カツカツと靴音が壁に反響している。
放棄されたその屋敷は、使われていた状態のまま放置されて、粗雑に積み上げられた書類がそのまま崩れて床に散らばっている。
ひび割れたティーカップが机の上に放置され、カビの生えた紙袋がそのそばに投げ捨てられていた。
そんな場所に男が一人、不審げに施設内を観察しながら歩いている。
ひび割れた窓から光が差しこんで、床から舞い上がるほこりが白く輝いて男の赤く長い髪を照らしていた。それはまるで燃え盛る炎のようで、手を触れれば火傷してしまうのではないかと思わせた。
いつからそこは放棄されていたのか、何もかも薄黒くほこりを被っていて歩くたびに床から白い煙が立ちあがっていた。
男は不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、苛立たしげに何かを探すかのような仕草で周辺を見渡していた。
乱暴に周囲のものを持ち上げ、また投げ捨てては周囲に埃が舞い落ちる。
と、彼が壁に据え付けられた低い棚を探っていたところで、棚の影に隠れるようにして奇妙な溝が壁を這っていることに気がついた。
男が慎重に壁に手を添えて押し出すと、扉のように隙間が開いて真っ暗な闇が目の前に現れた。
カンテラをつけて慎重に壁の向こうをのぞくと、下へと続く階段を光が照らし出しだす。
彼はしばらく黙って闇の向こうを目を眇めて探っていたが、おもむろに階段へと足を踏み出したのだった。
薄暗い洞窟に髪の長い女性が両腕を鎖に括られて、身動きせぬままに壁にもたれかかっていた。
力なくうなだれて、顔にまとわりく長い前髪を払うことさえできない。
生きているのか死んでいるのか。
わずかに唇が振るえて、微かな吐息が漏れる。
以前は輝いていただろう瞳も、今は暗く曇ってしまって何も映してはいなかった。
唇は乾燥し薄皮がめくれあがり、肌は青白くやつれた細い肩からはぼろぼろの服が今にも滑り落ちてきている。服の隙間からは肉のない身体がのぞき見えていた。
虚空に水滴が反響し、そしてまた静寂が満ちる。
彼女はむなしくも虚無にとらわれて、空虚な時間をまどろんでいた。
何の前触れも無く、金属の擦れたような重苦しい音が響き彼女はゆっくりと濁った瞳を瞬かせた。
「だれ…?」
わずかに目をさまよわせて、彼女は見えない誰かに向かってか細い声で問いかけた。すえた空気が外の新鮮な甘い空気にかき混ぜられて、無意識の内に深く息をつく。
しかし、荒々しい靴音が壁を反響し打ち鳴らされると、おびえたように身をすくませキョロキョロと視線を泳がせた。
「おい、大丈夫か!?」
消え入りそうなかすれた声で、誰に問うでもなく彼女はつぶやいた。
「あなた、は、だれ?」
「アッシュだ、…お前、目が?」
「……わ、たし、は…………、ティア…グランツ………」
かすれた声で、そう答えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
青い空の下、壮大な草原を区切るように岩々が群れて立ち、ぽつぽつと隙間を這うように木々の葉がのぞき見えている。
風になびく長い髪をそのままに、男はそれらを無言で見つめて不敵な笑みを唇に乗せるとぐっと前に足を踏み上げた。
カツっと後方から乾いた音が聞こえて、音も無く長い髪が数本地面に落ちていった。男は上げた足をゆっくりと下ろし無言で後ろを振り向いた。
その頬には紅く線が走り、血がじわじわとにじみでている。
乱暴に傷口を手で拭いさり、風で乱れたその血と同じ色の髪を掻き揚げた。
彼は警戒する様子も見せず、だが油断を見せずに地面に突き刺さった何かに足を運んだ。
周囲に気を配りながら身をかがめて、男は突き刺さる矢を引き抜こうした。
しかし、それは硬く地面に突き刺さり抜ける様子がない。
改めて力を込めたところで、カツンとガラスが割れたかのような音を立てて真ん中から折れてしまった。
手の中で折れた先から砂のように崩れ去っていく様子を黙って見つめ、ぐっとその空白を埋めるように手を握り締めると、また視線を彼方へと送った。
「言われずともお前のマスターに危害は加えんよ、……今はな」
まるで誰かに聞かせるようにそう呟くと、彼はスイッと視線をはずした。
そして、今もどこかで泣いているであろうアリエッタに重要な用事を頼むため、その場から立ち去ったのだった。
「ルーク! そっちに行ったわよ!」
「おうよ!」
ルークはティアの声を受けて、横から跳ねるように近づいてくる魔物から軽く後方に跳ね飛んで距離をとった。
大きな蛙のような魔物――ゲコゲコは、ヌメっとした身体を大きく揺らしながら近づき前足を振りかぶる。
軽々とそれをかわしたルークはグロテスクな魔物の顔を見て、うげっと顔をしかめてさっさと倒してしまおうと剣を構えなおした。
ゲコゲコはギョロっとした大きな目を向けて、目の前の獲物を捕らえようと身体を揺らし、ゆっくりとにじり寄っていく。
「はっ!」
まっすぐに打ち込まれた刃は魔物の弾力のある皮膚に阻まれ、跳ね返ってしまう。ルークは戸惑うことなく剣が上に跳ね返るに任せ、勢いをそのままに上空に飛び上がり魔物の脳天に足を勢い良く振り下ろした。
「崩襲脚!」
表情のない目を揺らめかせ、ゲコゲコは仰け反るように後ずさった。
ルークはさらに追撃をかけようと踏み込んだ瞬間。
「はい、前方にご注意を! エナジーブラスト!」
突然、彼の目の前で魔物を巻き込むように地面が爆発した。
「うおわ! ちょ、あぶねぇー!!」
驚いて後ろを振り向くと、ジェイドが余裕の表情で最後の魔物をさっくりと槍で突いて止めを刺していた。
「おい、あぶねぇじゃねぇか!」
「いやぁー、ついうっかり」
「うっかり、じゃぬぇえー!!」
はっはっはと白々しく笑うジェイドへ噛み付いた。
「それに、しっかりと味方識別 (マーキング) をつけてありますから譜術に巻き込まれることはないはずですしー」
「あ、そっか…っていうわけねぇ!
爆風で石が飛んできたぞ!」
「あははー、それはそれは。すいませんねぇ~」
「うがぁ! こいつむーかーつーくぅ~!」
ジェイドは一欠けらも堪えた様子もなく笑ってルークの苦情を聞き流し、メガネを直しながら周囲に目を配った。
周辺の草むらには、先ほど倒した魔物たちの死骸がまだ音素に帰ることなく横たわっている。
仔ライガのホリンは小走りにそばに近づき、それらの死骸を興味深げに見てそっと鼻を寄せて匂いを嗅いだり、前足で突っついたりしていた。
その様子に気づいたティアはあわててホリンのそばに駆け寄り、軽やかに抱き上げて、ちょっと怖い表情をしてメッと叱った。
「こら、だめよ……。あ、こら!」
しかし、ホリンはティアの腕の中で落ち着きなく周囲を見渡したあと、するりと彼女の腕の中から抜け出した。
すばしっこい動きでルークの足元に近寄ると、ちょこんと座り込み明後日のほうを見て大きなあくびをしている。
ルークはすっかり毒気を抜かれた様子で、足元にいるホリンを見たあとしゃがみこみこんで頭をくしゃくしゃっと乱暴になでた。
「あー! ホリンさんばっかりずるいですのぉー」
それを見たミュウは嫌々するようにリボンのような耳をぶんぶんと振り回して、飛び跳ねるようにルークに飛びついた。
そして、ホリンをなでていた腕にしがみつく。
「うおわっ! 何だよ急に!」
「ずるいですの! ずるいですの!」
驚いた様子でルークは張り付いたミュウを振り払おうと、ぶんぶんと腕もミュウも分裂しそうな勢いで振り回した。被害を受けないようにホリンはひっそりと足元から離れて座り、マイペースに顔を洗っている。
その様子を微笑ましげにイオンが見ている横で、ティアがキョトンとした顔でルークたちを見ていた。しかし、次第にミュウの声が悲しげな悲鳴に変わってきていることにあわてて、ルークたちのそばに駆け寄った。
「ちょっと、ミュウが可哀想よ?」
「なんだよ、先に手ぇ出したのはこいつだぞ?」
手を振りまわすのを止めてルークは口を尖らせて答える。
ぺちゃんと腕から落っこちたミュウをティアはそっと抱き上げ、宥めるように優しく頭をなでた。
「だからってそんな乱暴にしなくても」
「なんだよ、そいつに肩入れすんのか?」
「もう!! そういうことじゃなくて!」
「はいはい、お二人ともそこまでにしておきましょうね。
時間は有限なんですから」
ジェイドはもうすっかり手馴れた様子で二人の言い争いに水をさすと、イオンを促して先へと歩き始めた。
「ちぇー。わかりましたよぉーだ」
ルークはめんどくさげに誰に言うでもなく呟くと、顔を背けて歩き出した。
後ろから追いかけるように、彼の後ろについてを歩き出したティアだったがふと何かに気がついたかのように足を止め、遠くを眺めた。
強化した目が紫がかった煙を捕らえて、しばし何かを考えているかのように見えたがすぐに何事もなかったかのように歩き出した。
わずかに震える手をぎゅっと押さえつけて、小さくため息をついた。
「どうかしたか?」
「え? べ、別になんでもないわ」
「ふーん、ならいいけど」
そのまま、彼らは無言で荒れた道を歩く。
道は整備されないままに放置されおり、名前の知らない花が無秩序に咲き乱れ、あちらこちらに大きめな石が転がって歩行を妨害しようとしている。
穏やかなはずの風もわざわざ道の砂を巻き上げて、ほこりっぽい風を叩きつけ不愉快さを倍増させていた。
「ったくよー、いつになったらカイツールに着くんだか。
あーあ、シュッて行ってバッと帰れるような便利な術とかないのかよー」
「馬鹿いわないで。そんな“魔法”みたいなこと、そう簡単にできるはずないでしょ?」
「えー、つまんねぇなぁ。
……なぁ、前に言ってた超振動っていうのは?」
「無理無理!
いつどんなタイミングで発動するか分かっていないし。
上手く飛べたとしても、今度はいったいどこに転送されるかのか……」
「使えねぇ……」
「当たり前でしょ? こうやって怪我も無く喋っていられるのも奇跡的なんだから。もっととんでもないところに、とんでもない状態で飛ばされる可能性だってありえたのよ?」
「……とんでもないところって例えば?」
「例えば……、冬山の山頂とか、海中とか砂漠のど真ん中とか?
そうね、溶岩が燃え滾る火山の中へってこともありえるかしら。
まぁ、街の中に落とされることもあるかもしれないけど。全裸で」
「っぶ、なんでさ!」
「だって、超振動はありとあらゆる物質を分解し、再構築する現象よ?
再構築に失敗して、全裸で放置される可能性は十分あると思うわ。
よかったわね、全裸じゃなくて。
いくらなんでも、全裸だったらさすがの私も森の中に放置してたかも」
「……う、うっわー」
「全裸で街の中に転送されたら大変なことになってたわね。
いえ、街の人もさすがに全裸な人がふってきたら大変でしょうけど。
下手をしたら全裸のまま…っ」
『淑女が全裸連呼など、はしたないぞ』
どこからともなくりんごが飛んできた。
りんごはティアの頭にぶつかって、その勢いでルークの顔にぶつかり地面に飛んでいく。
さすがはアーチャー(弓兵)、弓兵の名は伊達じゃない。
ティアはそんなことを思いながらも、頭をさすってキョロキョロと視線をさまよわせた。
『アーチャー、酷い! 何するのよ!』
念話のままでティアはアーチャーに噛み付き、それをアーチャーは皮肉っぽい口調でかわしていく。
地面に転がっていったりんごにホリンが噛み付いているが、何故か歯が立たないようでウガウガと噛み付いたあとしょんぼりとりんごの前に座った。
怒り心頭といった感じで周囲を見回していたルークだったが、ホリンの様子に気がついて、りんごを取り上げマジマジと凝視した。
すると、疲れた様子のティアが取り上げてりんごを見つめる。
「何もわざわざ強化の魔術をつかわなくても…」
聞こえるか聞こえないかの小さな声でそう呟くと、りんごを指でピンッとはじいた。
小さくピシッと聞こえた気がして、ルークは小さく首を傾げた。
ジェイドは急に振り向いて、ティアの手にあるりんごを見やり興味深げに目を細めた。
「おや、りんごなど持ってどうかしましたか?」
「あぁ、さっきどっかから飛んで…ぶっ」
「いえ、ホリンにあげようかと思ってついさっき袋から取り出したんですよ」
ティアは手にしたりんごをルークに押し付けて、にこやかに答えた。
「おや、そうでしたか?
……りんごなんて仕入れていましたっけ?」
「まぁ、女性の荷物を探ろうなんて無作法ではありません?」
「いやぁー、あいにく私は軍人ですし。
それに、そういう作法というものからはめっきり縁遠くなってしまって」
「あら、それはそれは。
この旅が上手く終われば、位の高い方々を相手にする機会がもっと増えるでしょうし、いまから心がけておいたほうがよろしいのでは?」
ルークは笑顔で花火を散らす二人を戸惑った様子で見ていたが、しだいにどうでもよくなってしまい、彼らのそばからそっと離れた。
そして、困った表情を浮かべ彼らを見ているイオンのそばへと避難する。
ちょこちょこと駆け寄ってきたホリンが、ルークの持っているりんごに目を輝かせてルークの足に前足をかけて立ち上がったり、クルクルと落ち着き無く足元を駆け回った。
ルークは戸惑ったようにりんごとホリンを見ていたが、「ホリンにあげるのではなかったのですか?」とイオンに問われ、ムッとした様子で眉をひそめた。
すると、なぜかティアがジェイドと会話しながらも流れるような動作でダガーを押し付け、「よろしく」と笑顔を浮かべた。
そして、ルークが文句を言う暇もなくジェイドとの会話にまた没頭し始めてしまう。
「いえいえ、そういうのは適材適所が一番ですから。
ティアさんこそ、どうなんです?
今回の件でずいぶんとキムラスカに借りが作れたのでは?」
「そんな、そんなものはありませんよ」
「ふーん?」
ジェイドとティアの会話をよそに、ルークはしぶしぶ不器用な手つきでりんごに刃を当てたが、手元をじっと見つめているイオンに気づき手を止めた。
「イオン、やってみるか?」
「え、いいのですか?」
「別にいいけど使えんのか?」
「失礼な! それぐらいできます」
「ほんとか? ……ならいいけど」
「ほんとです!!
えーっと、こうやってこう……、っく! このこの!」
「おいおい」
イオンはその場に足を止めて、不器用に不器用を重ねたような手つきで、イオンはりんごの皮を剥こうとした。
しかし、それは皮を剥くというより抉り取ると言った方が正解で、見る見るうちにりんごのふくよかな身体は細くなっていく。
その様子に、ルークはあちゃーと頭を押さえた。
そして、懸命にりんごの皮をむしっているイオンの下では、ホリンが落ちてくるりんごの破片を拾って食べていた。
辛うじて手を切らずにりんごの皮を除き、ほらと足元で顔を洗っているホリンに差し出したが、皮の部分で満足してしまったのかプイっと顔を背けて欠伸をした。
イオンはしかたないなぁと苦笑を浮かべ、心配そうに見ていたミュウに手渡したのだった。
「……良い家の男性に紹介してもらうには良いチャンスなんじゃないですか?
“魔法”よりは白馬の王子様の方が現実的ですし」
「余計なお世話です」
「あー、それはそれは……。ところで」
ジェイドは今思いついたといった風に足を止め、冷静な表情を崩さないティアの顔を見た。
「もう一人の方はいつ紹介していただけるのですか?」
「……さぁ、なんの話でしょうか」
先を行っていたルークが驚いた様子でこちらを見ていたが、ジェイドが視線をやるとクイッと目をそらしてしまった。
「お、あれあれ! あれ海だよな!!」
そして、大仰な仕草で海を指差して、イオンを引きずって歩き出した。
「ま、いいでしょう。……敵対するのであれば容赦はしませんが。
ルークー! そっちは逆方向ですよ」
「まじか!」
『やれやれ、怖いな』
『えぇ、でも確証を持ってるわけではないようね。
悪いのだけれど、なるべく離れて監視してもらえるかしら』
『いいだろう、ティアも気を抜かずに』
『言われなくても』
密やかに外に響くことのない声で語り合い、ティアは先を行く皆を追いかけて歩く速度を早めたのだった。