イスカリオの死刑囚アルスターは戸惑っていた。現在イスカリオ領の最前線であるこのソールズベリーが、エストレガレス帝国からの侵攻を受けたのだ。敵総大将は剣聖の異名を持つ騎士エスクラドスで、率いる兵の数は五万。対するイスカリオも兵五万が控えているが、現在この城にいる騎士はアルスターの他には死刑囚のキャムデンだけだった。ドリストやバイデマギスといった主力騎士は、現在東のノルガルド領ハドリアンを攻めている(常々アルスターは思っているのだが、なぜこの国の主力騎士は肝心な時にいつも不在なのだろう?)。兵数が同等なら防衛側であるイスカリオが有利だが、いかんせん兵を率いる騎士の質が違いすぎる。剣聖エスクラドスは、カーレオンのナイトマスター・ディナダンと並び、大陸一の剣士と噂される騎士だ。今回の大陸全土を巻き込んだ戦争においては、ノルガルドの白狼王ヴェイナードや、西アルメキアの百戦のゲライント、アルメキアの盾と呼ばれた名将ハンバルの息子グラウゼなどの名だたる騎士を退け、剣聖の呼び名にふさわしい活躍ぶりを見せている。そんな騎士に、死刑囚二人がどうして立ち向かえるだろう。
もっとも、それだけなら何も戸惑うことはない。素直に城を明け渡して撤退すれば済む話だ。戸惑っているのは、エスクラドスから戦義の希望があったからだ。開戦の前に各軍の代表者同士が言葉を交わす儀式だ。通常は、なんらかの因縁がある騎士同士が行うものである。剣聖ともあろう騎士が、イスカリオの死刑囚であるアルスターとキャムデン相手になんの話があるのか、全く想像もつかない。戦義は必ずしも応じなければいけないものではないため断ることもできるが、剣聖の呼び出しを断るのも恐れ多いので、アルスターはキャムデンと共にエスクラドスの元へ向かった。
ソールズベリーとオルトルートを繋ぐ街道の真ん中に、エスクラドスは剣を携えて立っていた。
「これはこれは剣聖エスクラドス様。イスカリオへようこそお越しくださいました」アルスターは相手の機嫌を損ねぬよう低姿勢で言った。「あいにくと
そんな二人には全く興味のないような目のエスクラドス。「無駄な時間を費やすつもりはない。単刀直入に言おう。代表者を一人選び、わしと一対一で勝負せよ」
「一騎打ち、ですか!?」あまりにも予想外の要求に声を上げるアルスター。「しかし、今この城にはわたくしたちしかおりません」
「ならば貴様らで構わぬ。わしが勝ったらここを通してもらう」エスクラドスは剣の柄に手をかけた。
アルスターは短い悲鳴を上げた。「そんな恐れ多い! わたくしもキャムデンも剣の心得の無い最下層の僧侶と魔術師でして。はたして剣聖様のご期待にお応えできるかどうか」
「一節ほどお待ちいただければ、別の者を用意します」と、キャムデンもビビりながら言う。「我が主は剣こそ扱いませんが、戦いのウデは確かですので、剣聖様のお眼鏡にもかなうかと」
「貴様らに興味はない。西アルメキアが滅びた今、わしが戦う相手はただ一人だ」
その言葉に、キャムデンの目がきらりと光った。「おお! それはもしや、カーレオンのナイトマスター・ディナダン殿のことでは!?」
「…………」
エスクラドスは無言だったが、恐らくその通りなのだろう。
カーレオンのナイトマスター・ディナダン。エスクラドスと並び、大陸最強と名高い剣士の一人である。エスクラドスとディナダンの戦いは、どちらが大陸最強の剣士かを決める戦いとなる。情報によると、現在ディナダンはソールズベリーの南にあるハーヴェリーの守備に就いているらしい。つまり、エスクラドスがディナダンと戦うには、このソールズベリーを通る必要があるのだ。
キャムデンは腕を組み、「なるほどなるほど」と頷いた。「そういうご事情でしたら、なにも我らと一騎打ちする必要はありません。どうぞどうぞ、遠慮なくお通り下さい。良いですね、アルスター殿」
「もちろんです」アルスターも同意した。「陛下も、どちらが大陸最強の剣士なのかは興味があることでしょうし、きっと、お許しになるでしょう」
などと話していると。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
いつの間にか、すぐ側に槍を携えた女騎士が立っていた。
「うおあ!」
腰を抜かすほどの勢いで驚くアルスターとキャムデン。立っていたのはキラードール・イリアだった。
「イリアさん! 何度も言うようですが、そういう登場の仕方はやめてください」心臓を押さえながら言うアルスター。「しかし、なぜここに? 陛下と共にノルガルド攻めに向かわれたはずでは?」
イリアはアルスターの言葉には応えず、鋭い目でエスクラドスを見つめる。
「……わしに気配を感じさせずここまで接近するとは、なかなかやるな」エスクラドスの目も鋭くなった。「そなたがわしの相手となるか」
「…………」
イリアは無言で槍を構えた。戦うつもりだ。
「そんな! 危険です、イリアさん!」と、アルスター。「そのお方は剣聖エスクラドス様と仰いまして、大陸最強の剣士様なんですよ!? メチャクチャお強いんですよ!?」
「誰であろうと関係ない」イリアは感情の無い声で言う。「陛下の敵は、倒す」
「……小娘にしては強い闘気を放っておるな。おもしろい」エスクラドスはわずかに腰を落として構えた。「ならばかかって来るが良い」
両者が一騎打ちに同意したため、これで、戦義は終了となる。二人の闘気が高まっていく。これはもう止めても無駄だ。アルスターとキャムデンは巻き添えを喰らわぬよう、ゆっくりと後ずさりした。
先に動いたのはイリアだった。一気に間合いを詰めると、槍を突き出す。エスクラドスはわずかに身を逸らしてかわす。イリアはさらに二撃、三撃と畳み掛け、エスクラドスは体の動きだけでかわしていく。その間、エスクラドスの剣は鞘から抜かれていない。腰に携え、柄を握ったままだ。
イリアが槍を突き出し、エスクラドスはそれをかわす。その攻防が数刻続いた。エスクラドスの目は、イリアの品定めをしているかのようだった。
「……遅いな。その程度の槍捌きでは、到底わしを捉えることなどできぬぞ」槍をかわしつつ、余裕に満ちた言葉のエスクラドス。「いや、速さ自体はなかなかのものだ。だが、せっかくの速さが武器の重さに殺されておる。その槍は、そなたに合っておらんな」
イリアが使う槍は、両端に細長い円錐形の金属を取り付けたかなり特殊なもので、一般的な槍と比べるとかなり重量がある。エスクラドスの言う通り、速さが犠牲になっているのは否めない。
イリアは構わず、無言で槍を突き出し続ける。さらに数刻続けた。だが、エスクラドスを捉えることはできない。
「それが限界か……ならば、これで終わりだ!」
エスクラドスの剣が動いた。鞘から抜き放たれ、イリアの槍とぶつかる。エスクラドスの剣は細身のもので、イリアの槍と比べると重量は十分の一にも満たないであろう。にもかかわらず、エスクラドスの剣は槍を大きく弾いた。イリアは何とか槍を手放さなかったものの、正面ががら空きになった。
そこを、剣聖の鋭い突きが襲う。
「ああっ!!」
アルスターとキャムデンは抱き合って声を上げる。
エスクラドスの剣先は、イリアの左胸を正確に貫いていた。
イリアの胸から流れ出た血が、エスクラドスの刃を伝い、鍔のところで、ぽたりと地面に落ちた。
エスクラドスが、どこか不快そうな目でイリアを見た。「……小娘、なぜかわさなかった? 少し体を動かせば、少なくとも急所は外せたはずだ」
イリアがわさなかった? 確かにそうかもしれない。剣を突き出したエスクラドスに対し、イリアは正面から向かって行った。あの瞬間イリアが攻撃から防御に切り替えていれば、急所を外すことはもちろん、イリアの素早さならば完全にかわすこともできたかもしれない。だが、イリアはそれをしなかった。エスクラドスの剣が急所を狙っていることに気が付いていたはずだが、それでもかわさず、正面から剣を受けたのだ。それはまるで、死を恐れていないかのような振る舞いだ。
急所を貫かれたイリアは――。
「…………!?」
エスクラドスの表情が歪んだ。イリアの目は、闘気をはらんだままエスクラドスを捉えている。
イリアの槍が動いた。
「……なにっ!?」
エスクラドスが驚きの声を上げるのと、イリアの槍が振り下ろされるのは、ほぼ同時だった。
槍が、エスクラドスの身体を貫いた。
エスクラドスはとっさに身を引いたため急所こそ外したものの、槍は腹の中心を貫いていた。
信じられない表情でイリアを睨むエスクラドス。いや、憎々しげな表情と言うべきか。得体のしれない恐怖におびえる表情にも見える。
「……小娘……何者……だ……」
様々な感情が入り混じった顔でイリアに鋭い視線を向けるエスクラドス。その目から、どんどん生気が失われていく。腹から溢れ出した血が、足元に広がっていく。
剣聖は、その場に倒れた。
イリアは、胸に刺さった剣を抜き、投げ捨てた。胸から大量の血が噴き出す。エスクラドスの剣は、確実に心臓を捉えている。それでも、イリアは表情ひとつ変えない。感情の宿らない目で、足元に倒れたエスクラドスを見つめ。
「……陛下の敵は……倒す……」
とどめを刺すべく、もう一度槍を振り上げた。
だが――。
「……陛下……の……敵……」
そこで力尽き、崩れるように倒れた。
その姿は、まるで糸の切れた操り人形のようだった。