」
「……はい」
人混みを掻き分けながら歩く啓二に続く。
啓二の背丈は平均身長よりも少し高いくらいだったのだが、舞にその背中がずっと大きく見えた。
出店の明かりに照らされた黒い小紋が際立ち、うなじより覗く素肌の浅黒さは男性特有の色香を漂わせていた。
「あっ……すいません」
人混みからか肩と肩をぶつけ反射的に謝ってしまう。
相手も笑顔で謝罪し歩き去り、何ともいえない雰囲気になっていた私に啓二は手を取った。
「逸れるなよ。混んでるから」
「……はい」
ゴツゴツとした手が私の小さな手を覆い隠していた。肌質もまるで違う手で、しっかりと握っている。
手まで繋いではぐれることはないだろうが、ざわざわと心が波打った。
──恋ひ恋ひてあへる時だに愛しき、言つくしてよ長くと思はば。
そう言いたくなるくらいだ。文字の世界でしか知らない世界を、私は今体験している。
人は満たされることに最良の喜びを得る。
ふと啓二の手が熱いように感じた。その後ろ姿はそう変わらない。
しかしその耳は僅かに赤みを帯び、うなじには小さく汗が滴っていた。
クスリと笑ってしまう。
神様、こんな身の上の私ですが、満たされてもいいのですか? 。
返答など返ってこない。しかし祈らずにはいられなかった。この時を、この瞬間を少しでも長くしていたい。
違う民族の言葉、ひとりでに思い浮かび啓示のように返ってくる。
──いつも喜び、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝を──
嬉しさに打ち震える心持で出店を回った。
型抜きで啓二と勝負し負けて悔しかった。輪投げで手製の紙で出来た輪で少しずるをして勝手得意げになり、金魚すくいを一緒に並んでする。
「あ」
最中のポイに穴が開き、千切れた最中に金魚がたかっていた。
「惜しかったねお嬢ちゃん」
店主のおじさんは不愛想にポイを回収した。
隣を見ると、啓二は真剣な面持ちでポイを構え、ものすごい勢いで金魚をすくい上げていた。
器から金魚が溢れ出るほどすくいどうだという風に親父に不敵な笑顔を向けるが、張り紙に『一人二匹まで』と書かれた張り紙に肩を落とした。
「ほら」
袋に詰められた金魚を渡してくる。
「啓二が取ったですよ。いいです」
「買いたかったんだろ? すくってた顔見てらわかる」
赤と金の二色模様の金魚が袋の中で優雅に泳いでいた。屈託のない目を私は覗き込んだ。
確かに記念に一匹欲しかったが、どうしても彼に悪いように思え返そうとしたとき頭に上に手が乗った。
「欲しいなら欲しいって言えよ、今の俺は羽振りがいいんだ」
まるで子供をあやす様に頭を撫でられくすぐったかった。
そうであっても、今まで親にも頭を撫でられたことなんてなかった。
きっと家族とはこういう感じなんだろうと、頬が綻んだ。
「ありがとうございます。啓二」
「ッ……、ああ!」
満面の笑顔で返してくる啓二の姿に私も笑い返した。
時間も夜更けに近づき出した頃合い、私たちは存分に雨天祭を楽しんでいた時だった。
「いたっ! 啓二ちゃん。舞ちゃん!」
大声で呼ばれ振り返ればそこには訓練教官である井河さくらが息を切らせて走ってきていた。
浴衣を来て雨天祭を遊ぼうとしていたことは分かるが、その表情は遊んでいたにしては固く、緊張している。
「どうしたんですか? さくら教官」
私は飲み物を渡して息を落ち着かせる。
「ちょっと来て! 緊急事態なの!」
その言葉に浮ついた感情が一瞬にして凍り付いた。
任務。対魔忍の本業が今。
案内されるがまま私と啓二は、表参道を登っていき行く先は沙流鳶屋敷へと。
入口で足止めを食らう人物たちが見え、その人物は井河アサギ、そして対魔忍の『総司令』山本信繁がいた。私たちが到着した途端に門の両端に立っていた警備が道を開く。
「あの、校長どうしたんですか?」
私はアサギ校長に質問する。鋭い目つきで沙流鳶屋敷の母屋に向かうアサギ校長はその剣呑とした雰囲気で答えた。
「少し込み入った任務が入ったの。任務地は北東の択捉上空『タカマガハラ』よ」
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