フログエル城の政務室で、ノルガルド王・ヴェイナードは、各地から寄せられる報告書に目を通していた。毎日、多くの報告が寄せられるものの、その内容に大きな変化はない。それは、戦がこう着状態に入っていることを意味していた。
開戦早々エストレガレス帝国からジュークス城の奪還に成功したノルガルドだったが、その後の戦局は芳しくなかった。ジュークス城の南に位置する帝国領のリドニー要塞は、大河の中州に位置する難攻不落の城だ。現在のノルガルドの兵力では、正面から攻め落とすことは極めて困難である。そして、もうひとつの帝国国境付近にあるオークニー城には、皇帝ゼメキスや腹心カドールをはじめとした大部隊が集結しているため、こちらもうかつに手が出せない。
ノルガルドの西の国境は西アルメキアと接している。開戦早々に南の魔導大国カーレオンと同盟を結んだ西アルメキアは背後の護りを気にしなくていいため、戦力を、帝国との国境付近の城・キャメルフォードと、ノルガルドとの国境付近の城・ゴルレの二点に集中させている。
ヴェイナード達は、現在ノルガルドと西アルメキアの兵力を、ノルガルドを一〇〇として西アルメキアは八〇であると分析している。総合的な戦力差は優位であるが、国境の四城を護る必要があるノルガルドと、二城を護るだけの西アルメキアでは、どうしてもノルガルドが不利だった。よって、西アルメキア方面にもうかつに手出しできない。
残るは、東のレオニア方面だ。
神託によって国王を選ぶなど、フォルセナ大陸でも特殊な国・レオニア。先日、ヴェイナードは、前王・ドレミディッヅの娘ブランガーネ姫を連れ、レオニア女王・リオネッセと会見をした。ヴェイナードはレオニアに属国となることを要求したが、女王はこれを拒否。ノルガルドとレオニアは開戦となった。
ヴェイナード達は、レオニアの兵力を七〇と分析している。こちらは十分に勝ち目のある兵力差だが、レオニアは宗教国家であるため、国民全体に自守独立の気風が強く、こと他国からの侵攻に対しては軍略家も予想できない力を発揮する可能性がある。実際、フォルセナ大陸の歴史の中で、レオニアはアルメキアなどの大国からの侵略を次々と退け、独立を守ってきたのだ。決して甘く見てはいけない。
そこで、先日の会見で、ヴェイナードはある『種』を撒いた。
その種が実れば、ノルガルドは、最短の時間と最少の被害で、レオニア全土を手にすることができる――そういった作戦であるが、種が実るかどうかは五分五分だ。今は、見守るしかない。
よって、ノルガルドは現在、兵を動かすことができない状態にあるのだ。
もちろん、戦況を何もせず見ているという訳ではない。レオニアに施した策は遂行中であるし、帝国や西アルメキアに対しても、隙あらばいつでも攻め込めるよう準備を進めている。今は、好機を待つ時期なのだ。それは、ヴェイナードにも判っている。
しかし、判っていても、焦る気持ちを抑えることは難しい。
寒冷地であるノルガルドでは、食糧という面に憂いがある。現状、持久戦は極めて不利なのだ。この憂いを解消するためには、一刻も早く、肥沃な大地が広がる南へ侵攻する必要がある。
待たなければいけない戦況と、待つことができない国情。焦りは判断を鈍らせるが、落ち着いてもいられない。どうすればいい。今、他に施せる策は無いのか。戦局がこう着してから半月。ヴェイナードは、全ての報告書に目を通し、持てる知識を尽くして新たな戦略を練ろうとしているが、有効な一手は浮かばない。
ドアがノックされた。入るよう命じると、軍師のグイングラインが、右拳を左掌で握って頭を下げた。
「どうした? グイン。何か、他国に動きがあったか?」わずかな期待を込めて訊くヴェイナード。
「いえ、戦況に変化はございません」グインは答える。「在野の騎士が、陛下にお目通りを申し出ております」
「……ほう」ヴェイナードは腕を組む。「わざわざ俺に話を持ってくるからには、それなりの相手なのだな?」
「もちろんです。お会いする価値はございます」
「面白い。会おう」
ヴェイナードは席を立った。
在野の騎士とは、主君を持たす、各地を放浪したり、一般市民として生活している騎士のことである。主君を持たない理由はさまざまだ。仕えていた主君を見限った者や、いまだ仕えるべき主君に出会えぬ者、自分が騎士であることに気付かず生活している者も居る。
一年前のアルメキアとの講和以降、戦力増強のため、ヴェイナード達はこうした在野の騎士を募っていた。中には現職の騎士に負けぬほどの能力を持った騎士もおり、ノルガルド軍内でそれなりの地位を与えている者もいる。当然、素性も知れぬ者を登用することに反発する者も少なくはない。主に、前王ドレミディッヅ時代から仕えていた騎士だ。昨日今日騎士になった者など信用がおけぬ、最悪、敵国の放った密偵の可能性もある、というのだ。もちろん、ヴェイナードもその危険性は承知している。しかし、このフォルセナ大陸において、自分の仕えるべき主君を求めて各国を渡り歩くのは、決して珍しいことではない。ある国では騎士として全く芽が出なかったが、別の国で名のある将になる者も少なくはないのだ。在野の騎士の登用は、どこの国も積極的に行っている。
そして、ゼメキスのクーデター以降、こうした在野の騎士は大幅に増えるであろうと、ヴェイナードは見ていた。その騎士をいかに自分の陣営に囲い込むか。それも、この戦争を有利に進める重要な鍵となるはずだ。
謁見の間の高座に上がるヴェイナード。脇にはノルガルドの重臣が控えている。そして、低座には、右の拳を左の掌で包んで跪く男の姿があった。ノルガルドにおいて忠誠を表す仕草だが、腕や頭の角度にわずかなぎこちなさを感じる。ノルガルド出身の者ではないだろう。服装も、寒冷地のノルガルドではあまり見られない薄手のものだ。
ヴェイナードは王座に座る。面を上げよ、と言うと、男はまっすぐにヴェイナードを見据え、そして、名乗った。
「アルメキアより参りました、モルホルトと申します」
その名を聞いて、室内は騒然となった。特に、前王ドレミディッヅ時代の重臣には、顔にあからさまな敵意を浮かべる者もいた。
ヴェイナードも驚きを隠せない。だがそれは、やがて胸の高鳴りにも似た感情へと変わる。
アルメキアのモルホルト――ノルガルドの軍に属している者で、その名を知らぬ者はいないだろう。旧アルメキア軍において、五本の指に入るほど名の知れた軍略家である。あのゼメキスでさえ、この男の立てた作戦に従って動いていたとも言われている。それはつまり、前王ドレミディッヅ時代、ノルガルド軍がさんざん苦汁を飲まされた相手であるとも言えた。
「――よく来たな、モルホルト殿」ヴェイナードはわずかに笑みを浮かべて言った。「して、エストレガレス帝国でも名高い軍師のそなたが、今日は何用で参ったのかな?」
モルホルトの顔にも、ヴェイナードと同じ笑みが浮かぶ。「――御冗談を。私は、エストレガレス帝国などに仕えてはおりませぬ。私はあくまでも、アルメキアの騎士でございます」
「――ほう?」
「今日は、ノルガルド王ヴェイナード様に、我が身を使っていただきたく、お願いに参りました」
モルホルトの言葉に、ノルガルドの重臣達はさらに色めきだった。散々ノルガルドを苦しめた男が、この国に仕官しようと言うのである。
モルホルトは続けた。「我が母国アルメキアは、逆賊ゼメキスによって滅ぼされ、同時に、私は唯一の肉親である兄を失いました。その復讐を果たすため、どうか、我が身をこの国に置くことをお許しください」
「復讐を果たしたいと申すか」ヴェイナードは、モルホルトの言葉を吟味するように頷いた。「だが、それならば西アルメキアへ行けばよかろう。ランス王子を擁立したあの国には、旧アルメキアの騎士や兵が集まっておると聞くぞ」
「復讐は成し遂げてこそ意味を持つもの。ランス王子では、我が望みを成すことは叶いませぬ」
「ほほう」
「私もアルメキア時代は名の知れた軍略家であったと自負しております。周辺国の軍事力は、誰よりも正確に把握しておりました。それを吟味した結果、エストレガレス帝国を滅ぼすならばノルガルド以外にはない、と、判断します」
「なるほど。良い判断だな。だが、それならば我が国にそなたは必要ない、と判断することもできるぞ? 今の状態でも、帝国を滅ぼすことは可能ということではないか?」
「もちろんでございます。しかし、それには時間がかかりましょう。そして、時間の経過はこの国にとって好ましいことではありません」
「――――」
沈黙するヴェイナード。この男は、ノルガルドの国情をよく理解している。
ヴェイナードの代わりに、重臣の一人が声を上げた。「ええい! 貴様! さっきから黙って聞いておれば何様のつもりだ!! 陛下! このような者の戯言に、耳を傾けてはなりませぬぞ!!」
声を上げたのはロードブルという男だった。前王ドレミディッヅがまだ若いころから仕えている騎士で、それはすなわち、戦場でモルホルトの策に苦しめられてきたということでもある。
ロードブルはモルホルトに向かって積年の恨みを晴らすかのように叫ぶ。「よくもぬけぬけと我が国にやって来たものだ。貴様など、エストレガレスか西アルメキアの密偵に決まっておる! このわしの手で叩き斬って――」
ロードブルは言葉を止めた。ヴェイナードが、「黙れ」と言わんばかりに片手を挙げたからだ。
「陛下……何を……」
納得のいかぬ顔のロードブルを無視して、ヴェイナードはモルホルトに向かって言う。「そなたは我が国のことをよく理解しているようだ。さすがはアルメキア屈指の軍略家であるな」
「ありがたきお言葉」
「しかしモルホルトよ。そなたの軍略家としての才能は認めるが、だからと言って、そなたを我が国に迎え入れることが得策であるとは限らぬ。どのような事情があれ、そなたは、かつて我らの敵であったのだからな」
「――――」
「ロードブルの言う通り密偵である可能性は否定できぬし、仮にそうでなくとも、信用のおけぬ者がそばにいるというだけで、皆の士気が下がる。士気の低下は戦力の低下だ。それは、避けねばならぬ」
「おっしゃる通りにございます。もとより、この流浪の身が初めから信用されるとは思っておりません」
「ほう?」
「陛下や皆様の信用を頂くため、ひとつの策を持ってまいりました」
「策? それはなんだ」
モルホルトは、ヴェイナードを真っ直ぐに見据え、そして、自信に満ちた声で言った。「私に兵五万をお貸しくだされば、オークニー城を落として御覧に入れましょう」
モルホルトの言葉に、謁見の間はどよめいた。
ヴェイナードも驚かずにはいられない。
帝国領であるオークニー城には、現在、ゼメキスと腹心のカドールの部隊が入っている。その兵の数は十五万以上であるとの報告もあり、うかつに手が出せない城だ。そもそも城攻めは防衛側が圧倒的に有利だ。オークニー城はノルガルドと西アルメキアの二国と接している。エストレガレス内でも重要な拠点であり、通常の城よりもはるかに護りは堅い。落とすには、倍近い兵力が必要であろう。
それを、三分の一の兵力で落とせると言うのだろうか?
「ハッタリだ! そのようなことが、できるはずがない!!」怒声を上げたのはロードブルだ。「いや、これは罠だ! 我が国の兵を陥れる帝国の罠に決まっておる!!」
ロードブル以外の重臣からも、同意する声が上がる。「そうだ!」「罠に決まっておる!」「今すぐ首をはねてしまえ!」……様々な声が混じり、室内は、嵐の中のようなどよめきに包まれる。声を上げていないのは、モルホルトと、軍師のグイングラインと、そして、ヴェイナードのみ。
ヴェイナードはモルホルトの目を見る。まっすぐに視線を返すモルホルト。その目は、ハッタリを言っているようにも、罠にかけようとしているようにも見えない。しかし、相手はヴェイナードも認める軍略家である。胸の内を表情で読み取らせるほど愚か者ではないだろう。
ヴェイナードは込み上げる笑いを抑える必死だった。いや、抑えきれない。たまらず、笑い声を上げる。室内が静まった。皆の視線がヴェイナードに集まる。ヴェイナードは笑い続ける。これが笑わずにいられるだろうか? このモルホルトという男は、五万でオークニー城を落とすと言ったのだ。それがハッタリであろうと罠であろうと関係ない。この男は、何を言えば俺が喜ぶかを知っているのだ。それが、たまらなくおかしかった。
ヴェイナードは笑い続けた後、モルホルトを見た。「――よかろう。モルホルトよ、その話、乗ってやる」
グイングラインを除く重臣が異を唱えるが、ヴェイナードは気にせずに続ける。「だがモルホルトよ。その作戦、予も付き合わせてもらうぞ。あのオークニー城を五万で落とす……そのような策があるのならば、ぜひこの目で見ておきたい」
「かしこまりました」モルホルトは頭を下げた。
「モルホルト、ひとつ忠告しておくが――」と言って、ヴェイナードはさらに続けた。「予は、まだそなたを完全に信用しているわけではない。そなたの話に乗るのは、そなたが何を企もうとも関係ないからだ。例えどんな罠を仕掛けようとも、予には通用せぬ。それだけは、肝に銘じておくがいい」
「――心得てございます。もとより、罠などございませぬ。私はゼメキスへの復讐を果たし、そして、ヴェイナード陛下に勝利を捧げるのみ」
モルホルトは、再び右の拳を左の掌で包み、頭を下げた。
その仕草は、最初と違い、ぎこちなさを感じさせないものだった。