ルークは激しい怒りに突き動かされたまま、後から追いかけてくる声にも耳を貸さず、ティアの手をひっぱってずんずんと門に向かって歩みを進めていた。
門前の兵士が僅かに顔を強張らせ、こちらを注目しているのも気に入らず、ルークはさらに歩調を早めた。
「ルーク、ちょっと!」
「うっせぇ!! いいからとっとと行くぞ」
ティアは慌てふためき彼を留めようとするが、ルークが余計にムキになって引っ張るせいで、引きずられるような状態になってしまっていた。
時々地面に落ちた小石などでつまづきかけ足取りを乱れさせ、それでも引きとめようと試みるが、彼の怒りに圧されてかけるべき言葉を見つけられずにいた。
しかし、このままでは不味いだろうと思ったティアはしゃにむに腕を振りほどいた。ルークは拗ねた顔でティアを睨むと、彼女は困ったように眉根を寄せてルークを見た。
「……ルーク。何をそんなに怒ってるの?」
「何っておまえなぁ……。
あんなこと言われてムカつかないのかよ」
イライラと地面を蹴り飛ばし、まだ言い足りないとばかりに不満をぶちまける。
「あぁ、そんなこと」
ティアは軽く肩をすくめて、澄ました顔で答える。
「別にかまわないわ。
怪しいと思われてしまうのも、あなたの身分を考えればしかたのないことよ」
「はぁああぁ? なんだよそれ、ばっかじゃねーの?」
ルークの苛立ちのこもった言葉も軽く流し、ティアは「そんなことより」と言葉を続ける。
「それよりも旅券をなんとかしなきゃ。
えーっと……」
厳しい目でこちらを観察している兵士を確認し、ティアは困惑気味に虚空を見つめた。
自分だけであれば、少なくとも一緒にいるのがルークだけであれば、魔術を使って強引に突破することも可能だったろう。
しかし、同伴者にマルクトの軍人やローレライ教団の要人がいるとなっては話が違ってくる。
ただでさえ怪しまれているというのに、これ以上の失点を重ねるわけにはいかない。このままでは今後の活動にも影響が起きるかもしれないのだ。
……とてつもなく不本意なのだか。
ティアは不機嫌そうなルークから、冷徹な瞳を笑みで隠してこちらを観察するジェイドへと視線を移した。
正直なところあまり借りを作りたくはないのだが、国家権力が相手となると手に余る。
なによりも彼の安全と確実な道筋を。そう心に決めて、ティアはジェイドと今後の方針を相談するために、彼の姿を探して来た道を振り向いておずおずと口を開いた。
門前で繰り広げられている騒動を冷めた目で観察している影があった。
男は検問所の屋根の上から無感動に見ていたが、自分を鼓舞するように肩に落ちる血のような赤い髪を掻き揚げ、屋根の隅に足をかけた。と、ほんの一瞬動きを止め、口元に挑戦的な笑みを浮かべる。
「ハッ、やってみろよ。……できるもんならな」
こちらを監視する殺意の混じった視線の主にそう呟くと、勢いをつけてその場から飛び降りた。
反転した風景が痛みに潤んだルークの瞳に辛うじて映ってた。
その間にも土を蹴る音、何かが風を切る音、悲鳴や叫び声が次々と耳を打つ。
何が起こったのか思い起こそうとする合間にも、事態は次々に変化して混乱が更なる混乱を彼にもたらしていた。
ティアにつないだ手を振り払われて、ルークを置いて彼女はジェイドたちと(彼にとっては)退屈でつまらない相談を始めたのだ。それで、結局いつもの通りに仲間はずれにされて、むしゃくしゃした気分で地面を蹴ったりミュウに怒鳴り散らした。今後の方針を話し合っている彼らの後ろ姿を、不倶戴天の敵とまでは行かないまでも、それに近い苛立ちで睨みつけた。
我慢できずに文句をつけようと口を開こうとしたとき、急にティアが振り返って悲鳴のような呼び声を上げて駆け寄って来た。
「ルーク、上! 避けて!」
ルークは突然のことに泡を食って周りを見渡して、視界の隅に黒い人影を捕らえた。上空から流星のごとく白刃は陽光を反射させ、計ったように緻密に彼の頭を狙いを定めた。
「―――後悔する前に死んでおけ」
あと数秒でそれは彼を捕らえるかと思われた。が、ルークは悲鳴を上げつつも辛うじてその場に転がり刃を避ける。
ティアは襲撃者を視界に捕らえた瞬間、一瞬立ち止まると何事か呟いて、杖を構えさらにスピードを上げて襲撃者へと突撃する。
襲撃者にとっては、刃が避けられたことさえも計算のうちだったか、眉をひそめることなくそれどころか口元を緩めて、確実に仕留めるために剣を振り上げた。
しかし、ティアがそれをさせるまいと、無謀にも襲撃者とルークの間に割り込もうと近づいた瞬間、襲撃者はルークから目を離すこともなく、ルークに振り下ろされるはずだった刃の軌跡が、振り払うようにティアへと吸い込まれていく。
辛うじて、杖はその斬撃を受け止めたと思われた。だが、それ相応の強度を持っているはずの杖は弓のように撓み、両方の手に杖が食い込んで肉を抉った。ティアはそのまま木の葉のように宙を舞い、地面に叩きつけられるかというところで体制を建て直すと、強引に地面に着地する。
両足は地面を滑り、土煙が舞い上がってズボンのすそを土で汚した。
支えに使っていた杖を再び構え、厳しい目つきで標的を捉えると躊躇いも無く詠唱を開始した。
ルークが呆然と地面に転がっているさまを襲撃者は鼻で笑う。
馬鹿にされたようで思わずムッとしたのだが、慣れることのできない殺意を伴った視線を受けて、ルークは怯んでしまった。
どうしてこんな目にあっているのか理解できない。恐怖と混乱が彼の手足を凍らせていたが、それでも迫り来る刃が視界に入った時、闇雲な焦りが無理やり彼を駆り立てる。
その場にへたり込んだまま、後ずさりざまに土を投げつけ、怯んだ隙にその場から飛び退って剣を抜き払った。
しかし、ルークが剣を構え防御するよりも、ティアが術の最終節を読み上げるよりも、男が狂刃を振り下ろす方が早いかと思われた。
もうダメかもしれないとルークの心に諦めがよぎった瞬間、黒い影が目の前を覆った。
彼の目に映ったのは、灰色の長袖服に肩部に特徴的な飾りの付いた白いマントを羽織る、彼が一番信頼している憧れの背中。ルークを庇うその広い背中は頼もしくも懐かしい。
襲撃者の一撃はヴァンによって防がれ、鋼がぶつかり擦れあう音が広場に鳴り響く。
「アッシュ! いったいどういうつもりだ。
私はこのようなことを指示した覚えはない!」
介入を受けて状況は不利だと悟ったのだろうか、男は素早く身を翻してその場から走り去っていく。それはもう、とんでもないスピードで、どれだけ響律符をつけているのか、一瞬砂煙が巻き立つほどであった。
ヴァンはルークが今まで見たことがない険しい表情を浮かべ、何も言い残さずに去っていった部下の後姿を見送っていた。が、すぐに意識を切り替え、
その場で固まっている自分の弟子にむかって優しげな笑みを見せた。
「ルーク、今の避け方は無様だったな。
ふっ、しかしずいぶんと泥臭い戦い方を覚えたな。
外の世界はずいぶんと刺激的だったと見える」
「ちぇー、会っていきなりそれかよ」
ルークは剣の師匠でもあるヴァンの言葉に口を尖らせた。
だが、そんな言葉とは裏腹に心が喜びに沸き立つのをとめられない。
道中で良くない噂をイオンから聞いたりして、師匠のことだから大丈夫だとは思っていたが、無事に会えて(それもピンチをかっこよく助けてくれた!)ホントに良かった!
使うことのなかった剣を鞘に収めつつ、こっそり安堵のため息を吐いてから、ルークはヴァンに笑顔を見せた。
子犬がじゃれかかかるように、彼は次々と質問を投げつけた。
「師匠はどうしてここに?
あ、もしかして俺のこと探しに来てくれたんですか?」
「あ、ああ。もちろんだとも。
イオン様もご無事でなにより。
――というには、ずいぶんと仰々しいお連れの方がいるようですが」
ヴァンはわずかに逡巡を見せたのち、すぐに何事も無かったかのようにうなずきを返した。そしてすぐ後ろのイオンたちへと、うやうやしく声をかけた。
ティアは唇を噛み、その場に立ち竦んでいた。
あれこれとお互いの近況を話し合うルークたちを気にかけつつも、先ほどの一幕、襲撃者のことが気にかかってしまい、意識を切り替えることができずにいる。
――たしかにあれは、でもどうして?
思い悩むティアをよそに、かりそめの和やかさで再会の挨拶や軽いお互いの紹介が進む。
男らは各々の思惑を隠しつつ、上っ面だけ穏やかな会話に勤めていた。
と、ヴァンが今ようやく気がついたといった白々しさで声を上げる。
「あぁ、ティアこんなところで会えるとはな。
お前も無事で何よりだ」
「え、えぇ。そう、そうですね」
ティアはほんの一瞬だけ視線を彷徨わせ口ごもっていたが、開き直った笑顔でヴァンに笑いかけた。
「貴方の部下が色々と邪魔してくださったお陰で、面倒なこともありましたけど。カーティス大佐や導師イオンにはホントに助けられましたとも。えぇ、ホントに」
「むっ。いったい何の話かな?」
「えぇ、どうしてマルクトの艦を六神将が襲撃したのか、教えて欲しいものですね。ローレライ教団神託の盾騎士団首席総長殿?」
と、横で聞いていたルークがティアの腕を強引に引っ張った。
「おい、何言いたいんだよ。
もしかして、ヴァン師匠がやったとか馬鹿なこと言い出すんじゃねーだろうな」
ティアはルークの腕を強引に払い、ルークの顔を睨みつけた。
「ルークは黙っててよ」
「はぁああ!? なんだよそれ!
師匠があんなこと指示するわけねーだろ、謝れよ」
「はっ、どうだか?!」
「ま、まあまあ。お二人とも落ち着いて」
イオンは引きつった笑みを浮かべて睨みあう二人に割って入った。
そんな彼らをヴァンは怪訝な顔で眺めていたが、すぐに取り繕い悠然とした笑みを浮かべてイオンに声をかけた。
「こんなところで立ち話をしているのもなんですな。
イオン様、近くで宿を取っていますので、そちらのほうで詳しい話をお聞かせいただけますか」
「え、ええ。もちろんです」
一触即発といった風に睨みあうルークとティアを窺いながら、イオンはヴァンの提案に肯いた。
*******
それはまるで世界から切り取られたかのようだった。
マルクトの西ルグニカ平野、エンゲーブの村から北に位置する森でのこと。
夕暮れの森は血のように赤く染まって、すべて死に絶えたかのような静寂を身にまとっていた。時間と共に光は闇にその場を追われ、滲むように森は闇色に染まっていく。
死者の世界を思わせる森を進む人影が一つ。
世を儚む世捨て人か、はたまた真理を探し続ける隠者か。それとも闇に隠れ世界を呪う影の住人なのか。
それは菫色の長いコートを羽織り、深く被っているフードのせいで顔は見えない。ただ、袖から覗く細い手首と身体つきなどから、おそらくは女性ではないかと推測できた。
周辺の異常を特に気にかける様子もなく、それどころか森に潜む魔物の存在に怯える様子もなく、静寂に沈んだ森を進んでいく。
時折、何かを思い出すかのように、また何かに想い沈むかのように足を止めつつ、迷いない足取りで目的地を目指していた。
幾分かあとに見つけた、魔物ではなく人間の足跡(それも複数の)を目印にして踏み荒らされた道の先を進み、荒れ果てた魔物の住処に足を踏み入れた。
その巣穴は無造作に踏み荒らされ、枯れ枝や藁などが地面に撒き散らされ打ち捨てられている。
一瞬立ち止まり、しかしすぐに中心に向かって歩き出す。
獣臭さに混じって何かが腐ったような異臭が鼻を突き、女は思わず手で鼻を覆う。そこには場違いな真新しい布が、何かを覆い隠すようにかぶせられて、小山のように膨らんでいた。
布は割合大きめであったが、残念ながらそれの全体を覆い隠すことはできていなかった。
布からはみ出したその魔物、ライガ・クイーンの足が未だ形を保ったまま、しかし未だ音素に帰らぬまま、無残に屍を晒している。
ためらいも一瞬のこと、しばらくの間、女は冷静に屍骸の周囲を観察していた。女の足元から黒い影が滲み出るように広がり、住処の暗闇はさらに闇を深く禍々しく地面を覆い隠す。
そして、その細腕が禍々しい黒い宝玉の杖を振り上げ、ライガクイーンの屍に振り下ろすと、硝子が砕け散ったかのような乾いた音と共に屍骸が霧散し、膨大な光が周囲に広がった。
瞬間、足元に広がる黒い影から黒い獣が飛び出し、その光を貪欲に食い荒らしていった。光を飲み込むたびに獣の身体は色を帯び始めて、それは闇と死者の黒から命を内包する生者の色彩へと変貌を遂げていった。
光の名残をすべてを呑みこんでしまうと、獣は大きく身体を震わせてゆっくり周囲を睥睨し、女を視界に入れると張り裂けんばかりに大きく吼えた。
獣は白い牙を剥き出しにして、女の細い首に齧りつかんと躍りかかる。
牙と爪が女のすぐ目の前に迫った瞬間、獣の身体は何かの力に押さえつけられ、地面へと叩きつけられた。
地べたにはいつくばり平伏の姿を強制されながら、その瞳は憎悪と叛意に燃え猛り、機会さえあれば己の牙で女の細い身体を抉り臓物を撒き散らさんと狙っていた。
それを知りながらなお、女は恐れるでもなくその場に佇んでいた。
薄い唇を開き、呟くよう語りかけた。
「……ゆるしてあげてとも、ゆるして欲しいとも言わない。
ならば、他の誰でもなく私を恨みなさい。
それが貴女の最後の権利であり、私に科せられた義務だから」
訝しげに低く唸っている獣を見下ろして女は囁く。
「でも、それでも……。いいえ、これ以上は言い訳になるわね。
さぁいきましょうか。世界に終末が訪れる前に」
闇が去った後、平穏を取り戻した森に星空がきらめいていた。