オレンジ色の夕暮れが、町並みをノスタルジックに彩っている。影法師が、3つの伸びやかな像を映し出す。
俺たち三人――奥沢さんと松原さん――は、ハロハピの活動を行うため、練習スタジオへと向かっていた。
もちろん、急いで2人を校門から連れ出した後だ。かなりの注目を集めていたため、明日学校で様々な質疑応答を浴びせられるに違いない。さながら異端審問のように。男子校とはそういう場所なのだ。ちなみに、2人に声を掛けるような輩はいなかった。女子に餓えている獣のくせに、こういう所では草食動物になってしまうのが、男子高校生なのだ。まあ、下手にナンパなどされていないようで良かった。
「なんか予想以上にジロジロ見られてましたね、花音さん……」
「そ、そうだね……あれは想像してなかったかも……」
「これに懲りたら、もうあんな真似は辞めること」
「うぅ……ごめんね、観月くん……」
松原さんが今にも泣き出しそうな顔で謝ってくる。こうされては、これ以上何も言うことはできなかった。奥沢さんも松原さんも、自業自得とはいえ、好奇の視線に晒されて辛かっただろう。何故わざわざ迎えに来てくれたのかははっきりとしないが、ただ単に早く終わったから暇つぶし程度とか、男子校に興味があったからとかで、来てみただけだろう。二人共女子高生だし、そういう理由であってもおかしくない。この件をこれ以上とやかく言うのはやめよう。起こってしまった事は仕方がない。たとえ四人分の昼食をおごる羽目になったとしても。
「そういえば、氷川さんと花音さんってバイト先一緒なんですよね。どのくらい一緒なんですか?」
奥沢さんもこの話をこれ以上するのは得策ではないと考えたのか、話題替えに努めてくれた。
「俺は一年の最初のほうからやってるから……結構長いよね」
「うん、そうだね……! 私、あんまりシフト入れてないけど」
「私も本当はバイトをする予定だったんですけどね……あはは……」
トホホ、という風に奥沢さんが表情を浮かべる。この一週間の間に奥沢さんから聞いた。元々はミッシェルの中に入ってティッシュを配るバイトをしていたらしい。それをこころに目を付けられ、今の状況というわけだ。
しばらく無言の時間が続く。が、この沈黙は決して気まずい沈黙という訳ではない。ここ数日間で、奥沢さんとは特に連絡を取る機会が多かったから、そこそこ仲良くなれたように思う。初対面のときに感じていた遠慮気味な態度も、大分和らいでいる。だから、無言の時間が続いても、不快感を覚えるようなことはない。
三人分の足音だけが、町中に溶けていく。。
「あ、そういえば氷川さん」
「なに?」
「ウチの学校の生徒会兼風紀委員の――氷川紗夜さんって、もしかして氷川さんのお姉さんですか?」
一瞬、時が止まった、ような気がした。実際にそう感じたのは俺だけで、他の2人はそんな俺に違和感を抱いているに違いない。まさか、奥沢さんの口から姉さんの事が出て来るとは思わなかった。いや、同じ学校であるのだから、むしろ今まで出てこなかったのがおかしかったのかもしれない。
松原さんには前に話したから、てっきり奥沢さんにも伝わっていると決めつけていた。いきなり姉さんのことに話題が変わったから、つい返事に詰まってしまう。
「あ、違いました?」
「いや……そうだよ。氷川紗夜は、俺の、姉さんだよ」
そもそも、姉の話題を出されたくらいでこんなにも狼狽えるのは普通ではない。しかし、意図的かつ自然的に姉さんのことを敢えて考えないようにしていたので、ハロハピの活動に向いていた意識が、姉さんへの辛い現実へと引き戻された気がした。ハロハピの活動補佐をしている間は、姉さんのことを考えなかった……わけではない。けれど、集中するために意図的に考えないようにしていたし、忙しさから自然に考える頻度が減っていたのもあった。
「あ、あの、美咲ちゃん」
松原さんは事情を表面的にだけは知っているから、フォローを入れてくれようとしたが、それが反って気まずい雰囲気を助長させる結果になった。
流石に空気感を察したのか、奥沢さんが謝ってくる。
「あの、なんか聞いちゃまずかった……ですかね」
「いや、全然……大丈夫だよ」
嘘だ。大丈夫ではない。心がざわついている。
「ただ、ちょっと仲が悪いだけだから」
嘘だ。ちょっと仲が悪いじゃない。前に、松原さんにも、同じような説明――嘘をついた。
「なんかすみませんでした……」
「まあ、この歳ぐらいの姉弟にはありがちなことだよ……」
嘘だ。この胸に秘めた姉への思いは、決してありがちなモノではない。
沈黙が場を支配する。これは、先程とは違う気まずい沈黙だった。
その後、この妙な空気感のまま、練習スタジオまで向かうことになった。
「どうだったかしら、観月!」
こころは、俺に演奏の感想を聞いてくる。しかし、演奏は全員でするものであり、その感想ということは、全員に向けられたものになる。メンバー5人が、どうだ、と言わんばかりに俺の言葉を待つ。
「もう、大丈夫だと思うよ。あくまで素人耳の感想だけど」
「観月がそう言うのなら、きっと大丈夫だわ! みんな、今日の練習はここまでにしましょう!」
「フッ、流石は私達だね……もう明日のライブも怖くはないよ。ああ、自分の才能が恐ろしいな……」
「うん! うまく出来たよね、はぐみ達!」
俺はハロハピの活動補佐であって、実際に演奏をするわけではない。だから、練習スタジオですることと言えば、こころ達の演奏を聞く。そして、聞いたら感想を述べる。このくらいだった。他の雑多な用事は、いつの間に黒服の人達が済ませてしまっている。
たった一週間だと言うのに、ハロハピの演奏技術は飛躍的に向上していた。松原さんや薫は事前にそこそこの知識があったとはいえ、それでも驚きに値する成長速度だ。明日は観客の前でその演奏を披露する日だが、問題はないだろう。
達成感に浸っているのか、こころ達はミッシェルを巻き込んで色々と話し込んでいる。そんな中、松原さんが一人近づいてきた。
「あの、観月くん」
「どうしたの?」
「あの、ごめんね。途中のこと……」
ここへ向かう途中での事――姉さんのことだろう。松原さんには何の責任もない。松原さんが謝る必要などなかった。悪いのは、変に動揺した心の弱い自分だった。
「いや、あれは俺が悪いし……」
「でも、私が予め言っておけば……」
「いや、松原さんがそこまで気負う必要、ないよ……でも、ありがとう」
「う、うん……」
会話が終わる。が、松原さんは他にも何か言いたげにしていた。まだ俺のそばにいるまま、何かを言おうと逡巡しているようだった。
「あのさ……私、アルバイトを始めたばかりの頃、観月くんに色々助けてもらって……それで、今でも頼りっぱなしなところもあるけど……何か悩んでいる事があったら、ちょっとでも、相談してくれたら……! わ、私じゃ頼りないかもだけど……」
松原さんは――優しすぎる。けれど、その優しさが、今の俺には身に染みた。
「……ありがとう。ただ、今はまだ相談できないから……もし出来るようになったら、相談するよ」
「う、うん……! 大丈夫、観月くんのペースで、いいから」
そう言うと彼女は、少しだけ赤くなった顔を隠すように背を向けて、こころ達の方へと向かう。
心が、少しだけ軽くなった気がした。
ハロハピの活動を終えて家へ帰ってくると、すでにかなりの時刻になっていた。リビングの電気は消えていて、二人共それぞれの部屋にいるのだろう。両親は今日も帰ってきていない。
二階へと上がり、自室のドアを開ける――「お兄ちゃん!」
俺のベッドの上には、何故か日菜がいた。電気が消えていたから、そこにいるとは気が付かず少し驚く。
「日菜、ただいま」
「おかえりお兄ちゃん! 帰ってくるのが遅いから、気づいたらベッドで寝てたじゃん!」
「自分のベッドで寝なよ……」
「それじゃあ、るんってしないよ!」
日菜が俺の部屋に入ってくるのは日常茶飯事だ。お決まりのパターンは、姉さんに絡みに行った後、軽くあしらわれて俺の部屋に来るパターンだ。きっと今日も、俺の部屋に来る前に姉さんの部屋にいったのだろう。
「お兄ちゃん、今日バイトじゃないでしょ? というか、最近帰りが遅いよね。何してるの?」
俺は、日菜にハロハピの事を説明していなかった。勿論、姉さんにも。この一週間の間に同じような質問を何回か日菜から受けたが「まあ、友達とちょっと」などと濁した解答をしていた。説明するのが憚られたからだ。日菜もアイドルバンドをやっていて、姉さんもガールズバンドをやっている。そこで俺が他のガールズバンドの補佐活動を始めたと言うのは、なんとなく決まりが悪かった。そして姉さんには、知られたくなかった。
ただ、そろそろ隠し通せなくなってくるのも事実だ。そろそろ説明をしたほうがいいかもしれない。日菜には。
意を決して、口を開く。
「実は……バンドのサポート役、みたいのをしてるんだ。俺は、演奏しないんだけど」
「あー、そうなんだ! 何か最近楽しそうだなーって思ったらそういうことかー。弦巻こころちゃんでしょ?」
予想していたよりも、あっさりとした反応だった。日菜のことだから、自分にもっと構えとでも言うと思ったが、ただの自信過剰だったようだ。楽しそう……か。それはその通りだと思う。あの活動は、個性的なメンバーも多く、振り回されるのも悪い気分じゃない。
「というか、何でこころって分かるんだ」
「あ、やっぱり? 何でって、なんとなくだけど」
何となくで、ピンポイントな人名を当てるという芸当は果たして何となくで済ませてしまっていいのだろうか。ただ、日菜の事だし、本当になんとなくかもしれない。
「というかさー、お兄ちゃんのする事に文句は言わないけど、もっと日菜に構ってよ! 最近全然遊んでくれないじゃん!」
「分かってるよ。明日で一段落するから」
「じゃあ、明日は事務所まで迎えに来て!」
「まあ、夜は時間あるから、いいよ。待ち合わせは……」
言い切る前に、日菜が言葉を被せてくる。
「明日は事務所まで来てほしいんだよねー!」
「事務所まで……なんで?」
「うーん、何となく?」
「まあ、分かった」
日菜の何となくにはもう慣れている。ここでしつこく理由を聞いても無駄なのだ。
「よしよし! じゃあ、今日はあたし、お兄ちゃんと一緒に寝るから!」
これも、慣れた。
自分は、書きたい場面が先にあって、それに他の部分を追いつかせる派です。