イスカリオの新米騎士ティースは落ち込んでいた。ここ数ヶ月の戦いで、彼は現実を知ってしまったのだ。世の中には、努力ではどうにもならない『越えられない壁』というものがあることを。
子供の頃からひねくれ者で、十代前半は不良少年と呼ばれて過ごした。だが、ルーンの加護を受けたのをきっかけに、更生のためにと、親に無理矢理イスカリオに仕官させられた。当初はすぐに逃げ出すつもりだったが、そこで、運命の出会いを果たした。王ドリストの従者(だと思っていた)少女・ユーラである。彼女に一目惚れしたティースは、一人前の騎士となるため、なにより、彼女を守ることができる強い騎士となるために、心を入れ替え真面目に修行に励んだ。大陸中を旅し、力をつけ、剣技を磨き、モンスターを従え、未知のアイテムを入手した。最近は戦場へ出ることも多くなり、何度も実戦を経験した。見習い騎士だったティースも、今や万年金欠騎士のダーフィーと同じ剣士となっている。もちろん、その剣技はまだまだダーフィーには及ばないものの、確実に成長をしていた。一人前の騎士となる日も、そう遠くないと思っていた。ユーラを守るだけの力を身に付け、ユーラにふさわしい騎士になれると信じていた。
だが、現実は残酷だった。ティースをはるかに超える速さで、ユーラがどんどん強くなっていったのだ。
白魔法の使い手だったユーラが、同時習得が困難とされる青や黒など複数の属性魔法を使えるようになっていた。現在は、超上級黒魔法である隕石落下の魔法を修業しているという。さらには、王ドリストの切り札とも言える魔竜バハムートを軽々と従えるようになり、それら力をもって、昨年十二月上旬に侵攻してきたノルガルド軍を、あっさり撃退してしまった。ユーラは、もはやこの国一の騎士と言っても過言ではない。
それに比べ、自分はなんと凡庸な騎士だったのだろう。仕官して自分が成し遂げたことと言えば、修行の旅でドラゴンと空飛ぶ靴を手に入れたくらいだ。ドラゴンは現在上位モンスターである赤竜ファイアドレイクへ成長したが、ティースの手には余るようになったので、ユーラの配下に入ることになった。空飛ぶ靴は、帰還と同時に王に取り上げられた。この国にとって、自分は探索要員と防衛の数合わせでしかないのだ。このザマで、なにが「ユーラにふさわしい騎士になる」だろう。そんなのは夢物語でしかなかった。どんなに努力をしようと、凡人は決して天才を超えることができないのである。
心が折れてしまいそうなティースであったが、彼をさらに悩ませていることがある。天才騎士であるユーラに、その自覚がないということだ。
いま、ティースとユーラはグルーム防衛の任についている。現在、ドリストは北東にある旧レオニアの聖都ターラを攻めており、後方の拠点であるこのグルームは、ターラ侵攻軍の生命線となっていた。もし、ターラを攻めている間にこのグルームを奪われてしまったら、ドリストらは撤退する城を失い、敵地に孤立することになるのだ。なので、この日は朝から二人で作戦会議をしているが、ユーラは、「もしノルガルドが攻めてきたらどうしよう……」と、不安げな顔で言う。ユーラがいる限りそう簡単に奪われることはないのだが、惚れた女が敵の侵攻に怯えているのだから、ティースとしては励ますしかない。
「大丈夫だよ。相手がどんなヤツであろうと、俺が守ってやる」
多くの魔法を使いこなしバハムートとファイアドレイクを従える化け物いや天才をどう一般人が守るというのか、自分でもツッコみたくなるセリフだ。言ってて悲しくなるが、言うしかない。
「うん、ありがとね、ティース。頼りにしてる」
ユーラは満面の笑みで言う。これが本音なのか皮肉なのかティースには判断できないでいるが、どちらであろうとカワイイことに変わりないからなお困る。
天使のような悪魔のような笑みを浮かべていたユーラが、ふと真顔になった。「そう言えば、ずっと聞きそびれていたけど、ティースって、なんのために戦うの?」
またその話か、と、ティースは内心思った。事の始まりは一年半ほど前。ユーラの誕生日にプレゼントを贈ったティースは、彼女が騎士になった日の話を聞いた。その流れで、ティースはなんのために戦うのか、という話になったのだ。もちろんそれは、愛しのユーラのためである。これを伝えることはすなわち愛の告白であり、ティースはここまで何度も伝えようとしているのだが、結局言えないままでいた。
「はは、俺が戦う理由なんて、大したことないよ」
自嘲気味に笑う。これほど騎士としての才能の差を見せつけられた状況で、「君のために戦うのさ(キリッ)」などと、言えるはずもない。
「えー? なんで教えてくれないの? あたし、知りたいな」
そう言うと、ユーラはティースのすぐ隣の席に座った。
そして。
「ねぇ、聞かせて? ティースの気持ち――」
甘えるような声で言い、上目づかいで、ティースの顔を覗き込む。
ごくり、と、ティースはのどを鳴らした。これはもしや、俺からの愛の告白を待っているのでは? そうだ、そうに違いない。ならば、女の子に恥をかかせてはいけない。その気持ちに応えなければならない。凡人とか天才とか、本音なのか皮肉なのかとか、そんなことは関係ない。重要なのは、俺はユーラが好きだという一点のみである。それを伝えることに、何をためらうことがあるだろう。
ティースは、心を決めた。
「俺が……戦うのは……」
「戦うのは?」
「俺が……戦うのは……きっ……きっ……君の……」
「…………」
「…………」
「…………」
いつの間にか、すぐそばにイリアが立っていた。
やっぱりか! と思いつつも、一応付き合いで驚いた声を上げ、ひっくり返るティース。この人は、なぜいつも愛の告白をしようとするタイミングで現れるのか。本気で邪魔をしに来ているとしか思えない。そして、どうせ何も言わずに去っていくのだろう。
――と、思っていたら。
「……お……おはよう……」
イリアは、言葉に詰まりながら、しかし、はっきりと聞き取れる声で、そう言った。
思わず、ティースは自分の耳を疑う。イリアが挨拶をするなんて珍しい……というより、初めて聞いた。
「おはようございます、イリアさん」
ユーラは、にこにこ笑いならが頭を下げた。
そして、呆然とするティースを、肘でつつく。「ほら、ティースも挨拶」
「あ、えっと、おはようございます、イリアさん」
なんだか調子が狂うような気もするが、それでも、やはり朝の挨拶をするのは気持ちの良いものである。心なしか、いつも仏頂面のイリアも、うっすらと笑っているようにさえ見える。
「――敵だ」
いつもの口調に戻って、イリアが言った。
「へ? 敵!?」
それを早く言え! ティースは会議室を飛び出し、バルコニーから外を見た。北西のウィズリンドの方から、ノルガルドの旗を掲げた大軍が整列していた。前回侵略を受けた時と同じくらいの規模だ。
「……戦義を」
会議室を出てきたイリアが、ユーラに言った。今日は随分と積極的だ。
「了解しました。では、相手側に伝えてきます」
スタスタと走って行ったユーラは、すぐに戻ってきた。
「応じるそうです。相手は、ディラードさんという騎士ですね」
またか、と、ティースは内心思う。前回戦義をした時と同じ相手だ。あの時は、お互い一言も交わすことなく別れ、実にムダな時間を使ったのだ。
「……行ってくる」
懲りずに一人で向かおうとするイリアを、ティースは慌てて追いかけた。やはり、どう考えても一人で向かわせるのは不安だ。
城を出て、イリアは平原の中央で待っていたディラードと対峙する。どうせまた無言で別れるんだろう……と、ティースが考えていたら。
「イリアだ」
静かだが槍のごとき鋭さを含む声で、イリアが名乗った。
「ディラード」
相手も名乗る。
「陛下の敵は、倒す」
イリアが決意を表すように言うと。
「誰であろうと、俺は俺の成すべきことをする」
ディラードも決意を口にした。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
そのまま、しばらく二人は無言で向かい合っていたが。
ディラードが、くるりと背を向けた。「俺としたことが……喋りすぎたな」
イリアも背を向ける。「私もだ」
今のでかよ! と、ティースは心の中でツッコんだ。