大戦の裏で暗躍する魔導士ブロノイルを追うハレーは、ノルガルド領のリスティノイスからジュークスへ向かう街道を歩いていた。と言っても、目的がある訳ではない。エストレガレス帝国からカドールが去ったのを機に、ハレーも西アルメキアを離れブロノイルの目的を探る旅に出たのだが、一年以上経っても新たな情報はつかめていなかった。心には、大きな悔いが残っている。ハレーがブロノイルを追う旅に出た後、西アルメキアは帝国皇帝ゼメキスの捨て身の特攻を受け、わずか数ヶ月で滅亡してしまったのだ。あのとき自分が西アルメキアを離れなければ滅びることはなかった――そう考えるのは自惚れが過ぎるかもしれないが、最悪の結果は避けられたかもしれない。西アルメキアにとって非常に重要な時期に、無理を言って調査を再開したというのに、手掛かりひとつ得られていない。このままでは、快く送り出してくれたランスに合わせる顔がない。
悔恨を払う術すら見いだせぬまま、ただ街道を歩くハレー。前方から荷馬車が来るのが見えた。ハレーは警戒心を強める。リスティノイスとジュークスはどちらも帝国との国境を守る拠点であり、移動する兵は少なくはない。ノルガルドは西アルメキアと敵対していた国だ。ハレー自身はノルガルド軍と刃を交えたことはないが、それでも名は知られているはずだ。目に留まって尋問でもされると面倒だ。ハレーはフードを目深にかぶり、不審に思われぬよう自然に歩きながら馬車の様子を探った。幸い、荷馬車は軍用のものではなく行商人が使う小さなもので、
そのとき、馬車の車輪が石に乗り上げ、荷台が揺れた。幸い荷物はロープでしっかりとくくりつけられていたので崩れることはなかったものの、木箱の中からいくつか物がこぼれ落ちた。老婆は馬車を止めると、落ちた荷物を拾い集める。
「大丈夫ですか?」
ハレーはフードを取ると、老婆を手伝うため荷物を拾った。その中に、絵が描かれた一枚のカードがあった。白馬に乗った鎧騎士が、黒地に白い薔薇の軍旗を掲げている。よく見るとその騎士の顔は骸骨になっており、白馬の足下には、何人かの人が倒れていたり、あるいは祈りを奉げたりしていた。
「……ほう、死神のカードか」
老婆が含みを持つような声で言う。どうやらこれは、占いなどに使うタロットカードのようだ。
ハレーはそのカードを横向きに持ち、老婆に差し出した。
「おまえさん、なかなか面白い運勢を持っておるようじゃな」老婆は笑みを深めてカードを受け取った。「ひょっとして、道に迷っておるのか?」
「え……?」
困惑するハレー。迷うも何も、この街道は一本道であり、迷いようがない。しかし、ハレーは別段ジュークスを目的地としているわけではない。ブロノイルの手掛かりがつかめないため、どこへ向かっていいのか判らないというのが現状だ。
ハレーが答えに窮していると、老婆は、「図星のようじゃな」と、肩を揺らして笑った。「ワシは、以前ログレスで占いの店をしておってな。これは、占いで使っていたタロットカードじゃ。おまえさん、最近なにか大きな節目があり、その後の進むべき道が見えておらぬのであろう?」
確かに、ハレーは一年ほど前に西アルメキアを離れたものの、その後ブロノイルの手掛かりはつかめていない。ハレーは自嘲気味に笑うと、「……おっしゃる通りです」、と、素直に言った。ハレーは占いなど信じていないが、たまたま拾ったのが死神という不吉なカードであることが、おのれの行く末を暗示しているように思えた。
だが、老婆は「まあ、そう気を落とさずとも良い」と言って続けた。「死神のカードは、必ずしも不吉という訳ではない。タロットには『正位置』と『逆位置』があり、同じカードでも向きによって意味が異なるのじゃ。死神のカードは、人との別れや物事の終わり、あるいは、人生の節目や再生を司る。これが『正位置』、つまり正しい向きなら、物事が終わって先が見えない状態を意味する。『逆位置』、つまり反対向きならば、物事が終わると同時に新たな始まりを意味する。おまえさんは、今このカードを正位置でも逆位置でもない横向きに持ってワシに渡した。つまり、まだどちらに転ぶか判らないということじゃ」
そう言った後、老婆は顔から笑みを消し、ハレーをじっと見つめた。なにか、魂のありかを探るような、そんな視線だった。
しばらく見つめた後、老婆は「なるほどのう」と頷いた。「ここで
「いえ、私は」
ハレーは苦笑いを返した。占いなど、これまで興味を持ったこともない。
「遠慮せずとも良い。こう見えて、ワシは以前、旧アルメキアの王都ログレスでちょいと名の知れた占い師じゃったんじゃぞ? 一回の占いで数十万ゴールドは当たり前じゃ。それを、タダで占ってやろうというのじゃ。断るとバチが当たるぞ」
老婆はまた肩を揺らして笑う。まあ、ブロノイルの手掛かりをつかめず途方に暮れていたことは間違いない。ものは試し、と、ハレーは占ってもらうことにした。
老婆は荷台の上にタロットカードを裏向きで広げると、両手で念入りにかき回し、それを一度集めて山状にした後、横に均等に広げた。
「この中から好きなカードを六枚選び、裏向きのまま二枚ずつ並べるのじゃ」
ハレーは言われた通りカードを選び、自分の前に並べた。
「六枚のカードは時の流れを示しておる。では、まず左の二枚をめくってみよ」
ハレーは左の二枚をめくった。一枚目は、馬に乗った騎士が金の盃を持ったカードで、二枚目は、大きなハートにいくつもの剣が刺さったカードだった。ハートのカードには3の数字が書かれてある。向きはどちらも正位置だ。
「『聖杯のナイト』と『剣の3』じゃな」老婆が言った。「左の二枚は過去を司る。そなた、過去に異性から求婚されたが、その後、何か大きな悲しみが訪れたようじゃな」
「――――」
言葉を失うハレー。胸に浮かんだのは、最愛の人リーランドと、その命を奪った者・ブロノイル――。
ハレーの顔に陰りが浮かんだのを見たのか、老婆は、「まあ、詳しくは言わずとも良い。次のカードをめくって見よ」と促した。
ハレーは真ん中の二枚のカードをめくった。カードの並びが時の流れを表しているのなら、これは現在ということになる。現れたのは、
「『金貨の7』と逆位置の『運命の輪』じゃ。今の状況は良くないかもしれんが、決して焦ってはならぬ。辛抱強く待てば、必ず良い道が開けるであろう」
そう言った後、老婆はあごに手を当てると、「そう言えば、そなたが最初に引いたカードは死神であったな」と言い、しばらく何かを吟味するように目を閉じた後、続けた。「そなた、鎌を持った者に心当たりはないかな? その者を訪ねてみれば、なにか良い話を聞くことができるかもしれんぞ」
鎌を持った者――直接会ったことはないが、イスカリオの狂王ドリストが、身の丈を超えるほどの大鎌を武器にしているはずだ。彼が、ブロノイルに関する情報を持っているのだろうか。
「では、最後のカード――未来を表すカードをめくってみよ」
老婆に言われ、ハレーは残りのカードをめくった。一枚目は、獅子の身体に人間の顔を持つ二体の獣が戦闘用の馬車を引く絵で、数値は7。そして、最後のカードは――。
「――おや?」
カードをめくった瞬間、老婆が驚いた声を上げた。最後のカードは白紙――なにも描かれていなかったのだ。
「一枚目のカードは戦車じゃな。勝利や征服、あるいは暴走や傍若無人を意味する。正位置で出たということは、物事が速やかに進むことを意味しておる。しかし、その結果うまくいくかどうかは、このカードのみでは判らぬ。他のカードを見る必要があるのじゃが……」
もう一枚のカードは白紙だ。ハレーはタロットのことは詳しくないが、恐らくこんなカードは本来ないであろう。
老婆は首を捻った。「これは予備のカードじゃ。なぜこれがまぎれ込んでおるのじゃろうな」
「そういうことは、よくあるんですか?」ハレーは小さく笑う。手違いでまぎれ込んだ、ということだろうか。
だが、老婆はにこりともせず言う。「普通は無い。だが、最近は、似たようなことがよく起こるようになったのう」
「最近?」
「ああ――この、大陸全土を巻き込んだいくさが始まってからじゃ」
老婆は、真剣な表情になって、さらに言葉を継いだ。
「いくさが始まって以降、多くの者から、この大陸の未来を占ってくれという依頼があった。ワシは、様々な占いで未来を見ようとした。タロットだけでなく、水晶や、占星術など、心得のある占いは全て試した。じゃが、結果はどれも同じ……必ず異物がまぎれ込むのじゃ」
タロット占いでは白紙のカードがまぎれ込み、水晶では大きな濁りが発生したという。占星術に至っては、星がひとつ消えることもあったそうだ。
「自分で言うのもなんじゃがの、ワシの占いは必ず当たる。つまりそれは、この大陸の未来に、何か異物が入り込むことを意味しているのであろう」
異物――その言葉に、ハレーの胸に言い知れぬ不安が浮かび上がる。
「それが何なのかまではわしにも判らぬ。ただ、その異物を取り除かぬ限り、フォルセナ大陸に――いや、この世界に、未来は無いかもしれぬな」
老婆の言葉が真実であるならば、それは恐ろしいことである。もちろん、ハレーは占いを鵜呑みにするつもりはない。ただ、この時のハレーの胸には、旅の途中で何度も存在が見え隠れする『混沌の蛇』が浮かんでいた。
老婆は、「いや、失礼をしたな」と言って、表情を和らげた。「ワシも老いた。今は商売をやめ、故郷に帰ってのんびり過ごそうと思うてたところじゃ。ただの手違いでまぎれ込んだだけじゃろうて。さあ、あらためて、もう一枚引いてみよ」
老婆に促され、ハレーはもう一枚カードを引き、前に広げた。現れたのは、杖とヒマワリの花を持った女王が王座にすわる絵だった。向きは正位置である。
「ほうう。
「どのようなカードなのですか?」
ハレーは、自分でも気づかぬうちに身を乗り出していた。いつの間にか、老婆の占いに深く興味を持つようになっている。
だが、老婆はそんなハレーの気持ちをいなすように言った。「ワシの占いはここまでじゃ。後は、そなた自身で運命を切り開くがよい」
大きな肩透かしを食らい、ハレーは思わず肩を落とす。
そんな姿を見て、老婆はおかしそうに言う。「別に意地悪をしているわけではない。告げることが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らぬからのう。わしの口から言わぬ方が良いこともあるのじゃ。まあ、代わりに、このカードの力を授けよう」
そう言った後、老婆が何か呪文のようなものを唱えはじめた。すると、カードから眩しい光が溢れ出し、それがハレーを包んだ。
その光が消えると同時に、老婆の手からカードも消えていた。
「その力で、困難を切り開くがよい」
老婆は残ったカードを片づけると、ハレーに別れを告げた。最後をはぐらかされたような気もするが、不思議と、ハレーの胸の内は、老婆と会う前と異なり、わずかに晴れ渡るような気分だった。西アルメキアは滅びた。どんなに悔やんでも、それはもうどうすることもできない。ならば、今は一刻も早くブロノイルの目的を突き止めなくては。
「狂王ドリストか……」
ハレーは、老婆に言われた『鎌を持つ者』を求め、南へ向かうことにした。