西アルメキアとエストレガレス帝国の国境付近にある城塞都市・キャメルフォード。旧パドストー時代、交通の要所として発展してきた街だ。王都カルメリーの北東に位置し、東方面には、旧アルメキアの都市エオルジアやオークニーへと続く街道が伸びている。さらに、北方面の街道を進めばノルガルド、南方面への街道を進めばカーレオンへと通じているため、国境を行き来する商人や旅人達で常ににぎわっている街だ。
だがそれは、戦争が始まるまでの話である。開戦後、同盟国カーレオン以外の国境は封鎖され、商人や旅人の足は途絶えた。街は、かつてのにぎわいを失いつつある。
いや、正確には、にぎわい自体が無くなったわけではない。この街を訪れる人は、むしろ以前よりも多くなっている。ただ、集まる目的が変わっただけだ。
街の中央には、都市防衛の要所である城が建てられている。その屋上で、旧パドストーの女騎士・アデリシアは、眼下に広がる街の様子をぼんやりと眺めていた。西の城門からは、大勢の兵士と、荷車を引く馬が、列をなして次々と入っていた。荷は、王都カルメリーから運ばれてきた武器や食糧などの物資だ。アデリシアは、小さくため息をついた。
「――どうしたの? アディ。ため息なんか付いちゃって」
明るい声をかけて来たのは、アデリシアと同じく旧パドストーの騎士で修道女のエフィーリアだった。
「エフィー……」一瞬アデリシアは笑顔を浮かべたが、すぐにその表情を曇らせた。そして、城門に連なる兵と荷車の列を指さす。「あれさ」
「あれが、どうかしたの?」
「いや、別に大したことないんだけどさ……何と言うか、ああいうのを見てると、戦争が始まるんだなって、思って」
その言葉だけで、アデリシアの気持ちを全て悟ったのだろう。エフィーリアは、「……そうね」と、優しく微笑んで、それ以上は何も言わなかった。
二人は黙ったまま、しばらく城下の景色を見ていた。
アデリシアは、旧パドストーの名門貴族の娘ながら、パドストー1の槍使いと噂される騎士である。子供の頃から男勝りでお転婆な娘として育った彼女は、名家の娘として恥じないおしとやかで上品な女性に育てようとした両親の反対を押し切り、十四歳の時に、王都カルメリーの騎士訓練学校に入学した。
パドストーを始め、フォルセナ大陸全土で女性の騎士は特別珍しいわけではないが、それでも、六~七割を男性が占める騎士の訓練学校において、アデリシアは、槍術や剣術において常に上位を争う優秀な成績を収めた。卒業後、パドストーの騎士団入ると、そこでも才覚を表し、二十五歳の若さにして、このキャメルフォードを防衛する部隊の隊長を命じられるまでになっていた。
もっとも、それは二ヶ月前までの話である。今月から、キャメルフォードの防衛は別の部隊に代わり、アデリシアよりも上官に当たる者が都市防衛の責任者となった。
と、いうのも。
二ヶ月前、この国は大きく変わってしまったのだ。
東のアルメキアで起こったゼメキスのクーデターにより、王太子ランスは国を追われ、このパドストーに逃げ込んだ。パドストーのコール王はランス王子を保護すると、国の全権をランス王子に譲り、ゼメキス率いるエストレガレス帝国と戦うことを決定したのである。
ゼメキスがクーデターを起こす前、アルメキアとパドストーは事実上同盟状態にあり、お互い侵略される心配は無かった。国境に近い都市とは言え、護りはさほど重要ではない。ここに駐屯している兵は、国境の防衛ではなく、アルメキアが北のノルガルドに侵攻された際、すぐに援軍を送るために準備しているようなものだった。だから、パドストー騎士団においてはまだ中間管理職と言っていい立場のアデリシアが、防衛部隊の隊長を務めていたのだ。
しかし、アルメキアが滅び、エストレガレス帝国との戦争が始まると、この城の持つ意味はがらりと変わってしまった。
ランス王子を保護したパドストー公国は、エストレガレス帝国から真っ先に攻め込まれる可能性が高い。実際、キャメルフォードの北東に位置するエストレガレスの都市オークニーには、皇帝ゼメキスや、腹心のカドールが率いる部隊が集結しているとの情報が入っている。東に位置するエオルジアにも帝国の名のある武将が入っており、キャメルフォードは、いつ攻め込まれてもおかしくない状況だ。
パドストーとしては、絶対にこのキャメルフォードを落とされるわけにはいかない。キャメルフォードの南西には、パドストーの首都・王都カルメリーがある。道中はなだらかな平地が続いており、途中、防衛拠点となるような城は一切無い。キャメルフォードを落とされることは、この国にとって、喉元に剣を突きつけられるようなものなのだ。だから、防衛部隊として、アデリシアよりも上官の部隊が派遣され、物資も大量に運び込まれているのである。
「パドストーは、どうなっちゃうのかな……」
しばらく沈黙が続いた後、アデリシアはぽつりと言った。
エフィーリアがアデリシアを見る。「アディ、今はパドストーじゃなく、西アルメキアよ」
「あ、そうだったね。なんだか、慣れなくて」
「……そうね。実を言うと、あたしも」エフィーリアは肩をすくめた。
ランス王子がパドストーの全権を握ったことで、この国は、『西アルメキア』と名を変えた。ランス王子にしてみれば、「アルメキアは決して滅びない」という決意の表れなのかもしれないが。
「……なんだか、イヤなんだ」
アデリシアは、本音を言った。
エフィーリアは黙って聞いているので、アデリシアは言葉を継ぐ。「戦争が怖いってワケじゃないんだ。あたしはこの国を護る騎士だ。向こうが攻めて来るなら戦う。なんなら、こっちから攻めて行って、あたしの手でゼメキスの首を取ったっていい。でもそれは、あたしが生まれ育ったパドストーという国を護るためだ。あたしは、そのために騎士になったんだから」
「……うん」
「でも、もうこの国は、パドストーじゃないんだよね」
「…………」
エフィーリアは何も言わなかった。肯定しているようでもあり、否定しているようでもある。
アデリシアは続けた。「別に、ランス様やコール王を恨んでるってワケじゃない。国を奪われたランス様の気持ちは判るし、旧アルメキアに忠誠を誓っていたコール王が、ランス様に協力するのは当然のことだよ。コール王の決定なら、あたしは喜んで従う」
「……うん」
「でも、イヤなんだ。ううん。ホントにイヤってワケじゃない。でも、なんだかスッキリしないんだ。うまく言えないけど……あたしが今まで育ってきたパドストーは、もう無いんだなって考えると……」
「……ええ。判るわ」と言って、エフィーリアは遠くを見る「あたしだって、こんな形でここに戻って来たくはなかったもの」
アデリシアとエフィーリアは、王都カルメリーの騎士訓練学校時代からの付き合いだ。騎士とは言っても、剣や槍で戦う者ばかりでなく魔法を専門に使う者もいて、訓練学校では、それら魔法の技術も教えている。修道女を目指していたエフィーリアは、治療や祝福などの魔法を学んでいた。訓練学校卒業後はカルメリー城でコール王に仕えていたが、二年前、王の許可を得て騎士団を退団。故郷の村に戻り、小さな修道院で働いていた。そこで、村人に神の教えを、子供たちに勉強を教えていたのだが、ゼメキスのクーデターに端を発した大陸の動乱を聞きつけ、騎士団に戻ったのである。
二人は、また黙って兵と荷車の列を見つめる。今朝からずっと列は続いており、途切れることは無い。現在この城にはランス王子とコール王の御子息であるメレアガントの部隊が駐屯している。運び込まれている物資の中には、エストレガレスへ攻め込むための物も含まれているだろう。
国のために戦う――その気持ちに迷いはない。
だが、この国はもうパドストーではない。
それが、アデリシアの心に迷いを生じさせていた。
このような気持ちで、あたしは戦えるだろうか? 敵はあまりにも強大だ。隙を見せたら、すぐにやられる。
あたしの命は、もうあたしだけのものではない。騎士団のなかではそれなりの地位を得てしまったあたしは、数千の兵の命を預かる身だ。あたしの迷いは、数千の兵の命を危険に晒すことになる。そして、兵の数で帝国に劣るこの国にとって、数千の兵の損失は大きすぎる。あたしの迷いは、回り回って、この国を脅かすことになりかねないのだ。
それならば、いっそ――。
「エフィー。あたし――」
アデリシアが言いかけた時。
「――あ! いたいた! おーい! アディ! エフィー!」
屋上のしんみりした空気とはかけ離れた、なんとも陽気な声が響いた。二人が振り返ると。
「カルロータ!? あんた、なんでここにいるの?」
てくてくと走って来たのは、アデリシアたちより少し年下の小柄な少女だった。カルメリーの騎士養成学校で魔術を学んでいた少女・カルロータである。
「なんで、って、みんなと一緒に戦うためだよ。だって、あたしも、もう騎士だもん」
えっへん、と言わんばかりに胸を張るカルロータ。
アデリシアも、エフィーリアも、カルロータも、養成学校で学んでいたことは異なるが、同じ寮で生活をしていたため、仲が良かった。学校が休みの日などは誰かの部屋に集まり、一日中おしゃべりをしていたものである。その時、カルロータはよく将来の夢を語ったが、「偉大な魔術師になってみんなから崇められたい」という、どうも子供っぽい夢だった。
「そっか。カルも、もう一人前の騎士か。大人になったもんだねぇ」しみじみと噛みしめるように言うアデリシア。
「みんな揃うのは何年ぶりかしら?」と、エフィーリア。「校外活動では、よくこの三人で組んで、探索に出かけたわよね」
訓練学校では、年に数回、生徒たち数人でチームを組み、街の外で行う校外授業というものがある。何をやるかはそれぞれのチームで決めるが、アデリシアたちは、王都から離れた森や山に出かけ、暗い洞窟を探索したり、村人に悪さをするモンスターを退治したりといった冒険者じみたことをしていた。アデリシアの武術と、エフィーリア・カルロータの魔法は非常にバランスがとれており、多くの埋もれた宝物を見つけ、そして、モンスターを退治してきた。成績は非常に優秀で、その活躍から、三人は『カルメリーの美少女三人衆』と呼ばれていた。
「あれ?」と、アデリシアは微笑む。カルロータの耳に、見覚えのある青い宝石のピアスが付けられている。「そのピアス、今も付けてるんだね?」
「もちろんですわ」カルロータはピアスを指でピンと弾いた。「あたしの、大事な宝物ですもの」
そのピアスは、課外授業の探索で見つけた物だ。街の古物商人の鑑定によると、古代の魔術師が身に付けていた魔術品だそうである。身に付けると、魔力を高める効果があるらしい。
「フフ。変わらないわね、カル」エフィーリアは口元に手を当ててほほ笑んだ。
「またこの三人で戦えるなんて、嬉しいですわ。みんなで頑張りましょう」カルロータは両手の拳を握ってぶんぶんと振った。
「あ……カル。それなんだけどね……」声のトーンが落ちるアデリシア。
「ん? どうかしましたか」カルロータは目を丸くした。
「実はね、あたし――」
新たな人の気配がした。階段の方を見ると。
「――ランス様!?」
現れたのは、旧アルメキアからこのパドストーに逃れてきた王太子・ランスだった。
アデリシアとエフィーリアは背筋を伸ばし、右手で拳を握って左胸に当てた。旧アルメキアで忠誠を意味する仕草で、かつてアルメキアから独立したパドストーでも行われている。
しかし、ランス王子はアデリシアたちには気付かず、肩を落として歩いていた。なんだか、落ち込んでいるようである。
「あらあら、ランス様? 暗い顔して、元気ないですね? 何かあったんですか」カルロータが、ランスの方へ歩く。
それがあまりにも気安い言い方だったので、一瞬アデリシアたちには、カルロータが誰に向かって話しかけているのか判らなかった。しかし、しっかりと「ランス様」と呼んでいるし、その視線も、足も、ランスの方へ向いている。
「ああ。カルロータさん」ランスが顔を上げた。「いえ。別に、大したことじゃないんですが……」
「悩み事があるんだったら、何でも聞きますわよ? さあ。お姉さんに話してみなさい」胸を張るカルロータ。
エフィーリアがものすごい勢いで走っていって、後ろからカルロータの頭を思いっきりひっぱたいた。普段はおしとやかで聖女のような女性と周囲から言われているエフィーリアだが、ときどきこういった暴力的な面が顔を出す。アデリシアはこれを「化け猫をかぶっている」と評している。
「いったいなー。何すんのさ」カルロータは後頭部をさすり、不服そうな目を向けた。
エフィーリアはカルロータの頭を手で押さえ、無理矢理下げさせた。自分も深く頭を下げる。「申し訳ありません! ランス様! この子が、とんだ失礼な態度を!!」
まるで悪戯をした子供の代わりに謝る母親のようだ。現在コール王から国の全権をゆだねられているランスは、事実上この国の王様だ。カルロータの態度にエフィーリアが焦るのも無理はない。
ランスは両手を振った。「いえ。失礼だなんて、とんでもない。私は、いっこうに構いませんよ」
「しかし、ランス様はアルメキアの王太子にして、現在はこの国を治める方」
「やめてください。私は、そんな立派な人間ではありません」恥ずかしそうに笑うランス。「コール王から国を任されましたが、それは、あくまでも仮の話です。実際の私は、この国に居候させてもらっている身なので、そんなに気を使わないでください」
カルロータがエフィーリアの手を払いのけた。「ほら、ランス様もこう言ってるんですから」
「カルロータさんは、カルメリーからここに来るまでの道中、仲良くなったんですよ。この国では、まだまだ判らないことが多いのですが、いろいろと教えてもらい、助かっています」
ほらね? と、得意げな顔をするカルロータ。
カルロータがランスを見た。「それで、ランス様。何をうじうじ悩んでるんです?」
「本当に大したことではないんですけど、さっき、ゲライントに怒られてしまいまして」
ゲライントは、旧アルメキア時代からランスの教育係をしている騎士である。
「あらあら。怒られたくらいでそんなにしょげるなんて、ランス様もまだまだ子供ですわねぇ」
お姉さんぶって笑うカルロータ。アデリシアは、エフィーリアを背後から羽交い絞めにするのに必死だった。
当のランスは、カルロータの態度など気にした風もなく続ける。「怒られたことは気にしていないのですが、怒られた理由が問題なんです」
「と、言いますと?」
「はい。私は、このお城に入った後、すぐにエストレガレス帝国に攻め込むものだと思っていました。私としては、一日でも早く、祖国を奪還したいですからね。しかし、ゲライントは、まずはゴルレに向かうと言うのです」
ゴルレは、このキャメルフォードの北に位置する城で、北の大国ノルガルドとの国境を護る拠点だ。
「そのことで、ゲライントと、ちょっとした言い合いになったんです」とランスは続けた。「ゲライントも、気持ちは私と同じだと思っていましたからね。『ゲライントは、祖国を奪還したくはないのか? 父上や母上の仇を討ちたくはないのか?』と、かなり感傷的になってしまいました。そうしたら、ゲライントはこう言ったんです。『自分たちの国の事よりも、まずはこの国のことをお考えください。ただでさえエストレガレスの宣戦布告で混乱しているのに、我々のような余所者が突然やって来て、王位に就いてしまった。この国の民、特に、パドストーに仕えていた騎士たちの胸には、大きな不安があるでしょう。そのような状態では、とても戦争などできませぬ。まず我々がすべきことは、共に戦うパドストー騎士たちに会い、彼らの不安を取り除くこと。アルメキアの奪還は、その後です』、と」
「――――」
アデリシアとエフィーリアは、いつの間にか、静かにランスの話を聞いていた。それは、今まさに、アデリシアたちの胸の中にある不安だ。
ランスはさらに続ける。「ゲライントにそう言われ、私も、その通りだと思いました。私は、自分だけの復讐心に囚われ、そんな簡単なことにも気付けなかった。将来国を治める者として、本当に、恥ずかしい限りです」
ランスは、自嘲気味に笑った。
「――なーんだ。そんなことで落ち込んでたんですか。そんなの、気にしちゃダメですよ」
「――――?」
首を傾けるランスと、カルロータをひっぱたこうとするエフィーリアと、それを止めるアデリシアをよそに、カルロータは続ける。「そうだ。じゃあ、ランス様には、君主様に必要な、三つの言葉をさしあげましょう」
「三つの言葉?」
「はい。『めげるな、しょげるな、落ち込むな』、です」
目を丸くするランスを気にせず、カルロータは指を立てながら言う。「ひとつ『めげるな』。君主たる者、どんなに辛いことがあっても、めげてはいけません。ふたつ『しょげるな』。君主たる者、どんなことを言われても、しょげてはいけません。みっつ『落ち込むな』。君主たる者、どんな時でも落ち込まず、前を向いて進まなければなりません」
アデリシアは呆れ声で言う。「カル……それ、全部おんなじじゃないか」
「え? 同じじゃありませんよ! 全部、大切な言葉です!」
両手をぶんぶん振るカルロータ。その姿がおかしかったのか、ランスの顔に笑顔が浮かんだ。
「ありがとうございます、カルロータさん。『めげるな、しょげるな、落ち込むな』とても大切なことだと思います」
ランスの言葉を聞いて、カルロータは「ほらね?」と言わんばかりのドヤ顔になった。
「カルロータさん、アデリシアさん、エフィーリアさん」ランスの表情が引き締まった。「このたびは、私のような流浪の身を迎えて頂き、感謝しております」
「え? あ、いや、あたしたちは、そんな――」
「いろいろと思うところはあるでしょうが、フォルセナ大陸は今、動乱の時代を迎えようとしています。どうか、この私に力をお貸しください。そしてこの国と、大陸全土を、正しい方向へ導きましょう」
「――――」
アデリシアは。
「――もちろんです、ランス様」
右の拳を左胸に当て、そう応えた。
エフィーリアも、カルロータも、それにならう。
「――ありがとうございます」
ランスは深く頭を下げ、そして、階段を下りて行った。
「立派な方だね、ランス様って」アデリシアは、心からそう言った。「あたし、ちょっと誤解してたかも」
そうね、とエフィーリアはほほ笑んだ。
「それにしても――」と、エフィーリアはカルロータを睨む。「カル! あなた、ランス様になんて失礼な口を利くの!! あの方は、私たちの王様に当たる方なんですよ!?」
「え~? いいじゃん別に。ランス様も良いって言ってるんだし」
「そういう問題じゃないだろ」と、アデリシアも言う。「例え向こうが良いって言ったって、騎士たる者、君主様には礼を尽くすのが――」
と、アデリシアが騎士の心得を説こうとした時。
「アデリシア!! アデリシアはいるか!?」
屋上に怒声が響き渡る。どうやら、また誰か来たようだ。
その声を聞いたエフィーリアとカルロータは、背筋ピンと伸ばし、右の拳を左胸に当てた。階段を上がってやって来たのは、コール王の息子・メレアガントだった。ランスと同じく、今日の朝からこの城に入っている。
メレアガントはアデリシアの姿を見つけると、大股で向かって来る。「アデリシア! 貴様、俺の部屋の準備はどうした!!」
「あん? 部屋の準備?」アデリシアは腕を組み、顎を上げる。「ちゃんとしてるだろ? 一階の、一番奥だよ」
「ふざけるな! あれが俺の部屋だと? 小さな机と簡易ベッドがあるだけ、あれでは牢獄ではないか!! ちゃんとした部屋を用意しておくよう、事前に手紙で伝えただろう!」
アデリシアは、「けっ」と吐き捨てるように笑い、そして続けた。「パパに買ってもらったふかふかの布団じゃなきゃ眠れないって言うんなら、とっとと家に帰りな! ここは戦の最前線だ。ボンボンが親の権威振りかざして威張れる場所じゃないんだよ!」
エフィーリアがものすごい勢いで走って来て、背後からアデリシアの頭をひっぱたいた。
「申し訳ございません! メレアガント様! この
顔から湯気が出そうなほど怒っていたメレアガントだが、ふいに真顔になる「――ん? エフィーリアか? 久しぶりだな。確か、故郷の修道院で働いていると聞いたが、戻って来たのか?」
エフィーリアは頭を上げた。「はい。国の一大事と聞き、少しでもお力になれればと思いまして」
「そうか。君がいるなら心強い。よろしく頼むぞ」
「はい! ありがとうございます」再び頭を下げるエフィーリア。
アデリシアは頭を押さえつけるエフィーリアの手を払いのけ、メレアガントを睨む。「――なーにが、『君がいるなら心強い』だよ、気持ち悪い。そんな恥ずかしい台詞、よく言えるな」
エフィーリアがまたひっぱたこうとするのを、アデリシアはサイドステップでかわした。
メレアガントは「ふん」と、鼻を鳴らし、アデリシアを見た。「久しぶり会うから少しはおとなしくなっているかと思ったが、相変わらず礼儀を知らんようだな、貴様は。俺はこの国の時期王にして、今はキャメルフォード防衛部隊の隊長。貴様の主君であり上官だぞ!」
「はん。あたしは、親の権威を振りかざして威張るしか能の無いヤツを、主君だ上官だと崇める気はないね。礼を尽くせと言うなら、それに値する人間になりな!」
「口の減らぬヤツめ……まあいい。貴様との決着はまだついていないからな。いい機会だ。この戦で、俺の本当の実力を見せてやる」
「それは楽しみだねぇ。まあ、泣きながらパパの所に帰るのがオチだろうけどさ」
アデリシアとメレアガントは奥歯を噛みしめながらしばらく睨み合っていたが、やがてメレアガントが踵を返し、階下へ下りて行った。
エフィーリアが大きくため息をついた。「アディ……あなたは、メレアガント様に向かってあんな失礼の口の利き方を……カルロータのことを悪く言えないわよ?」
「んー? 別にいいじゃん。アイツとは、訓練学校時代から、ずっとあんな感じだったし」
メレアガントもまた、同じ騎士訓練学校出身だ。アデリシアと同じく剣術や槍術を学び、互いに上位を争う程の成績だった。その頃から今のようなケンカが日常茶飯事で、訓練学校では名物風景だった。
アデリシアは両手を組んで頭の後ろに回した。「アイツも、もうちょっと他人を労わる気持ちを持たなきゃ、王様なんてとても務まらないと思うけどねぇ。今回のキャメルフォード防衛部隊の隊長だって、実質、補佐官のブルッサム様がやるようなもんだろ? じゃなきゃ、誰があんなボンボンに、大事な防衛拠点の隊長を任せるもんか」
エフィーリアは両手を腰に当てた。「確かに彼は、親の力を自分の権威と勘違いしたボンボンで、『君と一緒なら心強い』なんて寒いセリフを平気で言うようなイタい男で、庶民を見下すことしかできない器の小さな人間だけど、それでも、コール王の御子息には変わりないの。この国に仕える騎士なら、胸の内で唾を吐きかけても、本人の前では礼を尽くすフリをする。それが、大人の対応というものよ?」
後ろで、カルロータが呆れ顔になった。「エフィー……あなたが一番失礼ですわよ?」
「違いない」
アデリシアが笑い、続いてカルロータが笑う。不服そうな顔のエフィーリアも、二人につられて笑った。
アデリシアは、両手を挙げて大きく伸びをした。「あーあ。なんかあたし、悩んでるのがバカらしくなってきたよ」
首を傾けるエフィーリアに、アデリシアは続ける。「エフィー。あたし、もう迷うのはやめるよ。この国の名前は変わっちゃったけど、あたしも、エフィーも、カルも、昔と何も変わってない。そして、みんなも変わらない。この国の本質は、何も変わらないんだね。だったら、それを護るため戦うのに、何も迷う必要は無いよ」
「……ええ、そうね」
エフィーリアは、笑顔で頷いた。
「……なんの話ですの?」
首を傾けるカルロータに、「何でもないよ」と言って、アデリシアはさらに言う。「ようし! そうと決まれば、『カルメリーの美少女三人衆』の力、大陸中に響かせてやろうじゃないか!」
うーん、と、エフィーリアが唸った。「いくらなんでも、この歳で『美少女』は、無理がないかしら? さすがに、そこは変えた方がいいかも」
カルロータが同意する。「そうですわね。では、これからは大陸中に名を響かせることも考慮して……『アルメキア美女三人衆』ということで」
「お? いいじゃないか。じゃあ、それで行こう」アデリシアは言った。
「『美しい』というのは、変えないのね」呆れ気味のエフィーリア。
「そうですわね。そこは、どんなに時が流れても変わらないですわ」
カルロータの言葉に、三人は一緒になって笑った。