世界が壊れる音の中、どこからか鐘の音が聞こえ始めた。まるで零時を知らせる鐘の音のように重く頭上に響き渡る。
「鐘の音?」
こんな森の中のどこに鐘があるのかと慶次は怪訝な顔で周囲を見やる。けれど深い闇の中では何を見ることもできなかった。さらに地響きの音も聞こえなくなり、鐘の音だけが周囲を支配していた。
「なんだよこれ。こんな真っ暗じゃ長政がどこにいるのかも……」
小さな不安とともにつぶやいた慶次のそばで淡い光が灯る。目を向けると秀吉が手元に小さな光を作り上げていた。
「……長政君が魔女やったなんて…」
気落ちした様子の秀吉はつらそうな顔でつぶやく。慶次はそんな秀吉の手をつかむとさらに周囲へ目を向けた。しかし秀吉以外の人間は見当たらず物音も気配もない。
頭上では今も鐘の音が響いているが、その発生源も見つけられなかった。
「秀吉、なんとか長政を説得しよう。魔法使いがふたりもいるなんて凄い事だろ。それこそ世界だって救えるし、なんとかなるって」
「慶次君は前向きな良い子やね。けどあんな長政君を説得なんて無理や」
「できる! だってホントの長政は優しくて良いヤツだろ。秀吉の事いつも気遣ってくれて、独りにしなかったじゃないか」
「独り…なのは、俺だけやなかったのかもな。長政君も、もしかしたら……」
そうつぶやいた秀吉はふと夜の庭園での長政の言葉を思い出す。長政は唐突にリンゴを取り出して食べられるかと問いかけてきた。あの質問はまさに秀吉と同じ意図を持っていたとしたら。
あの時にリンゴを食べていたら、長政は心を開いてすべて話してくれていたかもしれない。そこまで考えた秀吉は強い後悔の念を抱いた。誰かに受け入れてほしいと願いながら、秀吉こそが受け入れてなかったのだ。
「もう一回、長政君と話をしたいわ。もう一回でええ。そしたら……」
長政を救いたいのにと秀吉は胸に手を当ててつぶやく。そんなふたりの頭上で鐘の音が大きくなった。あまりの音に耳をふさいだ慶次と秀吉は怪訝な顔で真っ暗な空を見上げる。
するといつの間にか頭上に大きな鐘時計が現れていた。
「秀吉、これ秀吉の魔法か?」
「んなわけないやろ……」
見上げる先で鐘の音はさらに大きくなり、ふたりはそのうるささに目を閉ざした。
不意に鐘の音が消えて、目を開けた慶次は視界に広がる光景に驚かされる。心地よいほどの晴天と暖かな風が流れるそこは城の庭園だったのだ。
「どうあがこうと未来は変わらへんからな。せいぜいあがいて最後に泣けばええわ」
聞き慣れた声が聞こえて目を向けると視界の中で秀吉がてすりの上を歩いている。慶次はとっさに駆け出すと秀吉の白いマントをつかんだ。
「秀吉!」
落ちたら危ないと叫んだ慶次の目の前で秀吉が振り返る。そして悪戯めいた笑みで「あほか」とつぶやいた。
「俺が飛べるの知っとるやろ」
そう言って笑う秀吉は軽い動きでてすりから降りた。そんな秀吉たちのそばに殺意の瞳を向ける第一王子が立っている。
「前言撤回や。たとえ未来が変わらへんとしても、せいぜいあがかせてもらわんとな」
「君は一体何を言ってるんだい。それと慶次はその魔女から離れなよ」
第一王子の発言を聞いた慶次は秀吉と顔を見合わせる。ここは魔女である秀吉と初めて遭遇した場所なのだろう。しかし世界が滅びたあの時の記憶を持っているのはどうやら自分たちだけらしい。
「他の人も確認した方が良いかな」
「戻れたのは、あの鐘時計のとこにおった俺らだけやないかな」
「ああ…そっか」
ふたりだけであるのなら、まずは目の前の第一王子を説得しなければならないのか。となるとどう話せば良いのかと慶次は頭を巡らせる。
けれど良い案が思い付かない慶次のそばで秀吉が第一王子に話しかけた。
「第一王子さんは近衛隊長さんを助けたいんやろ。なら俺に手を貸すべきやわ」
「君はさっきまで僕に泣き顔を見たいと生意気なことを言っていたね。どういう心変わりなのか知らないけど、君なんかに手を貸す義理も義務もないよ。近衛隊長はうちの人間だからね」
「そうは言うても、あんたは近衛隊長がどこで何をしとるか知らんやろ」
挑発的な言葉を向けた秀吉は驚き立ち尽くす慶次の手をぎゅっと握る。
「俺は近衛隊長さんとは親しくないけど、あの人を大事にしとる子を助けたい。あんたのことはどうでもええけどな。けど、力を合わせる意味はあると思うわ」
「だから君の力なんて……」
「お願いします!」
秀吉の言葉に反発しかけた第一王子の目の前で慶次が頭を下げた。
「みんなを助けるために力を貸してください!」
全力で頼み込む慶次を前にした第一王子は腕を組み顔を背ける。
「君が言うのなら聞いてあげなくもないけど……」
「ありがとう。じゃあ第一王子は兵の準備を頼みます!」
第一王子の言葉を最後まで聞くことなく慶次は秀吉の手をつかみ走り出した。庭園と城とを繋ぐ階段を駆け上がると通りすがった兵士に居場所を聞きながら走る。そうしてたどり着いた広間へ飛び込むとその人物は第四王子と一緒にいた。
「長政!」
「はははいっっ!」
大声で呼べば近衛副隊長は驚き慌てた様子で返事をくれる。そんな副隊長の元へ駆け寄った慶次は秀吉から手を離した。
広間には第四王子と副隊長以外の兵士たちもいて、それぞれ警戒した様子を見せている。もちろん先程庭園にいた魔女がここまで入り込めば警戒するのは無理もない。
慶次以外の全員が緊張に顔を固める中で秀吉はゆっくりと深呼吸する。目の前にいる副隊長の瞳は翡翠のようにきれいな緑色だ。優しく暖かな彼は、世界を壊そうとした時の彼とは違う。
「長政君」
名前を呼ぶと副隊長は困惑した様子で第四王子へ顔を向ける。どうして名前を知っているのかと第四王子に問いかけるが相手も困惑した様子だった。
そんな幼馴染みふたりのやり取りを前にしながら秀吉はその手に青リンゴを出す。渦巻く風に乗ってふわりと現れたリンゴは秀吉の手のひらにぽとんと落ちた。
「俺のリンゴと交換してくれたら、俺のぜ…」
リンゴを差し出しながら告げる秀吉はその顔を緊張に固まらせる。けれど何も知らない副隊長はきょとんとした顔で首を傾けた。
「ぜ?」
「全部…力もなんもかもあげる…から、助けてほし……」
魔女である自分は人に拒絶され忌み嫌われた存在である。そんな自分が、まだ知り合ってもいない今の副隊長に受け入れられるわけがない。それを承知で秀吉はリンゴを差し出していた。
泣きそうな顔でリンゴを差し出す秀吉の前で、副隊長はポツリと言葉を漏らした。
「……すみません」
向けられた謝罪の言葉に、それを拒絶ととった秀吉は目に涙を浮かべる。
「あなたの言っている意味がよくわからないです」
副隊長の声はあきらかに困惑した様子で、困らせていることがよくわかる。やはりこの『時』の副隊長に頼んでも駄目らしい。そう察した秀吉は差し出したリンゴを引っ込めようとした。
けれどそのリンゴを横から奪われ秀吉は驚きのまま視点を移す。するとそこには真面目な顔の第四王子がいた。
「真琴!」
様子を見守っていた慶次も突然の事に驚き夫の名前を呼ぶ。しかし第四王子は大丈夫だからと慶次に告げるだけでリンゴを手放さない。
「魔女のリンゴには毒があると昔から聞くよな」
「そうかもしれへんね」
「だがあなたは魔女ではないんだろう。慶次が魔法使いだと言っていたからな」
そう告げた第四王子は笑みをこぼすと青リンゴを一口かじった。そんな第四王子を副隊長は驚きの目で見つめる。
やがてリンゴをそしゃくし飲み込んだ第四王子はうまいとつぶやいた。
「以前、近衛隊長が言ってたんだ。魔女と魔法使いは同じものだと。違いがあるとするなら、その胸に希望と正しい心を持っているかどうかだと」
「希望と正しい心を、俺が持っとると思ってるの」
「あなたの事は知らないが、俺の妻は、俺が知る限り最もまっすぐな人だからな。そんな人が信じてる相手なら俺も信じられる」
第四王子は少し照れたような顔で慶次を見やる。すると慶次も嬉しそうに笑っていた。そんなふたりを眺めながら秀吉はこぼれる涙を袖口でぬぐう。
夜の庭園で長政が言っていた通り、勇気を出せば相手は受け入れてくれるのだ。人に拒絶されても強い心で向かっていけばいい。そうすれば受け入れてくれる人は必ず現れる。
「ほんまに…かなわんわ……」
止まらない涙をぬぐいながらつぶやくと、秀吉のもとへハンカチが差し出された。驚きとともにそれを受け取り、その手をたどるように見上げれば副隊長の顔がある。
「事情はわかりませんが、殿下がそれを望むのなら俺も従います」
副隊長は秀吉ではなく第四王子に向かってそう告げる。やはり今の彼とでは距離が遠すぎるのだろう。会話も共に過ごす時間も足りてない。そう思いながらも、秀吉は貸してもらったハンカチを両手でそっと握った。