カーレオンの賢王カイは、ソールズベリーに新設した居室のベッドに横たわり、いつものように脳をフル回転させて戦略を練っていた。昨年十二月の下旬に攻勢に出たカーレオンは、ソールズベリー、ベイドンヒル、ザナスを制圧し、一気に領土を拡大した。どのいくさもこちらの軍に大きな被害は無く、上々の出足と言って良かった。この勢いに乗ってさらに領土を拡大したいところだが、ここから先は領土拡大に比例して隣接する敵拠点も増えていくため、どこを守りどこを攻めるかの判断が難しくなってくる。
カイとしては、まず西方面から帝国領へ侵攻し、ファザードやカルメリーまで制圧したかった。帝国はイスカリオとのいくさが激化しているため、旧アルメキアの領土にはさほど固執しないと考えていたのだ。それは実際その通りであったのだが、北の大国ノルガルドもカーレオンと同じことを考えていたようで、カーレオンがベイドンヒルへ侵攻するのと同時にノルガルドもキャメルフォードへ侵攻し、これを制圧している。このノルガルド軍には白狼王ヴェイナードが入っており、迂闊に剣を交えることはできない。相手が先王ドレミディッヅ時代から多くのいくさを経験した手練れの騎士であることが理由のひとつだが、そもそもノルガルドとカーレオンはどちらも宣戦布告はしておらず、政治的な意味ではまだ戦争状態には無い。カーレオンとしては、今は帝国とイスカリオの戦いに集中したいため、できればノルガルドとの戦いは避けたい。同盟とはいかなくとも不可侵条約でも結びたいところではあるが、白狼がその提案に乗って来るかは微妙だ。仮に同盟を結べたとしても、相手は長年大陸制覇を目指して戦い続けている国だ。同盟など一時的なものにしかならないのは目に見えている。いつ破棄されるか判らない状態で戦うのはかえって危険だ。いまノルガルドと国境を接するのは得策ではない。西方面は、しばらくベイドンヒルでの守りに徹した方が良いだろう。
そうなると、東方面から攻めるしかなくなる。
前節のソールズベリーとザナスの制圧は、大陸東方面へ侵攻するための布石だ。ここからの侵略ルートは主に二つ。ソールズベリーを守りながらイスカリオ方面へ侵攻するか、ザナスを守りながら帝国方面へ侵攻するか、である。
侵攻だけで話をするならば、イスカリオ方面が容易であろう。イスカリオは、現在ドリストとイリアの二人の騎士が旧レオニア方面へ侵攻している。残っているバイデマギスやヴィクトリアらの騎士も決して侮りがたくはあるものの、恐らくどちらもカイの敵ではない。バイデマギスは数節前に一戦交えたが、事前の予想通りカイの魔法で容易に蹴散らせた。ヴィクトリアとは旧アルメキアの魔導学校で一緒だった。首席で卒業したカイに対し、ヴィクトリアはぎりぎり単位を取得した程度の魔力しかない。魔力では、カイはヴィクトリアを大きく上回っている。カイが出撃すれば、イスカリオ方面の侵攻は、そう困難ではないだろう。
これに対し、帝国方面への侵攻は、現状かなり困難を極めると言わざるを得ない。帝国はイスカリオとの抗争が激化しているため、皇帝ゼメキスを筆頭に四鬼将のシュレッドやギッシュなどの猛者が集まっている。これらに対しては、大陸一と噂されるカイの魔法やディナダンの剣をもってしても、良くて互角、相手の部隊編成組次第では分が悪いと言わざるを得ない。帝国方面へ侵攻するのは時期尚早だ。
もっとも、イスカリオ方面への侵攻も油断はできない。ノルガルドを攻めているドリストらがいつ戻って来るか判らないし、何より、イスカリオ方面へ戦力を集中させると、自国領土の守りが手薄になってしまう。ソールズリーは帝国と領土を接しているため、いつゼメキスらの猛者に攻められてもおかしくないのだ。そのとき、カイやディナダンらが不在であったら、防衛は極めて困難だろう。
開戦当初は騎士不足に悩まされたカーレオンであったが、滅亡した西アルメキアの騎士や旅の絵描き騎士ミリアの友人が多数仕官したため、数の面での不足は無くなった。ただ、質の面に関しては、まだまだ充分とは言えない。帝国の皇帝ゼメキスと王妃エスメレーに四鬼将たち、イスカリオの狂王ドリストとキラードール・イリア、そして、ノルガルドの白狼ヴェイナードと参謀グイングライン、これらの騎士と互角に渡り合えるのは、今のところカイとディナダンくらいだ。これから大陸へ打って出るためには、これらの猛者に肩を並べる騎士を揃えなければならない。幸い、才能を感じる騎士は多い。ミリアの友人エルオードはめきめきと頭角を現している。ミリア本人は、ここまで新たな騎士の勧誘に力を注いでいたものの、実はカイに匹敵するほどの魔術と統魔力の才能を持っているはずだ。先日仕官したミリアのもう一人の友人リカーラも優秀な魔術師だ。また、今回のいくさでやたら張り切っているシェラの成長も著しい。彼女たちならば、いずれカイやディナダンたちにも匹敵する騎士になるだろう。カーレオンがこのいくさで生き残るためには、彼女たちの成長不可欠だ。ここは、ソールズベリーの防衛をディナダンに任せ、ミリアらを同行させイスカリオへ侵攻するのが良いだろう。
ドアがノックされ、カイは考えを中断した。普段なら、「おにいちゃん大変大変!」とメリオットが騒がしく駆けこんで来るところだが、今日はやたら静かな訪問だ。珍しいな、と思いつつ、カイは「どうぞ」と促す。
入って来たのは宰相のボアルテだった。ボアルテは「失礼します、陛下」と頭を下げると、「在野の騎士が参っております」と告げた。
カイは身を起こした。「ほう、仕官の申し出かな? それはありがたいね。どんな人だい?」
「それが……少々得体が知れない男でして」
「得体が知れない?」
「ええ。なんと言いますか、陰気で暗い男です。騎士というよりは、暗殺者のような風体でして」
「暗殺者……」
「もちろん、謁見の際には武器のたぐいは全て預かりますし、護衛もつけますが、万が一ということもあります。いかがいたしましょう?」
「まあ、大丈夫だよ。もし僕の暗殺を目論んでいるとしたら、そんなわかりやすい格好で接触したりはしないだろう」
「そうかもしれませんが……陛下、どうか、仕官の判断は慎重にお願いします」
「判ってる。じゃあ、会ってみよう」
カイはベッドから下りると、簡単に身支度を整えながら、「ところで、メリオットはどうしたんだい?」と、ボアルテに訊いた。
「……それが、朝から姿が見えません。狩りの道具が無くなっていますので、恐らくは無断で出かけたのではないかと」
「そうか。どうりで今日はやたら静かだと思った」
「申し訳ありません。しっかりとお目付け役をつけておくべきでした」
「まあ、いつものことさ。ボアルテが謝ることではないよ」
カイは、やれやれ、と肩をすくめる。メリオットがお忍びで城を出るのはよくあることだ。遊びに行ったのではないなら、まだ良しとよう。
メリオットは、最近弓の腕をめきめきと上げている。カイの見立てでは、いずれ大陸でも屈指の弓使いになるのではないかと思えるほどで、彼女もまたカイやディナダンに並ぶ騎士になる可能性を秘めていた。ただ、兄としては危険な戦場に出てほしくないというのが本音である。メリオットを騎士の一人として扱い戦場へ出すか、王女として扱い戦場から遠ざけるか……大陸一の頭脳をもってしても、まだその判断はできていない。
カイは準備を済ませると、謁見の間へ向かった。
王座の前に跪いている男は、ボアルテの言う通り得体の知れない男であった。白が基調の全身ゆったりとした服に身を包んでおり、小さな武器を隠し持つのに適した衣装で、地味で目立ちにくく、人ごみにまぎれるのも容易だ。男は跪いたまま身動きひとつせず、息をしているのかさえ定かではない。気配を全く感じないのだ。注視しなければ、そこに何者かがいることさえ気付かなかったかもしれない。まさに、暗殺者という風体であった。
男はカザンと名乗った。フォルセナ大陸で使われる名ではない。
「……私は、影。訳あってこの国に参った。私の力、好きに使うがよろしかろう」
カザンは抑揚のない静かな声で言った。発する言葉も最低限で、声さえ印象に残りづらい。
「君は、
カイがそう言うと、カザンはわずかに頭を下げた。
忍びとは、東方の小さな島国に伝わる諜報活動や暗殺などに特化した戦士の呼称だ。剣聖エスクラドスや百戦のゲライントら『剣士』も同じ島国に伝わる戦士だが、『剣士』がフォルセナ大陸でいう『ナイト』に近いのに対し、忍びはまさに暗殺者だ。ただし、その島国では独特の文化が栄えており、扱う武具や術などは極めて特殊なものだ。特に、ナイフのような武器・クナイと、十字型の投擲武器・手裏剣を好んで使う。カイも、それ以上のことは知らない。ただ、エストレガレス帝国のシラハという騎士が、同じ忍びだったはずだ。
「ひょっとして、君は旧アルメキアがゼメキス暗殺のために雇った集団の一人かな?」
カイがそう言うと、カザンはまたわずかに頭を下げ、「さすがは賢王殿、ご
旧アルメキア時代、愚王ヘンギストは、当時軍総帥だったゼメキスを目障りに思い、暗殺部隊を差し向けたという話がある。この部隊はゼメキスらに返り討ちに遭い、壊滅したようだ。生き残ったのは二人。そのうち一人はシラハだが、もう一人はこれまで不明だった。すなわち、このカザンということになる。
カイは、カザンの仕官を吟味する。ボアルテは慎重に判断するように言ったが、彼がこの国に仕える利は大きい。騎士としては充分戦力になるだろうし、彼の忍びの武術を他の騎士に習得させることもできる。そして、旧アルメキアの内情を知る人物がまた一人増えたことも大きい。もしかしたら、魔導士ブロノイルへ繋がる情報を持っているかもしれない。これはおもしろい人物が仕官してきた、と、カイは思った。