零時を知らせる鐘が鳴り響く中、秀吉は庭園に来ていた。丸く明るい月が照らす庭園には前回よりも冷ややかで強い気配の主がいる。
黒い軍服の裾を風に揺らして立つ彼はぼんやりと空を見上げていた。そんな副隊長の元へ近づきながら秀吉は肩からずれたストールを引き上げる。
「長政君はお星さまの観察か?」
「はい」
前回より知り合って日数が浅いためか、相手は少し他人行儀な雰囲気を残している。それでもと秀吉はあえて副隊長との距離を詰めた。
「隊長さんはお星さまとか興味ないらしいな。周りのダイジな人のことを見るのに忙しくて、空を見る暇もないとか」
近衛隊長のことは前回少しだが聞いている。それにすべてが終わったあの場所で、近衛隊長は人をかばって矢を受けた。おそらくあの近衛隊長は今までもずっと誰かのために生きてきたのだろう。そしてあの時も誰かをかばって呪いを受けた。
秀吉と慶次が世界を救うには、まずその結末を変えなければならない。
「隊長のこと、お妃様から聞いたんですね」
決意を胸に秘める秀吉の目の前で何も知らない副隊長が微笑んだ。だがふとその瞳がせつなそうに揺れる。
「お妃様には本当に悪いことをしたと思っているんです」
表情は穏やかなままだが、言葉には罪悪感が含まれている。そんな副隊長を前にして秀吉は目をしばたかせた。時をやり直すことで様々な部分が変わってしまっている。そしてそのために今こうして秀吉の知らない副隊長が引き出されたらしい。
「あの方が孤独の中で過ごされた十年間、隊長は僕のそばにいてくれました。孤児だった僕を引き取って、ここまで育ててくれたんです。あの方がいなければ僕はきっと生き方もわからず死んでいたことでしょう」
副隊長の発言に秀吉は何かが合致したような感覚を得ていた。
おそらく近衛隊長は長政が魔法使いだと知りながら守り育ててくれたのだろう。魔法を使わなくとも生きていけるよう戦い方を教えて近衛兵にまで育て上げる。
前はただの親代わりだと思っていたが、それ以上のものがここにあったのだ。
近衛隊長を誰よりも慕い、それを失えば世界すらも壊してしまう。それほどの気持ちを抱いたのは近衛隊長が彼の生きる指針そのものだったためだ。
「隊長さんは、長政君の全部を知っとるんやろね。そんな人やから、長政君は誰よりも隊長さんのことダイジに思っとるんやろ」
「全部と言うと語弊が生まれそうですけどね」
真実を知った秀吉の目の前で長政は微苦笑をこぼす。けれど秀吉はそんな長政の手をそっとつかみ持ち上げた。
「けど俺も知っとるよ。長政君がどんだけ優しくてあったかいか。長政君は誰よりちゃんとした心を持ったええ子や。だからな……」
「それは誤解ですよ、白雪さん」
力を貸して欲しい信じて欲しいと告げようとした秀吉の頬を冷たい風が撫でる。初めて呼ばれたその名に驚いた秀吉は目を丸めて副隊長を見つめた。
「俺はあなたが殺した魔女の子です」
ありえない事実に硬直する秀吉の前で、副隊長は片手を横へ伸ばす。すると冷気が渦を巻いて彼の手にリンゴを落とした。
「俺の事を知っているというのなら、このリンゴを食べてくれますか?」
そう言いながら副隊長はリンゴを秀吉の前へ差し出す。そして副隊長はあの時と同じ冷たい微笑みを見せた。
「もちろん魔女のリンゴですから毒はあります」
「長政君……」
身丈の高い副隊長は月明かりが逆光となって瞳の色を確認できない。けれどおそらくあの時と同じ黒い色をしているのだろう。そう思いながら秀吉はリンゴを受け取った。
「一口かじるだけで大丈夫ですよ。それだけであなたは終わりを迎えられます」
「それを長政君が願っとるんなら……俺は従うわ。けど長政君、頼むからこの世界に絶望せんといてな」
前回も今回も自分の気持ちを伝えることはできなかった。しかし自分の恋心などは世界を救うことと比べれば小さなものだ。
そう思いながら秀吉は何色かわからないリンゴをかじった。
庭園に倒れていたという秀吉を最初に見つけたのは見回りの兵士だった。すぐに部屋へ運ばれた秀吉の身体は外の空気に降れていたためかすっかり冷やされていた。
連絡を受けた慶次は慌てて秀吉の元へ駆けつけたが部屋へ入ることはできなかった。医者が言うには呼吸も弱くかなり危険な状態らしい。そのため大勢の人が部屋へ立ち入ることは禁じられた。
そうして部屋へ入ることができなかった慶次は不安を抱えたまま数日を過ごす。そして秀吉が倒れた事で第一王子は兵を国境へ送る事を見送った。それは前もって秀吉が森に魔法使いらしき男がいることを王子たちに告げたためらしい。
そう説明してくれたのは慶次が最も頼りとしている第四王子の真琴だった。昼下がりの誰もいない庭園で慶次はこっそりと真琴から話を聞く。
「つまり信長は秀吉の話を信じてくれたってことだよな」
前回は猜疑心しかなかったが、今回は第一王子の態度も少し違っている。だとしたら少しずつ未来は変えられているのかもしれない。
そう考えていた慶次の頬に手が触れた。
「最近の慶次はあの魔女のことばかりだな」
夜と違い日差しがあるため風も暖かく庭園の片隅はとても居心地がいい。背の高い木々に隠れたそこは第四王子である真琴だから知る隠れた場所だった。
そんな場所で顔を近づけられた慶次はパチパチとまばたきをさせ真琴を見つめる。やがてそれが嫉妬されているのだと認識した慶次は慌てて首を振った。
「違う! 俺は秀吉と友達で一緒に世界を救う仲間なだけだから!」
「世界を救う?」
「そう! 今回はちゃんと世界を救わないといけないんだ」
浮気ではないと釈明するため言い放つと真琴はきょとんとした顔を見せる。まだ十五歳の真琴は慶次にとってふたつ年下の若者だ。王子として立つ時の凛々しい顔も好きだが、今のように素直な表情も好きだった。
「俺たちは兄ちゃんを助けるために国境に行ったんだけどさ。そこにもうひとり魔法使いがいたんだ。誰か知らないけどそいつが魔法で兄ちゃんに矢を飛ばしたんだ」
「魔法使いが近衛隊長を狙ったのか」
「わからないけど、兄ちゃんと一緒にもうひとり男の人がいたんだよ。だからどっちかが狙われてたんだと思う」
詳しい事は何もわからない。なにせ慶次があの場に到着した時、既に兄の意識は失われていたのだ。そのため一緒にいた男が誰なのか今まで何をしていたのかも聞けなかった。
そう思うままに告げたところで慶次は真琴にそっと抱き締められる。
「わかったから、今度は俺もその仲間に入れてくれ」
「それは聞き捨てならないね」
大好きな真琴の腕の中で体温を感じていた慶次の耳に第三者の声が飛び込んだ。慶次と真琴は反射的に離れて声の主へ目を向ける。そして風に揺れる緋色の髪を見た。
平然と立つ第一王子とともに第二王子もいたが、こちらは苦笑を漏らしていた。
「兄上たち……いたのなら教えてください」
「ふたりの邪魔をして悪かったね。それより、その魔女はどんな人間なんだい?」
第一王子に問われた慶次はもう数日前となる事を思い出してみた。
「顔色が悪くて白いマントをつけてました」
そうして魔法使いの特徴を述べたのだが、そばで真琴が笑う。さらに第二王子も苦笑いを浮かべ、第一王子に至っては呆れた顔を見せていた。
三人の王子の反応を見た慶次は自然と愁眉を寄せる。
「なんなんですか! 俺は真剣ですよ!」
義憤のまま声をあげる慶次だが、それで謝罪したのは真琴と第二王子だけだった。第一王子は口許を緩めて笑うと踵を返す。
「ふたりの邪魔をしてすまなかったね」
軽く手を振りその場を離れた第一王子は庭園を後にしながらため息を漏らした。庭園と城とをつなぐ階段には第三王子が座り焼き菓子を食べている。
そんな第三王子のそばで足を止めた第一王子はふたりに目を向ける。
「幸村、魔法使いを射殺せるかい?」
「どの魔法使いだヨ」
「どこの誰かなんて興味はないよ」
「……そいつに矢が届くならやってやるヨ」
第一王子第三王子は言葉を交わし、それぞれ第二王子を見やった。黙ってふたりの話を聞いていた第二王子はにこりと微笑み大丈夫だと告げる。
「なんなら俺が狼に……」
「それだけはやめてくれるかな」
「そっちのがめんどくせぇヨ」
第二王子の提案はふたりの王子によって却下されてしまう。面倒とまで言われた第二王子は眉を垂れるが、そちらには構わず第三王子は長兄を見る。
「で、どうすんだヨ。赤ずきん」
「狙われている側をこちらで確保してしまえば相手も動けないだろう。その後の問題はいつものように僕たち三人で片付ければいい。それだけだよ」
「近衛隊長を保護するんだナ」
「捕らえて、この僕のもとを離れた報いを受けさせるんだよ」
決して助けるとは言わない第一王子に、他ふたりは笑いながら顔を見合わせた。