「お疲れ様でーす」
ようやく本日のバイトが終了した……のではなく、俺はただの休憩時間である。ちなみに、某ハンバーガーの有名なファストフード店で働いている。たかだが50円程度クーポンで安くなっただけで、客が湯水のように湧いてくるのは勘弁してほしかった。今日来た客全員に、50円配るから来ないでくださいと言いたいレベルだ。
「観月くん、お疲れ様!」
休憩室に座って水分補給をしていたら、俺の休憩と同じタイミングで上がりとなった人物に遭遇した。ふわふわとした桃色の髪の毛が特徴的なバイト仲間――丸山彩である。
「ああ、丸山さん。お疲れ」
「今日はお客さん、いっぱいだったねー。これから事務所に行くのに、もうヘトヘトだよぉー」
「まあ、体調には気をつけて」
「うん、ありがとう! 何とか頑張るよ!」
非常に奇妙な関係になるのだが、丸山彩と妹の日菜は、同じアイドルグループ、パスパレに所属している。丸山さんはボーカル担当だ。
何故、アイドルがチェーン飲食店でアルバイトをしているのか、そもそもしてもいいのか、という話なのだが、その辺は問題ないらしい。それでも些かの疑問は残るが、本人が問題ないということなので、それ以上は突っ込まないことにした。
「それじゃ、また」
「うん! 観月くんも残り、頑張ってね!」
そう応援の言葉を言うと、丸山さんは休憩室を出ていった。
思わず、「ファイト、オー!」と聞こえてきそうなほどに、丸山さんの底知れぬ元気には励まされる。彼女がボーカルに抜擢されたのも納得だ。あの元気と笑顔は、まさしくアイドルに相応しいものだろう。
ちなみに、パスパレでは丸山さん以外の人物とは交流がない。妹を迎えに行く際は、活動場所から少し離れた場所で待ち合わせをしているので、画面や書面上でしか、他のパスパレの面々を見たことがない。まあ、そもそもアイドルと交流がある時点で珍しいのだが。
休憩室に一人になると、バイト先に来るまでに考えていていたことがまた脳裏に浮かんできた。姉さんの事だ。
氷川紗夜。
俺の姉。
憧れの人。
今、誰よりも壁を感じる人。
そして――誰よりも好きな人。
言うまでもないが、妹の日菜も好きだ。アイツも俺の事を好きでいれくれているように思う。小さい頃から俺と姉さんにべったりだった。今でもそれは変わっていない。変わったのは、俺だ。日菜は、小さい頃から何でも出来た。俺自身が小さい頃は、それをただ漠然とすごい、としか感じていなかった。けれど成長するにつれて、妹の才能というものをきちんと認識することが出来るようになった。一目見れば大抵は習得できるし、少し練習すれば完璧になる才覚。それは、才能の認識から妹への嫉妬へと姿を変え、今では自分への諦観へと変貌した。
日菜は天才だ。そして凡人の俺は、そんなの妹の重荷だ。日菜は、俺がいなくなれば、もっと自由にその才能を振る舞うことができるだろう。
俺そんな自分が嫌いだ。
そして、日菜と俺以上に変わったのは、俺と姉さんだった。
俺は姉さんが好きだったし、今も好きだ。でもそれは、日菜へと向ける感情とは違う。もっとドロドロとしていて、もっと醜い感情。到底、実姉に向けるモノではない。
いつからそうなったのかは、分からない。姉さんが、俺のことを避け始めた時に気付かされたのか、それとも姉さんが気づいて避けるようになったのか。もっとも、何故避けるようになったのかも分からないのだが。
姉さんとの心の距離が離れてしまったのは、最初のうちは苦しかった。しかし、今では耐えられる。距離が近づいて、自分の醜い感情が露呈されるのよりは、マシだと気づいたからだ。
昔は三人で遊んでは、仲良く笑いあっていた。今ではそんなこと、有り得なくなってしまったけれど。
とにかく。
今も昔も、俺は姉さんが好きで、それで俺は――「……氷川くん!」
思考の海から急に引き上げられる。原因は、背後から投げかけられた声。後ろを振り向くと、そこにいたのは、同じバイト仲間――松原花音だった。
「ああ、松原さん……どうしたの?」
「どうしたって……その、氷川くん、何回声掛けても返してくれないし……」
「あー、ごめん。ちょっと考え事してて」
どうやら、名前を呼ばれても気づかないくらいに没頭していたらしい。時計を見ると、もうすぐで休憩時間は終わりだった。
松原さんは、丸山さんと同じ花咲川女子学園の二年生で、これもまた同じバイト先の女の子である。少しおどおどした所もあるが、気配りもできるし、何よりも分け隔てなく優しいから、良いバイト仲間だと勝手に思っている。
今日のシフトは、丸山さんの抜けたところに松原さんが入るスケジュールなのだろう。入れ替わりになったのだ。
「そうなんだ……何か、悩み事?」
図星。まあ、オーギュスト・ロダンの考える人像顔負けの集中具合だったから、そう思われるのも無理はない。
しかし、この悩みは決して他人に相談するようなモノではない。
家族にもダメだ。凡人が、姉と妹にこれ以上の負担を掛けるようなことがあってはならない。
ただ、心配してくれている松原さんにはっきりと言うのも悪い。だから、やんわりとした拒絶を示すことにする。
「いや、まあちょっと。大したことじゃないよ」
そう俺が言うやいなや、松原さんは少しばかり考え込む素振りを見せると、やがて何かに思い当たったかのように顔を上げた。心なしか松原さんの顔が赤い。
「もしかして……こ、恋の悩みとか……」
あながち、間違ってはいないかもしれない。いやしかし、これは恋の悩みのような、そんな綺麗なモノではない。もっと悪質で、もっと粘着質な醜悪な代物だ。
「……いや、違うよ。あはは」
適当に笑って誤魔化す。笑顔とは最高の武器だ。自慢ではないが、姉も妹も美形の生まれであるので、少なくとも自らの笑顔が不快感を与えない程度である事だけは自信がある。
「そっか……良かった」
松原さんは小さく何かを呟いた気がしたが、生憎と耳に入らなかった。まあ、問題はないだろう。にしても、すぐに恋バナに結びつけるあたり、女子高校生は恋愛話が好きという風説が、また信憑性マシマシに強化されてしまった。
話が一段落つき、僅かばかりの沈黙が漂い始めた時、ふと思い出したかのように松原さんが声を上げた。
「あっ、そういえば……ずっと言おうと思ってたんだけど……」
改まった前置き。そうされると、自然とこちらも身構えてしまう。一体何を言われるのだろうか。ずっと前から嫌いでした? さっきの笑顔が気持ち悪かった? そんなことを言われたら、最低硬度のガラスのハートが砕け散ってしまう。
「氷川くんのこと、その、名前で呼んでもいいかな……!」
「えっ。ああ、別にいいけど、なんで?」
良かった。最悪のシナリオは回避できたみたいだ。
「……え、えーっと。あ、ほら、彩ちゃんも名前で呼んでるし……!」
「あー、確かに。まあ、好きに呼んでよ」
丸山さんが名前で呼ぶようになったのは、パスパレに日菜がいる関係上、氷川呼びだと紛らわしいからなのだが、そこは置いておこう。バイト仲間との距離が一歩縮まったのだ。人類にとって大きな一歩だ。
「じゃあ、よろしくね……み、観月くん」
「うん、よろしく。そろそろ戻る時間だし、行こうか」
この後めちゃくちゃ接客した。
次話で紗夜が出ます。