ソールズベリー近郊の森の中で、カーレオンの王妹メリオットは、木の枝にくくりつけたいくつもの的に向かって矢を放っていた。矢筒から矢を取り、弓につがえ、引き絞り、そして放つ。放たれた矢は、正確に的を射ぬく。さらに矢を取り、別の的を狙い、放つ。それを、何度も繰り返す。矢は次々と的を射ぬいていく。全ての矢を撃ちきり、メリオットは手を止めた。放った矢は、全て的に命中していた。その結果には満足したものの、心にはもやもやしたものが残っていた。訓練の結果は上々だ。なのに、なぜ兄は戦場へ連れて行ってくれないのだろうか。
フォルセナ大陸全土を巻き込んだ大戦が始まって二年、レオニア・西アルメキアの二国が滅亡する中、カーレオンはここまで大きな被害も無く、遂に大陸へ打って出ようとしている。それは良いのだが、メリオットは、これまでの戦いではほとんど出撃させてもらえなかった。メリオットは立派にルーンの加護を受けた騎士であり、開戦当初から弓の訓練に力を入れてきた。上達も実感している。戦場へ出れば、戦果を挙げる自信があるのだ。
なのに。
先日、カーレオンはソールズベリー・ベイドンヒル・ザナスへと次々と侵攻したが、メリオットはどのいくさにも参加させてもらえなかった。昨年九月に仕官して友達になった魔術師カルロータは、ベイドンヒルの戦いに参加し、ディナダンと共に城を落としている。親友のミリアは、まだ大きな戦いには参加していないものの、各地から多くの騎士をスカウトしており、カーレオンの騎士不足解消に一役も二役も買っている。同年代の騎士がこれほど活躍しているのに、自分だけはまだ何の役にも立っていない。それが、メリオットの気持ちを焦らせていた。
お兄ちゃんがあたしを戦場から遠ざけるのは、まだ実力が伴ってないからだろうか――そう思うことはある。しかし、弓の腕は上達している。訓練の結果は上々だ。侮られているとしか思えない。次の戦いは、多少強引にでもついて行こう。そう心に決めた。
――さて、まだお昼前だけど、そろそろ帰らないとね。
今日は城の外へ出る許可は取っていない。早く帰らないと、無断で外出したことがバレたらまた兄やボアルテから口うるさく説教されてしまう。メリオットは、矢と的を回収し、帰り支度を始めた。
その背後で、がさり、と、草木が揺れる音がした。
メリオットは振り返った。そこは緑の茂みが広がっており、姿は見えず音だけが聞こえる。茂みをかき分ける音と、低い唸り声。獰猛な獣のようだ。メリオットは弓を構えた。狼……あるいは熊だろうか。メリオットは狩りもお手のものだ。狼だろうと熊だろうと、姿を見せれば一射で仕留める自信がある。メリオットは弓を引き絞り、落ち着いて相手が現れるのを待った。
だが、姿を見せた相手を見て、メリオットは思わず息を飲んだ。現れたのは、濃い青色の体毛をした犬のような獣。それは、姿こそ狼だが、それよりもはるかに獰猛で危険なモンスターだった。炎の番犬・ヘルハウンド……でもない。ヘルハウンドの体毛は茶色だが、そのモンスターの体毛は深海のごとく深い青。ヘルハウンドの上級モンスター・フェンリルだ。力も素早さもヘルハウンドを上回り、口から吐き出される炎は灼熱の地獄と称されるほど危険だ。騎士であるメリオットも、初めて見るモンスターである。
フェンリルは姿勢を低くし、メリオットに対し敵意むき出しで唸り声を上げた。
通常、モンスターはマナの力を使って召喚し、騎士が従えているものだ。しかし、最近は何らかの事情で逃げ出したモンスターが野生化し、人を襲う事件が大陸各所で多発している。このフェンリルも、そういった野生化したモンスターなのだろう。
初めて遭遇する野生のモンスターに驚きはしたが、メリオットは気を落ちつかせて再び狙いを定めた。危険な相手だからといって逃げるわけにはいかない。野生化したモンスターを見つけたら、捕獲するか処分するのが騎士の務めだ。メリオットがモンスターと戦うのはこれが初めてだが、やることは狩りと変わらないはずだ。急所を狙い、矢を放つ、それだけである。……いや、ここはあえて急所を外し、捕獲する方が良いだろうか。フェンリルはドラゴンにも匹敵するほど強力なモンスターだ。配下に加えることができれば、兄に自分の腕を示すことにもなる。
――よし
メリオットは、狙いをフェンリルの後ろ脚に変えた。
充分に狙いを定め、そして、矢を放つ。
矢は、森の空気を切り裂いて飛ぶ。仕留めた、という確信があった。
だが、矢が足を貫くと思った瞬間、フェンリルは風のような身の軽さで跳び、その矢をかわしたのだ。
――うそ!?
大きく目を開けて驚くメリオット。そこへ、フェンリルが疾走して来る。メリオットは次の矢をつがえようとするが、それよりも早くフェンリルが間合いに入った。鋭い爪と牙を剥き出しにして跳びかかって来る。間一髪、メリオットは身を引いてかわした。そして、フェンリルが着地した隙を衝き、矢を放とうとした。だが、フェンリルは着地と同時にもう一度跳ぶと、襲ってきた時と同じ速さでメリオットから離れていく。あまりの速さに、狙いを定めることができない。
充分な間合いを取ったフェンリルは、再び低い姿勢で威嚇する。今度こそ、と、メリオットはもう一度足に狙いを定め、矢を放った。だが、その矢もフェンリルを射止めることはできない。再び素早い跳躍で間合いを詰められる。メリオットはなんとかかわし、また着地時を狙おうとしたが、フェンリルが予想外の動きをした。着地をした瞬間、身を反転させすぐにまた跳びかかって来たのだ。完全に虚を突かれたメリオットは、それでも何とかかわそうと身を引いた。だが、その鋭い爪をかわしきることはできなかった。右の袖が、二の腕の肉ごと引き裂かれた。苦痛に顔を歪める。それでも弓を引き絞り、間合いを取ろうとするフェンリルに向かって放ったものの、腕の傷が矢の鋭さを大幅に失わせていた。矢はフェンリルから大きく逸れ、木に突き刺さった。間合いを取ったフェンリルは、また姿勢を低くして威嚇する。メリオットは新たな矢をつがえた。
そのまま、しばらくにらみ合いが続く。
まずい、と思った。二の腕の傷は決して深くはないが、矢の威力はどうしても落ちてしまうだろう。万全の状態でも射止めることができなかったフェンリルを相手に、この傷で戦うのは無謀だ。メリオットは、自分の認識が甘かったことを悟っていた。いまの自分の弓の腕ならば、フェンリルが相手でも充分に戦える気でいた。それだけでなく、あえて急所を外し捕獲しようとさえ思っていたのだ。とんでもない慢心だった。捕獲どころか、矢は相手をかすりもしない。訓練でどんなに的を射ぬこうとも、所詮それは動かないものだ。素早い動きで敵を翻弄するフェンリルとはまるで違う。訓練と実戦は違うのだ。悔しいが、ここは退いた方が良いだろう。
フェンリルは矢を警戒しているのか、唸り声を上げたまま動こうとしない。このまま弓を構えて牽制し、少しずつ後退すれば逃げられるかもしれない。そう思った。
だが、甘かった。
フェンリルがその場で身構えたまま、大きく口を開けたのだ。
そして、そこから吐き出される灼熱の炎!
まずい!! メリオットは横に跳び、ぎりぎり炎をかわした。
そこへ、フェンリルがまた疾風のごとく駆けてくる。鋭い爪と牙が襲いかかる!
今度こそダメだ――そう思った瞬間。
メリオットの背後で、何者かの気配がした。誰? と、思う間もなく、現れた大きな影が、フェンリルを弾き飛ばした。フェンリルはその体格に似合わぬ子犬のような鳴き声を上げ、身をよじりながら地面に叩きつけられた。
現れたのは、体格のよい若者だった。フェンリルを弾き飛ばすほどの力を持つからには、間違いなく騎士だろう。武器は持っていない。己の肉体を武器に戦う拳闘士系の騎士だ。
弾き飛ばされたフェンリルだったが、すぐに起き上がると、身を低くし、新たに現れた男を威嚇する。若い男もわずかに腰を落とし、左半身を少し引いて構えた。
先に動いたのは男の方だ。フェンリルにも負けない速さで間合いを詰め、その拳を振るう。フェンリルも同じ速さでその拳をかわす。着地し、攻撃へ転じようとしたフェンリルだったが、再び子犬のような悲鳴を上げることになった。男はフェンリルの素早い動きに翻弄されることはなく、着地したところに拳を叩き込んだのだ。フェンリルは再び間合いを取ろうとするが、男がそうはさせない。素早く間合いを詰め、また拳を打ちこむ。完全にフェンリルの速さを捉えていた。何度か拳で打たれたフェンリルは、敵わないと悟ったのか、さっきまでの威勢はどこへやら、キャンキャンと可愛らしい鳴き声を上げながらまさに尻尾を巻いて逃げて行った。
「すごい。フェンリルを簡単に追い払っちゃった。あなた何者?」
礼を言うのも忘れ、メリオットは感心して声を上げた。
男は、「ふふん、あれくらいはなんでもない」と、得意げに胸を張る。
男はシェリダンと名乗った。メリオットが思った通りルーンの加護を受けた騎士だが、どこの国にも仕官してないという。いわゆる在野の騎士である。
「だったら、あたしの国に仕官してよ。あなただったら、みんな大歓迎よ?」
これほどの腕の騎士を見逃すテは無い。メリオットは、さっそく勧誘をしてみた。
すると、それまで機嫌良さそうに笑っていたシェリダンは、突然表情を曇らせた。
「お前、どこかの国に仕えている騎士なのか?」
「え? そうよ? カーレオンという国なんだけど」
シェリダンは舌打ちをすると、「……助けるんじゃなかったぜ」と、失敗したとでも言わんばかりの顔で言った。
「え? なんでよ?」
「俺は王宮とか宮廷とかが大キライなんだよ。当然、そこに仕えているヤツらもな。じゃあな」
吐き捨てるように言うと、シェリダンは行ってしまおうとする。
「あ、待ってよ! ……あつっ!」
追いかけようとしたメリオットだったが、フェンリルから受けた右腕の傷が痛み、思わず声を上げる。
それを聞いたシェリダンは振り返り、困ったような顔をした後、言った。「……近くに村があるから来い。治療してやる」
正直、それほど大きな傷ではない。この程度ならばいつも持ち歩いている応急処置の道具で充分だし、ソールズベリーへ戻ればボアルテの魔法ですぐに治療してもらえる。しかし、せっかく新たな騎士を勧誘するチャンスだ。メリオットはお言葉に甘えることにした。
村へは半時ほどで着くという。ただ、その村は彼の故郷ではなく、一時的に世話になっているだけだそうだ。シェリダンは大陸各地を旅し、困っている人を助けることを生業にしているらしい。
「だったら、なおのことうちに仕官すればいいのに」村へ向かいながら、メリオットはさっそく説得を試みた。「この戦争を早く終わらせることが、なによりも人助けになるわよ?」
「お断りだ。王宮の連中に手を貸すくらいなら、死んだ方がましだ」
そこまで言うか、とメリオットは呆れる。同時に、内緒にしてはいるがこの国の姫である身として、カチンともくる。
「仕官したこともないクセに、なんでそこまで王宮を嫌うの?」
「見くびるな。何年も前だが、一度仕官したことはある。だが、あれは何だ? どいつもこいつも民のことは考えずに己の私腹を肥やそうという連中ばかりだ。あげくに、王宮内で勢力争いだの足の引っ張り合いだの醜い争いを繰り広げる。あんなのに巻き込まれるのは、二度とごめんだね」
旧アルメキアの王宮に仕えていたのだろうか? 確かに、あそこの王様は愚王と呼ばれ評判は最悪だったし、王宮内はシェリダンの言う通り己の私腹を肥やそうとする愚臣ばかりで腐敗しきっていたらしい。
「うちはそんなことないわよ? まあ、王様はいつもグータラしててちょっと頼りないけど、悪い人じゃないし、他の人たちも、みんないい人よ?」
「いや、信用ならん。とにかく俺はもう二度と仕官しないと決めた。俺の力は、困っている人たちのために使う」
「それはそれで立派なことだとは思うけど、でも、今はやっぱり、戦争を終わらせることが大事よ」
「イヤなものはイヤだ!」
その後もメリオットは説得を続けるものの、シェリダンは「イヤだ!」の一点張りで拒み続けた。何というか、腕は立つがどこか子供じみた人だな、と、メリオットは内心呆れた。
半時ほど歩き、小さな集落に着いた。シェリダンが世話になっているという家に向かうと、玄関の前に数人の村人が集まっていた。その一人が、戻ったシェリダンを見つけて手を挙げた
「――おう、シェリダン、やっと戻ったか! 大変だ、あんたの故郷から連絡があって、実家のお母さんが、モンスターに襲われて怪我をしたそうだ!」
「ええ!?」
シェリダンと同時に、メリオットも驚いて声を上げる。野生モンスターの被害は、メリオットが思っている以上に深刻なのかもしれない。
「実家は遠いの?」メリオットは訊いた。
「いや、急げば半日とかからず帰れる」
なんだ、大陸中を旅していると言ってたからよほど遠いのかと思ったら、そんなに近いのか、と、チラッと思ったものの、それは言わないでおく。
「なら、すぐ帰らないと」
だが、メリオットが促しても、シェリダンは、「知らん!」と首を横に振った。
「はぁ!? なに言ってんの!」
「おふくろは俺のやることにいちいち口出ししてうっとうしいんだ。二度と会いたくない」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ! 怪我したのよ!?」
「たぶん大丈夫だ。死にはしないさ」
何を根拠にそんなことが言えるのだろう。そのうえ口うるさいから二度と会いたくないとか、ホントに子供だな。さすがのメリオットも腹が立ってきた。
「そんなくだらないこと言ってて、親の死に目に会えなかったらどうするつもりよ! 一生後悔することになるわよ!」
不吉なことを言って脅すのもどうかとは思ったが、効果はてきめんだった。死に目という言葉に、シェリダンの顔はみるみる青ざめ、村を飛び出して一目散に故郷へ戻って行った。焚き付けた身としては、最後まで見届けなければならないだろう。そう思ったメリオットも、後を追った。
昼過ぎには故郷の村にたどり着いた二人。メリオットは旧アルメキアに故郷があると思っていたが、意外にもイスカリオだった。二人はシェリダンの実家へと向かう。
「おふくろ! 帰ったぞ! 大丈夫か!」
玄関を開けるなり、シェリダンは大声で言った。
母親は寝室のベッドにいた。シェリダンが帰って来たのを見ると、ゆっくりと上半身を起こした。頭や腕など、いたるところに包帯が巻きつけられてあり、痛々しい格好だった。
「ああ、おふくろ。こんな姿になって、痛かっただろう?」
優しい声でいたわるシェリダン。メリオットの脅しが効いたのもあるだろうが、そんなに心配なら意地を張らず最初から素直に帰ればいいのに、とも思う。
だが、そんなシェリダンに対し、母親は。
「なんだお前、何しに帰って来たんだい」
突き放すような声で言った。
思わぬ言葉に、シェリダンは困惑した表情になる。「何しにって、おふくろがモンスターに襲われて怪我をしたって聞いたから、心配で戻って来たんだよ。安心しろ。俺は、もうどこにもいかない。これからは、俺がおふくろをモンスターから守ってやる」
母親は、ふん、と鼻を鳴らした。「どこにもいかないって、お前、大陸中の困ってる人を助けるって出て行ったじゃないか。あれはどうするんだい」
「それは一時休業だ。俺にとっては、やっぱりおふくろのことが大事だからな」
母親は、やれやれと言わんばかりに首を振った。「はん、またかい」
「また?」
「ああ。騎士になると言って家を出たかと思いきや一年と経たず帰ってきて、戦争が始まってからは人助けをすると大口叩いてまた家を出たくせに、もう家に帰ると言い出す。お前はいつだってそうさ。何をやっても、長く続いたためしがない。ちょっと壁にぶち当たったら、すぐに投げ出すからね」
「投げ出したわけじゃない! おふくろのためを思ってやめるんだ。騎士だって、その気になれば一人前になれたんだ」
「へぇ? じゃあ、なんでその気にならなかったんだい?」
「それは……宮廷の権力争いに嫌気がさして……」
急に口ごもり始めたシェリダンを、母親は「はんっ!」と笑い飛ばした。「ごちゃごちゃと言い訳がましい男だねぇ。素直に実力がなかったことを認めたらどうだい」
「ふざけるな! 俺は本気を出せば、すぐに一人前の騎士になれるんだ!」
よほど気に障ったのだろうか。シェリダンは顔を真っ赤にして反論するが、これまでの彼の言動からすると、正直説得力は無い。
「口ではなんとでも言えるさ。まったく、図体と口ばかり立派になって、中身は子供のままなんだから。情けなくて涙が出るねぇ」
大袈裟に涙を流す演技をする母親に対し、シェリダンは拳を握りしめ、わなわなと震え始めた。大丈夫かなこの人。もし怪我をした親に殴りかかるようなマネをしたら、矢で射抜いてでも止めないと。メリオットが密かに弓の準備をしていると。
「――なら証明してやる!」
シェリダンは、母親に人差し指を向けた。
「証明?」
「ああ。ちょうど、カーレオンの騎士にならないか、と誘われていたところだ。見てろよ。すぐに一人前の騎士になってやる。それまで、くたばるんじゃねえぞ!」
言葉を叩きつけるように言うと、シェリダンは家を出て行った。
なんだかおかしなことになって来た。メリオットが、シェリダンを追うべきか母親をなだめるか迷っていると。
「――あなたは、カーレオンの騎士様ですか?」
先ほどの威勢のよさが嘘のように、母親がしおらしい声で言う。
メリオットが「そうです」と答えると、母親は、深く頭を下げた。
「どうか、あの子をよろしくお願いします」
だが、すぐに苦しそうな声を上げる。いまの威勢のいいケンカですっかり忘れていたが、母親は大怪我をしているのだ。メリオットは駆け寄ると、母親をベッドに寝かせた。あまり顔色は良くない。思った以上に傷は深いのかもしれない。
「……本当にいいんですか? 息子さんが仕官しても。せめて、怪我が治るまで、そばにいてもらっては?」
メリオットはそう提案するが、母親は首を横に振った。「いいんです。あの子は優しいから、本当に私のためにこの家に留まるでしょう。でも、それではあの子はいつまでたっても変わることができません」
あの子があんな性格になったのは自分のせいだ、と、母親は言う。彼がまだ幼い頃、父親が流行り病で亡くなったせいで、厳しいしつけができなかった。何をしても中途半端で、最後までやり遂げたことがない。このまま家にいては、あの子のためにならない、と、メリオットに訴える。
そして。
「――どうか、どうかあの子のことをお願いします。もしまた逃げ出そうとしたら、殴りつけてでも止めてください。あの子が一人前になれないと、私は、死んでも死にきれません。どうか……どうか……」
メリオットの腕にすがりつき、涙を流しながら、そう訴えた。
優しい母親だ――そう思う。さっきまでの突き放すような言い方は、息子の性格を誰よりも知るからのことだろう。ああ言えば、負けず嫌いの彼が騎士になると言い出すことが判っていたのだ。
「判りました。任せてください」
メリオットが約束すると、母親はまた泣きながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と、何度も頭を下げた。本当にいい母親だ。それに比べ、息子の方は……。
メリオットは母親に別れを告げると、シェリダンを追いかけるため、家の外に出た。
「――――」
シェリダンは、隣の家の住人と会っていた。
「どうか、おふくろのことをお願いします!」
土下座するほどの勢いで、頼み込む。
「俺がいない間、おふくろのことを頼みます。お礼は必ずしますので、どうか……どうか、お願いします!」
その家の人が承諾すると、さらにその隣の家を訪ねて頭を下げ、さらにその隣、と、近所の全ての家を訊ね、母親のことをお願いして回る。
その姿を、メリオットは、ずっと見つめていた。
「……よし!」
最後の家へのお願いが終わったのを見届け、メリオットはシェリダンに声をかけた。「さあ、お城に行きましょう。お母さんのことは安心していいわ。すぐに、お城から治療魔法が使える人を来させるから」
「城の人が? それは安心だ」
「じゃあ、早く帰るわよ? さっそくお兄ちゃんに紹介しなきゃ!」
「お、お兄ちゃん?」
きょとんとするシェリダンを連れ、メリオットは大急ぎでソールズベリーへ戻った。