彼女の秘密は語られないままで
夜の闇に火の粉が舞い踊る。
積み上げた薪は炎の熱に裂かれて崩れ落ち、乾いた音が耳に響いた。
ジェイドは特に何を話すでもなく、腕を組んで無言で炎を見つめていた。
すでにルークもイオンも眠りについて、穏やかな寝息が微かに聞こえている。
わずかに口元に笑みを浮かべて、何気なくすぐそばを見た。
そこにはティアが憂いをおびた瞳を炎に向けて、長い髪を櫛で梳いていた。
明るい栗色の髪もいまは薄暗い影に染まり、金色の櫛が炎の光を弾いてきらめいている。
「その響律符は……いえ、それはホントに響律符なんですか?」
その赤い瞳を疑わしげに眇めて、観察するように彼女をじっと見る。
「……それ以外の何に見えますか?」
「いえ、響律符にしては音素の動きが奇妙でしてね」
「そうですか……。死霊使いの目を引いたとなれば、これを作った人も鼻が高いでしょう」
ティアはジェイドの方を見ることもなく、淡々と手を動かしていた。
なんでもないことのように答えているのだが、表情はわずかに硬く炎を見る瞳もどこか冷たい。
まるでそれに気づいていないかのような風を装って、ジェイドは言葉を重ねる。
「えぇ、興味深い。是非とも作った人に会ってみたいですねぇ」
その言葉に答えることなく、彼女は髪を梳いていた。
しかし、すぐにその手を止めて髪の毛を摘み何かを確認するかのようにじっと見た。手を離すと栗色の髪がさらさらと零れ落ちる。
ため息をついて櫛を片付けようとしたとき、
「変わった譜術といいその奇妙な響律符といい、あなたは一体何者なんですかねぇ?」
「……ちょっと変わった術を使う、ただのオラクル兵ですよ?」
おどけたように口元に笑みを乗せて、彼女は小箱へと櫛を片付けながら、そんな風に答えた。
「へぇ~? ただのオラクル兵……ねぇ?」
「何か問題でも?」
「いいえ、べつにー?」
ジェイドは胡散臭げに笑って彼女の冷たい視線に怯むでもなく、その赤い瞳を細めてメガネをくいっと押し上げた。
「ただ、できればタルタロスでの譜術の詳細を教えてくださればうれしいのですがねぇ」
「お答えできません」
「そこをなんとか」
「お断りします」
「……残念です」
ティアはうんざりした様子で頬杖をついて、眠っているルークたちを見た。
チーグルの仔はルークに耳を鷲づかみにされてうなされているし、仔ライガはルークのお腹にもたれかかるように乗っかって、ルークをうならせている。
わずかに目を和らげてその様子を見ている彼女を見て、ジェイドはおやおやとからかい混じりの笑顔を浮かべた。
「子どもを見守るお母さんといったところですかね」
「え?? は? なにをどうしたらそんなことにというかそんな年じゃなんでお母さんってえええええ???」
「……なにもそんなに動揺しなくても」
そのまま、いいようにおちょくられているマスターをアーチャーは霊体化したままで、呆れた様子で見ていた。
丹精に整えられたテーブルには優美なティーカップが2つ。
すぐそばにはガラスのポットが置かれて、中にはたっぷりと紅茶が入れられて、白いテーブルクロスには紅色の影が映っている。
ぼんやりとあたりを見渡して、ルークは翡翠色の瞳を瞬かせた。
窓の向こうは真っ白で、吹き荒れる雪のせいか先を見通すことができない。
部屋は温かみのある配色で統一され、家具は細々とした細工が美しく映えて、丁寧に手入れされているだろうことがうかがえた。
部屋の奥にすえられた暖炉の火は明々と燃えて、火の粉が舞い上がりときどきパチンと乾いた音を響かせていた。
さっきまで何をしていたのか、今どこにいるのか、前後の繋がりがつかめず、ルークは唖然としたままでそこに立ち尽くしていた。
「ちょっと!!」
ここはどこだろう。なんでこんなところにいるんだ??
「聞こえてる!? ちょっと、ねぇ!!」
確か俺は……。旅をしていて??
「呼んでいるんだから返事しなさい!!」
ガツン!!!
足を思いっきり蹴っ飛ばされて思わず飛び上がり、涙目で後ろを振り向いた。
「なにしやがる!」
目の前に白い髪に赤い瞳の少女が心配げな表情でこちらを見ている。
ルークが振り向いたのを見るや表情を緩めて、「あー、よかった」と晴れやかな笑顔を浮かべた。
少女は彼の問いに答えるでもなく、白い小さな手で彼の手をぎゅっと握って、テーブルの方へと引っ張っていった。
「こっちこっち!」
「おおい!」
引きずられてつまづきそうになり、ルークはムッとした顔で彼女の手を打ち払ってにらみつけた。
「いったいなんなんだよお前は! それにここは一体……」
「ひどーい。レディに向かってお前はないでしょ?
……まぁいいわ。久しぶりのお客さまだもの、少しぐらいの無礼は許してあげる」
少し気分を害したような顔をしたがすぐに笑顔を浮かべて、思いのほか強い力でルークの腕を引っ張った。
「ほら、せっかくお客様のために紅茶を入れたんだから早く椅子に座ってよ」
「お、おい」
あれよあれよという間に椅子に座らされて、ルークは落ち着きなく周りを見渡した。
少女は気にも留めず、ティーカップに紅茶を注ぎいれる。
ルークはティーカップを胡乱げに見つめて手に取るでもなく、優雅に紅茶を自分のカップに注ぎいれている様子を見ていた。
彼女はルークの目の前の席に座り、優雅な手つきで紅茶を口にした。ちろっとルークのほうに視線をやり、猫のようなとらえどころのない笑顔を浮かべる。
「飲まないの?? お客様のためにせっかく淹れたのに」
「お、おう」
おずおずとティーカップに手をやり、そっと口元にカップを引き寄せた。
水面がわずかに揺れて波紋を広げていく。
「んん???」
カップをじっと見て首を傾げる。
そして、もう一回口に含んでまた首を傾げる。
「なんか味しないぞ?」
「そう、よかった」
「よかったって……」
「そこまで侵食が進んでないってことね。最初は大変だったのよ? 危うく魂が侵食されるところだったんだから。英霊の記憶なんてただの毒なのに、親和性が高すぎて油断するとあっという間に読み込んじゃって」
「はぁ? なんだそりゃ」
「こっちの話」
「意味わかんねぇよ」
胡乱な目で少女を見て、くいっとコップを傾けた。
味はしないが香りがとてもよいような気がする。なぜか不思議と暖かい気持ちになった。
ついついそのまま飲み干してしまい、空のティーカップを少し困惑した表情で見ていた。
少女はやわらかい笑顔を浮かべ、空になったルークのカップに紅茶を注いだ。
「なぁ」
ルークはしばらくの間、ぼーっと黙って紅茶を飲んでいたが、黙っていても何も解らないことに気がついて少女に声をかけた。
「一体ここはどこなんだ?」
「夢よ」
「はぁ???」
「正確に言えば夢をこちら側に引き込んで再構築したものね。繋がりが緩いせいでいろいろゴタゴタしたけどまぁ許容範囲内かな。
まったく、あの子ったら何でこんないいかげんな状態で放置してるのかしら。
どうせだからしっかりラインを繋げておけばいいのに。ただでさえ魔力量が少ないんだから、取れるところはしっかり取っておきなさいってちゃんと言っておいたはずなんだけどなぁ」
ルークは眉間にしわを寄せてにらみつけた。
「意味わかんねーよ。わかるように説明しろ」
「わからなくてもいいわ。あなたには関係のないことだもの」
「はぁ? なんだよそれ」
むすっと口を尖らせて、すねたように顔を背けた。
「まぁまぁ、すねないすねない」
ルークの態度に気を悪くするでもなく、少女はニコニコと笑ってルークの頭を優しくなでた。
「やめろってば。ったく、どいつもこいつも……」
鬱陶しげに少女の手を払い、ほんのりと頬を赤く染めて顔を背けているルークに彼女は口元に手を当ててくすくすと笑っていた。
窓の向こうを見れば今も吹雪が収まる気配はなく、吹き付ける風が窓をガタガタと揺らしている。
見たこともない光景に目を奪われて、ルークは無言でその光景を見てた。
「なぁ、ここっていっつもこんな感じなのか?」
「そうね、おおむねこんな感じよ。いっつも雪ばっかりで嫌になっちゃうわ。
こんなところに閉じ込められて、外にも出られないんだから。
ね、ねっ! なにか話してよ。外はどんなところだった??」
「お前も軟禁されてるのか??」
ルークはなんともいえない表情をして、少女のきらきらとした顔を見た。
彼女は困った顔で首をひねって、うーんとうなった。
「うーん。まぁ、結果的に言えばそうなるのかなぁ」
「ふーん、お前も大変だな」
「まぁ、自分で選んだ道だしね。あの子のおかげでここからでも外が見えるし、まあ意外と退屈しないわ」
「そんなもんなのか? よくわかんねーけど」
「そうそう」
彼の疑わしげな言葉に対し、彼女は朗らかな笑顔を浮かべてそんな風に答えた。
ルークはぎこちない語り口でこれまでの旅のことを話していた。
剣を見つけたこと、森の中で出会ったこと、街であったこと………。
少女は退屈する様子もなく楽しげに相づちを打って、先へ先へと話を促す。
わいわいとにぎやかに言葉を交わして、ポットの中身はすでに空っぽで、おかわりを入れようかと少女は席を立った。
と、何かに気づいたようで窓の向こうをじっと見た。
「ん? なんかあったのか?」
「そろそろ朝みたいね」
「え? そうなのか??」
ルークはきょときょとと周りを見渡し首をかしげた。
「ほらほら、早く起きないと」
「え? ええ? そんなこと言ったって……」
うろたえて途方にくれたように少女を見た。
彼女はその様子を見ているだけで、何をするでもなく笑ってた。
「ふふっ、ほらよく耳を澄まして……」
「耳を澄まして?? わかんねーよ」
「早く目を覚まさないと大変なことに……」
「大変なことにって何だよ!! なぁ!」
「とっても大変なことになるわよ」
「え? えええ??? だから一体何が………ぶふぉっ!」
目を覚ますと縞模様の塊が視界を占領していた。
口の中は毛だらけで、あごが外れそうなほど抉じ開けられてもぞもぞしている。それもそのはず、仔ライガが口の中に頭を突っ込もうとしている。
「ぼふぁ!! おいこら! なにしやがる!!」
仔ライガはあわてて逃げ出した。
その様子をすでに目を覚ましていたイオンが困った顔で見ていた。
「おはようございます、ルーク」
「お、おう。おはよう」
どうにも気まずく、顔を背けてそっとあいさつをした。
「おやおや、朝からずいぶんと情熱的ですね」
「ルークおはよう。ほら、起きたのなら早く準備してちょうだい。
早くしないとおいてくわよ」
「うっせ、わかったよ」
「ご主人様おはようございますですのー」
「あぁ」
しぶしぶと毛布をはねあげて、ぐいんと背伸びをした。
すでに野営の跡は綺麗に片付けられて、ジェイドはにぎやかに騒いでいる彼らを観察していた。
「さて」
ミュウを怒鳴りつけているルークをじっと見てあごをなでた。
「なんだよ」
ルークはじっくりと観察されてるのに気がついて、ムッとした表情でジェイドをにらんだ。
「いやぁ、どうしましょうかねぇ。不確定要素を取り込むのはちょっと避けたいのですが、戦力不足ですし贅沢はいってられませんかねぇ」
「ど、どういうことだよ」
「人を殺すのは怖い」
「っつ!」
「そうですよね?」
ルークはきつく唇をかみ締めてうつむいた。ミュウと仔ライガは心配げに彼を見上げている。
「あなたがどうしてもというのであれば、私とティアが戦闘を勤めるという形でもかまいませんが、どうしますか??」
「……戦う」
「ルーク、無理しなくてもいいのよ?」
ティアは心配げに言葉をかけ、ジェイドも探るようにルークを見ていた。
「うるせー!! 戦うったら戦うの!」
あちらこちらからの心配するような視線に苛立って叫んだ。
そして、ティアをギロッと見て指差し、怒り混じりに言葉をぶつける。
「だいたいな、前に言っただろ? 責任とって俺を屋敷に連れてく代わりに、俺がしっかり守ってやるってティアにもア……」
「あ?」
「あー!!! もう、この話はもうおしまい!! とっとと行くぞ!」
ルークは焦ったようにまくし立て、ぐんぐんと前を歩き出した。チーグルの仔と仔ライガはその後ろをあわてて追いかけていった。
その姿をジェイドは興味深げに見ていたが、やれやれと肩をすくめて歩き出した。
ティアは途方にくれたようにその場で立ち尽くしていたが、イオンに促されて彼らの後についていったのだった。