8月21日、午後。ゆっくりと水平線へと沈んでいく夕日を、御坂美琴はぼんやりと眺めていた。何も考えが起きない。何のやる気も浮かばない。本当にただぼんやりと眺めていた。
万策尽きた。もう御坂には、実験を止めるアイデアは浮かばない。それこそ計画の当事者である
「――――は、ははは……」
無理だ。どう考えても無理だ。アイツの能力は、そんな次元じゃない。どんな雷撃も、磁力で操った鉄骨や砂鉄も、理不尽すぎるチカラの前に簡単に打ち破られた。あの最初の交戦で、自分ではまるで敵わないと悟ってしまった。自分では、逆立ちしたってアイツには勝てない。
(……だったら、後は…………私が計画の『敵役』としての価値も無いって証明するくらい、か……)
もうそれくらいしか方法がない。計画当初の演算では、自分が第一位と交戦した場合、
彼女が思いついたのは、第一位と彼女自身が交戦し、初手で無様に負けること。演算に誤りがあったと、計画が間違いだと気づかせる、本当に最後の手段。本当に、それしか思いつかなかった。
「………………あれ?」
気づくと、彼女の両手は震えていた。かたかたと始めは小さく、やがては全身を包むように大きく。震えが、止まらない。歯の根が合わない。
――ああ、そうか。ここに来て、彼女はようやく悟った。彼女は怖いのだ。恐ろしくて仕方がないのだ。これから、死ぬことが。そうして、自分が死んでも実験が止まらないかも知れない可能性が、怖くて仕方ないのだ。
「…………」
ぎゅっと、寄り掛かっていた橋の欄干を握り締める。この街に来る前、自分にはどうしようもない出来事があると、彼女は母親に頼った。千切れてしまったぬいぐるみの腕や、破けてしまったお気に入りの洋服は、一晩眠るとまるで魔法のように元通りになっていた。あの頃、彼女にとってのヒーローは、母だった。
「…………」
今、この街に、彼女のヒーローはいない。
「………………………………………………………………………………………………、たすけてよ」
彼女が、ほんの少しだけ呟いたその言葉を、拾い上げてくれるヒーローなんて――――
「――なにやってんだよ、お前」
その言葉に、御坂が顔を上げた。視線を向けると、そこにツンツン頭の少年がいた。その後ろには、佐天が、白井が、初春が、そこにいた。それだけではない。さらにその周りには、インデックス、姫神、ステイルや神裂と魔術側のはずだった者たちまで勢ぞろいしていた。
「…………なんでもないわよ。次はどこの施設を襲って、計画の妨害するか考えてただけ」
「…………」
嘘だ。もうそんな方法じゃ止まらないと身に染みていた。それでも、御坂は自分の内心を知られるわけにはいかなかった。知れば、絶対に止めると分かっていたから。しかし。
「……そっちは後回しだ。計画を止めにいくぞ」
「――――え?」
上条は御坂の態度には何も言わず、ただ計画を止めに行くと言った。どうやって?そんな方法があるわけないのに。
「この間俺達とあったいちま――いや、御坂妹から、この実験の前提条件をもう一度詳しく聞いたんだ。どうすればこの実験を止められるのか調べるために」
「…………」
佐天たち、集団の後ろからひょっこりと顔を出す、両手首を拘束された自分と瓜二つの少女を見て、御坂もぼんやりと思い出した。彼女に出会って実験が終わっていないと気づき、皆の所を飛び出してしまったことを。そうか。皆はその後、彼女から詳しい情報を得て、止める方法を探していたのか。
だとしても。仮にそうだとしても、この実験は止められない。実験の結論は既に『
そんな疑問が口をついて出そうになった時、上条は言った。
「――――――――俺が戦えばいい」
その言葉を聞いた当初、御坂には意味が解らなかった。
「………………………………え?」
「この一連の計画ってのは、『
「…………」
「例えば――――『
「――――! ダメよ!!」
確かにそれなら、実験は止まるかもしれない。目の前の少年は、
だけど、それはつまり、右手以外は完全に生身の人間が、あの第一位に挑むということ。
「そんなことしなくていい! 私がなんとかしてこの計画を止めるから、アンタは――」
「どうやってだ?」
その言葉に、わずかに詰まる。彼女にも分かっている。確率の問題で言えば、上条の案の方が実験が止まる可能性が高いことを。自分の案では、止まらない可能性が高いことも。それでも。
「……計画は、私が第一位に善戦することも前提にしてるわ。だったら、私に、そんな価値なんてないってことを示せば…………」
御坂は、精一杯虚勢を張る。目の前の少年を、決して死地に行かせないために。たとえ自分が死ぬとしても、もうこの計画のために、
けれど。
「――――お前、死ぬ気なんだな」
虚勢にもならなかった。なんで隠せないんだろう。なんで見透かしてしまうんだろう。そんなことを思いながら、ふらふらと欄干から身体を起こす。
少年は、両手を広げて立ち塞がっていた。
「……どいて」
「……どかない」
「…………どきなさい」
「…………どかない」
「――――!!」
激昂し、迸った紫電が周囲のアスファルトを焦がした。
「退きなさいよ! 私一人が死ねば、そのコたちは助かるの! たった一人の犠牲で、何千人もの人間が助かるの! それは、この上ないくらい素晴らしいことでしょ!? だから、そこを退きなさい!!」
「…………」
変わらず、少年は両手を広げていた。ほんのわずか視線を後ろの御坂妹に向け、呟く。
「……お前一人が全部背負って、犠牲になることで、アイツらは本当に幸せになるのか? 笑ってられるのか? 感謝でもしてくれるってのか? ……そんな訳ねえだろ」
「…………!」
わかってる。そんなことは分かってる。けどそのために、目の前の少年を犠牲にしたくない。もう自分のために、誰かに傷ついて欲しくない。
だというのに、そんな彼女の内心を知ってか知らずか、目の前の少年は、僅かに微笑みながら呟いた。
「それに、さ。お前が犠牲になっちまったら、俺は明日からどんな風に笑えばいいかわかんねえよ」
「…………え?」
その言葉に、胸の奥にほんのりと火が灯った。
「俺だけじゃない。白井も、初春も、佐天も、インデックスも、姫神も、お前がいなくなっちまったら、皆笑えなくなっちまう。そんな明日になっちまう」
その言葉に、揺らぐ。決意が揺れる。だめだ。けど、だめだ。……止めないと。
「……無理よ。アイツには……」
勝てるわけない。敵うわけがない。
「そうかもしれねえな。けど、やってみなくちゃ、何も始まらねえだろ?」
そうじゃない。そうじゃないんだ。ここは、学園都市なんだ。ぬくぬくと丸まっていられた幼いころのぬくもりの中じゃないんだ。ここには優しく見守ってくれるママも、温かい家庭も、どこにも無いんだ。あるのは冷たい計画という名の現実と、無機質で非情な実験場の街並みが横たわっているだけなんだ。
――だから。
「だから、さ」
(待ってればなんでも解決してくれる、ヒーローなんて――――)
「待ってろよ。必ずお前も、御坂妹も、みんなが笑える明日にする――――約束する」
ヒーローは、いた。
◇ ◇ ◇
「…………あン?」
そうして、それから数時間後。コンテナ群のただ中で、全ての元凶たる白い少年と、ツンツン頭の彼女のヒーローは対峙した。
ヒーロー見参!の回、終了。いろいろ立ち位置が変わっているせいか、ここでの御坂と上条の会話もかなり手を加えることになりました。それでも上条らしさは出せてたら幸いです。
今回脳内BGMは、doaの『英雄』やJAM Projectの『THE HERO!!~怒れる拳に火をつけろ~』を流しながら書いてました。まあ、JAM Projectはあまり場面に合わないかもですがw