音素灯が薄暗い廊下を照らしている。
所々に血しぶきが撒き散らされて、担い手を失った剣が血に塗れたままに床へと突き刺さっている。
ルークは敵の目を掻い潜って、吐き気と頭痛に身を悩ませながらも積荷の影へと身体を滑り込ませた。
壁に手を突いて、力なくずるずると座り込んだ。
「……いったいなんだってんだ」
生臭い血の匂いが鼻について、息をするたびに吐き気がこみ上げてくる。
仔ライガは心配げな顔をして前足を膝に乗せ、ルークの顔を見上げた。
そして、黒く濡れた鼻を近づけて顔をひっきりなしに舐める。
払いよけるのも億劫で、仔ライガのするがままに任せて力なく手を握る。
気づけば涙が流れていた。情けなくて余計に涙があふれそうだった。
涙を拭うように頬を舐めていた仔ライガをぎゅっと抱きしめて、さきほど相対した男のことを考えた。だが、深く考えようとするたびに思考は曇って、支離滅裂な映像が代わりに頭に流れて、考えが少しもまとまらない。
絶え間ない苦痛にうめいて、すがりつくように抱きしめる腕を強める。
仔ライガは小さく鳴いて身体をひねってルークの腕の中から抜け出した。
「あ、わりぃ……」
いつもの傲慢さは息を潜め、弱々しく謝って怯えるように周りを見渡した。
アーチャーは艦橋に行けと言っていたが、あちこちに兵士や魔物がうろついており、戦わずには目的地に行くことはできないだろう。
今までの旅とはまったく異なる戦い。いや、殺し合い?
狂気じみた顔で襲い掛かる兵士達に、血を撒き散らして絶命する兵士達……。
身を震わせて自身の身体を抱きしめた。
「ルーク」
びくっと身体を震わせて見上げると、アーチャーがルークを見下ろしていた。
彼の赤い外套がまるで血のように見えて、ルークはまるで後ずさるようにして彼を見上げた。
アーチャーはそれに気づかない振りをして、冷静な声で言葉を紡いだ。
「敵は船内をほぼ征圧しているようだな。
ふむ、ここはまっすぐにマスターたちと合流するほうがいいだろう」
そしてルークをちらっと見て、挑発するように言い放った。
「やれやれ、これまでの旅で少しはましになったと思っていたが勘違いだったようだな。なに、マスターに坊やのことを頼まれてる。
まぁ、せいぜい邪魔にならないように後ろに隠れてろ」
ルークは反発するように顔を上げたが、すぐにうつむいてしまった。
アーチャーはそんなルークに声を和らげて、安心させるように頭を叩いた。
「初めて戦場に放り込まれれば、誰だってひるむものだよ。
こんな異常な状況で怯えないやつは、生まれついての戦闘狂か感情をどこかに忘れてきた異常者だけだ。
気にするなとは言わないが無理しなくていい」
ルークは顔を赤く染めてうるさげにアーチャーの手を払い、ツンと顔を背けて腕を組み平気な顔を取り繕った。
「べ、べつにお前に心配されるようなことじゃねーよ」
「ならばいいのだがな」
苦笑を浮かべて周囲を見回しているアーチャーに、ルークはおずおずといった様子で問いかけてきた。
「お、お前は平気なのか?」
「ふん、元来サーヴァントはその為のものだ。
お坊ちゃんなんぞを守るのは本意ではないが、マスターの頼みだ、おこぼれ程度には守ってやる」
「なんだよそれ、だいたいサーヴァントって何だよ」
「それはお前が知るべきことではないな」
「はぁ!? なんでだよ」
赤い騎士はため息をついて不満げな子どもを射抜くように見た。
視線に怯んで黙り込むルークに呆れたように鼻で笑った。
「聞いてどうする?」
「ど、どうするって……」
「自分の身も満足に守れない奴が、余計な厄介ごとに首を突っ込むものではないな。好奇心は身を滅ぼす。大人しく守られてろ」
「でも!」
「ただでさえ和平条約なんぞという厄介ごとを抱えてるのだぞ?
それさえも暗礁に乗り上げているのに、こちらの事情に首を突っ込む余裕があるのか? あるはずがなかろう?」
言い含めるようなアーチャの言葉に不満げな顔で黙り込み、心細げにすがりつく仔ライガを撫でた。
それでも知りたそうな顔をしていたが、気づかぬ振りをして回りを見渡した。
「それだけ関係の無い話に気を回せるのなら、もう大丈夫だろう。
いくらマスターと言えど、この状態では厳しいだろうな。
早くマスターたちと合流しなければ。そろそろ行くぞ、坊ちゃん」
「坊ちゃんって言うな!この陰険白髪親父!」
「あぁ、これはすまない。何せまだ名前を教えてもらっていないからな」
「ルーク! ルーク・フォン・ファブレだ! ルークって呼べ!」
「そうか。短い間だがよろしく、ルーク」
思いのほか穏やかな笑みを浮かべる彼に、ルークは目をさまよわせてうなずいた。
ティアはジェイドに先導されて艦橋へと向かっていた。
タルタロスはいつの間にか動き出して、艦橋がすでに制圧されていることがうかがえた。
ジェイドは不審げに窓の向こうを眺め眉をひそめた。
「一体どこへ……」
「タルタロスをどうするつもりなのでしょうか」
「さて、マルクト軍の最新艦など手元にあったら、ややこしい事になると思うんですがねぇ」
ぼそぼそと言葉を交わしていると、やがて動きが止まり誰かが船外へと出てくるのが見えた。
「あれは……」
「イオン様?」
オラクル兵に連れられて、イオンが歩いていくのが確認できた。
「アニスは?」
「まぁ、アニスなら大丈夫でしょう。しかし、彼をそのままにしておくわけにもして置けません。どうにかして取り戻さなくては」
「しかし、どうやって?」
「まぁ、とりあえずは情報収集ですかね」
彼らは顔を突き合わせてあれこれと相談した後、目的のために行動を開始した。
いろいろと荒っぽい手段を使うなどして、情報収集したところによるとイオンはタルタロスに戻ってくるという。
そこであれこれと下準備をした上で、待ち伏せして救出することとなった。
アーチャーの赤い背中を追いかけて、ルークはタルタロスの通路を走っていた。これは自分の仕事だと胸を張っていただけあって、道々に立ちふさがる兵士達を一瞬のうちに打ち倒していった。
倒れた兵士達を素早く縛り猿轡を噛ませて、部屋の隅に放り込んで進んでいく。視界に入ることなく声も上げさせることもなく、兵士達を無力化していくアーチャーの手腕にルークは驚きを隠せなかった。
最初、兵士達が襲ってきたときにはまた死人が出るのかと不安に思ったのだが、アーチャーはルークのほうをちらっと見たあと、殺すことなく兵士達を鎮圧していったのだった。
そうやって船内を駆けていたとき、突然すべての照明が落ちて通路に隔壁が下りてきた。薄く響いていた機関音も消えていく。
「なんだ?」
「ふむ、なるほどな」
「な、なんかわかったのか?」
「そうとわかればモタモタしてられんな。急ぐぞ」
「え? だからな……のわー!!」
アーチャーはルークと仔ライガを軽々と抱えると、おもむろに窓をぶち破って壁を駆け上がった。あまりの急展開についていけず、ただ目を回すばかりだった。
あっという間に船の最上部にまで駆け上がり、帆柱のすぐそばで下ろされた。
「な、何しやがるんだ!」
「まぁ落ち着け」
「落ち着けるか! ばかやろう!」
アーチャーは足に噛み付く仔ライガを宥めながら、下のほうを指差した。
「導師が捕まったらしくてな、マスターたちが奪還に動いてる。
ふむ、来るぞ」
停止したタルタロスに向かって、金髪の女がイオンを連れて歩いてきた。
「イオン!」
思わず飛び出そうとするルークの襟首をぐいっとひっぱった。
「なにするんだよ!」
「まだ早い、すこし待て」
ルークは苛立たしげにアーチャーをにらみつけたあと、イオンを心配げにじっと見つめていた。
左舷昇降口にてティアたちはイオンたちが現れるのを小窓から監視していた。
目論見どおりに彼らが誘導されていることに安堵しつつ、息を潜めてチャンスを待つ。
扉が左右に開いた瞬間、ミュウは巨大な炎を吹き出して油断していた兵士はそのまま階段の下へと落ちていった。
異変に気づき、金髪の女は銃を構えるがそれを待たずしてジェイドが飛び掛った。幾度かやり合った末に、ジェイドが女の背後を取り槍をのどに突きつけて動きを止めた。
ティアもミュウと組んで兵士達を相手に大立ち回りを繰り広げていた。ミュウが大きな炎で目くらましをして、それに怯んだ隙にティアが杖を打ち据えて兵士達を気絶させる。
「さすが、ジェイド・カーティス。侮れないな。
「お褒めいただいて光栄ですね。さあ、武器を棄てなさい」
女は憎々しげな表情を浮かべ、手に持つ二挺の譜銃を地面に放り投げた。
「ティア、譜歌を!」
槍を突きつけたままジェイドはティアに声をかけた。
「……ティアだと?」
女はジェイドの言葉を聴いて、訝しげな表情を浮かべた。
ティアは冷たい目で女を見やり譜歌を発動させようとしたが、ほんの一瞬苦悶の表情を浮かべ杖を落とした。
「ティア?」
その瞬間、隔壁を突き破って一頭のライガが現れた。
ティアは素早く体制を建て直し、ライガの雷撃を避けて飛び退った。
女はそのチャンスを見逃さずにジェイドの槍から逃れて、イオンを人質にして二人をけん制する。
「アリエッタ! タルタロスはどうなった?」
ライガを引き連れて一人の少女が船の中から現れた。
不安げに身を縮ませたままぬいぐるみを抱きしめて、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。
「制御不能のまま……。
このコが隔壁、引き裂いてくれて、ここまで来れた……」
女は銃を構えたまま言葉を続けようとしたとき、
「どりゃーーーー!!」
頭上からルークが飛び降りてきた。
驚き目を見開いた瞬間にルークは女を打ち倒し、イオンを奪い取って素早く走り抜けた。女が素早く体勢を立て直して譜銃を撃つが、ルークは素早い動きでそれを避けていく。
いつの間にか目を覚ました兵士達は、あわてて剣を構えてティアに襲い掛かった。しかし、上空から兵士達の腕に矢のようなものが突き刺さり、苦悶の声を上げて転がる。
ジェイドは素早く少女の背後に回ると羽交い絞めにして槍をのどにあてた。
「アリエッタ!」
「さあ、もう一度武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」
「くっ」
女は忌々しげにジェイドをにらむと、キッとティアを見て叫んだ。
「ティア・グランツ! どういうつもりだ! 何故ここにいる!
ヴァン謡将は……」
「あなたには関係ありません!!」
「なんだと!?」
ティアの言葉に女は顔色を変えたが、ジェイドが再び脅迫の言葉を吐いたことで苛立たしげに武器を捨てた。
そして、女と兵士達はタルタロスの中に戻っていった。
「さあ、次はあなたです。魔物を連れてタルタロスへ」
ジェイドは自分が捕らえている少女に対して促すと、少女は悲しげにイオンを見てぽつぽつと何かを訴えようとした。
しかし、イオンはそれに答えることなくタルタロスに戻るように促し、少女は名残惜しげに振り返りながらタルタロスへと去っていった。
そのあと、外側から全ての昇降口を封鎖して彼らは軽く安堵の息をついた。
「これでしばらくは開かないはずです」
彼らを見回してジェイドはそう言って、再びじっとルークを見て笑った。
「いやー、ずいぶんといいタイミングで落ちてきましたねー」
「ご主人様かっこよかったですのー!!」
「お、おう」
戸惑い気味に顔を背けて、はたっと気がついたように背中から仔ライガを引き出した。今までの苦労も知らないで、のんきに大あくびをしている。
ティアは苦笑を浮かべてルークを見ていたが、背中にくっきりと足跡がついてるのに気がついて目を軽く見開いた。
さり気ない調子で近づき、力いっぱい何度も背中を叩いてごまかすように話しかける。
「あなたね、こんなときに一体なにしてたのよ。心配したのよ!」
「いて、いて! なにしやがる!」
「はいはい、じゃれあうのはほどほどにしてくださいね。
ところでイオン様。アニスはどうしましたか?」
「敵に奪われた親書を取り返そうとして魔物に船窓から吹き飛ばされて……。
ただ、遺体が見つからないと話しているのを聞いたので、無事でいてくれると……」
「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」
「セントビナー?」
ルークは聞き覚えの無い名前をジェイドが口にしたのを聞いて言葉を返す。
「ここから東南にある街ですよ」
「分かった。そこまで逃げればいいんだな」
イオンの言葉に納得したようにうなずいた。
「……ところで、あなたの他に上に誰かいませんでしたか?」
ジェイドは注意深げに視線をやり、ルークに問いかけた。
「え、えぇと? ……俺のほかに人は居なかったぞ?」
「ふぅーん? ……まぁいいでしょう」
じっとルークたちを観察したままそう言うと、場を切り替えるように言葉を続けた。
「そろそろいきましょうか。いつまでもここに居ては危険です」
「……お前の部下はいいのか?」
ルークが戸惑い気味に聞くと、表情を消して冷淡に答えた。
「生き残りがいるとは思えません。
証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」
「……何人、艦に乗ってたんだ?」
「今回の任務は極秘でしたから、常時の半数――百四十名ほどですね」
うなだれるようにうつむき黙り込むルークに、ティアは心配げな顔を浮かべていた。ミュウと仔ライガもルークを見上げている。
「いきましょう、ここで立ち止まるわけにはいかない」
ジェイドはそう言って、後ろを振り向かずに歩き出した。
ルークは苦痛に似た表情を浮かべて静まり返った艦を見つめると、ジェイドたちの後ろについてセントビナーへと歩き出した。