リンニイスの王城の執務室で、賢王カイは机に向かい、書状をしたためていた。このために特別に用意した上質の紙に、これまた上質のペンとインクで文字を綴っていく。一文字一文字、丁寧に、心を込めて。これは、カーレオンの行く末を決めるほど、非常に重要な書状である。少しの誤りが、国を破滅に向かわせる可能性もあるのだ。このような仕事は、できれば一人で集中して臨みたいのだが。
「……じいいぃぃ……」
室内には執務用机の他に、もうひとつ、応対用の大きなテーブルがある。その椅子のひとつに妹のメリオットが座り、テーブルに肘をついてこちらに視線を送っていた。自分の口で「じーっ」などと言っている辺り、いかにも「ヒマだから構ってよ」と言わんばかりだった。無視して黙々と仕事を進めることもできるが、そうすると、意地でもこちらの気を引こうとさらにうるさくしかねない。部屋にはメリオットの他に騎士団長のディナダンもいる。口の悪いこの男が妹に
「なんだいメリオット。僕の顔に、何かついてるかな?」
声をかけると、相手をしてもらえるのがよほどうれしいのか、メリオットはぱっと顔を明るくした。しかし、すぐに「んー、別に」と、さもなんでもないとばかりに澄ました顔をする。
カイは「そうかい?」と言って、仕事に戻ろうとした。
すると、メリオットは慌てた表情で「あ、あのね、なんとなく思ってたんだけど」と、話し始める。「あたしとお兄ちゃんって、なんだか似てないな、って、思って」
「似てない? そうかな?」
「そうだよ。お兄ちゃんって、あたしと違って体力は無いし、力も弱いし、その上
「ただの悪口なら、僕のいないところで言ってくれるかな」
「別に悪口のつもりはないけど……ねえ、ディナダン。あなたもそう思うでしょ?」
メリオットはディナダンに同意を求めた。
「そうですな」と、ディナダンは頷く。「姫と陛下では、まさに美女と野獣、いや、美女とナマケモノといったところでしょうな」
「いやーん、美女だなんて、ディナダンったら、ホント正直なんだから」
ディナダンの見え透いたお世辞に、両手を頬に添えて照れる仕草をするメリオット。このふたりのいつもの寸劇だが、毎回付き合わされるこっちはたまったものではない。
「あのね。僕はこう見えても忙しい身なんだよ。邪魔しないでもらえるかな」
カイがはっきりとそう伝えると、メリオットは不服そうな顔をした。「忙しいって、いつも寝てばかりじゃない。まあ、確かに今日は珍しくお仕事してるみたいだけど。なにしてるの?」
「旧イスカリオの法律を改正する準備をしているんだよ。あの国には、狂王ドリストが作っためちゃくちゃな法律がたくさんあってね。例えば、『領土の防衛戦で退却した場合、男性騎士は死刑、女性騎士は一節の間化粧禁止』とかね」
「……そんなのがあるんだ。それはシェラさんが困りそう」
「どちらかというと死刑の方が問題だと思うけどね。他にも、『ギャンブルは全てニコニコ現金払いで、破れば死刑』とか、『一月下旬の墓参りの日は国民全員墓参りをする義務があり、怠れば死刑』とか、普通の国では軽犯罪や努力義務程度に分類されるものでも、概ね罰則が死刑になっているんだよ」
「ひどーい。それでよく国民は納得してたね」
「まあ、王のやることにちょっとでも文句を言えばこれも死刑だからね。それらのおかしな法律を改正、もしくは廃止しなきゃいけないから、どの法律をどう改正するか、その草案を作っているんだ。まずはこれを法制局に提出して、審査してもらわなくちゃいけない。その審査を通れば議会で審議され、可決されれば成立する。その後も、公布と施行の準備にとりかからないといけないから、やることは山積みだよ」
メリオットが苦手とする範囲の話だ。案の定、メリオットはあからさまに嫌そうな表情になった。「えー、なんだかめんどくさそう。そんなの、ほっといていいんじゃない?」
「そういうわけにもいかないよ。僕たちはイスカリオという国へ侵攻し、滅ぼした。でも、国が滅んでも、民は残る。僕たちには、国を滅ぼした者として、残った民を導く責任がある。『ほっといていい』なんて、王宮にいる人が言っちゃあいけないよ」
軽くたしなめるように言うと、メリオットは「はぁい」と言ってしゅんとした顔になり、肩を落とした。少しい言いすぎたかな、とも思ったが、メリオットはこの国の姫であり、王族として民を導く立場にある。無責任なことを軽々しく言ってほしくないというのは本音だった。まあ、ちゃんと言葉の非を認め反省しているところは、素直でいい。
カイはさらに続ける。「そうだ、メリオット。手が空いてるなら、ちょっと手伝ってくれないかな。僕が書いた草案を読んで、おかしな点があれば指摘してほしいんだけど」
メリオットは弱り切った顔になった。「あ、えっと……そうだ。あたし、今日は午後からカルロータちゃんと魔法の修業をするの。ちょっと早いけど、そろそろ準備しておかなきゃ。じゃあ、あたし行くね。お兄ちゃん、お仕事がんばってね」
メリオットは逃げるように部屋を出て行った。
「今日は朝早くに起きて弓の修業をしたというのに、元気な姫ですな」
メリオットが出て行った扉を見ながら、ディナダンは温かな表情で言った。
「そうだね」と言うカイは、ディナダンと違い悩ましい気持ちだった。「魔法の修業はしなくていいって、前にも言ったんだけどね」
「戦場には出したくないですか」
胸の内を察するように言うディナダンに、カイは「当然だよ」と答える。「あの子が敵に弓を引いたり、敵から刃を向けられたりする姿を想像するだけで、胸が痛むよ」
「そう過保護にする必要もないのでは。私が見る限り、姫は立派に成長しておられる。戦場に出ても、カーレオンの騎士として、立派に戦い抜いてくれると思いますがね」
そうかもしれない、と、カイも思う。メリオットの弓の腕前は、この数年で著しく上達した。各国に仕官している騎士全員の情報を把握しているカイがいま大陸一の弓使いと目しているのはノルガルドの姫ブランガーネだが、メリオットもこのまま修行を続ければ彼女に匹敵するくらいの腕前になるだろう。騎士としてだけでなく、この国の王族のひとりとして、家臣や兵を導く頼もしい存在になれるはずだ。魔法や戦術面においてはまだまだ頼りないものの、さっきメリオット自身も言っていた通り、体力方面においてはカイをはるかに上回る素質がある。戦場では、魔法や戦術などの知恵方面の能力よりも、腕っぷしや体力などの力方面の能力がものを言う場面も多い。力にものを言わせて敵を撃破するのも立派な戦法であり、それはカイにはできないことだ。メリオットの言う通り、確かにふたりは似ていないかもしれない。だからこそ、お互いの欠点を補える強さがある。カーレオンの勝利のためには、メリオットをもっと積極的に戦場へ出すべきなのだ。それは充分判っている。判っているが、兄としては、どうしても割り切れない思いがある。
そんなカイの心中を察したのか、ディナダンは「ところで……」と言って、話を変えた。「本当は、何の準備をされているのです?」
「どういうことかな?」
とぼけて言うカイに、ディナダンはこちらの胸の内を探るような視線を向ける。
「いえ、法律改正の草案作りなら、法の専門家に任せればいいのでは、と思いましてね。それなら、お忙しい陛下は最後にチェックするだけでいい。仮に陛下が作るにしても、イスカリオの法律は陛下の専門ではないでしょう。イスカリオの法の専門家も交えるべきではないかと」
的確に問題点を衝いた後、ディナダンは最後に「もちろん、博識の賢王様のことですから、イスカリオの法律にも精通していらっしゃるのかもしれませんが」と、お得意の皮肉を付け加えた。
「君にはかなわないね」
カイは白旗を上げるように言った。ディナダンは、こういう点に妙に鋭いところがある。
「君の言う通りだよ。さっきのは、メリオットを追っ払うために言ったんだ」
イスカリオにおかしな法律が多くあったのは事実だが、それを改正するのにカイが行うことはほとんど無いというのが現状だった。というのも、狂王ドリストは国の滅亡直前、『二一七年八月下以降全ての法はカーレオンに準ずる』という旨の法律を密かに成立させており、そのための下準備もすべて済ませていたのだ。これにより、旧イスカリオのほぼすべての死刑囚はカーレオンの法律に準じて無罪放免となっている。ちなみに旧イスカリオで死刑を執行できるのは王ドリストのみなのだが、「めんどくせぇ」を理由に、彼が王位に就いて以降イスカリオで死刑が執行された例は無い。また、死刑とは言ってもどこかに拘置されるわけでもなくみな普通に生活できるため、イスカリオにおいて死刑は比較的軽い罪であったらしい。イスカリオの法整備で問題があるとすれば、この『死刑は軽い罪』という国民の認識をどう改めさせるかであろう。
「それで、本当はなんのお仕事をされているのですか? 可愛い妹
皮肉めいて言うディナダンに、カイは「まあね」と言って、さらに話す。「本当は、ノルガルドへ送る書状を書いているんだ」
「ほう、ノルガルドに、ですか」
「ああ。カーレオンが領土を広げたことで、ノルガルドとカーレオンは国境を接してしまった。まだどちらも宣戦布告はしていないから戦争状態ではないけど、ずっとこのまま緊張状態が続くのも、お互い良くない。それで、今後どうするかを話し合おうと思ってね」
「……白狼王に会うおつもりですか?」
「いまのところなんとも言えないけど、向こうが望めば、そうするつもりだよ」
歴史上、北の大国ノルガルドと南の魔導国家カーレオンの王が会談したことは無い。いま書いている書状は、歴史に残るかもしれないほど重要なものなのだ。
と、その時。
「――陛下、大変でございます」
ノックも無しに扉が開き、宰相のボアルテが入ってきた。メリオットが「たいへんたいへーん!」と言って部屋に飛びこんでくるのはよくあることだが、ボアルテがそれをするのは珍しい。その言葉通り、かなり切羽詰った顔をしている。その手に一通の封書を持っていた。
ボアルテは封書を見せ、息を整える時間も惜しみながら言う。「ノルガルドから書状が届きました。伝者によると、ヴェイナード王が、陛下との会見を望んでいると」
封書の封じ目には、鷲の首を
ディナダンの顔が険しくなる。「どうやら、あちらさんも同じことを考えていたようですな」
「そうだね。もっとも、向こうは僕よりも気が短いようだけど」
カイは封書を受け取ると、蝋印を割り、書状を取り出した。王自らカーレオンを訪れるのですぐに席を用意せよ、という旨が、極めて短い文章で書かれていた。こちらは相手に失礼が無いよう慎重に言葉を選んで書状を書いていたのだが、無駄な努力だったな、と、カイは内心苦笑する。
カイは書状を机に置き、ボアルテを見た。「判った。すぐに会見の席を設けると、伝者に伝えてくれ。日は来節初日、場所はアスティンで」
「は、はい」
ボアルテは息を整える間もなく部屋を出て行った。
「陛下も中々気が短い。もっと慎重に決めた方が良いのでは? あれじゃあボアルテ卿の身体がもちませんぞ。年よりはもっと労わるべきかと」
ディナダンの冗談に、「あれでも僕よりは体力があるから、大丈夫だよ」と、同じく冗談を返した後、カイは続ける。「まあ、会見自体は僕も望むところだからね。向こうが何を望んでいるのかも、なんとなく想像できるし」
開戦直後、ヴェイナードは当時中立を保っていたレオニアの女王と会見をしている。長らくその内容まではつかめていなかったが、レオニアがノルガルドに事実上滅ぼされ、何名かの騎士がカーレオンに流れてきたことで、その内容が明らかになった。ノルガルドはレオニアに属国になることを要求したそうだ。レオニアの女王だったリオネッセは、元々は政治とは無関係の田舎村の娘に過ぎず、王位に就いて間もなかった。そのため、白狼は軽く脅しをかけるだけで従わせることができると考えていたのだろう。だが、会見で女王は白狼の要求を拒否したそうだ。目論見が外れ、白狼は宣戦布告をする形で去って行った、と、元レオニアの騎士は語った。
会見で女王を脅して従わせる――確かに、そういう考えもヴェイナードの頭の片隅にはあったのかもしれない。だが、彼には別の目的もあったのでは、と、カイは考えている。レオニアがノルガルドに併合されたのはそれからわずか半年後のことだ。ことはヴェイナードの望みどおりになったのだ。会見は、その下準備だったとも考えられる。
これらはカイの憶測に過ぎないかもしれないが、今回のカーレオンとの会見でも、白狼はなんらかの策を仕掛けてくると考えた方が良い。無論、むざむざ相手の策に乗るつもりはない。むしろ、こちらも策を仕掛けるべきだろう。もし戦場で白狼と相対することになれば勝ち負けは五分五分だが、こういった戦場から離れた駆け引きならば、こちらに分がある。
「今回もご同席した方がよろしいでしょうか?」
ディナダンが意味深な笑みを浮かべた。開戦時、カーレオンも西アルメキアのランスと会見を行っており、ディナダンに同席してもらったのだ。
「丁重にお断りするよ。君と白狼王は、どう考えても相性が良くない。まとまる話もまとまらなくなる」
カイはディナダンのように皮肉を交えて返した。西アルメキアの時は同盟の確認で、相手のランスも礼を欠く人物ではなかったが、今回は話も相手もまるで違う。
「これは手厳しい。まあ、正直私もそう思います」ディナダンは一度苦笑した後、さらに続ける。「しかし、相手はあの白狼です。いきなり噛みつかれでもしたら大変だ」
「さすがにそれは無いと思うけど、仮にそうなっても、ただ噛まれるだけでは終わらせないよ」
「それは心強いですな。では、ノルガルドの相手は陛下にお任せして、私は帝国との戦いに集中しましょう」
「頼んだよ」
ディナダンは席を立ち、部屋を出た。
カイはノルガルドの書状を封書に戻した。机の上にはもうひとつ、ノルガルドへ送るはずだった書きかけの書状がある。
カイは不要となった書状に火を点け、灰入れに放り込んだ。