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時系列バラバラというほどでもないですがある程度現在と過去が入り混じってストーリーが展開する都合上、ネタバレを避けるため時間と各国の勢力範囲は異なる場合があります。
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第一話 ランス 聖王暦二一五年二月下 アルメキア王国/王都ログレス
城内に、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
就寝の支度を終え、そろそろ眠りにつこうかという頃だった。ベッドの上で戦術指南の本を読んでいたランス王子は、顔を上げ、小さく首を傾けた。鐘は、極めて短い間隔で鳴り続けている。これは、城内の者に危険を知らせるための警鐘だ。ランスがこの鐘の音を聞くのは初めてではない。月に一度か二度、非常時を想定した演習で鳴らされる。演習がある場合は事前に告知されるものだが、今回は何も知らされていない。もちろん、一国の王子であるランスが城内警備の演習に加わる必要もないから、必ずしも知らされるとは限らない。それでも、このような遅い時間に演習を行うのならば、さすがに知らせて欲しかった。鐘は鳴り続けている。これでは眠れない。
ランスはベッドを下りると、寝衣の上に厚衣を一枚羽織った。寝室の外では、ランス専属の親衛隊が四名、夜通し警備をしている。鐘の音の理由を訊き、少々音を抑えてもらうか、可能ならば演習を明日の昼間にでも延期してもらおうと考えていた。ランスは寝室の扉を開けた。
「――こ、これは王子」
扉を開けると、警備兵が姿勢を正し、右拳を握って左胸に当てた。このアルメキア王国に古くから伝わる、忠誠を誓う構えだった。
「騒がしいな。こんな時間に演習があるなど、聞いていないが」ランスは、警備兵の一人に言う。
警備兵は頭を下げた。「お騒がせして申し訳ございません。我々も、何も知らされておりませんでしたので、ただ今詳細を確認しております」
「そなたたちも聞いていないのか?」ランスは、目を丸くした。「まさか、賊でも侵入したのか?」
「いえ、まさか、そんなことはあり得ません。城内は、我々ランス様の親衛隊はもちろん、陛下や王妃様の護衛兵を始め、多くの近衛兵が警備に当たっております。まして今は、長らく前線で指揮を取られていたゼメキス将軍が帰国し、将軍の部隊も駐屯しております。間違っても、賊の侵入などありません」
「そうか……それならば良いが」
「演習でなければ、恐らく何かの間違いでありましょう。すぐに治まるかと思いますので、もうしばらくのご辛抱を」
「うむ、判った」
ランスは扉を閉め、ベッドに戻った。
鐘は鳴り続けている。
ランスは小さくため息をつくと、再び戦術指南の本を開いた。
この時。
ランスはおろか、城の警備を任されている兵士ですら、この警鐘を警鐘と思わず、演習か誤報だと決めつけていた。
故に、城内警備兵たちの行動は全てが後手に回り、結果、二百年に及ぶアルメキア王国の歴史は、一夜にして幕を下ろすことになる。
アルメキア王国は、フォルセナ大陸の中原に王都を構える、大陸随一の強国である。かつてはフォルセナの盟主として君臨しており、大陸各国の同盟が無くなった現在でも、周辺国に多大な影響力を持っていた。
昨年まで、北の大国・ノルガルドと長きに渡り戦闘を繰り返していたが、それは、アルメキアの王都ログレスからは遠く離れた地の出来事であり、王都内は、戦闘とは無縁の平和な日々が続いていた。
ランスは、アルメキア王・ヘンギストの一人息子だ。王位継承権は最上位。現在十四歳の少年である。
アルメキア王族の男子は十五歳で戦場に出るという古くからのしきたりがある。ランスは二ヶ月後の四月下に誕生日を迎えるため、恐らく一年以内には初陣を迎えるであろうと思われた。現在、それに向けての準備のため、剣の稽古や戦術の学習に余念がなかった。
もっとも、ノルガルドとの戦闘も一年前に終了し、周辺各国とも良好な関係を保っていたため、新たな戦争など起こる気配は無かった。よって、ランスの初陣は、形式だけの出陣式を行うだけと見られていた。ノルガルドとの戦闘を除けば十年以上大きな戦争は起こっていない。そのノルガルドとの戦闘も、決して大きなものではなく、常に王都から遠く離れた国境の外で行われていた。王都ログレスは、十年以上の平和に慣れきっており、争い事は、遠く離れた地の出来事であると思われていたのだ。
鐘はその後も断続的に鳴り続けている。もう、
突然、寝室の扉が激しく叩かれた。そして、ランスが応えるよりも早く、「失礼いたします!」と、薄茶色の鎧に身を包んだ男が入って来た。
ランスは、ベッドに座ったまま、戦術指南書から鎧の男に目を向けた。「どうしたゲライント、騒々しいぞ」
ゲライントと呼ばれた男は肩で大きく息をしながら片膝を付き、右拳を左胸に当て、頭を下げた。「申し訳ございません、ランス王子。城内に……賊が侵入いたしました」
「賊……だと……?」
先ほどランス自身が賊の侵入を危惧していたにもかかわらず、ゲライントの報告に耳を疑わずにはいられなかった。まさかこのログレスの城に賊が侵入するなど……。
「それで、状況は?」ランスは報告の続きを促した。
「現在城内の兵にて鎮圧にあたっております。王子は、念のため、城外へ避難を」
「避難? ゲライント、それはどういう意味だ? まさか、この城が落ちるとでも……」
「いえ! まさか! そのようなことは、決してあり得ません。あくまでも、念のためにでございます」
顔を上げ、否定するゲライント。しかし、その言葉とは裏腹に、顔には焦りの色が滲み出ている。ただ事ではなさそうだ。
「判った。お前の言う通りにしよう」
ランスはベッドから降り、寝衣まま部屋を出ようとしたが。
「――王子」ゲライントが止めた。「鎧を身に付け……剣を……携えてください」
重苦しいゲライントの声に、ランスは息を飲んだ。
ゲライントはランスの教育係であり、親衛隊の隊長も務めている男だ。かつては北の大国ノルガルドとの戦闘に参加し、数々の武功を収め、『百戦のゲライント』との呼び名で知れ渡った勇猛な騎士であったが、ランスが十二歳の誕生日を迎えた日を境に前線から退き、城内でのランス警護の任に就いた。ヘンギスト王も厚い信を寄せている男である。
ゲライントの言葉に従い、金色の鎧を身に付け、小剣を二本腰に携えたランスは、薄暗い回廊を奥へと走った。城の正面口からは遠ざかり、この奥は行き止まりになっている。しかし、ランスや、ゲライントをはじめとする親衛隊の一部の者のみが知る秘密の脱出口があるのだ。
回廊の両脇には、歴代のアルメキア王をかたどった石像が等間隔で並んでいる。その、奥から三番目の石像の前で、ランス達は立ち止まった。第三代アルメキア王。その台座部分には、水晶の球が埋め込まれている。
「王子、お願いします」
ゲライントに促され、ランスは小さく頷き、水晶球に右手をかざした。しばらくかざしていると、水晶球が薄い青の光を発する。続いて、石と石をこすり合わせる音と共に、石像が左へゆっくりと動き始めた。石像の台座があった場所に、下へと続く階段が現れる。水晶球には魔法の仕掛けが施されており、ランスが手をかざすことにより、脱出口が出現するのだ。
「――急ぎましょう」
ゲライントがランタンを取り出し、先導して階段を下りた。ランスも後に続く。ランスが階段を下りると、石像はまた元の位置に戻った。
通路は狭く、明かり取りの窓さえない。ゲライントの心細いランタンの炎だけが頼りだ。
階段を下まで降りると、通路はまっすぐ城の裏庭まで続いている。早足で通路を進むみ、やがて、上へと続く階段が見えてきた。階段の先には扉があり、中央に、入口と同じ水晶球が取り付けられてある。ランスが右手をかざすと、扉がゆっくりとスライドし始めた。脱出口は、裏庭の騎士の石像の下に通じている。
「ここまで来ればあと少しです。さあ、王子。早くこちらへ」
ゲライントは裏門に向けて走り出そうとしたが。
「……こ……これは……」
ランスは、目の前に広がる光景に愕然とし、その場から動くことができなかった。
そこに、ランスが物心ついた頃から慣れ親しんだ、荘厳華麗なログレス城の姿は無かった。
城は、いたるところから火の手が上がり、黒煙が夜空を覆っていた。壁が崩れ落ちている場所もある。城の中からは、剣と剣がぶつかり合う音、石壁が破壊される音、炎が燃え広がる音、自らを鼓舞するような声、怒声、笑い声、悲鳴、泣き声――様々な音が混じりあり、魔物の唸り声のように、城中に響き渡っている。これは、決して賊の侵入などではない。
――
戦場の経験がないランスも、本能的に悟った。
だが。
いったいどこの国が、このログレス城を攻めるというのだ?
フォルセナ大陸の中央に位置するアルメキア王国は、周囲を五つの国に囲まれている。どの国とも友好な関係を保っており、戦が起こる気配など無かった。唯一、昨年まで長きに渡り戦闘を繰り返していたいた北の大国ノルガルドとも、現在は講和条約を結んでおり、お互い侵攻することはない。また、仮にどこかの国が攻めて来たとしても、王都ログレスはアルメキアの中央にあり、国境から王都に至るまでの要所には、いくつもの城塞や砦が構えられ、常に多くの兵が駐屯している。それらが占領されたり突破されたという報告は聞いていない。数多く存在する城や砦を落とさず、いきなりこの王都を攻めることなど不可能だ。
「ゲライント! これはどういうことだ? 一体誰が、こんなことを? 城は、本当に大丈夫なのか!? 父上や、母上は!?」
ランスの問いに、ゲライントは一瞬表情を曇らせた。しかし、すぐにその表情は引き締まり、目はしっかりとランスを見据える。「事情は後で説明いたします。今は、一刻も早く避難を!」
「し……しかし……」
「王子!!」
ゲライントの鬼気迫る表情に、ランスはやむなく裏門へ向かおうとしたが。
二人の前に、立ちはだかる影。
「――見つけたぞ。ランス王子」
低く、威厳のある声。ランスよりも一回り以上背の高い男だった。その身長は二メートルに近い。闇を思わせる漆黒の鎧を全身にまとっている。鎧の重量は軽く五十キロを超えるだろうが、重さを苦にした様子は無い。鎧の内側に、鍛え抜かれた鋼の肉体が想像できた。腰に長剣を携え、右手には、己の身長ほどもある巨大なクロスボウを持っていた。
「ゼメキス将軍!! 良かった。無事だったのか」
ランスは、安堵の声を上げた。
ゼメキスはアルメキアの将軍にして、軍の頂点である総帥の座に就く男だ。先のノルガルドとの戦闘においては、開戦から終戦まで常に最前線で指揮を取り、勝利に大きく貢献した。
将軍がこの城に居てくれたのは幸運だった、と、ランスは思った。ゼメキスは生粋の武人であり、王都にいることはまず無い。戦闘がある時は常に最前線に立ち、戦闘が無い時は国境の警備に当たっている。今回将軍が王都を訪れたのは、先のノルガルド戦の功績を称える式典に参加するためであった。
ランスは、ゼメキスの元に駆け寄ろうとした。「将軍。あなたがいてくれて良かった。一刻も早く賊を捕え、この騒動を鎮静化して――」
ランスの足と、言葉が止まる。
ゼメキスが、巨大なクロスボウをランスに向けた。
弦は引き絞られており、矢も装填されている。トリガーを引けば、いつでも撃てる状態だ。
「王子! お下がりください!!」
ゲライントが二人の間に割って入るのと、ゼメキスが矢を放ったのは、ほぼ同時だった。
「――――っ!」
口の中にこもるような悲鳴と共に、膝をつくゲライント。
「ゲライント!!」ランスが駆け寄った。
ゲライントの左肩を、ゼメキスの放った矢が貫いていた。ゲライントは金属製の鎧を身に付けている。にもかかわらず、まるで紙で作られてあるかのように、簡単に貫いたのだ。
「大丈夫か、ゲライント!?」
声を掛けるランス。それ以上のことはできなかった。ゲライントの傷の治療をするべきなのか? だが、どうすればいいのか判らない。貫通している矢を抜くべきなのか、そのままにしておくべきなのか、それすらも判らない。傷の治療の経験など、ランスには無い。
ゲライントは、ランスを心配させないよう、できるだけ落ち着いた口調で言う。「大丈夫です。急所は外れておりますゆえ」
言葉とは裏腹に、ゲライントの表情は苦痛に歪んでいる。顔は見る間に青白くなり、額には玉のような汗が浮かぶ。ゼメキスの身長ほどもあるクロスボウから撃ち出される矢は、もはや槍と言っても過言ではない大きさだ。大丈夫でないことは明らかだった。だが、何もできないランス。
ランスはゼメキスを睨んだ。「将軍! これはいったいなんの真似だ? なぜ我らに矢を向ける? 気でも狂ったのか!?」
ランスの言葉を、ゼメキスは鼻で笑った。「フン。この期に及んで、まだ状況が飲み込めていないようだな。まあ良い。何も知らぬまま、父親の元へ送ってやろう」
クロスボウに、次の矢を装填するゼメキス。
「父上の元に……送る……? それはどういう意味だ? 将軍!?」
ゼメキスは答えない。顔に不敵な笑みを浮かべ、矢を装填している。
ランスは、視線をゲライントに移した。
「王子……申し訳ございません……」ゲライントは、怒りと悔しさと悲しみの入り混じった声で言う。「ヘンギスト王と、王妃様は、ゼメキスの腹心・カドールの手にかかり、無念の最期を遂げられました……」
「な――!!」
言葉を失うランス。
ゲライントは言葉を継ぐ。「この騒動は、賊の侵入などではございません。武力をもって王達を討ち、国を乗っ取るクーデター……その首謀者こそ、そのゼメキスにございます!」
クーデターの首謀者が、ゼメキス。
だが、ゲライントの言葉は、もう、ランスの耳には届いていなかった。
――父上と、母上が、この男たちの手によって!!
ランスは、怒りと憎しみと共に、腰に携えていた二本の剣を抜いた。
言葉にならない咆哮と共に、憎き敵に向かって、走る。
大国アルメキアの世継ぎとして生まれたランスは、三歳の頃より木剣を持たされ、アルメキア王家に代々伝わる二刀流剣術の習得に励んでいた。教育係であるゲライントや、親衛隊の兵たちから「王子は筋がいい」と、何度も褒められ、自信を持っていた。その剣に、己の憎しみの心と、父と母の無念の想いを込めて、ゼメキスに振り下ろした。ゼメキスの矢の装填はまだ終わっていない。ランスの剣は、ゼメキスの首を落とすはずだった。
しかし――。
金属同士がぶつかる耳障りな音と共に、火花が飛び散る。同時に、両手には、とてつもなく硬い物を叩いた感触。
ランスの振り下ろした憎しみの剣は、ゼメキスの左手の剣によって受け止められていた。剣は、先ほどまで腰の鞘に収められていたはずだった。とてつもない速さだ。
「愚かな……貴様ごときの剣が、この俺に通用するとでも思ったのか!」
ゼメキスが剣を振った。攻撃と呼べるほどのものではない。ただ、飛んでいる羽虫を払うかのように、左腕を大きく振っただけだ。たったそれだけのことで、ランスは大きく吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられた。硬い鎧を身に付けているとはいえ、その衝撃に、一瞬息がつまる。
「――くそう!」
だが、すぐに立ち上がり、剣を構えた。目の前の男は、父と母を殺し、この国を乗っ取ろうとしている男だ。許すわけにはいかない。再び向かって行こうとした。しかし。
「お待ちください! 王子」ゲライントが、肩の傷をもいとわずランスの前に立つ。「ここは、こらえてください!」
「こらえる? 父上と母上を殺されたんだぞ? こらえられるものか!」
「お気持ちは判ります。悔しいでしょうが、ここはどうか、剣を収め、お逃げください。あやつは、今の我らが
ゲライントの言う通りであった。相手は強国アルメキア国軍の総帥。しかも、後方で指揮するのではなく、常に戦場の最前線に立ち、自ら兵を率いて剣と矢を振るい、数々の武功を挙げた、生粋の武人である。実戦経験のないランスはもちろん、かつては武勇を誇ったゲライントも戦場から離れて久しく、到底、勝てる相手ではない。
「しかし、だからと言って、このままおめおめと逃げるなど、できるものか!」
「そこをこらえ、逃げるのです。戦場では、退くことも重要ですぞ」
「しかし……しかし……」
矢の装填を終えたゼメキスが、クロスボウをランスに向けた。「愚かな。このまま逃がすと思うか」
ゲライントがランスをかばって立つ。それが無意味な行為だということはすでに証明されていた。ゼメキスのクロスボウは、鎧を着た人間二人など、簡単に貫くであろう。
「ゼメキス……貴様、このようなクーデターなど起こして、一体、何が目的だ!?」叫ぶランス。
「知れたこと。我が進むは覇道。戦場こそが我が生きる道! 平和な世界など、この俺には必要ない!!」
まるで演劇の舞台上で歌うかのように、ゼメキスは高らかに言った。
「バカな……国を乗っ取り、戦争を起こすつもりか!?」
ゼメキスの言葉を信じられない気持ちで聞くランス。今は平和なフォルセナ大陸も、大きな戦争が起こったことは何度もある。しかし、それは十年以上も前であり、ランスが物心つく前の出来事だ。この男は、そんな大陸の平和を破ろうと言うのか……。
「フン。貴様のような、戦場を知らず平和に浮かれていた者には判るまい」ゼメキスが、クロスボウのトリガーに指を掛けた。「大陸中が戦火に包まれるのを、父親と二人、あの世で見ているがいい」
ランスは、死を覚悟した。
その時――。
一筋の流星が、ゼメキスに襲い掛かる。
流星――少なくともランスの目には、そう映った。
流星の接近に気付いたゼメキスは、身体を逸らし、かわした。だが、流星はゼメキスのボウガンを捕え、弦を斬り裂いた。弦とは言っても、硬い鎧を貫くための強度を得るために、鋼鉄を編んでできたものだ。それを、簡単に斬り裂いたのだ。
流星が、地面に突き刺さる。
流星――いや、それは、一本の槍だった。
「何者だ!?」槍の飛んで来た方を見、叫ぶゼメキス。
その方向から走って来る姿。銀の鎧に身を包んだ騎士だ。
騎士は、腰に携えていた小太刀を抜き、ゼメキスに振り下ろす。ゼメキスは舌打ちと共に左手の剣で小太刀受け止めた。体勢は十分なはずだったが、騎士の一撃は強力だった。一歩、後退するゼメキス。その隙に、騎士は小太刀を収め、地面に刺さっていた槍を引き抜いた。その刃先を、ゼメキスに向かって突き出す。ゼメキスは剣を両手で持ち、槍を払った。返す剣で騎士を斬り捨てようとする。しかし、払ったはずの槍の刃先が、また正面から襲いかかる。剣で払うゼメキス。また槍が襲う。四度、槍と剣が交わった。ゼメキスは後方へ飛び、一旦騎士と距離を取った。騎士も間を詰めようとせず、静かに槍を構える。
――女神。
その姿を見た瞬間、ランスは、自然とそんなことを考えていた。そんな場合ではないと判っているが、その美しさに、思わず目を奪われる。
騎士は美しい女だった。フォルセナ大陸で女性の騎士は決して珍しくない。アルメキア軍の騎士も半数近くは女性だが、今まで会ったどんな女性騎士よりも美しい。身に付けている鎧は兜と胸当て程度だ。防護よりも動きやすさを優先した結果の軽装なのだろう。しなやかな長身だが、華奢な印象は受けない。敵を前にして槍を構えるその姿は、フォルセナの神話に登場する
「……女……何者だ!?」ゼメキスが忌々しげに叫んだ。
「失礼、そちら、アルメキア王太子・ランス様とお見受けします」女騎士はゼメキスの言葉には応えず、逆に、ランスとゲライントに向かって口を開いた。その声は、まるで小川のせせらぎのように涼やかな響きだが、目は、闇夜を斬り裂く稲妻のような鋭さで、ゼメキスを捕らえたままだ。
「そうだが、そなたは……?」ランスが問う。女騎士に見覚えはない。ゼメキスも、そしてゲライントも同様だ。女神のような美しさと、アルメキア軍総帥ゼメキスにも引けを取らない槍捌き。そのような騎士がアルメキアにいれば、王族であるランスはともかく、軍に属しているゼメキスやゲライントが知らないはずはない。少なくともアルメキアの騎士ではないだろう。
女騎士は、口元にわずかな笑みを浮かべた。「名乗るほどの者ではありません。通りすがりの旅の騎士です」
「旅の……騎士……?」
「ここは私が引き受けますゆえ、王子は、早く脱出を」
その言葉を聞いたゼメキスが嗤う。「女……この俺の前に立ちはだかるのが、どういう意味か判っているのだろうな?」
「さあ? どういうことかしら!!」
女騎士は踏み込み、槍を突き出した。ゼメキスの剣が受け止める。槍と剣がぶつかり合う
ゲライントが立ち上がった。「王子。今のうちです。早く脱出しましょう!」
だが、ランスは応じない。「何度も言わすなゲライント! このまま尻尾を巻いて逃げることなどできるものか!! あの騎士と共に、ゼメキスを討つ!!」
「恐れながら! 今の王子では、ゼメキスを討つことはできませぬ!!」
ゲライントは、言いたくないことを言う口調で、しかし、最後まではっきりと言い切った。
「なん……だと……?」
「身の程をお知りください、王子! 今の王子の剣などゼメキスの前では赤子の持つ玩具も同じ! 例えあやつが丸腰であっても、今の王子にはまだ勝ち目が無いのですぞ!!」
「――――」
言葉を失うランス。反論することはできない。その通りだと思ったから。
ゲライントはさらに言う。「――あの旅の騎士とて、かなり腕は立つようですが、それでもゼメキス相手では長くは持たないでしょう。ここは、逃げるしかありませぬ!!」
「し……しかし……それでも、逃げるわけにはいかない。そうだ。ここで戦っていれば、騒ぎを聞きつけ、城の兵が集まってくるはずだ! みんなで戦えば、きっとゼメキスの首を取ることができる!!」
「王子……それはあり得ぬのです……」ゲライントは、無念の表情で言った。
「あり得ぬ? 何故だ? ゲライント!!」
「このクーデターでは、ゼメキス指揮下の兵はもちろん、王国軍の大半の兵が、ゼメキス側に付いております。我ら側の兵は、王子の親衛隊と、陛下の近衛兵の一部のみ。それすらも、すでにほぼ全滅したと思われます」
「なん……だと……?」
「故に、ここで時間を稼いでも、駆けつけるのはゼメキスの兵のみ! 王子! どうかご理解を!!」
ランスには信じられなかった。
このような反乱に、兵の大半が加担したなど。
このような反乱を起こす者に、我らが敗れるなど。
アルメキアの王太子として生を受けた自分は、いずれ王位を継ぎ、国を治めるものだと思っていた。その素質があると思っていた。
だが、実際は。
自分には、反乱ひとつ抑えることはできない。父を殺され、母を殺され、国を奪われても、その敵を討つことすらできない。
自分は、こんなにもちっぽけな存在だったのだ。
情けなかった。みじめ過ぎて、涙も出てこない。代わりに、笑いがこみあげてくる。笑った。己の小ささを知り、笑いを止めることができない。
「王子……お気を確かに……今はともかく逃げるのです!」
だがランスは、己の小ささを知っても、ゲライントの言葉を受け入れる気にはなれなかった。
「ゲライント……ならば僕は、ますます逃げるわけにはいかなくなった。父上を殺され……母上を殺され……兵を奪われ……国を奪われ……それでおめおめと逃げ出すような恥を晒すくらいなら、ここで戦って死んだ方がましだ!!」
「いい加減になさいませ!! 王子!!」
ゲライントの拳が、ランスの頬を打った。
一瞬、何が起こったのか判らなかった。頬の痛みがじわじわと広がっていくにつれ、ゲライントに殴られたのだと悟った。教育係としてのゲライントとの付き合いは二年になるが、殴られたのはこれが初めてだった。と、言うよりも、一国の王子であるランスを殴る者など、これまでいるはずもなかった。
ゲライントは、これまでランスが聞いたこともないような、大きな、そして、怒りが込められた声で叫ぶ。「――このゲライント、王子を教育する者として、ここで死ぬなどという楽な道は、決して選ばせませんぞ!!」
「楽な道……ここで死ぬのが、楽な道だと……?」
「その通りです! ここで無意味に死ぬことほど楽なことはありませぬ! 生きてこの城を抜け出し、強くなって再び戻って来ることの方が、つらく困難な道なのです!! このクーデターはもう止められませぬ。アルメキアは、ゼメキスの手に落ちます!! しかし、それで終わりではありませぬ!! 王子、あなたが生き残りさえすれば、アルメキア再興の道は残されるのです。あなたが生き残りさえすれば、アルメキア再興のために兵も集まります! しかし!! あなたがここで死ねば、すべて終わりなのです!! 城を奪われることがアルメキア王国の終わりではありませぬ! あなたが死ぬことが、アルメキア王国の終わりなのです!!」
――僕が死ぬことが……アルメキアの終わり……?
ランスは、炎に包まれるログレス城を見上げた。
この中では、まだ、多くのアルメキア兵が戦っているはずだ。
それを見捨てて逃げることが、この国のためだというのか?
がきん! と、ひときわ大きな金属音。女騎士の槍が、ゼメキスの剣に大きく弾かれていた。女騎士は何とか槍を手放さず、すぐに構え直す。しかし、その槍の穂先はところどころ欠け、いつ折れてもおかしくない状態に見えた。女騎士も、肩で大きく息をし、体力の限界が近いことが窺えた。対するゼメキスは、呼吸ひとつ乱れていない。顔にはまだ余裕すら浮かんでいる。先ほどゲライントが言った通り、ゼメキスの優勢は明らかだった。
「――ランス様?」と、女騎士が口を開く。「そろそろ私の槍も限界ですので、逃げるか戦うか、どちらか早くお決めください」
「し……しかし、城内には、まだ多くの兵が、アルメキアのために……僕たちのために戦っている。彼らを見捨てて、僕だけ逃げるなど、彼らへの裏切りだ……」
「王子、それは違いますぞ」ゲライントが言う。「兵達は、王子がまだ城内に残っているからこそ戦っているのです。王子が脱出したことを知れば、皆脱出し、また王子の元に集うでしょう。そうすれば、もう一度戦うことができます! アルメキアの未来は、今、あなたの生死にかかっているのです。ゼメキスも、それを恐れているからこそ、王子をここで始末しようとしているのです!!」
ゼメキスが、僕を恐れている――ゲライントの言葉が、ランスの胸に刺さる。こんな、国を奪われても何もできない小さな僕を、あのゼメキスが恐れているというのか?
女騎士が、ゲライントの言葉を引き取るように言う。「ランス様、私は、この国がゼメキスの手に渡り、やがて国中が戦火に見舞われた時、それを止めるのはあなただと思ったからこそ助太刀したのです。しかし、あなたがここで死を選ぶような愚か者なら、私が命を賭けてまで護る価値はありません。早々に退散させてもらいますが?」
ゲライントと女騎士の説得に、ランスは……。
――父上、母上、申し訳ございません。
胸で、両親に詫び。
「ゲライント……脱出しよう」
小さく、しかし、決意を込めて、そう言った。
「ありがとうございます、王子」
「だがゲライント。脱出は、お前と一緒であることが条件だ。もしお前がここに残るというのなら、僕は脱出などしない」
ランスの言葉に、ゲライントはわずかなためらいを見せたが、すぐに覚悟を決めた表情になる。「……もちろんです、王子。このゲライント、王子の教育係として、この先どこまでもお供し、王子の成長を見届けさせて頂きますぞ」
続いてランスは、女騎士に向かって言う。「騎士殿も、ここで命を落とすことは許しません。必ず、生きて脱出してください」
「もちろんです。私には、まだ成すべきことがありますので」
「舐めるなよ! このまま逃がすと思うのか!!」ゼメキスの闘気が、ランスの方を向いた。
だが、その前に女騎士が立ちはだかる。「あなたの相手はこの私よ!」
再び、剣と槍がぶつかり合う。
ランスとゲライントは、戦う二人に背を向け、走った。
裏門のそばの木に、二頭の馬が繋がれていた。それにまたがり、城を脱出する。
しかし、少し馬を走らせたところで、ランスは手綱を引いた。馬が棹立ちになり、足を止める。
ランスは振り返り、炎に包まれるログレス城を見つめる。
「王子! 何をされているのです! 早くこちらに!!」
ゲライントが呼ぶが、ランスは、そのまま城を見つめる。
その光景を、脳裏に焼き付けるように。
今日の屈辱を、決して忘れないために。
己の小ささを、胸に刻むように。
そして。
――今日のこの屈辱を、僕は決して忘れない。僕は強くなる。そして、必ず戻って来る! それまで待っていろ! ゼメキス!!
胸に、決して消えぬ強い意志の炎を燃やすために。
「――王子!!」
ゲライントの言葉で、ランスは手綱を振るった。
二人は、西へ向け、馬を飛ばした。もう、振り返ることはなかった。
☆
聖王暦二一五年二月下――。
アルメキア王国軍総帥・ゼメキスのクーデターにより、二百年を誇るアルメキア王国の歴史は、一夜にして幕を下ろした。
ゼメキスは、殺害したヘンギスト王に代わり王位に就き、『エストレガレス帝国』の樹立を宣言。自らを皇帝と名乗り、周辺各国への宣戦を布告した。
長きにわたるフォルセナ大陸の平和は、この日をもって終わりを告げ。
その後、四年にも及ぶ激しい戦闘の日々が、幕を開けた――。