カーレオンのナイトマスター・ディナダンは、ノルガルドとエストレガレスの二国と国境を接するアスティン城の門を出て、北へ足を進めた。先ほど、北のカーナボンから進軍してきた帝国軍の将から戦義の申し出があり、それを受けたのだ。戦義は戦闘の前に騎士同士が会話を交わす儀式だが、今回は、会話だけで終わらない予感がしていた。
アスティンの北に広がる平原の中央で、ディナダンは呼び出した相手と対峙した。帝国四鬼将の一人、剣聖エスクラドス。大陸再高齢の騎士にして、ディナダンと並び大陸一の剣士と噂される男だ。
エスクラドスは鞘に納めたカタナをディナダンに差し向けるように持つと、老いてもなお鋭さを失わない目を向けた。「ようやく会えたな。さあ、どちらが大陸一の剣士を名乗るにふさわしいか、いまこそ決めようぞ」
鋭い刃のようなその声を、ディナダンを受け流すように答える。「大陸一の剣士なんて、俺は別に興味ない。名乗りたきゃ、そっちが勝手に名乗ってくれ」
「それでわしが納得すると思うか。さあ、剣を取れ」
今にも剣を抜きそうな勢いのエスクラドスをなだめるかのように、ディナダンはさらに言った。「俺よりも、あんたが相討ちになったっていうお嬢ちゃんにリベンジした方が良いんじゃないのか? あのお嬢ちゃん、まだ大陸のどこかにいるだろ。追いかければ、間に合うと思うぜ?」
エスクラドスは、昨年の八月、当時イスカリオ領だったソールズベリーでキラードール・イリアと一騎討ちを行い、壮絶な相討ちとなったそうだ。その結果、エスクラドスは長い間戦場から遠ざかることとなったが、イリアは一節の休養後すぐに戦線へ復帰している。一騎討ち自体は相討ちでも、真の勝敗は明らかであった。
だが、エスクラドスはいささかの遺恨も無いように言う。「あのような異端に興味は無い。あれは、わしの剣の道には関係の無い者だ」
「どうしても俺じゃないと駄目だって言うのか。ご老人のワガママも困ったもんだな。どうしてそこまで大陸一にこだわる? あんたほどの名声があれば、今さらそんなモン必要ないだろ?」
「名声など、それこそ興味は無い」
「ならなぜ戦う? 主君に仇なし、大陸中を戦乱に巻き込んでまで、何を求めているんだ?」
エスクラドスは、旧アルメキア時代、多くの戦場で剣を振るい続けて手柄を上げ、また、一線から身を引いた後は剣術指南役として多くの後進の育成に努めた。『剣聖』の異名は、アルメキア国内だけでなく、同盟国カーレオンやパドストーはもちろん、当時から敵国であったノルガルドからも、尊敬と畏怖の念を込めて呼ばれていたのだ。そんな彼が、ゼメキスのクーデターに組みしてアルメキアを滅ぼし、大陸全土を巻き込んだ戦争の最前線に立って戦い続けていることに、ディナダンは大きく失望していたのだ。
エスクラドスは剣を下ろした。「わしは
「なら、ゼメキスには剣を奉げる価値があるっていうのかい?」
「あやつが王にふさわしいなどとは思わぬが、此度の機会を与えてくれたことには感謝しておる」
「機会?」
「そうだ。わしはアルメキアで剣聖と謳われるまでになったが、祖国は愚王ヘンギストの元腐敗し、多くの友が処刑され、あるいは国を追われた。民はアルメキアに生まれたことを嘆いていた。わしは、自分がなんのために剣を振るっているのか判らなくなった。剣聖などと呼ばれようが、わしはこれまでの人生で剣を極めたなどと思ったことは一度もない。道を見失った者が、どうして剣を極めることができよう」
「…………」
ディナダンはそれ以上口を挟まず、エスクラドスの言葉に耳を傾ける。ディナダンも、以前は王宮の人間とそりが合わず、真面目に仕えてはいなかった。彼が王宮に足を運ぶようになったのはカイが即位してからだ。ナイトマスターという二つ名も、その頃から呼ばれるようになっている。
エスクラドスはさらに言葉を継ぐ。「――わしは道を見失ったが、そんな折、ゼメキスのクーデターの話を聞き、それに乗った。よもやこの歳になって人生の悔いを晴らす機会を与えられようとは思ってもみなかった。ここまでの戦いには満足している。弟子の成長を見届け、友との約束も果たした。民もこの戦いに希望を見出した。わしは、もう思い残すことはほとんどない」
弟子というのは、王太子ランスに仕えていたゲライントのことであろう。友というのは、かつてアルメキアの盾と呼ばれた名将ハンバルのことだろうか。これまでの戦いでこの二人とエスクラドスとの間に何があったのかは判らないが、エスクラドスの顔は晴れやかだった。
そして。
ゼメキスのクーデターにより樹立したエストレガレス帝国は、周辺国から次々と宣戦布告された。新たに仕官する騎士もいない帝国において、民衆が自ら志願して兵となり、戦場に立っているという話は、ディナダンの耳にも届いている。帝国が短期間で西アルメキアを滅ぼしたのも、この点が大きいであろう。アルメキアの民は、愚王の
エスクラドスは、ふっと、ほんのわずかに頬を緩めた。
「老人の我儘か……確かにそうかもしれん。この歳になり、これ以上を求めるのは身勝手であろう」
エスクラドスは、「だが」と言って再び剣を差し向け、そして、目に刃のごとき鋭さを宿らせた。「一度は道を見失おうと、わしはこれまでの人生を全て剣に奉げてきた! その極みに届くかどうかを知らずして、どうして剣を収めることができよう! 我が剣が大成するか否か……。ナイトマスター・ディナダン! この勝負、受けてもらえぬか!!」
その、長き剣の人生すべてを込めたように、言った。
ディナダンは目を伏せた。「俺は、あんたらを許しはしない。どのような理由があろうと、こんなバカげた戦争を始めたあんたらをな」
そして、「ですが――」と言って相手に目を向け、言葉を改め、続けた。「あなたの、その剣に対する思いには敬意を表します。私でよろしいのであれば、お相手、務めさせていただきましょう」
「感謝するぞ!」
両者が一騎討ちに応じたので、戦義は終わりだ。
剣聖とナイトマスター――ともに大陸一と呼ばれた剣が、いま、抜き放たれた。
カーレオンとエストレガレス帝国の戦いが、始まる――。