イスカリオの新米騎士ティースはビビっていた。開戦以降各地を旅して修行を続けていたティースだったが、王ドリストの気まぐれによりイスカリオはノルガルド方面へ攻め込むこととなり、それに同行することになったのだ。ドリストは、ハドリアン、グルームといった難攻不落の城を次々と攻め落とし、領地を拡大していった。ティースもそれらの戦いには参加していたものの、残念ながらどちらもドリストおよび配下モンスターの活躍が大きく、ティース自身は大きな手柄を挙げることはできなかった。それでも、貴重な実戦を経験したことで、騎士としての成長を実感していた。このまま修行と戦闘を繰り返せば、一人前の騎士となり、手柄を挙げる日もそう遠くはないかもしれない、そう思えた。そこまでは良かった。いま彼がビビッているのは、占領したグルーム城の防衛を命じられたからだ。
ティースが防衛の任に就くのはこれが初めてではない。ないが、今まではザナスやソールズベリーなど、もし防衛できなくても後方の城まで下がれば被害は大きくない拠点ばかりだったのだ。今回は違う。現在、王ドリストはイスカリオの主要騎士を従え、グルームの北東にある旧レオニアの聖都ターラを攻めている。もし、その間にこのグルームの城を敵に落とされようものなら、ドリストは撤退する城を失ってしまうのだ。そうなると、ドリストがターラを落としたとしても敵地に孤立する形となる。仮に落とせなかった場合はさらに危険だ。ドリストらは占領されたグルームを強行突破してハドリアンまで撤退しなければならない。そうなると多くの兵やモンスターを失うだろうし、万が一にもドリスト自身が討たれようものなら、もうこの国の敗北は決定的だ。
つまり、このグルーム城の防衛には、イスカリオの命運がかかっていると言っても過言ではないのだ。新米騎士には重すぎる任務である。もちろん、王ドリストからは「もしオレ様が不在の間に城を落とされようものなら死刑だ!」という作戦を授かっており、逃げることは許されない。しかし、それはまだいい。この国で死刑は比較的軽い罰だ。問題なのは、同じ防衛部隊に愛しのユーラも組み込まれていることだった。彼女の前でカッコ悪い姿は見せられないし、もし彼女の身に何かあったらと思うと、ティースが平常でいられるはずもなかった。
「……だ……大丈夫だよ、ユーラ。たぶん、ノルガルドは攻めてこないさ」
朝、会議室でユーラと二人作戦会議をしていたティースは、ユーラを安心させようとそう言った。根拠など無い。むしろ、ノルガルドほど好戦的な国が、この状況を見逃すはずがないとも思う。
「そうだといいけど……」
不安そうな声のユーラ。無理もない。ユーラはこの国の騎士の中では最年少で、先月十七歳になったばかりだ。騎士とはいえ普段はドリストの身の回りの世話をする専属のメイドのような存在であり、イスカリオにおいては、猛獣だらけの動物園に子猫がいるようなものである。
ティースは気を引き締め直した。愛しのユーラが怯えているのだ。俺がビビッてどうする――そう胸の内で言い聞かせ、そして、「安心して、ユーラ」と言いって、彼女の目を真っ直ぐに見つめた。「もし敵が攻めて来ても、俺が守ってやる。俺、修行の旅で、結構強くなったんだぜ」
親指を立て、白い歯を輝かせんばかりにほほ笑むと、ユーラの不安そうな顔が少しほころんだ。
「うん、お願いね、ティース。あたしも、できる限り魔法で援護するから」
「ユーラの援護というと、回復や祝福の魔法かな? それは心強いな。百人力だよ」
ユーラは白魔法の使い手だ。回復や祝福の魔法は初級魔法だが、戦闘では欠かせない魔法であることは間違いない。なにより、ユーラからの支援魔法というのが良い。その健気さが、ティースにとってはなによりも力になるだろう。
だが、ユーラは「ううん」と首を振った。「あたし、ドリスト様と修行して、攻撃魔法も使えるようになったんだ。それも、白魔法だけじゃなく、青魔法や黒魔法も使えるんだよ?」
「そうか、青魔法や黒魔法も……って、ユーラ、そんなにたくさん魔法が使えるの?」ティースはきょとんとした顔になった。
「うん。今は、隕石を落とす魔法の修行をしてるの」
にこにこ笑いながらとんでもないことを言うユーラ。白魔法や青魔法など異なる属性の魔法を使いこなすのはかなり厳しい修行が必要であり、それだけで中級以上の魔術師と言える。まして隕石を落とす魔法は最上級の黒魔法であり、キャムデンやヴィクトリアなどああ見えて実は優秀な魔術師である二人もまだ使えない……というより、今このフォルセナ大陸で隕石を落とす魔法を使える騎士はいないはずだ。大陸一の魔法使いと噂されるカーレオンの賢王カイやエストレガレス帝国の四鬼将ギッシュあたりでも使えないのである。それを、こんなか弱い見た目の少女が修行しているというのだろうか。
「そ……そうか、スゴイな、ユーラは」ティースは笑顔を引きつらせて言った。
「ううん、そんなことないよ。あたし、体力が無いから、敵に攻撃されたら、すぐ負けちゃうと思う」
「だよな! でも心配いらない。敵の攻撃は、ぜんぶ俺が受け止めるから。そうそう、俺、修行の旅の途中、ドラゴンを配下にしたんだ。凶暴なヤツだけど、俺に懐いてるから、敵なんてあっという間に蹴散らしてやるさ」
「ホント? スゴイね、ティース」ユーラは相変わらずほほ笑んで言う。「でも、ムリしないでね。もし前線で戦うモンスターが足りない場合は言ってね? あたしのモンスターを回すから」
「ユーラのモンスターというと、ピクシーやユニコーンかな? ありがたいけど、俺のことより、自分を守るのに専念した方がいいよ」
ピクシーは小さな女の子の妖精で、ユニコーンは角を生やした白馬のモンスターだ。どちらも手軽に召喚して従えることができる割に防御力向上や治療などの強力な補助魔法を使うモンスターである。見た目の可愛らしさから女性騎士に好まれているが、見た目通り体力面は乏しく、前線に立たせるには心もとない。前線用のモンスターなら、盾を扱うリザードマンや頑丈なゴーレムなどが手軽に召喚できる割に強力だが、どちらも無骨な姿のモンスターなので、ユーラのイメージには合わないかもしれない。
だが、ユーラは「ううん」と首を振った。「あたし、ドリスト様からバハムートを預かってるの」
「そうか、バハムートか。そりゃ心強い……って、バハムートぉ!?」ティースはひっくり返りそうになった。
「うん。いつもあたしがお世話してたからすごく懐いてて、あたしの言うことなら何でも聞くよ?」
バハムートは最上級のドラゴンであり、王ドリストの切り札と言っていい。ハドリアンやグルームといった難攻不落の城を落としたのも、このモンスターの活躍によるところが大きい。無論、並の騎士で扱えるモンスターではない。強力なモンスターを従えるには高い統魔力が必要で、バハムートを従えるともなるともはや君主レベルである。
「そ……そ……そうか、ス……スゴイな、ユーラは」ティースは朦朧とする意識で言った。
「ううん、そんなことないよ。あたし、お城の防衛なんて任されたのは初めてで、すごく不安だったの。でも、ティースのおかげで、ちょっと安心した。ありがとね」
これは皮肉と取るべきだろうか。……いや、この天使のような少女が皮肉なんて言うわけがない。ただ天然なだけだ。それはそれでだいぶ問題なような気もするが。というか、誰だよ猛獣の中の子猫なんて言ったのは。ヘタすりゃこの娘が一番の猛獣じゃないか。
「……あれ?」
恐ろしい現実に魂が抜けかけていたティースだったが、ユーラが持つロッドに見覚えのあるブローチが付けられてあるのを見つけ、なんとか意識を繋ぎ止めた。扇状の海貝の貝殻にいくつものビーズをあしらったブローチで、一年前の誕生日にティースがプレゼントしたものだ。
「それ、使ってくれてるんだ」
ユーラは「もちろん」と笑顔で言う。「すごく気に入ってる。いまじゃあたしのお守りだよ。ありがとうね、ティース」
「いやぁ、気に入ってもらえて、良かったよ」
ティースは照れながら答えた。いざ戦闘となったらユーラはあのロッドで敵を殴るはずで、そうなったら貝殻のブローチなどあっさり割れてしまうだろうが、まあ、そういうことに気づかないところにも、なんとも言えないカワイイさがある……と思いたい。
天然なのか悪意があるのか判らない笑みを浮かべていたユーラだったが、ふと何かを思い出した顔になった。「そう言えば、このブローチを貰った日、二人で、なんのために戦うのか? って話をしたよね」
「ああ、そうだったね」
そのことはティースもよく覚えている。あの日、ユーラは自分が孤児であったことを告白し、イスカリオに仕官した日のことを話してくれたのだ。ドリストはユーラに一振りの剣を渡し、『お前は今、生きるも死ぬも自分で決められる自由を手に入れた。これからは、自分の身は自分で守れ』と言ったそうだ。ドリストの優しさに触れたユーラは、彼に尽くし、彼のために戦うと心に決めたという。ティースは、今でもこの話の意味が判らない。あの陛下のどこが優しいというのか。
「あの時、ティースの話が途中だったよね? ねぇ、ティースは、なんのために戦うの?」
ティースは思わず声を上げそうになった。思い出した。あの日、ティースは「君のために戦う」と言おうとしていたのだ。それはすなわち、愛の告白である。いろいろあって告白は失敗に終わり、以来、ティースはユーラにふさわしい強い騎士となるべく修行を続けてきたのである。もはやそれはどうあがいても絶望のように思うが、それはそれとして、これは、一年ぶりの告白のチャンスである。
ティースはごくりと喉を鳴らすと、心を決めた。
「お……俺が、戦うのは……」
「戦うのは?」
「俺が戦うのは……き……き……君の……」
「…………」
「…………」
「…………」
いつの間にか、二人のそばにイリアが立っていた。
「うわぁ!!」
驚いて腰を抜かすティース。いつの間にそこに立っていたのか……というか、前もこのパターンで邪魔されたように思う。
「あ、イリアさん。おはようございます」
前と同じく、ユーラは全く動じた様子も無く、ぺこりと頭を下げた。
「…………」
イリアは、無言で会議室の出入口の方へ向かう。
「……ちぇ、なんだよ。挨拶くらいすればいいのに」ティースはお尻の埃をはらいながら言った。これでは、二人の邪魔をしに来たとしか思えない。
「そんなこと言わないの」とユーラ。「イリアさん、恥ずかしがりやさんなのよ」
イリアに関してはそんなレベルではないと思うが、そうと信じているユーラの純粋さはカワイイ、と思うティースだった。
「でも――」と、ユーラはイリアの背中を見つめる「なんでイリアさんがここにいるんだろ? 陛下と一緒に、ターラ攻めに行ったと思ったのに」
「きっと、俺たち二人で城を守るのは不安だから、陛下が命令したんだよ。じゃないと、イリアさんが陛下のそばを離れるわけがないし」
「そっか……陛下もイリアさんも、優しいね」
優しいかどうかは判らないが、それでも、彼女がいればひとまず安心だ。イリアは強力無比な槍騎士であり、先日帝国四鬼将である剣聖エスクラドスと痛み分けの戦いをしたほどである。エスクラドスは大陸一の剣士と名高い騎士で、今回のいくさでも、ノルガルドの白狼王ヴェイナードや、滅亡した西アルメキアの百戦のゲライントを退けるなど、多くの戦果をあげていた。そんなエスクラドスが、孫ほども歳の離れた小娘と引き分けたのである。この話は瞬く間に大陸中に広がり、今やイリアは列国が注目する騎士となっていた。もしかしたら、ノルガルドもビビッて攻めてこないかもしれない――などと思ったティースだったが、そんな淡い期待はすぐに裏切られた。
「……敵だ」
出入口のドアを開けたイリアが、ぼそりと言った。
「え!? 敵!?」
ティースは慌てて会議室を出て、バルコニーから外を見た。北西のウィズリンド方面に、ノルガルドの旗を掲げた部隊が整列している。恐れていた事態になった。ユーラがメチャクチャ強くなっている上にイリアやバハムートもいるから戦力的な不安は無くなったが、これでは、まるでティース自身が防衛の数合わせのようである。いやそれはもはや疑いようもない事実ではあるが、それでも、愛しのユーラに無様な姿は見せられない。どうにかして敵将の一人でも倒さなければカッコがつかない。
――神様! どうか相手が俺よりも弱いヤツでありますように!
ティースは思わず手を合わせて祈った。
「ドリスト様の言う通り戦えば、大丈夫。きっと、ドリスト様が守って下さる」
会議室から出てきたユーラは、敵に脅えた様子も無く言う。まあ、あれほど強力な魔法とモンスターがあれば、並大抵の敵は恐れるに足りないだろうが。
「……いい顔だ」
静かな口調で、イリアが言った。
「……え?」と訊き返すティース。
「怯えと決意……感情とは美しい」
なに言ってるんだこの人は? と、ティースは首をかしげる。
「なんであろうと、陛下の敵は倒すのみ」
イリアがそう言うと、ユーラは「はい。お願いします、イリアさん」と、またぺこりと頭を下げた。
「ところでイリアさん、戦義はどうしますか?」ユーラが続けて言う。
「戦義……陛下がよくやっているヤツか」
「はい。どちらかが希望して、相手方も応じれば、戦いの前にお話しすることができます」
「…………」
無言のイリアに変わり、ティースが言う。「ユーラ、イリアさんが戦義なんてするはず――」
「……やってみよう」
イリアの返事に、ティースは思わず「やるの!?」と叫ぶ。
「判りました。それでは、先方に連絡してきます」
スタスタと走って行くユーラ。なんだかおかしなことになってきた。もっとも、戦義はなんらかの因縁がある者同士で行うものである。他国にイリアと因縁がある騎士がいるとも思えないので、どうせ向こうが応じないだろう。と、思っていたら。
「先方も応じるそうです」
戻って来たユーラは、メモを取り出して言った。「相手は、ディラードさんという騎士ですね」
「……行って来る」
そのまま一人で向かおうとするイリアに、「あ、俺も行きます!」と言って、ティースは後を追う。敵がどんなヤツか見るチャンスだし、なにより、イリア一人を行かせるのはなんだか不安だ。
二人は城を出て、敵軍が控える北西へ向かった。グルーム城はすぐ南に川が流れているが、北はただ草原が広がるだけである。城と敵軍のちょうど真ん中あたりで、二人は敵騎士と対峙する。短髪で細身の男だった。武器は持っておらず、鎧も身に付けていない。格闘用の胴着の上にマントを羽織っているだけの軽装だ。肌は露出していないが、その内に細身ながら引き締まった肉体が想像できる。素手で戦う拳闘士という騎士だろう。残念ながら、ティースより弱そうには見えない。
イリアが、相手騎士の前に立った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
二人はしばらく無言で立ち尽くしていたが、やがて、同時に背を向け、元の場所に戻り始めた。
いやなんか言えよ! と、ティースは心の中でツッコんだ。