ブリガンダインGE/小説   作:ドラ麦茶

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第一二六話 キャムデン 聖王暦二一七年二月下 イスカリオ/ハドリアン

 イスカリオとノルガルドの国境に立つハドリアン砦では、グルーム再侵攻の準備が進められていた。グルームは、昨年の十一月に一度イスカリオが制圧したものの、先月の墓参りの日に騎士や兵が全員帰郷してしまったため、その隙を衝かれてノルガルドに奪い返されてしまったのだ。これを再び制圧しようというのである。ハドリアンには、王ドリストを筆頭に、キラードール・イリアや死刑囚キャムデン、新米騎士のティースやユーラなどが入り、明日の出撃に向け、モンスターの召喚や部隊編成、武具の点検などが行われていた。

 

 死刑囚キャムデンはアスティンより運び込まれた戦闘物資のチェックをしていた。騎士や兵が使う武具はもちろん、食糧や医療用具などに不足が無いか確認する。地味で退屈な仕事ではあるが、新米騎士には任せられない重要な仕事だ。どんなに強力な騎士や兵で部隊を編成しようとも、武器が無いと戦力は半減するし、腹が減ってはいくさもできない。他国へ侵攻する際、戦闘物資の確保は騎士や兵の強化よりも重要なのだ。

 

 そして、今回の戦いには、もうひとつ重要なアイテムがある。

 

「――おお、ここにありましたか。これを無くしては一大事ですからな」

 

 キャムデンは騎士用の装備品の中から一足の靴を取り出した。頑丈だが羽根のように軽いその靴は、自由に空を飛ぶことができる魔法装備である。明日侵攻するグルームの城は川を超えた先にあるため、この靴は攻略の大きなカギとなる。前回の戦いでは、ドリスト自らこの靴を履いて川を越え、城への侵攻ルートを切り開いたのだ。ノルガルド相手に前回と同じ戦法が通用するかは微妙なところではあるが、少なくとも無いと始まらないであろう。キャムデンは後で王の元へ届けるため脇にどけようとした。

 

「おや?」

 

 靴のそばに、見慣れない水晶球が置いてあった。誰かの装備品だろうか? しかし、リストを確認しても、該当する物は記されていない。

 

「むむ! これはまさか、元レオニア女王が使用していたオーブ、リア・ファルでは!?」

 

 きらりと目を輝かせるキャムデン。リア・ファル――運命の石とも呼ばれる、女王専用の武器だ。キャムデンが知る限り、水晶球状の武具はそれしかない。ここハドリアン砦は元々レオニア領であったため、女王の武具がまぎれ込んでいる可能性も無くはないだろう。キャムデンは詳しく調べようと手に取った。水晶球は大人の握り拳ほどの大きさで、全体的に白く濁っていて透明度は低く、ところどころ黒点が混じっている。到底美しいとは言えない品だ。レオニア女王のリア・ファルはこれよりふた回りほど大きく、色はエメラルドのような緑だった。女王が使っていたものではないだろう。

 

「まあ、女王の武具がそこいらに落ちているわけないでしょうな。もし落ちてあったとしても、女王以外に扱えるとも思えませんし……しかし、ならばこれは誰の物でしょう?」

 

 水晶球には留め具で紐が付けられてあり、首にかけて持ち歩けるようになっていた。その紐にはタグが付けられてあり、『イリア』と書かれてある。彼女の持ち物だろうか? しかし、いままでイリアがこんなものを首からぶら下げているところなど見たことがない。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 いつの間にか、そばにイリアが立っていた。

 

「のわぁっ!」

 

 キャムデンは驚いて尻餅をついた。「イリア殿! 私はナイーブで繊細で純粋無垢で反極悪非道なのです。そういう登場の仕方は、心臓に悪いのでやめていただきたい」

 

 イリアは無表情でキャムデンを見下ろしたまま、「……陛下が、空飛ぶ靴をお探しだ」と、いつものように感情の無い口調で言った。

 

 人を心停止の危険にさらしておいて詫びもひとつも無しですか、と内心呆れながら、まあ今に始まったことではないと思い直し、キャムデンは立ち上がった。「その靴でしたら、さっき見つけてそこに置いてあります」

 

 キャムデンが靴を指さすと、イリアは無言で手に取った。

 

「それと、これはイリア殿の物ですか?」

 

 倉庫から出て行こうとするイリアを呼び止め、キャムデンは水晶球を見せた。

 

 しかし、イリアは「いいえ」と、簡潔な言葉で否定する。

 

「しかし、タグに名前が書いておりますぞ? イリア殿の物でなければ、誰かから贈られたものでは? 心当たりはないですかな?」

 

「…………」

 

 イリアは無言で水晶球を見つめる。心当たりは無いようだ。彼女は昔ドリストがどこかで拾ってきた騎士で、それ以前の記憶は無いらしい。先月の墓参りの日もドリストのそばにいたから家族や友人がいるかも判らないのだろう。贈り物をしてくれる相手に、心当たりがあるはずもない。

 

「……まあ、イリア殿の名前が書いてあるのですから、これはイリア殿の物です。ここに置いていても邪魔になるだけですから、持って行ってください」

 

 キャムデンが差し出した水晶球を、イリアは無言で受け取る。

 

 その瞬間、水晶球から、()()()()()()

 

「ひぃっ!」

 

 突然のことに驚いて悲鳴を上げるキャムデン。何が起こったのか判らない。まるでそこだけ光が消え失せたかのように、突如水晶球の周り真っ暗になったのだ。

 

「…………」

 

 キャムデンと異なり、イリアは相変わらずの無表情で水晶球の異変を見ていた。しかし、その闇が膨れ上がり、イリアの身体を包み込むと。表情を歪めてうずくまった。

 

「イ……イリア殿! 大丈夫ですか!?」

 

 キャムデンが駆け寄ろうとすると、イリアはそれを拒否するように槍を突き出した。驚いてまた腰を抜かすキャムデン。それが幸いし、槍はキャムデンのちょび髭を掠めただけだった。

 

「……んあ!」

 

 苦しそうにうめき声をあげながら、イリアは槍を振り回し始めた。

 

「イリア殿! 危ないです! やめてください!」

 

 キャムデンが訴えても、イリアは槍を振り回す。いつもの鋭い一閃ではなく、ただでたらめに振り回しているだけだが、それでも危なくて近づくこともできない。何が起こっているのかは判らないが、原因があの水晶球にあることは間違いないだろう。取り上げれば元に戻るかもしれないが、イリアが暴れて危険だし、あの闇に触れると自分もああなってしまう可能性もある。

 

「うむ! こういう時は、陛下にご報告です!」

 

 キャムデンは倉庫を飛び出すと、一目散にドリストの元へ向かった。

 

「陛下! 陛下! 一大事ですぞ!!」

 

 王の居室に飛び込むキャムデン。ドリストは、王都から持ち込んだ昼寝用のベッドに横になっており、眠そうな目をキャムデンに向けた。

 

「なんだ騒がしい。オレ様の昼寝の邪魔をすると、死刑を三倍増しにするぞ?」

 

「それどころではありません! イリア殿に異変が……うわ! 来た!!」

 

 イリアも部屋に入って来た。表情は苦しげに歪み、肩で大きく息をしながらドリストを見る。

 

 ドリストは身を起こすと、ベッドの端に座り、どこか楽しげな顔でイリアを見た。「どうしたイリア? 絶不調のようだな?」

 

「……陛下……申し訳ありませ……あぁっ!!」

 

 うめき声をあげ、槍を突き出すイリア。そして、さらに振り回す。いや、それは、身体にまとわりつく闇を振り払おうとしているようにも見える。もちろん、槍は虚空を突くかのごとく闇をすり抜け、イリアをとらえたまま離さない。

 

「……なにがあった」ドリストがキャムデンに訊いた。

 

「それが、倉庫に謎の水晶球がまぎれ込んでおりまして、イリア殿がそれに触れた瞬間、ああなってしまいました」

 

「水晶球だぁ?」

 

 首を傾けてイリアを見るドリスト。イリアの身体は闇に包まれており、水晶球は見えない。

 

 だが、次の瞬間、まるでドリストにその姿を見せるかのように、水晶球から眩しい光が放たれ、闇を追い払った。

 

 そして、露わになった水晶球には、老人のような顔をした男が映り込んでいた。その異様な風体に、キャムデンは息を飲む。その男の目は墨を溶かしたように真っ黒な眼球で、毛髪の無い頭には目と同じ色をした黒曜石のような玉がいくつも埋め込まれているのだ。生気は感じられず、まるで生ける屍のようであるが、強烈な邪心を放つ悪魔のようにも見える。

 

「久しぶりだな、狂王」

 

 水晶球に映った男は闇夜に舞う怪鳥のような重い声で言った。

 

「んん~? 見覚えのあるハゲだな」ドリストはあごに手を当て、新しい遊び相手を見つけた子供のような笑みを浮かべる。

 

「むむ! あの者は!!」

 

 キャムデンは懐からメモ帳を取り出して勢いよくめくった。ドリストが見覚えのあるというからには、他国の騎士である可能性が高い。

 

 しかし。

 

「えっーっと、旧レオニアの戦闘司教パテルヌス殿……ではありませんし、旧パドストーの老王コール殿……でもないですし、帝国の世渡り上手アイバン殿……でもないですな。はて、誰でしょう?」

 

 リストにある()()()()()()騎士と照合したものの、どれも容姿が一致しなかった。無論、リストも完璧ではないので、キャムデンの知らない騎士や、()()()()()()()()()()()()()()()()騎士もいるかもしれない。

 

「そうか、思い出したぞ」ドリストが言った。「確か、『ブロノイル@求め続ける者』とか、十四歳のガキみたいなこと言ってたヤツだな。何の用だ?」

 

 ブロノイル……キャムデンは初めて聞く名だった。念のためもう一度リストをチェックするが、やはり登録はされていない。

 

「なあに、()()()を拾ってくれた礼をしようと思ってな」

 

 水晶球の男・ブロノイルは、闇を深めたような笑みを浮かべる。

 

「セレナだ?」ドリストは不愉快そうに目を細めた。

 

「そうだ。お前たちがイリアと呼ぶこの者の名はセレナ。我が魔導実験の失敗作だ」

 

「…………」

 

 ドリストの顔がさらに不愉快気に歪むが、ブロノイルは構わず続ける。「カドールを覚えているか? あれは、私が作った死を超越した騎士。人を超える力と治癒能力を持つデスナイトだ」

 

 デスナイト・カドール――帝国皇帝ゼメキスの腹心であり、大陸最“凶”の異名で恐れられた騎士だ。以前ドリストも戦ったことがあるが仕留めることはできず、撤退を余儀なくされた。ただ、この一年ほどは戦場に出撃したという情報は無く、帝国を去ったのではないかと噂されている。

 

「へん、どうりでオレ様の鎌で斬り裂いても手応えがなかったはずだぜ。死体から作りだしたってわけか?」ドリストはつまらなさそうな口調で言った。

 

「まあそんなところだ。ただ、カドールは失敗作ではないが、完全な姿とも言えぬ。ヤツには、ゼメキスの元へ送りこむ使命を与えたがゆえ、意志と感情は残しておいたのだ。その二つを捨て去れば、さらに強力なデスナイトとなるはずだ」

 

「なるほど。その実験を、イリアにしたってわけか?」

 

「そうだ。この者は、もとはログレスの売春宿で働いていた娘だった」

 

「売春宿?」

 

「ああ。飲んだくれの父親に、一晩の酒代がわりに売られたそうだ。そこから逃げ出したところを、私が拾ってやったのだ。死を超越したデスナイトの真の力を与えるためにな。だが、私の思うようにはならなかった。感情と意志はほぼ消し去ったものの、完全に消えることはなかった。そのため力は中途半端で治癒能力も無い。これは、完全な失敗作だ。だから破棄したのだ」

 

「で? 今さら惜しくなって取り戻しに来たのか?」ドリストは唇の端を吊り上げて笑う。「残念だったな。コイツは、オレ様が拾ったのだからもうオレ様の物だ。オレ様の物を横取りしようなんてふてぇヤツは、ただじゃおかんぞ?」

 

「まあ聞け。お主にとっても、この国にとっても、悪い話ではない。お主らのいくさに、私が手を貸してやろう」

 

「はぁん?」

 

「お主らは気付いておらぬだろうが、この国の戦力では大陸制覇は叶わぬ。よその国と比べ、騎士の質が大きく劣っておるのだ。今のままでは、半年も持たぬぞ」

 

 その指摘に、キャムデンは思わず「なんですと!?」と声を上げた。よその国と比べて質が劣る……確かにある意味では質が良いとは言えない連中ばかりだが、『強さ』という点に関しては、決して他国と劣るものではないはずだ。

 

 ドリストの顔から笑みが消えた。水晶球の男を睨みつける。

 

 その反応に満足したかのように、ブロノイルは続ける。「だが安心しろ。私の力があれば、大陸制覇も夢ではなくなる。騎士を何人か私に貸せ。そうすれば、立派なデスナイトにしてやるぞ」

 

 キャムデンは引きつった悲鳴を上げた。「デ……デスナイトに……!?」

 

「もちろん、セレナのような失敗作ではない。カドールと同等、いや、カドール以上のデスナイトを量産してやろう。五体もいれば、帝国やノルガルドとも対等に戦えるぞ?」

 

 ドリストは、ふん、と鼻を鳴らした。「改造人間部隊をつくろうっていうのか」そして、ブロノイルの提案を吟味するように天井を見上げた後、また、子どものような笑みを浮かべた。「……悪くねぇ話だな。オレ様好みだぜぇ。おいキャムデン。お前、ちょっと行って、改造してもらって来い」

 

「ひぃっ! わ、わたくしは他国の騎士の情報を集めるのに忙しいですから、アルスター殿の方が適任ではないかと……」

 

「ならまずその二人で決まりだな。そうすりゃ、ちっとはオレ様の役に立つだろう。さて、後は誰が良いか……」

 

「へ……へいか……なにとぞお許しを……」

 

 実に楽しそうな顔で思案を巡らすドリストに、キャムデンは泣いてすがりついた。

 

 その様子に満足したのか、ブロノイルは闇のような笑みをさらに深めた。「話が早くて助かるぞ、狂王。私の言う通りにすれば、この国の騎士の質は格段に上がる。そう。全て私の言う通りにすれば良いのだ。貴様も、部下も、全員一人残らず」

 

 ブロノイルの闇のように黒い目が、さらに深みを増す。

 

 その目を見ていると、キャムデンの胸の内から、不思議とブロノイルに対する不信感が消えていくような気がした。デスナイト――死を超越した騎士。それも悪くないように思えてきた。意志と感情を捨てる、たったそれだけのことで、死を断ち切ることができるのだ。それをためらう理由はどこにもない。そう思えて仕方がなかった。

 

 だが。

 

「――おいハゲ」

 

 挑発するようなドリストの声で、キャムデンは不意に意識が戻ってきた。デスナイトになる? なにをバカなことを考えているのだ。大きく頭を振り、恐ろしい考えを振り払う。

 

 ドリストは腰かけていたベッドから立ち上がると、愛用の鎌を取り、水晶球に映るブロノイルに向けた。「テメェは、ひとつ重要なことを見落としてるぜ?」

 

「なに?」ブロノイルの顔から笑みが消えた。

 

「この国には、オレ様がいるってことだ」

 

「何を言っている?」

 

「簡単なことだ。たとえオレ様以外の騎士がザコばかりだろうと、オレ様一人が強ければ、帝国もノルガルドもメじゃねーんだよ! 誰がテメェの汚ぇ手なんぞ借りるか。顔と頭を洗って出直してきな! ぎゃーっはっはっはっ!」

 

 ドリストは大声をあげて笑った。

 

 ブロノイルの顔が不快そうに歪む。「愚かな。確かにお主の力ならば他国の強者と渡り合えよう。しかし、それは一対一に限った話だ。いくさは一人でするものではないぞ」

 

「ゴチャゴチャとうるせーな。おいイリア! そいつを黙らせろ!」

 

 ドリストの命令に、イリアは苦しげに頷く。そして、立ち上がって水晶球を首から外そうとしたが。

 

「ああぁっ!!」

 

 悲鳴を上げ、また膝をついた。

 

「無駄だ」と、ブロノイルが言った。「セレナは、もう貴様の命令は聞かぬ。このセレナには、破棄する前に念のためある仕掛けをしておいたのだ。――セレナ、見せてやれ」

 

 ブロノイルの言葉で、イリアは立ち上がると、うめき声をあげながら、自分の身を包む服を引き裂いた。

 

「ひぇ!」

 

 ()()を見て、キャムデンは思わず上ずった声をあげる。露わになったイリアの肌には、ブロノイルの目と同じ色をした奇妙な文字のようなものが刻まれていたのだ。この国では博識が高い方だと思っているキャムデンも初めて見る文字だ。恐らく、このフォルセナ大陸で使われている文字ではない。

 

「これは古代のルーン文字だ」ブロノイルが言う。「セレナには、傀儡(くぐつ)の呪詛を刻んである。これを刻まれたものは、我が命令に反することはできぬ。セレナは、我が操り人形にすぎぬ」

 

「ケッ。手放したものに自分の名前を書きまくるとは、未練がましいヤツだぜ」

 

「……狂王、もう一度言う。私が手を貸さぬ限り、この国はすぐに滅びる。それを回避したければ、私の言う通りにするのだ」

 

「人にモノを頼むときは、お願いします、だろ?」ドリストは鎌を肩に担ぐと、ブロノイルを見下すように胸を反らした。「ま、テメェみたいなヤツが頭を下げたところで、聞いてやるつもりはないがな」

 

「……どこまでも愚かな男よ。もうよい。セレナ、狂王を殺せ」

 

「へ……陛下を殺すですと!?」驚くキャムデン。

 

「私の言うことを聞かぬのであればもう用はない。狂王、貴様を殺し、代わりを用意する。さあ、セレナ。狂王を殺せ!」

 

 ブロノイルの命令に、イリアが立ちあがった。あれほど忠実だったイリアが、ドリストに槍を向けるというのだろうか。キャムデンには想像もできない姿だ。それほど、ブロノイルが施した呪詛というのは強力なのだろうか。

 

「フン。オレ様の命を狙うとはいい度胸だ」命を狙われているにもかかわらず、どこか楽しそうにドリストは言う。「そういや、テメェは()()()()()()()()()()()()()()()()()そうじゃねぇか? なぜそう国の親玉ばかり狙うのだ? なんか恨みでもあるのか?」

 

「別に恨みは無い。ただ、我が意にそぐわぬ者を排除しているだけだ」

 

 それを聞いたドリストは、「なるほどな……」とあごに手を当てると、何かひらめいたような顔で小さく笑った。「なんとなく、テメェの目的が判ってきたぜぇ」

 

「フン、私としたことが喋りすぎたな。まあ良い、どうせ貴様はここで死ぬ」ブロノイルは、黒曜石のような目を大きく広げた。「何をしているセレナ、早く狂王を殺せ」

 

 ブロノイルの言葉に反応するかのように、イリアは槍を構えた。言葉……いや、目だ。キャムデンはそう感じた。ブロノイルのあの目から、何か魔力のようなものを発しているように思う。さっきの自分も、あの目を見て、その言葉に従わずにはいられない気持ちになったのだ。それは、まるで心を浸食しているかのようだ。ブロノイルは、人の心に入り込み、操る術を心得ているのかもしれない。その上、今のイリアは古代のルーン文字で傀儡の呪詛を刻まれている。それはおそらく失われた古代魔法だ。キャムデンも文献で少し読んだだけだが、現代の魔法よりもはるかに強力なものばかりだったという。いかに王に忠実なイリアとはいえ、逆らうことなどできないかもしれない。

 

 と、ドリストが。

 

「――セレナセレナうっせーんだよ! コイツの名はイリアだ!!」

 

 突如叫んだ。稲妻のように鋭い声。ドリストが声を荒らげるのは珍しいことではないが、いつも怒鳴られてばかりのキャムデンでさえ初めて聞くほどの怒気を孕んだ声だった。

 

「なに……?」と、ブロノイルが表情を歪める。

 

 ドリストは、さらに怒りを含めた声で「テメェのいうことなんか、イリアが聞くはずがねぇんだよ!」と言い、そして、「イリア、オメェ、犬の話を覚えているか?」と言って、呪詛と忠誠心の狭間で苦しむ槍騎士を見た。

 

「犬の……話……」顔をあげるイリア。

 

 恐らく、カエルセントの寺院にあった大きな墓のことだろう。歴代のどの王の墓よりも大きなその墓は、ドリストが子供のころに飼っていた犬の墓だという話だった。

 

「イリアってのはなぁ……あの犬の名前だ!」

 

 その言葉に、キャムデンは「え?」と、目を丸くした。耳も疑う。つまり、昔のペットの名前を付けたということだろうか。

 

 だが、呆れているのはキャムデンだけのようだった。

 

「陛下の、大切な家族の……名前……」

 

 イリアが言う。確かに、ドリストはあのとき、犬のことを「大切な家族」と言ってはいたが……。

 

 ブロノイルが苛立たしげに声を上げる。「何をしているセレナ! 早く狂王を殺せ!」

 

 目から、さらに魔力のようなものを放つ。

 

 しかし、イリアは。

 

「――嫌だ!」

 

 心の浸食を拒むように、吠えた。

 

「私の名はイリア! 陛下の騎士だ!」

 

 闇の命令を拒み、槍を投げ捨てた。

 

「無駄だ! 我が呪詛には逆らえぬ!」

 

 ブロノイルはさらに闇の目を広げた。イリアがまた悲鳴を上げる。大きく両手を広げた。その手に、呪いの炎が燃え上がった。イリアの武器は槍だけではない。呪いの黒魔法を使うこともできる。それでドリストを襲うつもりなのか。

 

 だが、イリアは。

 

「私に命令して良いのは……陛下だけだ!!」

 

 その手を、自分自身の身体に当てた。

 

 呪いの炎がイリアの身体を焼く。通常、呪いの炎は離れた相手に対して放つ魔法だ。それを直に己の身に当てるなど、その苦痛はキャムデンには想像もつかない。イリアは歯を食いしばり、自ら生み出した呪いの炎に耐え続ける。

 

「……あぁ!!」

 

 声を上げた。それは苦しみの悲鳴ではなく、己を操る傀儡の糸を断ち切る声。イリアの身体は焼けただれているが、そのおかげでブロノイルの呪詛の文字は読めなくなっていた。

 

「なんだと!」と、ブロノイルが驚愕の声を上げる。イリアはブロノイルの術を破ったのだ!

 

「陛下! ご命令を!」イリアが王の前に跪いた。

 

「フン、やりゃできるじゃねぇか。ようし……イリア! そのうるせぇ水晶を叩き割ってやれ!」

 

「はい!」

 

 イリアは首から下げた水晶球を外すと、力いっぱい床に叩きつけた。水晶球は、闇の力を秘めていたのが嘘であったかのようにきらきらと光を反射しながら粉々に砕け散り、やがてそのカケラも黒い染みとなって床に溶け込まれるように消えた。

 

「……た……助かりましたな」

 

 危機が去ったことを悟ったキャムデンは、大きく息をついた。

 

 そして、得意の揉み手をする。「いや、さすがは陛下です。陛下とイリア殿との絆、このキャムデン、感動して涙が止まりませぶるぅ!」

 

 ドリストのアッパーカットが、キャムデンのあごにヒットした。

 

「くだらねーこと言ってないでさっさとイリアを治療しろ!」

 

「は! し、しかし、わたくしが得意とするのは黒魔法と赤魔法でして、白魔法は心得ていまぜるヴぇ!」

 

 さらに右フックを打ってくるドリスト。「ホントにテメーの魔法は役に立たねぇな。オレ様の手で改造人間にしてやろうか?」

 

「ひい! それはご勘弁を!」

 

「ならさっさとユーラを呼んで来い!」

 

「はっ、はいぃ!!」

 

 キャムデンは背筋を伸ばして敬礼すると、ユーラを呼ぶため大急ぎで部屋を出た。

 

 その途中で、ふと思う。

 

 ――そう言えば、陛下は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、なぜ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それらは、常に国内外の情報を収集しているキャムデンでさえ把握していないことだった。

 

 もっとも、王の(一応の)側近とはいえ、キャムデンも常にドリストのそばにいるわけではない。いくさの部隊編成上、ドリストと違う戦場に出ることも多いのだ。それは、アルスターやイリアも同じだろう。ドリストは、側近でさえ知らない秘密を、いくつも持っているのかもしれない。

 

 いや、それよりも。

 

 キャムデンは立ち止まり、王の居室を振り返った。

 

「……いくら大切な存在とはいえ、ペットの名前を人間の娘に付けますかねぇ」

 

 これは、自分が犬嫌いだから理解できないことなのだろうか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 

「なにしてやがる! 早くしろ!!」

 

 居室から王の怒声が飛んできて、キャムデンは飛び上がってまた駆けだした。

 

 

 

 

 

 

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