とある科学の滅びの獣(バンダースナッチ)   作:路地裏の作者

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今回、後書きはありません。余韻を壊したくないので……



034 誓言―プレッジ―

 

 その光景は、佐天に”青空”を思い起こさせた。まるで雲一つない青空。それを思い出させる蒼く青い薔薇が、見渡す限り一面を覆っていた。一方でそれは、澄んだ水を湛える大海原のようでもあった。全ての生命の母、”青海”。

 

 空の青(スカイブルー)であり、海の青(オーシャンブルー)でもある。鮮やかな『青い薔薇』の園は、その双方を思い出させる光景だった。

 

「この薔薇って、一体……?」

 

 佐天の記憶が正しければ、学園都市にも確かに長年不可能とされた青い薔薇は存在する。ただそれは、どちらかと言えば紫や黒に近いくすんだ青だったはずだ。こんなにも鮮やかな青い薔薇は、寡聞にして聞いたことが無かった。

 

『これは、アリスが生み出した薔薇です』

「え?」

 

 疑問に答えたのは、傍らにいた”青”のアリス。しかしその言い方に佐天は疑問を抱く。今の言い方は、まるで自分ではない誰かを指すような言い方ではなかったか。

 

『その薔薇の名前は、『青い希望(ブルーウィッシュ)』――――アリスがこの世界にあって欲しいと、心から願った”希望”なんです』

「それって……?」

 

 ”青”のアリスが疑問に答える前に、遠くから幼い歓声が響いた。振り向くとそこには、薔薇園を見てはしゃぐ幼い子供の一団があった。しかし近づくにつれ、その子供たちの様子を見て取り、佐天は息を呑んだ。

 

「なに、これ……何かの、病気?」

 

 その子供の一人は、両手が無かった。一人は足が無く、車いすに座っていた。一人は、大型の呼吸器に顔の下半分を覆われていた。そして、鎧のような機械部品と、ヘッドギアを付けた子供は、頬に紋様のようなものが浮かんで――

 

「…………っ」

『そう……貴女が思った通り、これはARMS――正しくはまだARMSになる前の、珪素(シリコン)系金属生命を移植された実験体の子供たちです』

「なんで…………!」

 

 なんで、こんな酷いことを。なんで、こんな惨いことを。そう言って当たり散らしたい気持ちは、子供たちの中に一人の少女を見つけた瞬間、急速にしぼんでいった。

 

「あれって……」

 

 隣にいる少女とうり二つの少女がいた。緩くウェーブのかかったセミロングの髪、幼いながらも整った顔立ち、そして透き通った青い瞳までそっくりだった。違うところがあるとすれば、隣の”青”のアリスはフリルの付いた青いワンピースを纏っているのに対し、子供たちと一緒にいるアリスは、白い白衣を纏っているところか。

 

「……ねえ、どういうことなの? 一体ここは何なの?」

『……………………言ったじゃないですか』

 

 振り向いた”青”のアリスの瞳は、深い深い悲しみに満ちていた。

 

『バンダースナッチが抱える”絶望”ですよ』

 

 タン、と余りにも軽い音が響いたのはそんな時だった。視界を戻すと、一団の中の子供が一人、薔薇の中にその身を横たえていた。身体の下から漏れ出た液体が、周囲の薔薇を、”紅く”染める。

 

 身体ごと勢いよく振り返り、自分たちの後ろにかなりの大集団がいることにようやく気が付く。白衣を纏った者たちと、軍服を纏った者たち。その手にあるのは、引き金一つで容易に人の生命を奪い取る”銃”と言う名の凶器。

 

「やっ――――――――」

 

 焦燥のままに射線へと飛び出そうとした。けれども間に合わず、無機質な表情を浮かべた大人たちは、傍らの兵士に攻撃開始の合図を出した。

 

 放たれた銃弾は、ただただ無感情に、薔薇園の子供たちを虐殺した。タタタタン、と一定のリズムを立てて子供たちの生命を奪い去り、青かった薔薇園が、赤く朱く染まるほどに……。

 

 佐天の膝が折れた。

 

「こん、な、こんなのって……」

『――佐天さん、眼を逸らさないで』

 

 蹲る佐天に”青”のアリスが呼びかける。その言葉を受けても、佐天は視線を上げられない。だって、こんなの。こんなの、あんまりじゃないか!

 

――わかったでしょう?

 

 極寒の声音が、周囲を引き裂いた。その声に、その重圧に余りに覚えがあって顔を上げると、薔薇園の中に未だに佇む一人の少女がいた。アリス。純白だった白衣を、血の赤に染め上げた少女が、さっきまで子供たちと共にいた時とは違う極寒の重圧を纏ってそこにいた。

 

――彼らは、”母”の『家族』を奪った。”母”を余りにも悲しませたのよ。

 

「…………”母”?」

 

 その言葉に疑問を持つ間もなく、周囲の景色が変わる。辺り一面鏡のように透明度の高い氷で覆われ、その表面にそれぞれ違う光景が見えた。

 

 そこに見えたのは、アリスが『家族』と呼んだ者たち。金属生命を移植され、リミッターで抑えながらもその幼い生命を散らせていった者たちの、死に顔の光景だった。

 

――『家族』を何度も何度も……何度も、何度も!奪われ続けた”母”は、あの日地獄から抜け出そうとして、最後に残った『家族』まで奪われた!!悲しかった、苦しかった、絶望した!

 

 氷に写る光景は何度も変わり、アリスの『家族』を映し出す。何度も、何度も。そして、辺りの景色は、再び血に染まった薔薇園へと戻っていた。

 

――――そうして、”我”は生まれた。

 

 その言葉と共に、アリスの姿が変わっていく。顔に紋様が浮かび、肩が、胸が、足が、いや身体全体が肥大化していく。

 

――”母”に、アリスに、孤独を味あわせた者たちを許すなと!『人類の進化』などというお題目のために、『家族』を奪い取られたことを忘れるなと!!その強き思いが、我を生み出した!!

 

 現れたのは、白き獣。あの日アリスが纏っていた白衣のように純白の躯体をした、滅びの獣だった。

 

――我は、アリスの悲嘆、アリスの苦痛――――アリスの、『絶望』!!

 

 咆哮が響き渡り、周囲の薔薇園が凍っていく。まるで赤く染まった薔薇を、白い霜で染め直すように。

 

 だが、そんな生命の停止したような氷原の世界の中で、周囲の薔薇園から滲むように現れたものがあった。キチキチと顎を鳴らす奇怪な蟲。握り拳くらいある蟲の群れが四方をぐるりと取り囲んでいたのだ。

 

――来るがよい、愚かな蟲ども!我はただ人類を滅ぼすべくして生まれたもの!こんなところで貴様ら相手に滅びは――

 

 バンダースナッチのその言葉は途中で途切れた。蟲の群れの向こう、既に黒く染まった薔薇園の中に、もう一人アリスが生じたのだ。

 

「――もういいのよ、バンダースナッチ」

 

 アリスの言葉は、甘い毒を秘めて辺りに響いた。

 

――何の、真似だ。

 

「もういいのよ、バンダースナッチ。もう人類を滅ぼす必要はないの」

 

――こんな映像で、我を揺さぶれると思ったか、醜悪な蟲ども!その傲慢、その身を以って……!

 

「あら、あなたは本当は分かっているはずでしょ?」

 

 今にも迫ろうとしていたバンダースナッチの鋭い爪が、壁にでもぶつかったかのように空中でピタリと止まった。

 

――……なに?

 

「あなたには、分かっているはずよ? ”アリス”には、もう自分は必要ないってことを」

 

――そんなことは……!

 

「分かっているのよね? ”アリス”はもう、人類が滅ぶことなんて望んじゃいない。もうすでに分かり切ったことじゃない。…………だからね?」

 

 アリスの形をした何者かが、唇に三日月の笑みを浮かべる。佐天は、何故だかその一言を止めなければならない気がして、必死になって両者の間に割り込もうとしたが、周囲の蟲が邪魔をするように立ち塞がっていた。

 

――…………やめよ

 

「”私”にとって――――――あなた、もういらないの」

 

――やめよ!!

 

 アリスの形をした何者かは、バンダースナッチの爪に千々に引き裂かれた。その断面から、細かな蟲が飛び去る。蟲が作り上げた偽物、贋作。だが。それでも。

 

「それでも――――言葉は偽りじゃないわよね?」

 

 気が付くと、周囲を全く同じアリスの形をした何かに囲まれていた。みんな、同じ顔、同じ笑み。同じ言葉がバンダースナッチへと突き刺さった。

 

「あなたは」「もういらないの」「わかってるでしょ?」「どうしてまだいるの?」「どうしてまだ滅ぼすの?」「どうして?」「「「どうして?」」」

 

――黙れ、だまれぇっ!!

 

 爪を闇雲に振るい、目につくものを引き裂く。それでもなお数が減らない。どんどん、どんどん多くなる。

 

――分かって、いる、だと……?

 

 やがて、一向に数が減らない蟲の前に力尽きたのか、バンダースナッチがガクリと膝をついた。

 

――……ああ。分かって、いるとも。”母”が、もう人類を滅ぼすことなど望んでいないことも。最後に望んだことが、本当はなんだったのかも。

 

 バンダースナッチの身体が急速にしぼみ、やがて、一人の小さな少女の姿が見えてきた。

 

「……分かったところで、どうしようも、ないじゃない。私は、アリスの『絶望』――アリスが捨てようとした負の感情、そのものなんだもの…………今さら、変わることなんて、出来ないんだもの……」

 

 背中を丸め、地面に蹲る少女。その様子を抵抗する力も尽きたと見たのか、周囲の蟲たちが地面を這いずり、彼女の肌を、服を埋め尽くした。

 

「ほら……やっぱり、無理じゃない…………かあさ……」

 

 ヴェノムによって生み出された蟲たちは、少女の言葉も思いも、一切汲み取りはしない。ただただ群がり、少女のか細い声は、徐々に徐々に、蟲の群れの中に埋まっていく。そうして末期の声も、飲み込まれようとしていた時だった。

 

 がさり、と顔の周りに群がっていた蟲が取り払われ、外の光が見えた。

 

 蟲を取り払ったのは、佐天涙子だった。

 

「…………あなた、何してるの?」

「…………」

 

 彼女の問いには答えず、佐天は次々に群がった蟲を取り払い遠くへと投げ捨てた。もちろん蟲は無抵抗という訳ではなく、佐天の両手には、蟲に噛み付かれたであろう血の跡が余すところなくついていた。

 

「なにしてるの、って言ってるじゃない! あなたにとって、私なんか助ける理由はないはずでしょ!? むしろ、私がこのまま消えたほうがあなただって都合がいいはずじゃ――!」

「うるさい!!」

 

 一喝。バンダースナッチの言葉を一言で切り捨て、佐天は再び蟲の除去に取り掛かった。視界が明るくなり、周りの状況が目に入ってくると、バンダースナッチは、佐天もまた蟲に膝下まで埋まっていることに気が付いた。

 

「もういいから、行きなさい! このままだと、あなただって蟲に喰い尽くされる! そんなことになれば、例え外の医者があなたの身体を一部でも救えていても、あなたの魂が戻ることは永遠に無くなるのよ!?」

「うるさいって、言ってるでしょ! 分かってるわよ、そんなこと! けどねえっ!」

 

 ガサガサと、ザクザクと、蟲を掻き分け、掘り進めて、佐天はようやく蟲に覆われていたバンダースナッチの余りにも細い手首を捕まえた。

 

「泣いてる子を! 放っておけないじゃない!!」

 

 ぐい、と力一杯に引っ張り、蟲の中から引きずり出す。未だに身体にくっ付いた蟲を手当たり次第に引っ張って放り捨てる。そんな彼女らを周囲の蟲が警戒するかのように、二人の間を十重二十重に取り囲んだ。

 

「…………どうするのよ。助けてもらったって、私にはもう存在意義が無い。”(アリス)”にだって見放された私は……」

 

 もう、存在している意味がない。変わることが出来ない自分は、このまま蟲の中で滅ぼされた方が良かったはずだ。そんな思いがバンダースナッチの胸を満たしていた。

 

 無理だよ、変わることなんて――――

 

 

「――――だったら、これからは、私が『家族』になるわ」

 

 

 バンダースナッチの心情を、傍らの少女の一言が引き裂いた。

 

「……え?」

「よくよく考えればあの交通事故の時からだから、6年は一緒だったわけでしょ? だったらもう半分『家族』みたいなものなのかなってね」

「…………無理よ」

 

 なれるわけがない。ARMSと人類が、『家族』になんかなれるわけがない。そんなバンダースナッチの想いを、佐天涙子は否定する。

 

「なれるかどうかなんて、やってみなくちゃ分からないじゃない? あなたがこれからも生きていくために、『家族』が、存在意義が必要だって言うんなら、私が立候補するわよ」

「なんで、そこまで……」

 

 自分(バンダースナッチ)は、佐天に酷いことをした。以前襲い掛かって来た者たちを、佐天の身体を使って皆殺しの目に合わせた。そんな存在、決して許されることは無いと思っていた。

 

「まあ、これから先は暴れるんでも、最低限人死にが出ないように心がけて欲しいけど。それ以外は、特に思うところとかは無いよ。それに、理由なら言ったでしょ?」

 

 そう言って、佐天は屈んでバンダースナッチに目線を合わせ、いつものように満面の笑みを浮かべた。

 

「独りぼっちで泣いている子を、放ってなんておけない、って」

「――――――――!」

 

 変われないと、思っていた。変わることなんて、出来ないと思っていた。

 

「さて! でも、どうしよっか。流石にこの蟲の大群掻き分けるのは、キツイしね」

「…………」

 

 でも、そんな思いも、葛藤も、さっきの笑みは粉々に消し飛ばしてくれた。

 

 だったら。だとしたら。

 おずおずとバンダースナッチは、その手を伸ばし、未だに血の滴る佐天の手を緩く握った。

 

「ん?」

「……ここは、デジタルの信号で形作られた世界だけれど、同時に精神体の世界でもある。だったら、強い”意志”があれば、ウイルスも吹き飛ばせる」

「……そっか。わかった!」

 

 否も応もなく、握られた手が強く強く握り締められる。ただそれだけで、長い長い孤独が、埋められていくような気がした。指先から伝わる体温が、凍てついた心すらも溶かしていくようだった。

 

「――――ここに、誓うわ。佐天涙子」

 

 バンダースナッチは、今になってようやく悟った。なぜ魔獣(ジャバウォック)は変われたのか。騎士(ナイト)は、白兎(ホワイトラビット)は、女王(クイーン・オブ・ハート)は、どうして変わることが出来たのか。

 

 

「私は、あなたと共に歩み、あなたと共に滅ぶ!!」

 

 

 その叫びが響いた時、世界を共振が満たした。

 

 

「私は…………あなたの『家族』となる!! もう二度と『絶望』に囚われないように!!」

 

 

 それは、かつて魔獣(ジャバウォック)が為した誓いに似た思い。けれど少しだけ違う、神獣(バンダースナッチ)だけの”意志”。

 

 強く固い意志は世界を揺るがし、視界を埋め尽くしていた醜悪な蟲たちは、世界から満ち溢れる光の輝きによって、一片たりとも残すことなく焼き尽くされていった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

『やっぱり、眩しいなあ…………』

 

 二人の織りなす輝きを、”青”のアリスと名乗った少女は、空中から嬉しそうに眺めていた。

 

『本当に危なくなったら、手を貸そうとも思ってましたけど……心配いらなかったですね』

 

 空中で笑みを浮かべながら佇む少女。そのドレスが、肌が、まるで泡のように崩れていった。中から現れたのは、一人の女性。ごく普通のシャツとスカートを身に着けた、ストレートのセミロングの髪を流した女性だった。

 

 女性の名は、『ユーゴー・ギルバート』。かつてオリジナルと呼ばれるARMSを移植された四人の少年少女と共に、戦い続けた女性だった。

 

『……昔、言っていましたね。自分たちは『同じ運命を背負わされた兄弟』みたいなものなんだって』

 

 閉じた瞼に浮かぶのは、決して彼女が忘れることのない一人の少年。エグリゴリという巨大な組織が次々と繰り出す絶望を、地獄を、強い意志と共に乗り越えていった真っ直ぐな少年。精神感応(テレパス)の力を持って生まれた自分が、初めて心から愛した少年。

 

 そして、少年と同じ運命を背負い、共に戦い続けた三人の仲間たち。

 

『恵さん、隼人君、武士君。そして――――――高槻、君…………みんなの”いもうと”は、守りましたよ……』

 

 輝きに全てが塗りつぶされる世界の中、最後に見えた彼女の口元は、確かな笑みを浮かべていた。

 


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