賢王カイが狂戦士バイデマギスと激闘を繰り広げている同時刻、国の反対側、スクエストの北にある帝国領ベイドンヒルにおいても、カーレオンとエストレガレス帝国の戦闘が始まろうとしていた。
カーレオンの部隊を率いるのは、ナイトマスター・ディナダンだ。剣聖エスクラドスと並び大陸一の剣士と噂されるもう一人の男であり、戦いにおいては賢王カイが最も信頼を寄せる騎士である。これに、先日仕官したばかりの女魔術師カルロータが同行することになった。ベイドンヒルより北の拠点は元々西アルメキアの領地であり、かつて西アルメキアの騎士だったカルロータは各拠点の事情に詳しいからだ。
当初はここに宰相ボアルテの部下の神官が一人同行する予定であったが、この戦いに強く志願した者がいたため、入れ替わりでその者が参戦することとなった。旧アルメキアで神官騎士団に属していたクラレンスである。
スクエストからベイドンヒルへ侵攻する途中には大きな森があり、そこを迂回して侵攻するのが基本戦術だ。迂回するルートは二種類ある。森の南西側から回り込むルートと、北東側から回り込むルートだ。南西側には平地が広がっているため進軍は容易だが、北東側はすぐ北に小高い丘があり、森とはさまれる狭地になるため、防衛側に待ち伏せされる危険性が高い。部隊を二手に分けてそれぞれのルートから進軍するか、待ち伏せされる危険は冒さず、全軍南西周りで進軍するか――ふたつの作戦を前に、クラレンスは二手に分かれる作戦を支持し、そして、自身の部隊が危険な北東方面から進軍することを申し出た。神官騎士であるクラレンスは、鎧と盾の重装備に加えて回復の魔法を使うことができる。その防御力の高さで敵を南東方面に引きつけている隙に、ディナダンとカルロータの部隊で城を落とす作戦だった。
戦いが始まり、クラレンスは予定通り森の北東周りで部隊を進めた。そして、森と丘にはさまれた狭地に差し掛かったとき、丘の上に陣取る敵部隊を発見した。案の定、敵はこの地で待ち伏せしていたのだ。
ここまでは予想通りだった。後は、敵の攻撃に耐え続け、ディナダンらが城を落とすのを待てばいい。
しかし、予想外のことが起きた。丘の上に陣取った敵部隊は、クラレンスが進軍しても、全く動きを見せなかったのである。
クラレンスは戸惑いを隠せなかった。敵の意図が判らないのだ。待ち伏せしているからにはこちらの不意を衝いて強襲しなければ意味が無いはずだが、敵は最初から姿を見せ、その上攻撃してくる気配も無い。まるで、クラレンスの部隊が通り過ぎるのを待っているかのようだ。通り過ぎたところを背後から攻撃するつもりだろうか? そうだとしても、最初から姿を見せていては意味が無いだろう。クラレンスの役割は敵の部隊をこの地に引きつけておくことだ。敵に背後を衝かれる危険を犯して進軍する必要は無く、敵部隊が動かないのであれば、ただ睨み合っているだけで事足りる。敵将は、そんなことも判らないのだろうか?
――いや。
不意に、クラレンスは敵部隊の意図に思い当たった。敵将は、最初からこの地の防衛を諦めているのではないか。そのため、城から離れた丘の上に陣を敷き、いつでも撤退できる準備をしているのだ。もちろん、それは城で戦う味方の部隊を見捨てるのと同じだ。騎士としては恥ずべき行為である。だが、今の帝国には、そのような恥ずべき行為でも、平気で行う騎士がいる。
「……パラドゥール、お前か!?」
憎き男の名を口にする。丘の下からでは敵将の姿は見えないが、その可能性は極めて高いであろう。
パラドゥールは、ゼメキスのクーデターにより滅びた旧アルメキアで、クラレンスと同じ神官騎士団に属していた男である。ゼメキスのクーデターの前夜、神官騎士団は、ゼメキス側につくかアルメキア側につくかの判断をしかねていたが、パラドゥールの説得により、ゼメキス側についたのだ。パラドゥールは、ゼメキスのクーデターは祖国への反乱ではなく、腐敗しきった王宮の
クラレンスは丘の上の敵軍に向かって兵を向けた。高地に陣取る敵を低地から攻めるのは大きなリスクを伴う。今の状況を考えるとこちらから攻める必要は無いが、それでも、憎むべき相手を前に、足を止めているわけにはいかなかった。そもそもクラレンスがこの帝国との戦いに強く志願したのは、パラドゥールを見つけ出すためなのだから。
動きを見せなかった敵部隊も、攻められたならば戦わないわけにはいかない。高地の利を活かした敵部隊の攻撃は、クラレンスの部隊に少なからず被害を与えたが、クラレンスは自ら先頭に立ち、傷つくことを厭わず敵陣を突破した。そして、
「――パラドゥール! やはり貴様だったか!!」
敵陣を突破し、敵将と対峙したクラレンスは、相手が予想した通りの相手だったことに、怒りを隠さず叫んだ。クーデターの際は仲間を利用し、今回は仲間を見捨てるような戦いをする。許し難い男であった。
対するパラドゥールは、クラレンスの怒りをいなすように鼻で笑った。「ふふん、誰かと思えばクラレンスか。神官騎士団を去って家で呑んだくれていると聞いたが、まさかこのような場所で遭うとはな」
挑発的な笑みを浮かべるパラドゥールにさらなる怒りが湧きあがる。だが、ここで心を乱すわけにはいかない。パラドゥールは、騎士としての実力は凡庸以下であるが、自分の身を守るためならばどのような卑怯な手段でも使う男だ。何かを企んでいてもおかしくはない。ここで挑発に乗れば、相手の思うつぼになりかねない。
クラレンスは一度大きく息をつき、そして言った。「貴様のせいで多くの命が失われた。その罪、贖ってもらうぞ」
「罪? 私がなんの罪を犯したというのだ?」
「我ら神官騎士団を扇動し、クーデターに加担させた罪だ」
とぼけたように言うパラドゥールに、クラレンスは剣先を向けた。アルメキア神官騎士時代から使っている剣である。剣と槌矛が交わった紋章の刻印が施されたその剣は、クラレンスが酒に溺れていた頃も、手入れを欠かしたことはなかった。それは、神官騎士団を去った後も騎士でありたい自分の胸の内の表れであったのかもしれない。
「私が神官騎士団を扇動した?」心外だ、と言わんばかりの顔をするパラドゥール。「私は、ゼメキス閣下のクーデターは祖国への反乱ではなく、アルメキアを生まれ変わらせるための戦いだ、と言っただけだ。実際、アルメキアを腐敗させた佞臣どもは一掃され、国は生まれ変わったではないか」
「そのためにどれだけの命が犠牲になったと思っている!?」
「国が生まれ変わるのに犠牲を払うのはやむを得ぬだろう。それに、騙されたなどと抜かしているのはお前だけだ。他の連中は、今でもゼメキス陛下の大義のために戦い続けているぞ。個人的な恨みで他国に寝返った貴様とは大違いだ」
「個人的な恨みだと?」
「そうではないか。お前は、俺に利用されたと思い込み、ただそれが悔しいだけであろう」
「違う! 私はアルメキアの復興のために剣を振るうのだ!」
「アルメキアの復興だと? 貴様は、あの腐敗しきった国を復興させようと言うのか?」
「…………!?」
クラレンスは言葉を失った。腐敗しきった国――かつてのアルメキアがそうであったことは、クラレンスにも否定のしようがない。
クラレンスが言葉を失ったのを見て、パラドゥールはここを攻めどころと判断したかのように、さらに言葉を畳み掛ける。「民はそんなことは望んでおらぬ。皆ゼメキス陛下を支持している。民はアルメキアではなくエストレガレス帝国を選んだのだ。我らは民の思いに応えて戦っているのだ。個人的な恨みで戦う貴様と違ってな!」
個人的な恨み――それは決して違う、と反論しなければならないが、どうしても言葉が出てこない。騎士不足の帝国において、多くの民が志願兵となって戦場へおもむいているという話は、クラレンスも耳にしていた。民はエストレガレス帝国を選んだ――それを否定することが、いまのクラレンスにはできない。
その時、丘の南西に建つベイドンヒルの城から歓声が上がった。見ると、城のあちこちにカーレオンの旗が立っている。ディナダンらが城を制圧したのだ。
「城が落ちたか……早いな。さすがはナイトマスターといったところか」
パラドゥールは唇をかむと、「仕方がない。全軍撤退! ファザードまで下がるぞ!」と、部隊に命令し、自らも下がり始めた。
「待て! 貴様、逃げるつもりか!」
クラレンスの言葉に、パラドゥールは振り返り、当然ではないかと言わんばかりの顔で笑った。「ここは所詮他国の領地、死守は命じられておらぬし、貴様ごときの首を取ったところでたいした手柄にもならん。私はくだらぬ逆恨みで剣を振るう貴様と違い、大いなる野望があるのだ。貴様ごとに構っているヒマはないのだよ」
「野望だと?」
「そうだ。私は一騎士で終わるつもりはない。このいくさで手柄を上げ、この国に、私を教祖とする新たな宗教団体をつくるのだ」
「なんだと!?」
「その暁には、神官騎士団の連中に褒美を取らせねばな。何人か衛兵として雇ってやっても良い。もちろん、すでに騎士団を去った貴様には、何も無いがな」
パラドゥールは声を上げて笑いながら、クラレンスの前から去って行った。