ライガクイーンの住処から遥か遠く、木々を挟んで肉眼では目視できない位置にアーチャーは立っていた。
太い枝の上に立ち、鷹の目を光らせてその獲物を確かに捕らえている。
アーチャーは弓を構えて100分の1秒も目を離すことなくその姿を見据えていた。
己のマスターを含む3人がその魔物に近寄るのを確認して、思うままに振るまえない自分に歯噛みした。
交渉などリスクが高すぎる。どこかに行って下さいと言って素直に従うなど、楽観的にもほどがあるぞ。あの導師はいったい何を考えているのだ?
ままならない状況に苛立ちつつも、マスターの指示が飛ぶのをただひたすらに待ち続けていた。
ルークは唸り声を上げているライガクイーンを見上げていた。
優雅にさえ見える毛並みは激しく逆立って、白い牙をむき出しにして今すぐにでも襲いかかってきそうだ。
その威圧感に思わず剣の柄に手が伸びる。
ティアもすぐにでも詠唱を開始できるようにと、すでに杖を構えていた。
「ミュウ、ライガ・クイーンと話してください。
私たちは交渉しにきたのだと」
イオンは武器を構える二人を制して、前に出て通訳するようミュウを促した。
元気に返事をしてミュウはライガクイーンに近づいて、まくし立てるように鳴きだした。それを見てルークはなんとも嫌そうな顔をして、ティアは顔をすこしほころばせている。
ライガクイーンはゆっくりと身を起こすと卵を守るように前に出た。
懸命に何かを話しているミュウを睨みつけ、振り払うように咆哮をあげた。
ミュウは風圧に弾き飛ばされ、それをあわててイオンが抱きとめた。
「いますぐ去れって、卵が孵化するところだから来るなっていってるですの」
「まずいわね、卵を守るライガは凶暴性が増すはず。
イオン様! いったん撤退して軍に援軍を要請しましょう」
「はぁ? まじかよ」
「卵が孵ればライガの仔らは大挙して街に襲い掛かるわ。放っておけばエンゲーブの街丸々一つが消滅しかねない」
「いけません! ミュウ、ライガクイーンにお願いしてください。
この土地から立ち去ってほしいと」
「みゅ! みゅうみゅうみゅ………みゅーーー」
猛々しい叫びを上げて女王は前に歩み出る。
ミュウは泡を食って逃げ帰ると、切羽詰った風に訴えた。
「みゅー、ふざけるなって言ってますのー。
ボクたちを殺して、孵化した仔どもの餌にすると言ってるですの」
「そんな!」
「イオン様お下がりください!」
ティアは唖然とするイオンの腕を引いて彼の前に立った。
横にいるルークも剣を構える。
「おい、こんなところで戦ったら卵が割れるんじゃないのか?」
「かまわないわ、早いか遅いかの差よ」
「なんだよその言い方!」
「放置して孵化させてしまえば飢えたライガが街を襲うわ。生まれてくる仔らに罪は無いけど、もうしかたないわ」
「はぁ? 意味わかんねーよ!」
「来る!」
ティアはイオンにもっと後ろに下がるように指示すると、襲い掛かってくるライガの前面にシールドを展開した。
まごつくライガを睨みつけ、即座に離脱して横面から目を狙ってダガーを投げつける。
シールドを前足で叩き割ってダガーを避けると、激しい咆哮を上げ雷撃が上空から降り注いだ。
命からがら雷撃を避けたルークは、ティアに向かって飛び掛るライガクイーンを見て心臓を縮み上がらせるが、再び展開したシールドで防いでいるのをみてホッとすると、ライガクイーンに飛びかかった。
ライガクイーンの背面に勢いよく剣を振り下ろすが、強固な毛皮に跳ね返されてその衝撃で後方に跳ね飛ばされた。
『ティア』
と、どこからともなくアーチャーの呼び声が聞こえた。
『なに? あなたの出番はまだよ。導師がいる前であなたを使えない』
焦りを滲ませてティアが念話で答えると、苦笑交じりで返事を返す。
『まぁ、それもあるが。後ろ、観客が来てるぞ。
……ふむ、どうやらこの演劇は強制終了のようだ』
何を感じたのか、ティアは術式を放棄してその場を飛び退った。
「インディグネイション!!」
上空から激しい雷撃が降り注ぎ、ライガクイーンは黒い煙を上げながら倒れ伏した。その衝撃で土煙が上がり沈黙が降り注ぐ。
「ジェイド!」
イオンのその言葉にルークとティアは構えをといた。
「ご無事ですか?みなさん」
ジェイドはメガネを押さえて、ことさらに明るい笑顔を浮かべた。
言葉を交わしているイオンとジェイドを横目に、ティアは卵が置いてあるライガの巣に歩み寄った。いくつかはすでに割れているが、運がいいのか悪いのか一個だけ割れずにそのままの姿で残っている。
ティアはそれを見ると顔を歪めたが、すぐに息をついて杖を振りかぶった。
と、その後ろからルークが腕を掴み取り、乱暴な仕草で引き止めた。
「なんてことしやがるんだ!」
「止めないで!」
「やめろよ、せっかく割れずにすんだのに」
「さっきも言ったでしょ!残しておいたら、あとあと酷いことになるわ」
「だけど!」
「あなたね、生かしておいてその後のことを責任取れるの? できもしないくせに横から口出ししないで」
「ふざけんな。この冷血女!」
言い争う二人の横で、ピキピキと卵に亀裂が入り中から何か打ち付けるような音が聞こえてきた。
それにも気づかず二人はいい争いを続けていた。
横でおろおろしながら見ていたミュウは、それに気づいて恐る恐る卵に近づいていった。
と、卵から突き破るように縞模様の顔が卵の殻を突き破った。
ミュウはびっくりして逃げ出そうとしたがそれよりも早くに卵がバランスを崩して倒れるようにミュウの上にもたれかかる。
哀れミュウは卵の殻と生まれたてのライガの下敷きになってしまった。
「みゅーーー!」
生まれたてのライガはミュウを興味津々の顔で見ていたが、おもむろに大きな口をあけてぱっくりと……するところで、ルークに救われた。
ルークはライガの首根っこを掴んでまじまじと見た。
さっきまで対峙していた女王に比べれば凶暴さなどかけらもなくて、くりくりとした目がルークを見つめている。
「ルーク、それを貸して」
ティアはダガーを構えて冷たい目で手を差し出したが、ルークは慌てて抱きしめて後ろに隠した。
「嫌だよ、ぜってーやだね」
「ルーク!!」
「だめだ!殺したらだめだ!」
「あなたね…」
「おやおや、まるで子猫を拾った子どもと母親のようですねぇ」
言い争ってる上から必要以上に朗らかな声が降ってきた。
ジェイドは二人を面白そうな目で見ている。
「いいんじゃないんですか? 彼が責任とって育てるって言ってるんですし」
「カーティス大佐!」
「苗字は呼ばれなれていませんから、ジェイドでいいですよ。彼が責任を取って引き取って育てれば何の問題もないんじゃないですか?
もちろんそうですよね?」
ジェイドは観察するようにルークを見てそう言った。
「あぁ、俺が責任とって育てるよ。それなら文句無いんだろ?」
「それは……」
ルークの言葉に心なしか身体を小さくしてうつむく。
「なら問題ないだろ? いいな?」
背中をよじ登りルークの赤い髪の毛をガジガジしているライガを撫でながら偉そうにティアに言った。
ミュウはそんな二人をおろおろしながら見ている。
「じゃあ、お話は終了ということで森から出ましょうか」
「駄目ですの。長老に報告するですの」
小さな身体を精一杯動かして、ミュウはジェイドに訴えかけた。
「魔物が人間の言葉を?」
「ソーサラーリングの力です。それよりも帰る前にチーグルの住み処へ寄ってもらえませんか?」
「いいでしょう。しかし、時間がないことをお忘れにならないように」
イオンの要請に頷いて、二人を見やると背を向けて歩き出した。
ルークたちもイオンに促されて、荒れ果て主を失った住処を立ち去った。
ライガの子どもはルークの頭に乗って、しっぽをゆらゆらとさせていた。
ティアはそれをチラチラと見ては、ハッとしたように目を背けていた。
しかし、誘惑に勝てなかったのかふらふらっと手を伸ばす。
それに気づいたライガは歯を剥き出しにして唸りだした。
ティアはしょんぼりして手を引っ込める。
「嫌われてやんのー」
ルークの言葉に反抗する気力もなく、彼女は弱々しい声でほっといてよと呟いた。
しばし二人は黙ったまま歩いていたが、ティアが突然何かに気づいたようで、周りを見渡すとあさってのほうに走り出した。
止めるまもなく奥へと走っていったと思ったら、片手にりんごを持って走りよってきた。
「生まれてきたばかりなら、おなかがすいてると思うわ。ぴったりとは言わないけど無いよりはましね」
ダガーを取り出してりんごを丁寧に切りだし、その切れ端をライガに差し出した。
ルークは思わずライガを隠したが、ライガは興味心身でりんごの切れ端を見ていた。匂いにつられてぱくりと噛み付く。
しばらく、しゃくしゃくとした咀嚼音が森に響いていた。
あちこちに果汁が飛び散って、ルークはいらっとした調子で文句を言った。
「きたねーな。髪がべたべたするだろ」
「我慢しなさい、責任取るんでしょ?」
「そうだけどよー」
そんな二人をジェイドは興味深げな目で観察していた。
チーグルの住処にて報告を済ませた後、一行は手を振って送り出すチーグルを背に歩き出した。
新しく仲間になったミュウも一行にまざり、時々振り返って手を振りつつ置いていかれないように懸命に足を動かしていた。
「ご主人様、待ってくださいですのー」
「あー、うっぜー」
ルークはまとわりついてくるミュウを振り払いながら、不機嫌そうに歩いている。ミュウは何を思ったのか、ルークを自分の主人と定めたようで、追放処分を受けている間はルークのそばを離れないと言うのだ。
とてもじゃないが彼には受け入れられない話だったのだが、周りの進めもあってしぶじぶながら受け入れることになった。
頭の上でもぞもぞ動くライガを支えながら、気だるげに歩いているとようやく森の出口にたどり着いた。
「ん? あいつお前の護衛役だよな」
先ほどライガの巣の中で、ジェイドに耳打ちされて走り去っていたツインテールの女の子が、森の出口でにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。
何故かライガが唸り声を上げ始める。
「えぇ、アニスです」
おかえりなさいと明るく少女が言う横から、マルクト兵が続々と走りよってきた。武器を構えてルークとティアを取り囲む。
「ご苦労様、アニス。タルタロスは?」
「ちゃんと森の前に来ちゃってますよ。大佐が大急ぎでって言うから、特急で頑張っちゃいました」
ルークがどういうことだと言い寄るのも無視して、前に立つマルクト兵たちに指示を飛ばした。
「そこの二人を捕らえなさい。正体不明の第七音素を放出していたのは、彼らです」
「ジェイド! 乱暴なことは……」
「ご安心ください、イオン様」
にっこりと笑って、ジェイドは答えた。
「何も殺そうというわけではありませんよ。お二人が暴れなければ……ですがね」
ルークは思わず黙り込み、ティアは厳しい目でジェイドを睨みつけていたが、二人とも武器を下ろして抵抗をやめた。
それを確認するとジェイドは連行するよう言い放ち、兵士たちは武器を取り上げて、縛り上げると乱暴にタルタロスへと連行してく。
ルークは無言で隣を歩くティアを見て、ぎゅっときつく拳を握り締めた。
お待たせして申し訳ありません…。